軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5.新しい部屋

「エレナ様、侍女はお連れになっていないと伺いましたけれど、これからいらっしゃる予定もございませんか?」

グレーデン伯爵が出て行ってしまったサロンで、人の良さそうな執事長、ヨハネスに聞かれた。

「ないです」

「そうでしたか」

「だいたいのことは一人でできますので大丈夫です。わからないことだけは教えてもらうことになりますけれど」

通常は侍女を連れて来るものらしいけれど、子爵家にそんな余裕はない。だからといってお宅の侍女をよこせ、と図々しく言うつもりはない。

気遣いは不要だとやんわり伝えると、ヨハネスは困ったように眉を下げた。

「聞き方を間違えたようで申し訳ございません。エレナ様の侍女がいらっしゃるならばこちらの侍女が出しゃばるのは失礼に当たりますので、確認させていただいたのです」

アリー、とヨハネスに呼ばれ、先程お茶を出してくれた侍女がわたしの前で礼を取った。年齢はわたしと同じくらいに見え、どことなくマリーと似ている。いや絶対似ている。親族だろうか。

「彼女は侍女のアリーです。身の回りのお世話をさせていただきます。何でも申し付けてください」

「アリーと申します。よろしくお願い致します」

「こちらこそ、よろしくお願いします、アリーさん」

ニコリと微笑みかけたけれど、アリーは無表情のままだった。かわりにヨハネスがわたしに微笑んでくれた。何かを感じさせる笑みだ。

「エレナ様、あなた様は主の婚約者でいらっしゃいます。私どもに敬称は必要ありません。そのままアリーと呼んでください。私のことはヨハネス、と。敬語も不要でございます」

なんだろう、ヨハネスの眼差しは優しそうに感じるのに、有無を言わせない圧力がある。

「わかりまし……わかったわ」

「では、アリーがお部屋へご案内します」

スッと軽く礼を取って、アリーが歩き出した。礼の姿勢を取っているヨハネスを置いて、わたしもそれに続く。

サロンと呼ばれた部屋を出てからも、この建物には圧倒されるばかりだった。どこも綺麗に整えられているし、所々に調度品や生花が飾られている。何より広い。

道、覚えられるかな?

すでにサロンへの行き方に自信がなくなってきた。家の中で迷子になるなんて子爵家では考えられなかったけれど、ここなら本気でありえそうだ。

しばらく歩いたあと、ひとつの扉の前でアリーが止まった。

「こちらのお部屋になります」

一歩踏み入れ「わぁ」と小さく声が出た。室内は明るい空間が広がっており、一部屋だけだが、子爵家にあったわたしの部屋の三倍くらいの広さがある。机と椅子、寝台、クローゼットというシンプルな作りで、先程のサロンに比べると貴族っぽい重厚さがなくて落ち着いた雰囲気だ。調度品も小さな風景画が一つ飾られているだけ。皿や壺を割ってしまう危険が少ないのはありがたい。

何より目を引いたのは、寝台に敷かれたふかふかそうな布団。とても過ごしやすそうな部屋で、思わず口角が上がる。

「わたくし、ここを使ってもいいの?」

「……はい」

今の間はなんだ。

そしてなぜ目を逸らす。

本当はこの部屋を使っては駄目なのかもしれない。だってとても素敵な部屋だから。お客様用の部屋を仕方なく貸してくれるのかも。

そういえば「もう来たのか」って言われたし、本来の部屋の準備が間に合わなかったのかもしれない。

でも、良いって言ったのはアリーだし!

もうこの布団を見ちゃったし!

やっぱり駄目ですとか言われる前に、お礼を言うことにした。この部屋、死守したい。

「素敵な部屋ね。ありがとう、アリーさん」

「私に敬称はいりません。お食事は後でお持ちします。必要なことがあればそちらのベルでお呼びください。では失礼します」

忙しいのか、アリーは最低限のことだけ口早に述べると部屋を出ていった。

さてと、荷物を片付けましょうか。わたしはすでに部屋に運ばれていた、実家から持ってきた箱を開けた。

夜になって、布団にポスンと飛び込む。ふかふかだ。いつもは寝台の板の固さがもろに伝わるようなペラペラ布団で寝ていたので、こんな上等なものは久しぶりだ。

夕食も美味しかった。なんと肉入りのスープだったのだ。パンも柔らかかったしサラダにかかっていたドレッシングも絶品だった。さすが伯爵家!

『婚約は解消してもらってかまわない』

ふと伯爵からの言葉を思い出して、顔のニヤニヤが一気に冷めた。

伯爵家からの縁談だと思っていたけれど、伯爵の言い方からすると彼自身も望んでいた話ではなかったようだ。

婚約期間が終わればそのまま婚姻するのだと思っていた。いつまで可能かはわからないけれど、わたしがここにいる間は子爵家を経済的に守ることができると、そう思っていた。

でも、婚約期間が終わったら実家に戻されるの?

きっと家族は戻ったわたしを歓迎してくれるだろう。

だけどその先にあるものは?

ナメクジ野郎が頭に浮かんだ。子爵家令嬢の他に、さらに伯爵家の婚約者だったという肩書がつけば、奴は間違いなく喜ぶだろう。

……嫌だ。奴に嫁ぐなんて、絶対に嫌だ。

背筋がぞわぞわと泡立って、自分の身体をぎゅっと抱きしめた。

まずは、役に立とう!

そうすれば、伯爵もわたしをここに置く気になるかもしれない。

まだここでの生活は始まったばかり。婚約期間は一年。そのうちの一ヶ月は実家での準備期間になってしまったけれど、残り十一カ月はあるのだ。それが終わる次の春が来るまでにわたしがここに必要な人間だと思ってもらえれば、もしかしたらそのまま婚姻してくれるかもしれない。

何をしたらいいだろうかと考え始めたところで、瞼が重くなってきた。長旅に慣れない環境だ。さすがに疲れていたらしい。

そのままわたしは眠ってしまった。