軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

13話 実験Ⅱ

「今日も、おしろいを作っていくわよ!」

前向きな気持ちを込めて私が声を上げると、カミルは軽く頷いた。

「米粉は、たしかこっちの瓶に……。亜鉛華は……あら、もう切れてるみたい」

瓶の底を覗き込みながら、私は小首を傾げた。その様子を見ていたカミルが、落ち着いた声で言う。

「新しいのが棚にあるはずです。取りますね」

そう言うと、彼は私の肩越しに手を伸ばした。すぐ背後から感じる体温に、私は思わず肩をすくめる。肌と肌が触れ合ったわけではないのに、そこだけ空気がふっと熱を帯びたようだった。私はその感覚を振り払うように、作業台の上へ視線を落とす。

「……米粉、七。亜鉛華、三の分量だったわね」

声を出すことで、何かを取り繕うように。けれど、すぐに届いたカミルの声は静かに、それでいて妙に耳に残る。

「ちょっと貸して。すり潰すのも慎重に……」

そう言って彼が手を伸ばしたその瞬間、指先がふいに私の手に触れた。ほんのわずかな接触。それだけのはずなのに、空気が一瞬止まったように感じられた。音のない水面に、小さな波紋が広がっていくようだった。

「……あ、すまない」

彼が小さく謝る。私は何でもないふりをして、首を横に振った。

「気にしないで」

けれど、自分でも驚くほどその声は小さく、どこか頼りなく聞こえた。何を気にしているのか分からないのに、鼓動がほんの少しだけ速くなる。

そんな私の様子を知ってか知らずか、カミルはふっと柔らかく微笑んだ。そのほほえみは、春の陽だまりのように穏やかで、理由もなく胸がつまった。

カミルは静かに乳鉢を手に取り、受け取った粉を慎重にすり潰していく。

仕上がった試作の粉を、刷毛でそっと頬にのせる。おしろいの香りがふわりと立ちのぼった。

「……いい感じ。軽くて、肌にすっとなじむわ」

「見せて」

彼が顔を寄せてきた。思わず息を呑むほど近い距離。気づけば、彼の瞳しか見えなかった。視線が私の肌をそっとなぞっていく気がして、胸がひどく高鳴った。

「……うん。すごく綺麗に見える。粉っぽさもないし……あなたの肌に、よく馴染んでる」

「……本当に?」

平静を装って返したつもりだった。けれど、唇の震えを彼に見抜かれた気がする。刷毛を机に戻そうとした瞬間、カミルが手を伸ばして、私の頬に指を寄せた。

「まだ、少し……頬のここに残って……」

その指先が、ごく軽く、私の頬をなぞる。壊れ物に触れるような、繊細な感触だったのに、内側から熱が湧き上がってくるようだった。

「……きれいだよ」

それが、おしろいのことなのか、私の肌のことなのか、それとも……。

わからないまま、彼の瞳を見返した。カミルの視線には、何か言葉にできない光が宿っていた。頬に手をかけたまま、わずかに目を伏せた。

たぶん、彼も戸惑っている。きっと私と同じように。

密室の部屋に、ふたりきり。

世界のどこよりも静かで、どこよりも揺れている空間。

その午後の光のなかで、なぜか、思ってしまったのだ。

——この時間が、あともう少しだけ、長く続けばいいのに。

何故かわからないまま、時間が止まったような静けさの中で、私は息を潜めていた。カミルの指先が私の頬に触れている。軽く、やさしく、まるで風が撫でるような温度。だけどその温度が、胸の奥で弾けて広がる。

言葉も動きも見失っていた、ほんのそのときだった。

——コツ、コツ、と。

温室の奥に続く小道から、靴音が近づいてくる。

「……!」

カミルが真っ先にその気配に気づき、指をすっと離した。私は反射的に背筋を伸ばし、そっけない顔を装って机の上の瓶に手を伸ばした。まるで、何もなかったかのように。

カミルも、それを察したようにすぐに身を引き、瓶のラベルを読み上げる。

「……タルクの比率も、見直してみようか」

「そうね。肌なじみはいいけれど、少し崩れやすいかもしれないわ」

ぎこちなくないように、でも無理に明るくもしないように。私たちは、普段通りの声を装った。

そして、ちょうどその会話が途切れた頃、木の扉がゆっくりと開いた。

「お嬢様、失礼いたします。お茶をお持ちしましたわ」

アメリアだった。白いカップをのせた銀の盆を持って、こちらを見つめている。けれど、その目はどこか訝しげに細められていた。

まさか、何か気づかれた……?

「ありがとう、そこに置いて。少し休憩しましょうか」

私は努めて穏やかに微笑んでみせた。アメリアは「かしこまりました」と言って、机の端に盆を置くと、ちらりとカミルと私を見比べてから、一礼して後ずさった。

調合室の扉が再び閉じ、彼女の足音が遠ざかるまで、私たちはしばらく何も言わなかった。言葉を探そうとしても、すぐには見つからなかったのだ。

静けさの中、私はただ、湯気の立つカップを見つめていた。

「……先ほどは、すみません。無意識だったとはいえ……不用意でした」

カミルがぽつりと呟いた。

「いえ、別に。ただ……なんだか、変に緊張したわね」

笑ってみせたけれど、胸の奥にまだ熱が残っていた。あの一瞬の距離と温度。頬に残るあの感触を、私はまだ手放せずにいた。

「ただの実験よ?気にしないで大丈夫よ」

「……実験に夢中になりすぎてしまって、つい。不埒な行為をしようとした訳ではなく……」

「ええ。もちろん。分かってるわ。何もなかった、ことにしましょう?」

けれど、その言葉がほんの少しだけ、胸に刺さる。

名ばかりとはいえ、婚約者がいる身だというのに、“何もなかった”ことにしてしまうのが、惜しいと思ってしまった。

カミルがカップに口をつける。

私もカップに手を伸ばせば、白い陶器の表面がほんのりと温かかった。香り高い紅茶の湯気が、さっきまでの気まずさと熱をやわらかく包んでくれるようだった。

カップを持ち上げ、静かに一口飲んだ。

「……美味しいわね。アメリア、やっぱり紅茶の淹れ方が上手」

「そうですね。香りがいい。ハーブが少し入ってるのかな」

あんな空気の後だというのに、彼の所作はいつも通りで、変に取り繕った様子もなかった。それがまた、少しだけ私を寂しくさせた。