軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第35話 入試前夜

王立学院の入試を翌日に控えた朝。

王都の空は高く、雲ひとつなかった。

ヴァレスト公爵家の庭には、いつものように朝の冷たい空気が満ちている。

けれど今日は、ただの朝じゃない。

ここまで積み上げてきたものを、試される前日だ。

「始めます」

グレインの声は、いつも通り淡々としていた。

その変わらなさが、逆にありがたかった。変に気を遣われる方が落ち着かない。

俺とセレナは、並んで訓練位置につく。

少し離れたところでは、ミアが帳面を抱えて待機していた。

「まずは火属性。セレナ様から」

「はい」

セレナが前へ出る。

短い詠唱。

次の瞬間、彼女の指先に生まれた火は、以前より明らかにぶれが少なかった。小さな火球が安定し、そのまま的の中心近くへ飛ぶ。

乾いた音。

グレインがうなずく。

「良好です。出力、精度ともに安定しています」

セレナは軽く息を吐いた。

けれど、その顔には満足より先に次があった。

最初に会った頃より、ずっと貪欲になっている。

「次、リオン様」

「はい」

前へ出る。

火を“出す”のではなく、“つける”。

それが今の俺の基本だ。

指先へ集中する。

火花。着火。一点。

小さな火種を、散らさず保つ。

ポッ

火が灯る。

以前なら米粒ほどですぐ消えていたそれが、今はもう少しだけ芯を持っていた。

俺はその火を保ったまま、ゆっくりと前へ押し出す。

火は小さい。

でも、ちゃんと的まで届いて、その端を焦がした。

ミアが顔を上げる。

「届きました……!」

「うん。前よりはね」

グレインは記録紙へ目を落とした。

「火種生成、安定。維持、二十七呼吸。最低限の実技ラインには届いています」

その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなった。

最低限。

派手じゃない。

でも、ゼロじゃない。

ここまで来るのに、思ったより時間がかかった。

「次、水属性」

今度は、まだ不安の残るやつだ。

火ほど明確な手応えはない。

けれど、最初の頃よりはずっとましになっている。

流れ。

形を持たない重さ。

ひとまとまりの雫。

意識を集めると、小さな水滴がひとつだけ浮き、ふるふると震えながら器の中へ落ちた。

セレナが横で言う。

「最初は霧にもならなかったのに」

「自分でもそう思う」

グレインは厳しい顔のままだ。

「出力は弱い。形も不安定です。ですが、無から一へは進みました」

その評価で十分だった。

風も同じだ。

まだ“風の刃”なんてものは無理だが、紙片を揺らすくらいの流れなら作れるようになっていた。

そして最後に、俺は一度だけ試す。

火を灯し、その火へごく薄く風を添える。

ほんの一瞬、火の先が鋭く伸びた。

セレナが息を止める。

「今の……」

だが次の瞬間には火がぶれ、そのまま消えた。

グレインが即座に言う。

「そこまでです」

声は厳しかった。

「再現性がないことを前日に深追いしない。明日は試験です。未知の賭けは不要です」

「……はい」

たしかにその通りだ。

今のは、たまたま噛み合ったに近い。できそうだからといって欲を出せば、基礎まで崩れる。

グレインは一度、俺とセレナを見比べた。

「総評に入ります」

その一言で、空気が少し張る。

「セレナ様。学科、実技ともに高水準です。余計な力みさえなければ、十分に合格圏内です」

「はい」

「リオン様。学科は問題ありません」

そこは即答だった。

「実技は完璧とは言えません。ですが、入試で求められる最低限の線は越えました」

その言葉は、思っていた以上に重かった。

越えた。

ようやく。

「明日、大事なのは“見せつける”ことではありません」

グレインははっきりと言う。

「確実に取ることです。できることを、できる形で出しなさい」

「わかりました」

「わかったわ」

俺とセレナの返事が重なった。

昼を過ぎても、家の中はどこか静かだった。

いつも通り座学の復習をし、面接で聞かれそうな問いを整理し、礼の作法を確認する。

やっていることは昨日までと大きく変わらない。

でも、明日が本番だと思うだけで、同じ紙の重さが少し違って感じた。

夕方、訓練を終えた後。

俺は庭の端で一人、水を飲んでいた。

「隣、いいかしら」

振り向くと、セレナが立っていた。

「どうぞ」

彼女は少し距離を空けて座る。

夕日が庭の芝を赤く染めていた。

しばらく沈黙が続く。

先に口を開いたのは、セレナだった。

「明日ね」

「うん」

「変な感じだわ。ずっと先だと思っていたのに、気づいたらもう前日」

「それはわかる」

準備している時間は長いのに、本番の前日だけ急に近く感じる。そういうものなんだろう。

セレナは膝の上で手を組んだ。

「最初は、あなたが来るの、少し面倒だと思ってたのよ」

「ひどいな」

「本当だもの」

でも、その声音は少し笑っていた。

「王都の外から来た子が、いきなり父に気にかけられて、家庭教師まで一緒に受けるって聞いて……落ち着かなかったの」

「それはわかる」

「けれど」

そこで、彼女は少しだけ視線を落とした。

「あなたが来なかったら、ここまで本気になっていなかったかもしれない」

その言葉は、思っていたより真っ直ぐだった。

俺は少しだけ肩をすくめる。

「こっちも同じだよ。たぶん、セレナがいなかったら、もっと甘えてた」

「甘える?」

「自分だけなら、“まあ今日はここまででいいか”ってなってたかもしれない」

セレナがくすっと笑う。

「それは少し意外ね」

「自分でもそう思う」

風が吹いて、庭木がわずかに揺れた。

「明日、緊張してる?」

そう聞くと、セレナは少しだけ黙ってから答えた。

「してるわ」

「正直だ」

「あなたは?」

「してる」

すると彼女は、ほんの少しだけ目を丸くした。

「そう見えなかった」

「落ち着いてるように見えるだけだよ」

「そう」

短く答えてから、セレナは立ち上がった。

「でも、まあ」

「うん?」

「ここまでやったんだもの。あとはやるだけね」

「そうだね」

「明日、変に気を抜かないでよ」

「そっちこそ」

彼女は軽く手を振って屋敷へ戻っていった。

その背中を見送りながら、少しだけ気持ちが整うのを感じた。

夜。

自室へ戻ると、ミアが明日の服と持ち物をきちんと整えてくれていた。

「確認、お願いします」

「ありがとう」

机の上には受験票、筆記具、他。

全部揃っている。

ミアは少しだけそわそわしていた。

「わ、私のほうが緊張してるかもしれません」

「それは困るな」

「だって、ここまでずっと見てきたので……」

その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。

「大丈夫だよ」

「はい。……はい、きっと大丈夫です」

言い聞かせるように二度うなずいてから、ミアは「おやすみなさい」と部屋を出ていった。

一人になる。

窓の外には王都の夜の灯りが見えた。

ハル領とは違う、密度のある明かりだ。

俺は静かに指先を見た。

ここまで来るのに、いろんなものに助けられた。

快く送り出してくれた父と母。

場を与えてくれたユリウス公爵。

容赦なく鍛えてくれたグレイン。

隣で伸び続けたセレナ。

ずっと支えてくれたミア。

ここに来た意味を、ちゃんと持って帰りたいと思う。

小さく息を吸う。

指先に意識を集める。

火花。着火。一点。

ポッ

小さな火が灯った。

前より少し安定している。

でも、まだ大きくはない。

それでいいと思った。

今の俺に必要なのは、見せつける炎じゃない。

明日、確実に届く火だ。

火を消す。

部屋はまた静かになった。

入試は明日だ。

でも、明日で終わりじゃない。

ここまで積み上げてきたものを試して、その先へ行くための一日だ。

俺は窓の外の灯りを見ながら、静かに目を閉じた。

明日は、やるだけだ。