軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第26話 初値

初荷が出てから、俺はどうにも落ち着かなかった。

執務室に戻っても、帳面の数字が頭に入らない。

水を飲んでも、窓の外を見ても、心のどこかがずっと引っかかっている。

理由ははっきりしていた。

最後に浮かんだあの文字だ。

《次の綻び:街道の先》

街道の先。

それが盗賊なのか、買い叩きなのか、別の何かなのかまでは、あの時点では見えなかった。だが、少なくとも「出して終わりではない」ということだけはわかっていた。

「……やっぱり行く」

そう言うと、帳面を整理していたミアが顔を上げた。

「えっ」

「追いかける。初荷が町へ着く前には間に合うはずだ」

「でも、ノルさんは屋敷に残るって……」

「ノルは残しておいて正解だよ。ここを空けたくない。だからミア、君も来て」

「わ、私もですか?」

「荷札と帳面の確認ができる人が必要」

ミアは一瞬だけ慌てたが、すぐにうなずいた。

「……行きます」

その返事は、最初の頃よりずっと強かった。

初荷が向かった先は、王都へ続く街道筋の中継町、ラーデンだった。

王都そのものほど大きくはない。

だが周辺領の荷が集まり、王都へ流れる前に相場が決まる場所でもある。

昼を少し過ぎた頃、俺たちが町へ入ると、市場は思った以上に賑わっていた。

香辛料。干し肉。豆。芋。布。

呼び込みの声、値段をめぐる怒鳴り合い、馬のいななき。

人と物と金が、狭い路地の中でぶつかり合っている。

「……すごいですね」

ミアが目を丸くする。

「うん。でも、こういう場所ほど顔色で値が決まる」

つまり、小領地の初荷なんて、最初は舐められる。

視界の端に、青い文字が浮いた。

《価格操作の綻び》

《結託》

《新規荷の買い叩き》

《標的:ハル領初荷》

やっぱり、そこか。

「こっち」

市場の一角、地方荷を扱う並びへ向かうと、すぐにエドたちの姿が見えた。

二台の荷車は無事だった。

だが、その前でエドが苛立った顔をしている。

「だから、草じゃないって言ってるだろ!」

「草は草だろうが」

荷の前に立っていたのは、腹の出た仲買人だった。

脂っこい髪、細い目、口元だけが笑っている。

「そんなもんに値なんかつかねえよ。まとめて買ってやるって言ってんだ、ありがたく思え」

視界が反応する。

《相場操作》

《虚偽説明》

《周辺仲買との談合》

《グレイヴ侯爵家側と接触歴あり》

当たりだ。

「その値じゃ売らない」

俺が声をかけると、エドが振り返った。

「リオン!?」

「来たんだ」

「そりゃ来るよ」

仲買人が眉をひそめる。

「坊ちゃんが責任者か?」

「そうだよ」

「なら話は早い。そっちの草は全部まとめて銅貨八枚。豆と芋と麦も、小領地の初荷じゃ信用がねえ。合わせて銀貨一枚半ってとこだな」

安すぎる。

市場を知らない人間なら、「そんなものか」と思って飲まされる額だ。

ミアが悔しそうに帳面を抱き締める。

エドは今にも殴りかかりそうな顔をしていた。

「断る」

俺が言うと、仲買人は肩をすくめた。

「ほう。じゃあ、他に買うやつがいると?」

その瞬間だった。

「その草、ちょっと見せて」

横から入った声に、仲買人が露骨に顔をしかめた。

人垣の向こうから、一人の女が歩いてくる。

二十代後半くらい。

すっきりした顔立ちで、髪は後ろでまとめている。

飾り気は少ないが、服の布はいい。歩き方に迷いがなく、周囲の人間が自然と道を空けていた。

彼女は青葉草の束を一本持ち上げ、布を少しだけめくる。

そして葉を指先で潰した。

すっと、香りが立った。

女の目が、わずかに変わる。

「……これ、どこの草?」

「ハル領、北村の青葉草です」

「青葉草」

彼女はその名を一度口の中で転がすように言ってから、今度は束の乾き具合を確かめた。縄の締め方、葉の揃い、砕け具合まで見ている。

見る目がある。

視界の端に文字が浮いた。

《食材鑑定適性:高》

《王都販路あり》

《価格評価:適正》

よし。

「あなたは?」

俺が聞くと、女はようやくこちらを見た。

「レティシア・モーヴ。王都へ食材を流してる商会の実務を見てる」

やっぱり来た。

彼女は青葉草の束を置き、二台目の荷も見る。

豆袋を開け、指先で一粒つまみ、芋の表面の傷み具合も確かめる。

「豆の選別がきれいね。芋も悪くない。麦も、少なくとも湿った袋と混ぜてない」

横で仲買人が鼻を鳴らした。

「モーヴさん、そんな地方荷に構っても――」

「黙って」

一言だった。

でも、その場の空気がすっと冷えた。

レティシアは俺へ向き直る。

「青葉草、試した?」

「魔物肉で」

「やっぱり」

彼女は少しだけ笑った。

「この香りなら、臭みの強い肉にも使える。王都の料理屋なら欲しがるところがあるわ」

エドが、はっきりと顔を変えた。

半信半疑だったのは俺たちだけじゃない。こいつも、実際に売り先の人間がそう言うのを待っていたんだろう。

「……じゃあ、売れるのか」

「雑草なら売れない。でもこれは商品よ」

その言い方は、妙に気持ちよかった。

レティシアは青葉草の束を持ち上げたまま言う。

「全部で三十八束?」

「はい」

「全部買う」

ミアが息を呑む。

仲買人が慌てた。

「おいおい、ちょっと待て――」

「あなたの話はもう終わり」

レティシアは視線すら向けない。

「値は、束ごとに銀貨一枚」

エドとミアが固まった。

俺も内心では少し驚いた。想定より上だ。

「ただし条件がある」

彼女はすぐ続ける。

「次も同じ品質で持ってこられること。乾かし方を崩さないこと。束ね方もこのまま。勝手に量だけ増やして質を落とすなら買わない」

「できます」

俺は即答した。

「言い切るのね」

「言い切れないものは出さないので」

レティシアの口元がわずかに上がった。

「嫌いじゃないわ、その言い方」

今度は二台目へ顎を向ける。

「豆と芋、麦は全部は買わない。でも、南村のこれは状態がいい。半分は私が取る。残りは市場の別口へ回しても、前より上で売れるはずよ」

「助かる」

「助かるかどうかは次第。続けば、だけど」

そう言ってから、レティシアは少しだけ声を落とした。

「この市場、最初の荷は舐められるの。今日みたいにね」

視線の先には、さっきの仲買人。

男は顔を歪めたが、何も言えない。

「でも、一度“売れる”とわかった荷には群がる。だから次はもっと面倒になるわ」

「でしょうね」

「それでも出す?」

「出します」

俺がそう答えると、レティシアは今度こそはっきり笑った。

「なら話は早い」

その場で彼女は従者に命じて銀貨袋を持ってこさせた。

青葉草三十八束分の銀。二台目の半分の買い取り分。

初荷としては十分すぎる額だった。

ミアが震える手で帳面へ書きつける。

「銀貨……三十八、豆と芋と麦で……」

「間違えるなよ」

エドが低く言う。

「わ、わかってます!」

でもその声は、半泣きというより半笑いだった。

売買が一段落したあと、俺たちは市場の端の荷下ろし場に腰を下ろした。

エドは銀貨袋を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。

それから、ぽつりと呟く。

「……本当に、売れた」

「売れたね」

「しかも、あんな草が」

「草じゃなくて青葉草」

「わかってるよ」

エドはそう言って、少しだけ笑う。

「でも、あれを抜いて捨ててたんだよな、前まで」

「うん」

「南村の豆も、もっと安く流すと思ってた」

「そうならなかった」

「……ああ」

その返事は短かったけど、重かった。

前世で何度も見た。

人は口で説明されるより、最初の売上の方を信じる。

北村も南村も、今日から少し変わる。

そこへレティシアが戻ってきた。

今度は仕事の顔だった。

「これ」

差し出されたのは、小さな木札だった。商会の印と、王都内の荷受け先らしい記号が入っている。

「次の荷を持ってくる時、それを見せなさい。私のところへ回るように言ってある」

「継続で買ってくれるってこと?」

「品質が落ちなければね」

レティシアは淡々と言う。

「北村の青葉草は面白い。南村の荷も、“ちゃんとした地方荷”としては悪くない。量が揃えば、王都側で回せる」

その“回せる”という言い方が、彼女の仕事の温度をよく表していた。

情けではない。

商売として成立するから、繋ぐ。

だから信用できる。

「一つ聞いてもいい?」

「なに?」

「なんで最初に青葉草の価値がわかったの?」

レティシアは少しだけ首を傾けた。

「香りが立ってたから。それに、乾かし方が雑じゃなかった」

彼女は青葉草の束を一本持ち上げる。

「雑草は雑に扱われる。でも、これは違った。試されてる荷の顔をしてた」

なるほど。

こっちが本気で作ったものは、見る人が見ればわかる。

そういうことか。

「覚えておく」

「ええ。覚えなさい」

そこで彼女は一度だけ俺をまっすぐ見た。

「あなた、見た目ほど子どもじゃないわね」

思わず少しだけ息が止まる。

まさか、とは思ったが、彼女はそれ以上は何も言わなかった。

「でも、若いのは武器よ。地方の小領地の子どもが、こんな荷を持ってきた。そういう話は、王都でよく回るから」

「いい意味で?」

「さあ」

レティシアは肩をすくめた。

「でも、埋もれるよりはましでしょ」

それはたしかにそうだった。

帰りの荷車は、行きより軽かった。

青葉草は全部なくなった。

南村の荷も半分以上が売れた。

残りも、値のいい買い手をつけてから帰れる。

市場を出る時、エドが後ろを振り返った。

「リオン」

「うん?」

「次は、もっと積める」

「そのつもり」

「でも質は落とさねえ」

「そこが大事だね」

エドはうなずく。

前よりずっといい顔だった。

視界の端に、青い文字が浮かぶ。

《初荷:成功》

《販路確保》

《継続取引の兆し》

《次の綻び:供給量と品質》

俺はその文字を見て、少しだけ笑った。

次は量と質、か。

いい。

それならやることははっきりしている。

初荷は売れた。

ハル領にとって貴重な外貨となった。

次は、それを続く形に変える番だ。