軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第77話 盤面の外側

ヴァレスト公爵家での会談から、二日後。

朝、俺たちはまた学院の応接室に呼ばれていた。

顔ぶれは、この前とほとんど同じだ。

学院長。

担任のローヴェン。

工房担当の教師。

そして俺、セレナ、ヴィクトル、ナディア、エドガー、ガイル。

机の上には、前回みたいな設計図も、重たい文書も置かれていない。

その代わり、部屋の空気だけは妙にはっきりしていた。

最初に口を開いたのは学院長だった。

「まず報告しておく」

年配の声が、静かに部屋へ落ちる。

「先日の案については、ヴァレスト公爵家が正式に協力の意志を示した。王家への橋渡しも、公爵家側が引き受ける」

その一言で、空気が少しだけ変わる。

知っていた。

少なくとも俺とセレナは知っていた。

だが、こうして学院長の口から改めて言われると、やはり重みが違う。

ヴィクトルが小さく息を吐く。

「本当に進むんですね」

「まだ“進み始めた”段階だ」

学院長はすぐに言った。

「王家がどう判断するかはこれからだし、ラウグレン公家がどう出るかもまだ読めん。むしろ、ここから先の方が面倒だ」

そこへ、公爵家側の立場を知っているセレナが静かに続ける。

「でも、少なくとも土台はできました」

「その通りだ」

学院長は頷いた。

そして、そこで一度だけ俺たち全員を見回した。

「だからこそ、ここで話しておくべきことがある」

来るな、と思った。

学院長だけじゃない。

ローヴェンも、工房教師も、同じ顔をしている。

「ここから先は、大人の仕事だ」

部屋が静まる。

「王家への上申。貴族家同士の調整。権利と責任の切り分け。制度設計。資源管理。受託の形。どれも学生が前へ出ていい話ではない」

それは、当然だ。

でも、はっきり言葉にされると少しだけ不思議な感じがした。

ここしばらく、俺たちはずっと盤面の中にいた。

発見して、考えて、作って、実演して、案を出して、利害まで切り分けた。

でも、その先へ行けば、もう相手は教師や同級生だけじゃない。

「君たちは十分に役目を果たした」

今度はローヴェンが言った。

いつものように無駄のない、少し硬い声だった。

「見つけ、考え、形にし、方向を示した。ここから先は、それを受け取った者たちが動く番だ」

ガイルが少し不満そうに腕を組む。

「じゃあ、俺たちは終わりか?」

「終わりではない」

ローヴェンは即答した。

「盤面の外へ出るだけだ」

その言い方に、少しだけ納得する。

終わったわけじゃない。

切られたわけでもない。

ただ、自分たちが立つ場所が変わるのだ。

エドガーが静かに口を開く。

「つまり、関わるなということでしょうか」

「違う」

学院長が首を振る。

「必要があれば意見は求める。研究の継続にも、お前たちの知見は活きるだろう。だが、主導してはならん。少なくとも今はな」

ナディアが小さく頷いた。

「それが自然ですね」

「ええ」

学院長は続ける。

「お前たちは学生だ。王国の未来を担う立場ではあるが、まだ“その途中”にいる。今やるべきことを履き違えるな」

そこまで言われて、ようやく話の本筋が見えた。

政治の話を切るためじゃない。

俺たちを下げるためでもない。

学生としての本分へ、きちんと戻せと言っているのだ。

ヴィクトルが苦笑する。

「せっかく面白くなってきたのに、って顔をしたら怒られますかね」

学院長は言った。

「呆れるだけだ」

少しだけ、部屋の空気が緩む。

セレナが横で小さく息を吐いた。

「まあ、妥当ですね」

「そっちはあまり未練なさそうだな」

俺が言うと、セレナは当然のように返す。

「未練はあるわよ。でも、今の段階で私たちが前に出すぎれば、学業へも影響が出るもの」

その通りだった。

十二歳や十三歳の学生がどれだけ正しい案を持っていても、それだけで国は動かない。

だからこそ、公爵が入り、学院が動き、これから王家へ話が上がる。

そこまで来たなら、あとは大人に任せるのが筋だ。

俺は小さく息を吐いた。

「わかりました」

学院長が一度だけ頷く。

「よろしい」

そしてそこで、工房教師が口を開いた。

「研究については学院側で継続する。必要な時はまた呼ぶ。だが、それまでは一度頭を切り替えろ」

「切り替えろ、ですか」

「そうだ」

工房教師は腕を組む。

「いつまでも卓上灯と青輝石のことばかり考えていると、今度は別のところで足をすくう」

ローヴェンがそこで、少しだけ口元を引き締めた。

「ちょうどいい。では、その“別のところ”について、次は私から話そう」

嫌な予感がした。

ローヴェンがこう言う時は、たいていろくでもない。

応接室を出たあと、俺たちはそのまま教室へ戻された。

教室にはSクラスのメンバーたちがすでに席についていた。

ローヴェンが教壇へ立つ。

「今日は大事な話をする。」

ローヴェンはいつもの調子で言う。

「おまえらもわかっているとは思うが王立学院は、三学期制だ」

黒板に、日付が簡潔に書かれていく。

一学期――四月から六月末。

二学期――九月から十一月末。

三学期――一月から二月末。

その下へさらに、

七月・八月――夏季休暇

十二月――冬季休暇

とも書き足された。

「六月末で一学期は終わる。つまり、あとそう遠くないうちに、お前たちは最初の定期試験を受けることになる」

教室の空気が、目に見えて引き締まった。

さっきまで政治の盤面だの王家だのと言っていたのに、今度はいきなり試験だ。

……いや、むしろこっちが本来の盤面なのか。

「試験は筆記、実技、応用課題の総合評価だ」

ローヴェンは淡々と続ける。

「そして王立学院では、学期末の成績によって年度末にクラスの見直しが行われる」

その一言に、教室の空気がさらに重くなった。

誰かが小さく息を呑む。

「Sクラスにいるからといって、次もSクラスにいられる保証はない。逆に、他クラスから成績優秀者が上がってくることもある」

やっぱり、そういう形か。

入学時の成績だけで固定されるとは思っていなかったが、実際に言われると重みが違う。

ガイルが眉をひそめた。

「つまり、落ちるやつも出るってことか」

「当然だ」

ローヴェンは即答する。

「Sクラスは“選ばれた席”ではない。“今この時点で上にいる者の席”だ。前にも言ったはずだ」

言っていた。

初日からはっきり言っていた。

ただ、こうして学期末試験と結びつけられると、その言葉の意味がずっと生々しくなる。

セレナは表情を変えない。

最初からそういうものだとわかっていた顔だ。

ヴィクトルは頬杖をついたまま、面白そうに目を細めている。

あれはたぶん、焦っているというより制度を見ている。

どこで何が入れ替わるか、どう動けば得か、そういう頭だ。

ナディアは静かに黒板を見ていた。

驚いてはいないが、軽くも見ていない。

エドガーは相変わらず背筋を崩さない。

こういう制度そのものには、むしろ納得していそうだった。

そしてローヴェンは、そこでさらに一枚上を重ねてきた。

「もう一つ。王立学院には、ごく稀にだが飛び級がある」

ざわ、と空気が揺れた。

今度は教室のあちこちから反応が出る。

「飛び級?」

「聞いたことはあるけど……」

ローヴェンは黒板を軽く指で叩いた。

「騒ぐな。前例は多くない。だが、ないわけではない」

「どういう場合ですか」

リシェルが手を挙げて問う。

「該当学年で学ぶべき内容を明らかに超えていると判断された場合だ」

ローヴェンの視線が教室を一度掃く。

「ただし、単に筆記ができるだけでは足りない。基礎、応用、実技、判断力、継続性。総合で見られる」

なるほど。

単なる点取りじゃない。

学院らしいと言えば学院らしい。

「つまり、六月末の試験は一学期の締めであると同時に、今後の位置を測る最初の大きな節目でもある」

そこで話は一度終わった。

でも、教室の空気はもうさっきとは別物だった。

政治の大きな話から戻されたと思ったら、今度は目の前にもっと個人的で、もっと切実な勝負が置かれた。

Sクラスから落ちるかもしれない。

逆に、飛び級の可能性まである。

たしかにこれは、学生として無視できる話じゃない。

説明が終わったあとも、すぐには誰も立ち上がらなかった。

ヴィクトルが最初に口を開く。

「なるほどな。ようやく“学校っぽい”話が来た」

「今まで何だと思ってたのよ」

セレナが冷たく返す。

「政治と工房と洞窟だろ」

「だいたい合ってるわね」

ガイルは腕を回しながら言う。

「筆記はともかく、実技も入るならまだ助かる」

「助かる、で済ませる辺りがあなたらしいわ」

「実際そうだろ」

ナディアは小さく微笑む。

「でも、Sクラスにいる以上、どれか一つだけでは足りないのでしょうね」

「そういうことだろうな」

エドガーが短く言った。

その横顔は落ち着いていたが、まるで他人事でもなかった。

王族だろうが何だろうが、学院の中では評価される。

それがこの学校の建前であり、力でもある。

セレナがふとこちらを見た。

「どうするの?」

「何が?」

「何が、じゃないでしょう」

彼女は当たり前のように言う。

「Sクラス残留で満足するのかって聞いてるのよ」

その問いに、少しだけ考える。

満足するか、と言われれば、たぶんしない。

でも、無理に上へ行きたいわけでもない。

大事なのは、今いる場所にしがみつくことじゃなくて、どこで何を学べるかだ。

「二年で学ぶ内容次第かな」

俺がそう言うと、ヴィクトルが目を細めた。

「ほう」

「もし一年でやることが薄いなら、飛び級もありかもしれない」

一瞬だけ、教室が静まった。

ガイルが素直に言う。

「お前、そういうこと普通に言うよな」

「駄目か?」

「いや、駄目じゃないけど」

セレナは少しだけ呆れた顔をした。

「相変わらずね。普通はまず“Sクラスから落ちないように頑張る”なのよ」

「それも考えてるよ」

「全然そうは聞こえなかったけど」

「聞こえなくても考えてはいる」

ヴィクトルが楽しそうに笑う。

「でもまあ、わかるよ。席にこだわるより、中身を見るってことだろ」

「そう」

ナディアが静かに言う。

「学ぶ価値がある場所へ進みたい、ということですね」

「たぶん」

エドガーがそこで一度だけこちらを見た。

「飛び級は簡単ではないぞ」

「だろうね」

「だが、君はそういう考え方をすると思っていた」

「どういう意味だよ」

「今いる場所を守るより、次に何があるかを見る」

短い言葉だった。

でも、妙に的確だった。

たしかに、そうなのかもしれない。

Sクラスはすごい。

でも、すごいからいる、ではたぶん駄目だ。

ここにいて学べることがあるからいる。

その先にもっと学ぶべきものがあるなら、そっちを見る。

前世の大学も、少しそんな感じだった。

学年の枠はある。

授業もある。

長期休暇もある。

でも、実際には自分がどこまでやるかで見える景色が変わる。

義務教育みたいに横並びで運ばれる場所じゃない。

「……大学みたいだな」

小さく呟くと、セレナが怪訝そうに見る。

「何か言った?」

「いや、こっちの話」

「変なの」

まあ、説明しても通じないから仕方ない。

その日の帰り道、校舎の窓から夕方の光が差し込んでいた。

政治の盤面からは、一歩外れた。

ここから先はユリウスや学院長たちが動く。

王家がどう出るか。

ラウグレン公家がどう反応するか。

それは、今の俺にはどうにもできない。

でも、それでいいのだと思う。

俺には俺の盤面がある。

六月末の定期試験。

Sクラス残留。

あるいは、その先。

飛び級なんて、簡単にできる話じゃない。

たぶん、狙ってどうこうというものでもない。

でも、二年で学ぶ内容が一年の延長にすぎないなら、先へ進むという選択肢は十分あり得る。

大事なのは、席そのものじゃない。

そこで何を学べるかだ。

教室を出る直前、ローヴェンが淡々と言った言葉が、ふと頭に浮かぶ。

――今やるべきことを履き違えるな。

まったく、その通りだった。

卓上灯も、青輝石も、王家への話も、全部大事だ。

でも今の俺は、王立学院の一年生でもある。

だったら、まずはこっちを片づける。

廊下の先を歩きながら、小さく息を吐く。

「……よし」

六月末。

一学期末試験。

どうせやるなら、ただ残るだけじゃつまらない。

次の景色が見えるところまで、行けるか試してみよう。

そんなことを考えながら、俺は夕暮れの学院を後にした。