軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17.食事会

「エレナ、君はお酒が飲めるか?」

テーブルの真ん中に置かれた豪華な生花の向こう側から、伯爵の声だけが聞こえてくる。花に隠れて姿はほとんど見えない。

「普段はあまり飲みませんけれど、伯爵さまがお飲みになるならば頂いてもいいでしょうか?」

給仕がグラスに赤ワインを注ぐ。綺麗な色だ。紫がかった赤で、澄んでいる。

「伯爵さまは普段よくお酒を飲まれるのですか?」

「好きではあるが、強くはない」

「そうなのですか? では、いつか一緒にお酒を楽しめると嬉しいです。わたくし、実家ではあまりお酒を飲む機会がなかったのです」

貧乏だから。

領内で作られたお酒を試飲することはあったけれど、楽しく晩酌ということはあまりなかった。もう一度言うが、貧乏だから。

伯爵はまだ仕事が残っているらしく、今日は一杯だけなのだそうだ。普段はどのくらい飲むのだろう。

ところで、この席順は普通なのだろうか?

わたしが学んだマナーによれば、二人で食事をする場合、向かい合って座るのが基本だったと思ったのだけれど。

さりげなく後ろに控えているマリーに目線を送ると、彼女はスッとわたしの顔に耳を寄せた。伯爵のところまで届かないくらいの小声で囁く。

「席を変えてもらうのは難しいかしら?」

目線で伯爵の向かいの席を示すと、マリーは小さく首を横に振った。

用意された皿などを全て動かすことになるのは、たしかに大変だ。さらに、使用人の不手際ということになってしまうのかもしれない。そもそもこの席順になっているのは意図的なことのはず。それが伯爵の希望なのか、使用人たちの総意なのかわからないけれど。ならば今日はこのままの席だ。仕方がない。

ワインと一皿目の料理が出され、簡単な祈り文句が唱えられた。この国では一般的な祈りで、大抵の場合、その場にいる最上位の人が唱える。それが終われば各自食べ始めるのが通常の流れだ。

伯爵が唱えた祈り文句は普通のものだった。

もし伯爵が怪しい宗教の教祖で、全く知らない祈りをし始めたらどうしようかと思った。

そんなことを考えていると、カチャ、とわずかにお皿とカトラリーがこすれる音が聞こえた。見えない向こう側で伯爵も食べているのを感じて、わたしもカトラリーを手に取った。

ハムと生野菜にソースが掛けられた一品は、口に含むと程よい塩気と風味が広がった。一口分しかないのが残念になってくる。

「美味しいですね」

「気に入ったか?」

「えぇ、とても。さすがハンスです」

もらったパンをちぎって一口食べてから、ワインを少しだけ口に入れた。あまりワインは詳しくないけれど、とても良い香りがした。たぶん高いんだろうな、と考えるところが貧乏出身の悲しいところ。きっと上流階級の人は値段など気にせずに風味を楽しむんだろう。

次の皿が給仕され、軽く雑談をしながら食事をすすめる。食事は歓談しながらとるのが望ましいと習ったからだ。そうは言っても、伯爵はあまり自分から話さない。真面目にもわたしは歓談しなければと思い、結果、一方的に話すことになった。

「このワインは綺麗な色ですね。まるで宝石みたい。そういえば、昔、このような色の石を川辺で拾ったことがあるんです。とても綺麗でしばらく宝物にしていたのですが、村の小さな子が欲しがったのであげてしまいました」

透き通ったスープを口に運ぶ。この最後をすくうのが難しい。お皿に口をつけて、全部飲みたい。やらないけど。

サラダは色鮮やかで、見ているだけでも楽しい気分になってくる。

「こちらの人参は味が濃くて美味しいですね。小ぶりなほうがうま味が詰まっているのかしら。以前農家さんの手伝いに行った時に、すっごく立派な人参が採れたんです。農家さんですら初めてだと言った大きさで、さぞかし美味しいかと食べたのですけれど、味が薄くって。期待外れすぎて皆で笑ってしまいました」

お肉が出てきた。トロッとしたソースがまた美味しそうだ。

「うーん、このお肉、柔らかいですね。きっと優しい牛さんだったんでしょうね」

お皿にナイフがあたらないように、慎重に切り分ける。野菜を乗せて食べると、また違った風味でたまらない。

「昔、気の荒い牛がいて、その牛がいる牧場に行くたびに兄と一緒に追い回されてたんです。こちらは逃げることしかできないのが悔しくて、いつか食らってやるわと思っていたら、本当にその機会ができてしまったんです。意外にも老齢だったそうで。久しぶりのお肉だったのに、なぜか兄とその牛を思い出して泣きながら食べました。その肉がすごく固くて、気性の荒い牛は肉も固いのかって。さらにわたくし歯が生え変わる時期だったんですけど、奥歯が抜けてしまって! 肉になってもなおわたくしに向かってくるのかと驚きました」

グフッ、ゴホッ、と伯爵がむせた。

大丈夫かしら。気管に入ると苦しい。給仕がお水を差し出したのを横目に確認する。

「あっ、すみません、食事中にする話ではなかったですね」

歯が抜けたなんて話題を選んじゃいけなかった。反省。

これでも頑張って話しているけれど、自分の語彙力のなさに愕然とする。

ああぁ、木登りばかりしてないで、お茶会の勉強もするべきだったよ。子爵領の村のおじさんおばさんはわたしが黙っていてもひたすらしゃべるような人が多かったから、頷いているだけでけっこう楽しかったんだよ。

それに、ここからでは伯爵がどんな反応をしているのかもわからない。うるさいなと思われているのか、意外と楽しく聞いてくれているのか。いや、うるさかったよな。反省。気を付けよう。

デザートが運ばれてきた。小さなカップに入った、ムースのようなものだ。横に柑橘っぽいソースが綺麗な模様を描いている。

「あの、伯爵さま、そのテーブルの上のお花を移動させてもよろしいですか? せっかく一緒に食事をしているのに、顔が見えないのは寂しいではありませんか」

さっきから一人でしゃべってばかりだ。そこに伯爵がいるのはわかっているのに、全く会話している気がしない。

カチャ、と皿の音がして、それからしばしの沈黙。

どうしようか、と迷っているような間があった。

「すみません。無理を申しました」

「いや、かまわない。花を下げてくれるか」

一拍おいて、かしこまりました、と声が聞こえ、そして、従者が花を持ち上げた。その花を目で追い視線を戻すと、当然だけれど、わたしと伯爵の間を遮っていたものがなくなっていた。

伯爵と目が合う。

その瞬間、鼓動が跳ねた。

「あっ……」

いつもの布で覆った姿でなく、彼の顔がそこにあった。

右頬には痣が広がっていて、一部が目元にかかっている。けれど、それさえ顔を彩る模様のように見えた。

えっ、綺麗じゃん。

全然化け物なんかじゃない。むしろ、美しいとさえ思う。だれがそう称したのだろう。どう見たって化け物とはほど遠いのに。

アリーが「倒れないように心構えを」と言っていた意味が少し分かる気がした。まだちょっと心臓がうるさい。

何かに囚われたようにじっと見つめていると、次第に伯爵の表情が険しくなった。目が逸らされて、プイッと横を向く。

話していたら視界を遮る花がうっとおしいと思えてきて、どかしてほしいと言ってしまったけれど、彼は顔を見せたくなかったのかもしれない。

「あの、お顔を見てはいけませんでしたか?」

「いや、そんなことはないが……この顔を見ながら食事などしたくないだろうと思っただけだ。食欲がなくなるだろう?」

「そんなことありませんけど?」

いやむしろこんな綺麗な顔と食事できるなんて光栄ですけど?

食欲上がりそうですけど?

「だが、俺の顔をじっと見ていたではないか」

「それはカッコいいなと思って、見惚れていたからですね」

「世辞はいらぬ」

「お世辞じゃありませんよ。あと、噂とはあてにならないものだなと思っておりました」

恐ろしいならまだ仕方がないと思う。呪いの象徴だと言われる痣を恐れる人は多いから。だけど、おぞましいとか醜い、魔物のようだとか、凶悪な顔だとか、一体どうしたらそう見えるんだろう。噂が一人歩きした結果に違いない。

「こちらに来る前、いろんな伯爵さまの噂を聞いたんです。恐ろしい顔をしてるって噂でしたけど、どこがだよと思いました。きっとその人の目が曇っていたんでしょう」

「この痣を見てそう思うのか?」

「わたくしは、痣も素敵だと思います。あ、ちょうどこのワインの色じゃないですか?」

ワインの入ったグラスを掲げてみる。灯りにかざすと端が透き通って見えて、それが痣の色とそっくりに見えた。

「ワイン色の宝石を散りばめたみたい」

「この顔が怖くないのか?」

「怖くないですよ。むしろ、わたくしは好きです」

紫の瞳も、整った顔も、それを彩る模様のような痣も含めて、わたしは綺麗だと思う。

「はっ、もしかして、これは呪いですか? 痣を見たら魅了されるっていう?」

「そんなわけないだろう」

即否定された。そうかもしれないとけっこう本気で思ったのに、違うのか。

「お花を置いていたのも、席が遠いのも、それからいつも顔を隠していたのも、もしかしてわたくしへの気遣いですか? その、痣を見せないように、と?」

「……」

「もしそうなのでしたら、どうぞお気遣いなく」

食後の紅茶が小さなお菓子と共に出された。一口サイズなのでそのまま口に入れ、紅茶をすする。初めてのお食事会はこれで終わりだ。

「伯爵さまは静かにお食事を召し上がるのが好きですか?」

「いや、そんなことはない……と思うが」

「でしたら、次の食事ではもう少し近い席でもいいでしょうか? わたくし実家では賑やかな食卓だったので、顔も見えず静かに食べるというのは落ち着かないのです」

「……あぁ、かまわない」

紅茶のカップを静かに置いて、伯爵はフッと笑った。

「君は変わっているな」