軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第7話 事故に見せかけて

翌朝、朝食の席に現れたバスクは、いつも以上に穏やかな顔をしていた。

まるで昨日の騒ぎなど最初からなかったかのように、落ち着いた声で父へ頭を下げる。

「ガルド様。昨夜の件で皆が騒がしくしておりますゆえ、今日は少しでも良い知らせをお届けしたく存じます」

父はまだ顔色が悪い。

だが、薬を止めたぶんだけ昨日よりわずかに目に力が戻っていた。

「……何だ」

「北の水路で小さな崩れが見つかりました。大事には至っておりませんが、早めに手を打つべきかと」

そこでバスクは、ゆっくりと俺へ目を向けた。

「ちょうど良い機会です。リオン様も、これからは少しずつ領地の実情を学ばれるべきでしょう。近場でございますし、視察に出られてはいかがですかな」

食堂が静かになる。

母エマはすぐに眉をひそめた。

「昨日あれだけのことがあったばかりです。リオンを外へ出すのは――」

「ですが奥方様」

バスクは柔らかく言った。

「領主家の御子が何も知らぬままでは、かえって周囲を不安にさせます。北水路なら屋敷からも遠くなく、兵もつけられます。ほんの短い視察でございます」

いかにももっともらしい。

視界の端に文字が浮かぶ。

《虚飾》

《外出誘導》

《事故誘発の意図》

《本日中の実行を希望》

やっぱり今日か。

俺はスープの匙を静かに置いた。

「行くよ」

母がはっとこちらを見る。

「リオン」

「父上から任されたんだ。だったら領地を見る」

父は少しだけ目を細めた。

昨日、自分の口で「やれ」と言った手前、ここで俺を止めづらいのだろう。

バスクは満足そうに微笑んだ。

「頼もしいお言葉です」

その言葉の裏にあるものを、視界の文字は隠さない。

《障害排除を優先》

《成功率:高と判断》

――舐められたものだ。

だが、そのほうが都合がいい。

出発前、厩舎には三頭の馬が引き出されていた。

俺の分。

案内役の兵の分。

そして、付き添いを装ったバスク配下の若い騎兵の分。

馬のことは詳しくない。

前世でも競馬は新聞の片隅で見る程度だった。

それでも、《綻びの目》は必要なものだけを浮かび上がらせる。

俺の馬に視線を向けた瞬間、文字が流れた。

《鞍帯に切断痕》

《留め具の緩み》

《馬:興奮誘導済み》

《一定距離走行後に不安定化》

《事故誘発の意図》

さらに、馬の口元につけられた鉄具を見た瞬間、別の文字。

《刺激物の付着》

《痛覚反応を増幅》

《暴走誘導》

なるほど。

即死ではなく、ちゃんと“事故”に見せかけるつもりだ。

俺は何も気づかないふりをして近づいた。

「リオン様、こちらの馬を」

若い騎兵が手綱を差し出してくる。

視界に浮かぶ文字。

《命令に従属》

《自発的悪意なし》

《詳細は知らない》

末端か。

「ありがとう」

受け取ってから、わざと少し手間取るふりをする。その間に、背後へ立っていたミアへだけ聞こえるくらいの小声で言った。

「母上に伝えて。俺が戻ったら、最初に鞍と鐙を見てほしいって」

ミアの肩がぴくりと揺れる。

「そ、それは……」

「いいから」

続けてもう一つ。

「ノルは?」

「裏庭の道具小屋を見に……」

「今すぐ呼んで。北水路へ行くと伝えて、少し遅れて来てもらって」

ミアは一瞬だけ怯えた顔をした。

だが、俺の目を見て、すぐに小さく頷いた。

「……はい」

執事ノル。

寡黙で目立たないが、以前は王国騎士団にいてその後、故郷のハル領に戻り執事をしている。

バスクにも必要以上には媚びない男だ。

今の段階で味方と断定はできない。

けれど少なくとも、《綻びの目》はあの男に《忠誠に綻び》を出したことがない。

なら、賭ける価値はある。

北水路までの道は、痩せた畑の間を縫うように続いていた。

空はよく晴れている。

こんな日に事故など、いかにも起きそうにない。

だからこそ、起きれば自然に見える。

先頭に案内役の兵。

その後ろに俺。

少し離れて若い騎兵。

そして最後尾にバスク。

直接手を汚さず、全体を見渡せる位置だ。

「足元に気をつけてください、リオン様」

後ろから聞こえる穏やかな声。

《事故発生地点まで誘導中》

《成功を確信》

腹が立つほど冷静だな。

やがて道は細くなり、片側が水路、片側が低い斜面になった。

昨日の雨もないのに、足元の土だけが妙に柔らかい場所がある。

そこを見た瞬間、文字が浮かぶ。

《西側の地盤:軟》

《落下時の致命傷率:低》

《東側石畳:致命傷率:高》

つまり、落ちるなら西だ。

俺は何食わぬ顔で、少しだけ馬の位置をずらした。

その数秒後だった。

馬が突然、耳を伏せた。

次の瞬間、鋭くいななき、前脚を跳ね上げる。

「うわっ――!」

予想していても、衝撃は本物だった。

鞍がずれる。

腹帯が一気に緩む。

体が横に持っていかれる。

後ろから誰かの叫び声がした。

「リオン様!」

馬が暴れ、視界が激しく揺れる。

鐙から足が外れかける。

ここで無理に残れば、東の石へ叩きつけられる。

俺は半ば自分から体を投げ出すようにして、西側へ落ちた。

柔らかい土と草が肩と背を打つ。

息が詰まり、肺の空気が一瞬で抜けた。

「――ぐっ!」

痛い。

腕も肩も痺れる。

思ったよりきつい。

難なく、なんてものじゃない。

少しでも角度が違えば、首を折っていた。

だが、まだ終わっていない。

水路脇の草むらが揺れた。

灰色の影が飛び出してくる。

顔を布で半分隠した男。手には短い刃物。

転落直後の俺へ、迷いなく突っ込んできた。

視界に文字。

《止めの一撃》

《盗賊偽装》

《口封じ優先》

やっぱり二段構えか。

男が刃を振り下ろす、その直前。

「そこまでだ」

低い声が飛んだ。

横合いから、黒い影が割って入る。

ノルだった。

老執事とは思えない速さで男の腕を払う。刃が逸れ、俺の頬をかすめて地面へ突き立った。

さらに後方から二人の兵が駆け込んでくる。

屋敷の兵だ。ミアが母へ伝え、そこから回したのだろう。

「取り押さえろ!」

ノルの短い命令で、兵たちが灰色の男へ飛びかかった。

男は一瞬抵抗したが、逃げるには遅すぎた。

腕を捻り上げられ、地面へ押し倒される。

土の上にうずくまったまま、俺はようやく息を吸った。

胸が痛い。

肩もじんじんする。

だが生きている。

目の前に、馬具の切れた腹帯が落ちていた。

視界に文字が出る。

《刃物による事前加工》

《自然破断ではない》

《証拠保全推奨》

よし。

遅れてバスクが馬を降り、顔色を変えて駆け寄ってくる。

「リオン様! ご無事ですか!」

見事な演技だ。

その視界の端には、いつもより濃い文字。

《動揺:中》

《失敗を認識》

《口封じの継続を検討》

俺は泥だらけのまま身を起こし、息を整えた。

「……危なかった」

それだけ言う。

バスクは俺の肩へ手を伸ばしかけたが、ノルが一歩前へ出てそれを遮った。

「お手を煩わせるほどではございません、バスク様」

ノルの声音は平坦だった。

だが、その位置取りは明らかに俺を守るものだった。

面白い。

やはり、この男は使える。

若い騎兵は青ざめていた。

案内役の兵も、切れた腹帯を見て顔色を変える。

「こ、これは……」

「自然に切れたようには見えんな」

ノルがしゃがみ込み、腹帯の切断面を見た。

視界に文字。

《証言価値:高》

《ノルの発言は重い》

ありがたい。

取り押さえられた灰色の男が、地面に押しつけられたまま笑った。

「運がいいな、坊ちゃん」

声はしゃがれていた。

「だが次は、こんなぬるいやり方じゃ済まねえ」

兵の一人が男の口を殴りつけようとしたが、俺は止めた。

「待って」

俺は立ち上がり、ふらつく体をこらえて男の前へ行く。

男の腰袋を見ると、粗末な革袋の中に小さな金属片があった。

丸い、鈍い色の札。

それを見た瞬間、文字が浮かぶ。

《王都裏路地の仲介印》

《闇取引の符牒》

《地方では稀少》

やっぱり王都筋か。

バスクの視線が、ほんの一瞬だけその札へ落ちた。

そのわずかな動きだけで十分だった。

《認識あり》

《関連性:極めて高》

疑いじゃない。

もう、ほとんど答えだ。

「その男と、腹帯と、馬の口輪。全部そのまま屋敷へ」

俺ははっきり言った。

「父上と母上の前で確認する」

バスクが穏やかな顔のまま口を開く。

「もちろんでございます。ですがまずは、リオン様のお身体を――」

「平気じゃないよ」

わざと遮った。

「本当に死にかけた」

周囲の兵が息を呑む。

そうだ。

ここは曖昧にしない。

これは運の悪い事故なんかじゃない。

誰かが俺を殺そうとした。そういう空気を、ここで作る。

「だから、なおさら曖昧にしたくない」

俺はバスクを見た。

「そうですよね、バスク」

数秒の沈黙。

そして彼は、完璧な礼を返した。

「仰る通りに」

だが視界の文字は違っていた。

《敵意:高》

《計画修正》

《次はより確実に》

まだ終わっていない。

だが今日、相手の一手は確かに折った。

しかも、証拠つきで。

ノルが小さく言った。

「お立ちになれますか」

「なんとか」

肩が痛む。

左の肘も擦りむけている。

足も少しひねった。

でも、それで十分だ。

俺は泥のついた手で腹帯を拾い上げた。

切断面は、見れば見るほど人工的だった。

これを父の前へ出せば、ただの落馬事故では済まない。

倉庫の横流し。

父上への毒。

そして今の“事故”。

もう繋がっている。

屋敷へ戻る道すがら、俺は振り返らなかった。

振り返る必要もない。

背後から伝わってくる空気だけでわかる。

バスクは今も穏やかな顔をしている。

けれどその胸の内では、俺をどう殺すかしか考えていない。

そして俺も、もう同じだった。

あいつをどう止めるか。

どう追い詰めるか。

それしか考えていない。

風が水路の上を抜けていく。

俺は切れた腹帯を握りしめたまま、静かに思った。

――バスク。

お前の綻びは、もう見えている。

次はこっちの番だ。