軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4話 発酵食品

ヒノモト滞在するにあたり、城主の温かな厚意により、私たちは城の客人として迎え入れられた。

そして、翌朝――

昨夜の夕食と同じように、今朝も見事な朝食が用意されていた。

今、私の目の前には、二つの膳が並ぶように置かれている。昨夜と同じ、本膳料理と呼ばれる形式だ。

一の膳には湯気の立つ味噌汁と白く艶やかなご飯、大根と人参の煮物、くるみの寄せ物。

二の膳には卵焼きに煎豆腐、そして焼き目のついたきすの焼き物が並んでいた。

「昨夜の夕食に続いて、また見事だね」

カミルが感嘆の息を漏らし、箸を手に取る。

その手つきにはまだぎこちなさが残るものの、目の前の料理に向ける表情は真剣そのものだった。

「いただきます」

私も続いて箸を取り、味噌汁をひと口すする。

昨夜味わった時と変わらず、優しい味。

舌の上にまろやかに広がった。昆布と鰹の出汁が重なり合い、塩味の奥に温かな旨味が滲む。

「やっぱりこの香り……落ち着くわ」

思わず目を細めると、カミルも頷き、真剣な顔で味噌汁をもう一口味わった。

「このスープは……昨夜も飲んだ、味噌スープだね。魚の出汁が使われているのかな? 海の味がするね」

彼は少し首をかしげ、まるで成分を分析するように言葉を続ける。

「昨日のは野菜が入っていて、健康的だったし……今日は卵か。ヒノモトのスープは、いろんな具が食べられていいね」

私は思わず笑ってしまった。

カミルが“スープ”という言葉で味噌汁を表現したのが、どこか微笑ましくて。

けれど、その観察は驚くほど鋭い。

「スープと言えば前菜に一品飲み切るものだけど、これは違う。魚や肉のソテーに合いそうな感じがするね」

「そうね。自国とは違って、ヒノモトではこの“味噌スープ”を飲みながら他の料理も一緒に食べるのよ。交互に味を重ねることで、全体の調和を楽しむのだそうよ」

「へえ、面白いね」

カミルは興味深そうに頷いて、再び味噌汁をそっと口へ運ぶ。

「そう言われると……塩気が舌を整えて、次の料理の味を引き立てている気がするよ」

自然と笑みがこぼれる。

膳の上は決して豪勢ではない。けれど、すべての料理が丁寧に作られ、余計なものが一切ない。

食べ進めるほどに体の芯から温まり、昨日までの旅の疲れがすっと消えていくようだった。

「魚も美味いしいわ!」

今度は、キスの焼き物に箸をつけた。

薄桃色の身がふっくらと焼き上がり、箸を入れるとほろりと崩れる。表面には焦げ目が香ばしく、柑橘を絞れば潮の香りがふわりと立った。

「昨夜も感じたけれど、この国では魚の料理が多いね。海に囲まれている国らしい」

私は頷く。

日本でも魚はよく食卓に並んでいたわ。島国だと、自然とそうなるかもしれないわね。

「魚はヘルシーなうえ、栄養もたっぷりだから嬉しいわ」

魚は肉に比べると低カロリーな上、タンパク質がたっぷり含まれている。そのうえ、オメガ3と呼ばれる良質な脂質が含まれているのよね。オメガ3には血中の中性脂肪を減らしたり、脂肪の燃焼を促進したり、悪玉コレステロールを減らしたりといった、すごい働きがある。

「ヒノモトにいるあいだは、魚をたっぷり楽しみたいわ」

私は息を吐き、胸の内で小さく呟いた。

本当に、和食はダイエットに適した食事だわ。美味しいだけじゃない。和食なら、きっと無理なく美しくなれる。

――ここには、美と健やかさが共に息づいている。この国の食文化は、きっと私の理想に通じている。

ああーー、こんな朝食を毎日食べられたら、どんなに幸せかしら……。

そう思わず夢想してしまうほどに、その食卓は静かな幸福に満ちていた。

***

食後、私はサクラに台所を見せてほしいと願い出た。

サクラはきょとんとした顔で、私を見上げる。

「えっ、台所を? そんなに面白いものはないと思いますが……」

「いいえ、私はこの国の食文化に興味があるの。是非、見せてちょうだい!」

前のめりになって告げると、サクラはぱちぱちと目を瞬かせ、戸惑いながらもこくんと頷いた。

「ふふっ、エリザベート様は本当に面白い方ですね。ヒノモトの料理にそこまで興味を持っていただけるなんて……光栄です。では、ご案内しますね」

そう言って案内されたのは、城の奥。使用人たちが働く活気に満ちた台所だった。

扉をくぐった瞬間、温かな湯気と香ばしい匂いが一気に押し寄せてくる。

煮えたぎる大釜の音、まな板を打つ包丁の音、薪が爆ぜる音。台所の床は堅く踏み固められた土間。中央には大きなかまどが据えられ、焚口からは赤々と炎がのぞいている。薪をくべる下男たちの額には汗が光り、湯気の中に煙が揺らめいていた。

その奥には、ずらりと並ぶ水壺と木桶。流しの向こうには、井戸のある水場が見える。

「こちらが、城の台所でございます」

「まあ……随分と広いのね」

「ええ。家族以外に使用人が百人以上いますから。それを賄うとなると、台所もこれほどの広さになります」

料理人たちは慣れた手つきで魚をさばき、野菜を刻んでいた。

竈の火が橙に揺れ、湯気の奥で味噌汁がぐつぐつと煮えている。

「味噌汁、もう少し火を弱めろ! 香りが飛んじまうだろう」

「はい!」

若い料理人たちの声が響き合い、熱気の中を忙しげに人が行き交う。

ひとりの青年が真剣な眼差しで鍋をかき混ぜ、隣のかまどでは炊き立ての米がふっくらと湯気を上げていた。

まな板の上では、年長の職人が鯛の皮を薄く削ぎ、刃が走るたびに銀の光が弾ける。

すべてが作業は驚くほど洗練されていた。

「おやおや、これは……」

そのとき、湯気の向こうから年配の料理人が姿を現した。白い前掛けを締め、日に焼けた腕には年季の筋が浮かんでいる。

彼は私を見て、恭しく頭を下げた。

「珍しいお客様だ。サクラ様のお連れですかな?」

「ええ、外ツ国からのお客様です。この国台所をぜひ拝見したいと仰せでして」

サクラの通訳に、料理人はにっこりと笑みを浮かべた。

「それは光栄ですな。私はこの台所の料理頭を務めております。何かご興味のあるものがあれば、どうぞ遠慮なくお尋ねください」

興味のあるものは多いけれど……どこから聞けばいいかしら。私は腕を組んで考えを巡らせる。

「そうね……特に“味噌”が気になっているの」

「ほう。味噌ですか」

料理頭の目がわずかに輝いた。

すぐに奥へ声をかけると、ほどなくして女中が手桶を抱えて戻ってきた。木の蓋を外した瞬間、熟成した大豆の芳醇な香りがふわりと立ちのぼる。

「これは……! もしかして、仕込み中の味噌ね……!」

はっと息を止める。木桶の中には、深い褐色に輝く味噌が静かに息づいていた。表面はしっとりと艶を帯びている。

「米麹と大豆、それに塩で作ります。冬の寒い時季に仕込み、夏の暑さを越えてようやく食べ頃を迎えるのです」

「まぁ……。随分、時間をかけているのね……」

「そうですな。熟成するのに、10カ月から1年ほどかかります。夏場だと5カ月ほどで完成する場合もありますが……」

料理頭の声には、まるで我が子を語るような誇りがにじんでいた。

「大豆から出来ていると言うけれど、実際にはどんな手順で作っているの?」

「ご説明しましょう。まずは大豆をよく洗い、一晩水に浸します。次に、ふっくらと蒸し上げて、熱いうちにつぶします。そして米こうじと塩を加え、よく混ぜ合わせ、木桶に仕込みます。あとは、季節の風とともに“発酵”するのを待つだけ。甘口になるか、辛口になるかは、こうじの割合で決まるのですよ」

私は真剣に耳を傾けた。

その作り方なら、大豆と米さえあれば、自国でも再現できるかもしれない……そんな考えが胸をかすめる。

「味見してみますか?」

「ええ、是非」

料理頭がひと匙掬って差し出す。

私は舌先で味噌を舐め、瞳を見開いた。

「まあ……なんて豊かな味。塩辛いだけではなく、まろやかな旨みを感じるわ……」

「ええ。味噌には仕込んだ者の手の温もりや、季節の移ろいがこの中に宿ります。味噌は生きているのです」

サクラの言葉に、私はそっと頷いた。

味噌は発酵食品だ。微生物の働きによって原料が変化し、新たな風味や栄養価を持つ食品のこと。つまり、菌が生きているのだ。生きているからこそ、手をかけて育てなければならない。それもあって、サクラは「味噌は生きている」と言ったのだろう。

「せっかくです。実際に、味噌を使った料理をご覧いただきましょうか」

そう言って、料理頭は若い料理人たちにいくつかの指示を飛ばす。

竈の火が再び勢いを増し、湯気と香ばしい匂いが一気に立ちのぼった。

「まずは“味噌田楽”です」

長方形に切られた豆腐を串に刺し、炭火の上でじっくりと焼く。

表面がこんがりと焦げ目を帯びたところで、味噌と砂糖、みりんを合わせた艶やかなたれが塗られた。

火の熱でたれがじゅっと泡立ち、甘く香ばしい香りが台所いっぱいに広がる。

「この香り……! なんて、食欲を誘うのかしら」

私は口元を押さえた。

味噌と焦げた砂糖の甘い香りが混ざり合い、先ほど朝食を食べたばかりだと言うのに、お腹の音が鳴りそうだった。

「では次は、“味噌漬け焼き”を」

料理頭がそう言うと、別の料理人が味噌床から魚を取り出した。

銀色の身を覆う味噌をそっとぬぐい、炭火の上に置く。じゅう、と音を立てて油が弾け、脂の乗った香りが鼻をくすぐる。

「魚を味噌に漬けておくと、余分な水分が抜けて、旨味が凝縮されるそうですよ」

サクラが隣りでそう解説してくれる。

やがて焼き上がった魚の表面は金色に輝き、身はふっくらとほぐれる。箸で割ると、湯気の中に味噌の香りがふわりと立った。

「なんて上品な香り……油を使っていないのに、まるでソース料理のようね」

「ええ。味噌は火に合わせることで、また別の旨味を生むのです」

料理頭は微笑んだ。

続いて案内された先では、大鍋が湯気を立ち上らせていた。若い料理人が木の柄杓で出汁を加えると、鍋の中の具材がゆらりと動いて、味噌が溶けるたびに柔らかく、芳ばしい香りが立ち上った。

「豚汁でございます。寒い日には欠かせぬ一品です」

「春とはいえ、朝晩はまだまだ冷え込みますから。豚汁は有難いです」

サクラが微笑みながら応じると、料理頭も嬉しそうに頷いた。

「はい。体を芯から温めてくれますからな。味噌の加減は少し甘めにしてあります。冷えた身体に、ほどよい滋味がしみ渡るはずですよ」

湯気の向こうで、鍋の中がふつふつと音を立てている。大根、人参、ごぼう、こんにゃく、そして豚肉。どれも身近な食材ばかりなのに、こうして具だくさんの味噌汁になると、まるでご馳走のようだった。

「こちらは“菜の花の粕漬け”でございます。酒を醸す際に生まれる副産物……この酒粕も、立派な発酵の恵みなんですよ」

私はつい、身を乗り出した。

壺の中では、雪のように白い酒粕が、菜の花をやさしく包み込んでいる。

ほのかに漂う甘い香りの奥に、しっとりとした酒の芳醇さが混ざり合い、春の気配そのものがそこに息づいていた。

「ぬかの香りって……なんだか優しいわね」

自分でも驚くほど、自然に言葉がこぼれた。

独特の香りだけど……穏やかで、どこか懐かしい。心の奥をそっと撫でるような香りだった。

料理頭は、微笑みを浮かべながら言った。

「もしよろしければ、これらの発酵食品を使った料理を、今宵の夕餉にお出ししましょうか?」

「ぜひお願いするわ。この国の味を、もっと知りたいの!」

味噌を使った料理がどんなものか、想像するだけで心が浮き立った。

料理頭は嬉し気に笑みを深める。

だがそのとき、ふとある記憶が脳裏をよぎった。

「あっ。……味噌があるということは――まさか、あれもあるんじゃなくて?」

通訳をしていたサクラが小首をかしげる。

「“あれ”と申しますと?」

私は言葉を探すように指先を合わせた。咄嗟に適切な単語が出てこない。

何せ、あれを口にしたのはもう数十年前のことなのだ。記憶の底から、独特な香りと粘り気のある感触が蘇る。

「ええと……その、大豆を使っていて、糸を引く……少し独特な香りの……」

「ああ!」

料理頭がにっこり笑って、手を打った。

ほどなくして、湯気の立つ小さな器が運ばれてくる。蓋を開けた瞬間、ふわりと鼻をくすぐる発酵の香りが立ちのぼった。

「もしかして、これのことじゃないですか?」

「そう、それよ!」

職人が胸を張って言った。

「これは、わがヒノモトの食卓の定番です。よくご存じでしたね。温かいご飯にのせていただくのが、一番のご馳走なんですよ。こちらも一緒にお出ししましょう」