作品タイトル不明
151 クラークの方針
第三騎士団を束ねることになったクラーク・アンダーソンとコリン・ヘインズ宰相がひそひそと会話をしている。
クラークとコリンは親子ほども年齢が離れているが、クラークの側に年齢を気にする様子はない。宰相相手に一歩も引かずに交渉を進めている。
「ですから宰相、何度も申し上げていますが、第三騎士団の予算が圧倒的に足りません」
「しかし今はどこも予算不足だ。第三騎士団だけ予算を増やすわけにいかないんだよ」
「そうおっしゃると思って資料を作ってきました。こちらをご覧ください」
クラークが差し出した書類を受け取った宰相が「これは……」と目を見張る。
一枚目には早馬連絡網のための拠点確保と維持費用が記され、その下には侵略の知らせが遅れた場合の人的物的被害予想額が書かれていた。二つの額には途方もない差がある。
その他にも他国の工作員が持ち出そうとしていた軍事拠点の情報、戦争時の軍の配置などの資料もある。
「こんな重要な情報が流出しかけていたのか⁉」
「そうです。ランダル王国の工作員と情報を漏らした我が国の人間はもう捕まえてあります。その人物の名前はこちらに。証拠もあります」
「これを……こいつが漏らしたと?」
「そうです。当人を議会に呼んだ上でこの資料を配ってください。第三騎士団は効率よく仕事をしている、予算を増やせばもっとこの国を守れると、議会の皆さんに理解してもらいたいのです」
軍の情報をランダル王国の工作員に漏らしたのは、四代続く軍人の家の次男だった。
戦争が起きた際、洩れた情報のとおりに軍の部隊を展開していたら、どれだけの死傷者が出たか。その恐ろしさにコリン・ヘインズ宰相は緊張した。
「今までのように犯人が高位貴族だからという理由で、派閥の力関係に配慮して病死または事故死という手段を取るのはお控えいただきたい。どんな名家であっても、こういうことをすればこんな罰が下るぞと周知するほうが、高位貴族による犯罪を未然に防げます」
目の前の若者をしげしげと見つめる。鮮やかな赤い髪、心の内を読ませない翡翠の瞳。
これだけの手柄を報告しているというのに、この若者は自慢げでもない。コリンはクラークの子供時代を何度か見ていたから、(この子はこんな性格だったか?)と 訝(いぶか) しむ。
クラークの父であり外務大臣のマイケル・アンダーソンとコリンは、そこそこの交流がある。互いに読書が好きで、大公主催の読書会で何度か同席した。その読書会にクラークが連れてこられたことがあった。クラークは九歳か十歳くらいだったと記憶している。
大人が読書会をしている間、クラークは大公家の令嬢たちと一緒に、庭のテーブルで焼き菓子を食べていた。
あれは同世代のつながりを早い段階で築かせようという親の配慮だったのだろう。
読書会が開かれている部屋から時々外に目をやると、クラークは無表情に茶を飲み菓子を食べている。会話が弾んでいるようには見えなかった。
あの内気そうだった子供が今はこれなのかと、コリンはクラークの変貌に驚いている。頭脳明晰な彼から見たら、私なんて凡庸な男に見えるんだろうな、とも思う。
「宰相? なにか?」
「なんでもない。この資料が与える影響を考えていた。それにしても君はずいぶん背が伸びたな」
「そうですね。大公閣下の家でお会いした頃に比べると、頭二つ分くらい伸びました」
「あの日のことを覚えていたのか」
「ご令嬢が猛烈な早口で閉口しましたので、あの茶会のことはよく覚えています」
コリンは自分があの場にいたことと、茶会の相手が早口だったことまでクラークが今も覚えているのに驚いた。
「あれは母の指示で参加させられました。うちの母は自分以外の人間も自分と同じように社交的だと思い込んでいる傾向がありまして。僕はとても困っていました。少なからず父も」
「はっはっは。そうだな。マイケルは仕事以外ではあまり社交的ではないな。だが、他国の外務大臣と仕事の話をしている時は、淀みなくよくしゃべっているよ」
「そうなんですか。家に帰って倒れ込んでいるのは、そんな仕事をした日なのかもしれませんね」
そこでコリンはふと、自分の家の末娘のことを思い出した。
(確か、ルイーズはクラークと同じ年齢じゃなかったか?)
「今度、我が家に顔を出さないか? うちの末娘が君と同じ年齢なんだ」
「実はまだ公にしてはいませんが、僕には婚約者がいます。それでもよろしければ」
ぴしゃりと先手を打たれた。
「そうか。婚約者がいたのか。参考までにどこのご令嬢か、教えてくれるかい?」
「ノンナ・アッシャー子爵令嬢です。軍務副大臣ジェフリー・アッシャーのひとり娘の」
「ぐっ」
コリンの喉の奥から変な声が出た。
「失礼した。『彼女』の娘か!」
「ええ。両親に大切に育てられている、とても優秀なご令嬢です」
「そ、そうか」
「彼女が成人したら、なるべく早く結婚したいと思っています」
「そうだったか。なるほど」
クラークの父は優秀な外務大臣。
クラーク自身は大変な切れ者で、二十歳を前にして第三騎士団の統率者。
従伯父は前第三騎士団統率者。
婚約者ノンナの父親は軍務副大臣で国王の信頼が厚い。
母親はハグル王国の元工作員。コリンの母ヨラナのお気に入りでもある。
(いやいやいや。陛下はその婚約をご存じなのか?)
「それは、なんというか、君たちの将来が楽しみなような、恐ろしいような」
「僕たちの将来を楽しみにしていてください。恐ろしいことなどなにもありません」
それまで無表情だったクラークが笑った。笑うとクラークは一気に年相応の雰囲気になる。
自分が宰相を務めるのはあと十年か十五年。自分が宰相の座を退いた後も、この若者は陰から国を動かし続けるであろう。
(十五年たってもクラークはまだ三十半ばか。人生で一番脂がのっている時期だな)
「その若さだ。君なら長いこと第三騎士団を統率できるな」
「そのつもりです。では宰相、貴族議会での件、くれぐれもよろしくお願いいたします」
「承知した」
「失礼いたします」
クラークが立ち上がり、部屋を出ていく。コリンは優秀な人間特有の強い圧から解放されて、体の力を抜いた。そして「そうだ」と思い出して国王の政務室に向かう。
コンラッド国王は金色に輝く髪をひと房額に落とし、一心不乱に書類を読んでいた。
「陛下、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「いいよ。なんだい?」
コリンは人払いをしてから、コンラッドの前に立った。
「たった今、クラーク・アンダーソンから聞いたのですが、彼の婚約者はジェフリー・アッシャーの娘だそうですね。陛下はご存じでしたか?」
「ああ、ジェフリーから聞いている」
「母親の件がありますし、問題はないのでしょうか」
「ない。クラークの婚約者は軍の反乱の際に、ビクトリアと共にデルフィーヌを守ってくれた。知っているだろうが、ビクトリアはデルフィーヌの影武者を演じてくれている。エドワードに言わせると、あの 母娘(おやこ) は大変な格闘術の使い手らしい」
「なっ! 娘もですか」
「そうだ。そしてこの国を大切に思ってくれている母娘だ。心配はいらない」
コリンは国王にそこまで言われて返す言葉がなくなり、引き下がった。
そして周囲に人がいない場所まで歩いてから、「私がのんびり暮らしている間に、とんでもない一族が誕生していたじゃないか」と呻いた。