軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

35.子爵家の現状

温室から出たわたしたちは離れにある調合室で摘んだ薬草の処理を始めた。すぐに使うもの以外、乾燥させたり魔力を加えて練って保存できるようにしておかないとしなびてしまう。

わたしは草を刻んで乾かし、せっかく採ったのでポラビという毒カブもどきを魔力を込めながらすりおろして瓶に入れた。似たような作業を何度もやったので、ずいぶん慣れたものだ。

ブルーノは楽しそうに「ふふふふふ」と怪しい声を出しながらこれまた怪しい顔つきでゴリゴリと何かをすりつぶしている。

最初に見た時は驚いたこの光景が日常となっているあたり、本当にずいぶん慣れたものだ。

わたしは自分のやるべきことが終わったので、棚の整理を始めた。足の踏み場もなかった調合室はちょこちょこと整理した結果、見違えるほどにはならなかったが、それなりに片付いた。わたしのおかげであると勝手に自画自賛している。

なお、ブルーノに許可は取っているし、文句は言われていないから良しとしている。

棚には書物の他に、ブルーノ直筆の書類が積んである。研究成果やら薬の配合に調合方法まで、これしっかり管理しなきゃ駄目なやつ、と思う紙が無造作に置いてあるのだ。一枚で相当な価値があるとわたしは思うのだけど、ブルーノは大して気に留めていないらしい。なぜなら「配合は全部頭の中に入っているから」だそうだ。

全部頭に入ってるって、すごいな……いや、そこじゃない。

そういう問題ではないと思う。

好きに見ていいぞ、というので、見ながら分類して束ねている。

そうしておいてなんだが、好きに見ていいものじゃないと思う。わたしが悪用しようと思ったり、金の為に売ってしまおうとしたらどうするのだ。前者はおそらくたぶんないが、後者はどうしようもない状況に陥ったらやるかもしれないぞ?

「エレナならその前に俺に相談するだろ」

「……声に出ておりましたか?」

「ブツブツと何か言っているなとは思ってた」

いつの間にか作業を終えたらしいブルーノが後ろに立っていた。

「悪用するだろうと思うヤツにはさすがに見せない。そのくらいは俺にもわかる」

「ずいぶんと信用していただけているようで」

「そうだな」

あっさりと肯定されてちょっととまどう。

そして、肩をすくめた。

「相談しますよ、ブルーノ様が側にいれば」

その意味がわかったのか、ブルーノはハッとした。

「そうだよな。なんだか、君がずっとここにいるような気がしていた」

「わたくしはずっといるつもりなんですけどね」

「そうか?」

ブルーノは不思議そうにわたしを見た。

なんでそんな顔をするのだろう。わたしは最初からずっとここにいるつもりで来たし、今もそう思っているし、事あるごとに伝えている気がするが。

「ブルーノ様は、わたくしがここにいると迷惑ですか? わたくしは役に立てていませんか?」

「そんなはずがないだろう。君には頼ってばかりだ。むしろ申し訳なく思っている」

「それならば、このままここにいてはいけませんか?」

「そういうことじゃないんだ」

そういうことじゃないならどういうことなんだろう。ここにいては駄目だと言われなかったのだから、いてもいいと解釈していいだろうか。

「もしかして、ブルーノ様には他に想われている方がいるとか?」

「いないし、そうじゃない」

「そんなにわたくしと結婚するのは嫌ですか?」

「それも違う」

それも違うってことは、嫌ではない、と解釈した。

えっ。

自分で聞いておいてなんだが、ちょっと嬉しい。

ブルーノを見上げると、彼はまっすぐにわたしを見ていた。紫の瞳が少し揺れていて、わたしが勝手に浮かれかかっているのとは全く違う表情をしていた。

「君は子爵家のためにここに来たんだろう?」

「まぁ、そうですけれど」

「逆に言えば、エレナにとって、子爵家に問題がない今、ここにいる必要はないということではないか?」

ブルーノの言っている意味がよくわからなくて首を傾げた。

「子爵家との取り引きは上手くいっている。今は援助額も含まれているが、いずれ伯爵家側の利益にもなるだろう。こちらとしても取引をやめるつもりはない」

わたしがここに来た条件のひとつが子爵家との取り引きだった。そのおかげで子爵家は持ち直し、少しの余裕も持てるようになっている。

「子爵家に戻った後にネッケに嫁ぐという心配もなくなった。たとえもし子爵家に問題が起こったとしても、これからも支援することはできる」

そう言われて初めて気がついた。

わたしがここに来たのは、子爵領を外から守るため。それからネッケに嫁ぐのは嫌だったということもある。ネッケに嫁ぐ心配も、妹がネッケに狙われる心配もなくなった。貧乏すぎて子爵領が潰れる危険はなくなった。伯爵夫人という権力は得られないかもしれないが、今のところ子爵家にとっての脅威もない。

そう考えたら、当初の目的はすでに果たせたように思える。

それなら、わたしがここにいる意味はなんだろう?

「子爵家の内情まではわからないが、エレナが戻れない理由が他にあるのか?」

「……特に、ないです」

「今エレナをここに繋いでいるのは、王太子殿下が後押しした婚約があるからだろう。無理に婚姻まで結ぶ必要はない」

そうか、わたしにとって、もうここにいる必要がないのか。

子爵家が安泰で、わたしがここにいなくても今後も取引は続く。ブルーノのことだから、もし何か問題が起これば手を差し伸べてくれるだろう。そしてわたしも、万が一伯爵家に何かあったら、そのときは子爵家総出で恩を返す。

子爵家を外から守るんだと意気込んでここにやってきたあの日。

今度は子爵家として伯爵家の役に立てるように、伯爵家の外から頑張ればいい。

そうなのかもしれない。

……そうなのかな。

心がモヤモヤした。子爵家のことは好きだ。家族も領民も大好きだった。きっと戻ったら、皆は笑顔で迎えてくれるだろう。

だけど……。

「君には戻れる家がある。それならば戻る方がいいんじゃないかと、俺は思う」

見上げたブルーノが少し辛そうに見えたのは、気のせいだろうか。

わざと淡々と、無表情を装っているように見えるのは、わたしの願望だろうか。

わたしがもし戻ったら、ブルーノはどう思うのだろう。

何事もなかったかのようにまた仕事漬けに戻って、何事もなかったかのように過ごすのだろうか。

ブルーノの瞳を覗き込むと、彼はフイッと顔を逸らした。

「今日はここまでにしよう」

自室に戻ったわたしは、ボフッと頭から寝台に突っ込んだ。勢いよくそうしてもやわらかく包み込んでくれる布団のありがたさよ。

いきなりこの豪華な部屋になった時には戸惑ったものだけれど、まぁ今でも完全には慣れていなくて場違いな感じがあるのだけれど、この寝台は別だ。実家に戻ったとしたらあの固い布団で眠れるだろうか、なんて現金なことを思ってしまう程度には魅力的なのだ。質の高いものを知るって恐ろしい。

「どうかしたのですか? お茶、よそいますか? あとにしますか?」

「置いておいて。後でもらうわ」

アリーがお茶を机に置いた音が響く。

「何かあったのですか?」

「アリーは、わたくしは実家に戻るべきだと思う?」

「思いませんけれど、戻りたいのですか?」

「そうじゃないんだけど、ほら、ここに来た時は皆で実家に返そうとしていたでしょう」

「誠に申し訳ございませんでした」

「今でもそう思っている?」

「思うはずがないですよ。私だけじゃなくて、使用人一同エレナ様に残ってもらうためにどうするか、あの手この手試行錯誤していますよ」

「何それ怖い。今度はわたくしどうされちゃうの」

わたしが笑うと、アリーも小さく笑った。

「ハンスはエレナ様の嗜好を分析してますね。なんとかして胃袋を掴もうと必死です」

「もうがっちり掴まれてる」

「庭師のカールは果樹の剪定を始めましたよ。良い果実が収穫できるようにって」

「それ、カールの負担が大きいのではない?」

「マリーとリリーが手伝っています」

マリーがやるとは思わなかった。意外だ。

「ちなみに私はエレナ様を着飾らせようと必死ですよ。もう少しオシャレしましょうよ」

「うーん」

「ブルーノ様もきっと喜んでくださいます」

「そうかしら? そのブルーノ様に実家に戻ったほうがいいと言われているんだけど」

「えっ」

アリーが手を止めた気配がする。

ちなみにわたしは頭を布団にめり込ませてちょっと横を向いている。マリーだったら、だらしがないと怒られるかもしれない。

「わたくし、ブルーノ様に嫌われてはいないと思うのだけれど……」

「それはないですね。むしろブルーノ様はエレナ様のこと、絶対好きですよ」

「えっ」

わたしが顔を上げるのと、アリーがハッと口を押さえるのは同時だった。アリーはちょっと目を逸らしてから、肩を落とした。

「少なくとも以前の奥様方にはエレナ様に向けられるような顔はしませんでしたし、あのように気安く接することもありませんでした」

そう言われて、どうしてだろう、嬉しくなった。

「エレナ様はご実家のほうがよろしいですか?」

「どうなのかしら。自分でもよくわからなくなってしまって」

またボフッと布団に突っ伏す。

「もしエレナ様がご実家に戻られてしまったら、私は寂しいです」

アリーがポツリと言った。

「あら、珍しい。ブルーノ様の為、じゃなくアリーがそう言うなんて」

「ブ、ブルーノ様の為にはエレナ様にここにいていただくのが一番だと思っているんですよ!」

アリーは慌てたように横を向いてしまった。

「ありがとう、アリー」

ここを離れたらこうしてアリーとやり合うこともないだろう。ハンスの料理を食べることも、ヨハネスと執務で唸ることも、マリーに怒られることもなくなる。

なにより、もうブルーノの側にはいられない。

わたしはひとつ溜息をついた。