軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第99話 西の森のぬるい湯

街灯のお披露目が成功した翌朝も、俺はいつも通り早く起きた。

領都の空気は、まだ少し浮ついている。

昨夜、大通りに灯った二十本の街灯の話を、朝の使用人たちまでしていたくらいだ。

街が変わる時っていうのは、こういう感じなんだろう。

そんな空気の中、俺は領騎士団の早朝訓練場に立っていた。

いつものように木剣を握っている俺の少し後ろで、やたら不機嫌そうな顔をしている男が一人いる。

「……なあ、リオン」

「何?」

「どうして街灯の話をしに来てたはずの俺が、朝っぱらから騎士団の訓練に参加してるんだ?」

ヴィクトルだ。

街灯工房の規格や部材調達の話が面白くなったらしく、街灯のお披露目のあともなぜかそのままハル領に滞在していた。

どうせいるなら、と半分冗談で朝の訓練に誘ったら、断りきれなかったらしい。

「商人になるなら体力はつけておいた方が良いぞ」

「商人に必要な体力の見方が厳しすぎるだろ……!」

言っているそばから、前に出たノルの声が飛ぶ。

「無駄口を叩く余裕があるなら、もう一本いけますな」

「ありますわけないでしょう!」

ヴィクトルが敬語も雑に返していた。

結局そのあとも、走らされ、振らされ、受けさせられ、最後には木剣まで握らされていた。

商人見習いとしては十分すぎる目に遭っていると思う。

訓練が終わる頃には、俺もさすがに肩が重かった。

ヴィクトルに至っては、その場に座り込んでいる。

「……だめだ。今日はもう働けん」

「訓練しただけだろ」

「十分だ」

肩で息をしながら、地面に座った。

リオンは無意識に

「風呂でもあれば生き返るんだがな……」とつぶやく。

その言葉に、ふと頭の中に別の景色が浮かんだ。

湯気。

ぬるい湯。

西の森。

「……あ」

「何だ、その顔」

「そうだ」

俺は小さく呟いた。

「何か思いついたな?」

「思いついた」

街灯がうまくいって、頭の中に少し余白ができたからだろう。

今まで別のことで埋まっていた場所に、前から気になっていたものが急に浮かび上がってきた。

西の森にある、ぬるい水が湧く場所。

以前発見した時、俺はあそこに余計な手をつけないようにしていた。

その後、学院に入り、帰省後も街灯だ工房だ盗賊だと慌ただしくしているうちに、後回しになっていた。

でも今なら行ける。

俺は立ち上がった。

「朝ご飯を食べたら西の森に行くぞ」

「は?」

「付き合って」

「いや待て。なんでそうなる」

「面白いもの見せるから」

ヴィクトルは露骨に嫌そうな顔をしたあと、長く息を吐いた。

「……おまえにそういう言い方をされると、断れないのが腹立つな」

朝食の席で、俺は父上と母上に西の森へ行くことを伝えた。

「また西の森か」

父上がそう言いながら、パンをちぎる。

「うん。前に手をつけないようにしておいた場所を見に行きたい」

「危険はないの?」

母上が少し心配そうに言う。

「入口の方からそう遠くないし、今は人の出入りも増えてる。大丈夫だよ」

父上は少しだけ考えてから頷いた。

「なら行ってこい。ただし、森の奥へ深入りはするな」

「わかってる」

母上はまだ少し気がかりそうだったが、ヴィクトルの方を見て小さく笑った。

「ヴィクトルさんも大変ね」

「本当にそう思います」

即答だった。

領都から西の森の入口までは、乗合馬車で向かった。

木材運搬の人足、採集帰りの冒険者、調査依頼に向かう若い連中。

街灯だけじゃなく、西の森の開発そのものが、確実に領都の空気を変えていた。

馬車の中で、ヴィクトルはまだ少し疲れを引きずっていた。

「訓練のあとに森って、普通逆だろ」

「そうかな」

「普通だ」

窓の外を見ながら、俺は少し笑う。

「でも、こういう時に行った方が価値がわかるかもしれない」

「何の価値だよ」

「着いてからのお楽しみ」

「腹立つ言い方だな、お前」

そう文句を言いながらも、ヴィクトルはちゃんとついてくる。

こういうところは本当に付き合いがいい。

森の入口に着くと、そこからは歩きだった。

西の森の手前は、前に来た時よりもさらに人の手が入っている。

道は踏み固められ、仮設の小屋が増え、木材の集積場所も広がっていた。

そこを少し外れた先、まだ開発の手が及んでいない場所に向かう。

「この辺りか?」

「もう少し」

やがて、木立の間の小さなくぼ地に出た。

岩の隙間から、水が静かに湧いている。

流れは細いが途切れていない。

水面の周りだけ、土の色が少し違う。

近づくと、ほんのわずかに独特のにおいがした。

リオンは足を止める。

ようやくここまで来た、という気がした。

「……これか?」

ヴィクトルが眉をひそめる。

「うん」

彼はしゃがみ込み、指先で水を触った。

次の瞬間、首をかしげる。

「……ぬるいな」

「そうだね」

「しかも、これをどうするんだ?」

さらに顔を近づけて、露骨に嫌そうな表情をする。

「あと、なんか臭うぞ」

その反応に、俺は少しだけ笑いそうになった。

でも、これが普通なんだと思う。

この世界で、ただのぬるい湯に価値を見いだす方が珍しい。

まして商売の匂いを嗅ぎ分けるヴィクトルですら、今の時点ではこれを「変なぬるい水」としか見ていない。

たぶん前世でも、日本人みたいに湯に浸かる文化を深く持っている人間じゃなければ、その価値はわからないだろう。

だから、これは別におかしな反応じゃない。

ただ、俺にはこれがただの変な水には見えなかった。

「ちょっと測る」

「測る?」

持ってきた桶を置き、水がどれくらいの速さで溜まるかを見る。

次に流れを追い、周囲の地形を見回す。

源泉の位置、その少し下の平らな場所、さらに下へ流せる排水の方向。

温度はぬるい。

でも、量は思っていたより悪くない。

「どうだ?」

ヴィクトルが聞く。

「少なくとも、ゼロじゃない」

「いや、それじゃ何もわからん」

俺はもう一度湧き出す水を見た。

「十人くらいなら、いけるかもしれない」

「十人?」

「公衆浴場」

ヴィクトルがぽかんとした顔をした。

「……風呂を作るのか?」

「そう」

「このぬるい水で?」

「全部このまま使うわけじゃない」

俺は周囲を指で示した。

「源泉のすぐ近くに小さな浴場を作る。湯はここから流す。ぬるい分は別に温めた湯を足して調整する。排水は下に流す。十人くらいが入れるくらいなら、そこまで大がかりじゃなくてもできるはずだ」

ヴィクトルはまだ半信半疑の顔をしていた。

「待て待て。そんなもの、本当に人が来るのか?」

「来ると思う」

「なんで言い切れる」

「ここで働いてる人間がいるから」

俺は森の入口側を振り返った。

「人足、木こり、冒険者、騎士団。みんな汗をかくし、疲れる。西の森の開発が進むなら、ここに回復できる場所があるのは意味がある」

「回復拠点、ね」

「最初は観光客なんかいらない。まずは働く人が来ればいい」

ヴィクトルは少し黙った。

商人の頭に、たぶん人の流れが見え始めたんだろう。

「……なるほどな」

「でしょ?」

「いや、まだ全部わかったわけじゃない」

そう言いながらも、彼の目はさっきより明らかに真剣になっていた。

「でも、街灯と同じ匂いはする。物を作るっていうより、使う場所ごと変える話だ」

そこまでわかれば十分だ。

俺は湧き出す湯にもう一度手を入れた。

ぬるい。

でも、不快じゃない。

むしろ長く浸かれそうな温度だ。

熱い湯だけが風呂じゃない。

加温すればいいし、うまく使えばこれはこれで武器になる。

「まずは小さい湯屋だな」

「十人くらい?」

「うん。それくらいがちょうどいい」

ヴィクトルが鼻を鳴らした。

「街灯の次は風呂か。お前、本当に休ませる気がないな」

「むしろ休ませるための施設だよ」

「それはそうか」

彼はそう言って、もう一度源泉を見た。

西の森のぬるい湯は、何も言わず静かに湧き続けていた。

街灯が夜を変えたのなら、今度はこの湯が、たくさんの人を癒すに違いない。

森の奥で、次の事業の種が静かに湧いていた。