軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第88話 翌朝の執務室

帰郷したその日の夜は、久しぶりに家族そろって食卓を囲んだ。

王都での試験のこと。

公爵家を訪ねたこと。

道中で盗賊を捕らえたこと。

話題は尽きなかったが、それでも家の食事は不思議と肩の力が抜ける。

母上の穏やかな声、父上の短い相槌、ミアが嬉しそうに給仕している姿。

学院でも公爵家でもない、ハル家の空気だ。

食事を終えて自室へ戻ると、懐かしい匂いがした。

窓の位置も、机の傷も、寝台の軋み方も変わっていない。

その安心感のせいだろう。

夜は、久しぶりに何も考えずに深く眠れた。

翌朝、俺は父上に呼ばれて執務室へ向かった。

廊下を歩きながら窓の外を見ると、領都の朝は前より少し賑やかだった。

荷車が二台、三台と走っていく。

武器や道具を背負った冒険者たちが西門の方へ向かっているのも見えた。

人の流れがある。

物の流れもある。

それだけで、領地が動いているのがわかる。

執務室の扉を叩く。

「入りなさい」

「失礼します」

中へ入ると、父上はもう書類を広げていた。

机の端には地図も置かれている。

たぶん、昨日の盗賊の件だけではないのだろう。

「よく眠れたか?」

「うん。久しぶりにぐっすり眠れたよ」

「そうか」

父上は短く頷くと、椅子を勧めた。

「座れ。ちょうどお前に話しておきたいことがあった」

向かいに腰を下ろすと、父上は机の上の地図に手を置いた。

西の森と、その手前の街道が描かれている。

「お前が学院に行っている間に、西の森へ向かう道もだいぶ整備が進んだ」

父上の指が、領都から西へ伸びる線をなぞる。

「まだ完ぺきとは言えない森への道を整備した。以前よりは荷車を通しやすくしてある。

ただ、雨が続けばぬかるむし、手直しは必要だが、それでも使い物にはなってきた」

「冒険者も増えているみたいだね」

さっき窓から見た光景を思い出しながら言うと、父上は頷いた。

「あぁ、だいぶ増えたぞ。森を探索し、魔物を討伐し、採集をする者たちが以前よりずっと多い」

机の端の書類を一枚めくる。

「彼らの生活を支える宿や飯屋、道具屋も増えてきた。冒険者ギルドも、今では護衛依頼だけではない。森開拓のための調査、採集、討伐依頼が増えて、かなり賑わっている」

それは、かなり大きい変化だった。

冒険者が一時的に出入りするだけじゃない。

彼らを支える商売が増え、人が滞在し、金が落ちる。

つまり、森の手前に“経済圏”ができ始めているということだ。

「思ったより早いね」

「私もそう思う」

父上は率直に言った。

「木材だけでなく、薬草や獣素材も少しずつ流れ始めている。青輝石と合わせて、西側はもう以前の“何もない端”ではなくなりつつある」

そこまで聞いて、俺は少しだけ息を吐いた。

いい流れだ。

だが、流れができたからこそ、昨日みたいな問題も起こる。

「だから盗賊も増える、か」

「そういうことだ」

父上が短く答えたところで、扉が叩かれた。

「失礼します」

入ってきた男を見て、思わず少しだけ笑った。

「ノル!」

ノルもこちらを見ると、口元をわずかに緩めた。

「お久しぶりですな、リオン様」

以前と変わらない落ち着いた声だ。

だが、纏っている空気は少し違う。

元B級冒険者で、以前は俺の護衛も務めていた男。

ハル家の執事としても働いていたノルは、今では領内に新設された騎士団の団長になっていた。

財政に多少の余裕が出てきたことで、ようやく常備の戦力を整えられるようになったのだ。

その中心にいるのがノルだった。

「騎士団長、ですか」

「肩書きだけは立派になりました」

「似合ってるよ」

「そう言っていただけるとありがたいですな」

ノルはそう言ってから父上へ向き直った。

「旦那様、昨日捕縛した盗賊どもの尋問結果がまとまりました」

「聞こう」

父上が言うと、ノルは一枚の紙を机へ置いた。

「三人とも末端です。腕もそこまでではなく、寄せ集めに近い。ですが、いずれも同じ名を口にしました」

部屋の空気が少しだけ引き締まる。

「盗賊団の名は、《灰狼の牙》」

聞いたことのない名だった。

「各地で荷馬車襲撃や人さらいを行っている連中だそうです。仕事ごとに声をかけられ、集められ、襲撃対象だけを伝えられることも多いとか」

「潜伏先は?」

父上が問う。

ノルは首を横に振った。

「末端は知らないようです。ねぐらも固定ではない可能性があります。ただ――」

そこで一拍置く。

「親分の名は出ました」

俺は思わず身を乗り出した。

「誰?」

「ガザルという名だそうです」

短い名だった。

「本名かどうかは不明。ただ、末端どもは皆、その名に怯えていました。逃げても戻っても、どのみち殺されると思っていたようです」

昨日のあの台詞が頭に浮かぶ。

――このまま逃げても親分に何されるかわからねぇぞ。

あれは脅しでも何でもなく、本気だったのだろう。

「各地で馬車の荷を狙い、人さらいもしている、か」

父上が低く言う。

ノルは頷いた。

「はい。最近は西側の街道沿いでも動きが増えているようです。木材、薬草、鉱石、食料……流れが増えた場所を嗅ぎつけているのでしょう」

「あるいは、最初からそこを狙っていたか」

父上の声は静かだったが、重かった。

偶発的に荒れてきたのか。

それとも、誰かがハル領の成長を邪魔したくて、盗賊団をけしかけているのか。

まだ断定はできない。

だが、ただの食い詰めた連中の小競り合いで済まないのは確かだ。

「ガザル、か……」

俺が呟くと、ノルがこちらを見た。

「心当たりは?」

「いや、ないよ。でも、名前がわかっただけでもだいぶ違うはず」

「そうですな。影しか見えていなかった相手に、ようやく輪郭がついた」

父上は腕を組んだまま、地図へ目を落としていた。

「西の森の開拓が進み、交易が増えた。なら、それを狙う者も出る。理屈としては自然だ」

「ですが放ってはおけません」

ノルが言う。

「放っておけば、護衛の薄い荷から順にやられます。やがて噂が立ち、商人の足が鈍ります」

「わかっている」

父上はそう言ってから、俺の方を見た。

「リオン。お前はどう見る」

少し考えてから答える。

「まだ情報が足りないから何とも言えないな。でも、ただ盗賊を狩れば終わる話じゃない気がする」

「理由は?」

「昨日襲われていた荷馬車だけじゃなく、各地で似たことが起きてるなら、相手は流れを見て動いてる。偶然じゃなく、どこが狙い目かを考えてるはずだ」

西の森。

青輝石。

木材。

増え始めた流通。

今のハル領で“伸びている場所”ばかりが狙われているとしたら、それはかなり面倒だ。

「だったら、守り方も考え直す必要があると思う」

父上は小さく頷いた。

「私も同意見だ」

ノルが机上の地図を見ながら言う。

「西門から森の手前までは、見回りを増やせます。ですが森へ入ってから先は、今の人数では薄くなります」

「なら、まず現場を見よう」

そう言ったのは俺だった。

二人の視線がこちらへ向く。

「西の森の道、拠点、荷の流れ、冒険者の動き。盗賊が狙うなら、どこに綻びがあるのかを見たい」

「学院から帰ったばかりだぞ」

父上はそう言ったが、声音に本気の反対はなかった。

「だからこそだよ。今の西側がどうなってるのか、自分の目で見ておきたい」

少しの沈黙のあと、父上は頷いた。

「いいだろう。今日のうちに準備しろ。明日、西の森へ向かうと良い。冒険者ギルドには話を通しておこう。」

ノルも静かに頭を下げた。

「私も同行します」

「うん。頼む」

そう答えながら、俺は机の上の地図を見つめた。

帰ってきたばかりだというのに、もう次の問題が見えている。

でも、それは嫌じゃなかった。

むしろ、ハル領が前へ進んでいる証拠だ。

流れが生まれたから、それを狙う者も出る。

人が集まるから、守るべき場所も増える。

成長するっていうのは、きっとそういうことなんだろう。