軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

2.侍女、アニー

「ねえアニー、一体何が悪かったのだと思う?」

小さなガゼボに設えたテーブルの上には一人分のティーセット。エヴァレット伯爵家に新しく造られた離れの庭で、ビアトリクスお嬢様は小さく溜息をつかれました。

「それは……」

ビアトリクスお嬢様と結婚すれば、いくら頭の軽い侯爵令息でも平民の恋人とは別れるだろう。と、楽観視していた旦那様の甘いお考えですね。などとは口が裂けても言えません。

「……一介の侍女である私には分かりかねます」

「もう、アニーってば。全然考える気ないじゃない」

少し口を尖らせる愛らしい姿は昔のまま。ローンズリー侯爵家に嫁いでからは封印していた仕草なので、思わず口元が緩んでしまいそうになりました。

無事ビアトリクスお嬢様の「婚姻の白紙」を陛下からもぎ取った旦那様は、予てよりお嬢様が欲しいと願っていた離れを物凄い勢いで建ててしまい……いえ、以前は反対していた奥様も今回ばかりは旦那様の味方でした。なんならご家族総出で建築を応援していました。それは、ええ、親族の誰も口を挟めないほどの勢いで。

「やっぱり私では侯爵夫人は務まらない、という事だったのかしら」

「いいえ、そんな事はございません。お嬢様は立派に侯爵夫人としての仕事をこなしておりました。それはこのアニーが自信を持って断言させていただきます」

そうです。ビアトリクスお嬢様は立派に務めてらっしゃいました。 侯(・) 爵(・) 夫(・) 人(・) の仕事を。本来であれば教えを請うべき夫人があまりにも役立たず……いえ、お仕事に興味を持たれない方でしたので、家政を丸投げされていた執事からお嬢様はしっかりと引き継ぎをされていらっしゃいました。嫁いでから二年にも満たない年月で、すでに家政を任されてしまうお嬢様は才女と言って問題ないでしょう。

「でも王命を白紙にする程の事をしてしまったのでしょう? 何が悪かったのかを知っておく必要はあると思うの。夫人やエドマンド様にお話をおねだりし過ぎたのがいけなかったのかしら」

「いいえ、あのお二人はお嬢様が真実の愛について聞いてくださる事を喜んでらっしゃいました」

母子揃って、まるで役者かのように酔いしれておりましたからね。自分達の言う「真実の愛」が諸手を挙げて歓迎されるものだと信じて疑わないのですから滑稽でしかありませんでしたが。

ローンズリー元侯爵は長年の婚約者を捨て、その後釜に子爵令嬢を据えました。その醜聞を無理矢理美談に変えたのが、お嬢様お気に入りの例の小説です。王都で流行ったとの事でしたが、奥様曰く「あれは道化を見て笑っているのよ」との事でした。品がない、という理由で読書を禁止してしまったため、お嬢様はかえってのめり込んでしまったように思えます。

「そうよね。夫人もエドマンド様も、ヘレン様も楽しんでくださっていたものね。もしかして……侯爵様視点でのエピソードが少なかったのがいけなかったのかしら!?」

「いいえ、それは関係ありません。もと……いえ、夫人からの視点でも充分お二人のエピソードは読み取れました」

いけません。うっかり 元(・) 侯(・) 爵(・) 様(・) と言ってしまうところでした。すでにローンズリー侯爵家は取り潰され、彼らは侯爵家が保持していたウェザリー子爵領の主となっているのですが。この事実を「傷心のお嬢様」の耳に入れないように、この離れは迅速に建てられたと言っても過言ではありません。お嬢様ももう二十歳になられるのですから、この対応は少々過保護すぎるのではないでしょうか。

「でも侯爵様とはほとんど会話もできなかったもの。やっぱり片方だけの意見を取り入れるのはよくなかったのね。どうにかして侯爵様ともお話ができればよかったのだけれど」

ええ、その通りです。元侯爵様と具体的なお話をしていれば、このような事態は防げたはずです。なにせあの家で現実が見え始めていた唯一の御方でしたからね。平民との庶子を嫡子として偽る事にも正しく懸念を抱いておりましたし。まさかお嬢様が小説として世の中に知らしめてしまうとは思わなかったのでしょう。

「ビアトリクスお嬢様に悪いところは一つもありません。元々ローンズリー侯爵家との婚姻は、ラインランダー王国からもそれとなく反対の声が出ておりましたから」

「あら、そうだったの?」

「はい」

「何故かしら。私達の結婚は、ラインランダー王国と縁が強くなりすぎた我が家を引き留めるのが目的だったのでしょう? まさか本当にラインランダー王国はエヴァレットの領地を求めていたの?」

「そういったお話は出ておりませんが……」

お嬢様が王家と密接な関係を築いているローンズリー侯爵家へ嫁がれたのは、エヴァレット家から三人もラインランダー王国と縁付いてしまったため、というのが表向きの理由です。

ですが陛下の御心に別の意図があったのは明確。

土地の貧しい我が国では穀物を主にラインランダー王国から輸入しているのですが、その取引きを一手に引き受けているあちらの公爵家から「ローンズリー家および分家とは取引きをしない」と明言されてしまったのです。それが十数年前。以来ローンズリー侯爵家は他領よりもさらに高い金額で穀物を買い取っている状況。それを解消するのが、今回のお嬢様とローンズリー侯爵家との婚姻でした。お嬢様の実家、エヴァレット家はラインランダー王国と良き関係を結んでいるのだから、ローンズリー家にも少しは融通してくれ、と。

「ビアトリクスお嬢様を通して、ラインランダー王国との縁を結ぼうとしていると見られたのでしょうね。ローンズリー侯爵家はあまり交易が得意な家門ではありませんから」

「そう、そうだったわね。今の侯爵様になってからはあまり他国との交易はしていなかったようだし。王宮でのご活躍はよく聞いていたけれど、そう、侯爵様は交易がお得意ではらっしゃらなかったのね」

得意、不得意というのであれば不得意に当たるのでしょう。不得意というよりも交易という技能が壊滅的に備わっていなかったというのが正しいと思われます。

元侯爵様の「真実の愛」の犠牲者、元婚約者様が嫁いだ先が、ラインランダー王国の公爵家です。一切の非が無かったというのに一方的に婚約を解消された元婚約者様、さらには彼女を妻にと求めた小公爵様は大層お怒りで。ローンズリー侯爵家と縁を切りたいと思うのは当然の事。即座に謝罪を申し出ればまた違う未来もあったかもしれませんが、あろう事か元婚約者様を悪役令嬢と誹る小説まで広めてしまい……。まあ自業自得というものですね。

国外追放などと夫人は仰っていましたが、元婚約者様は他国に嫁いだだけで追放などされておりません。関係を断つと言ったのも公爵家の方からです。

「先代様は我が家との交流もあったのよね? どうしてそんな事になったのかしら」

「……私には、分かりかねます」

お嬢様の愛読書、真実の愛が原因です。と、言ってしまいたいところですが旦那様から厳格に口止めをされているので、一介の侍女である私からお話する事は叶いません。

実はお嬢様がハリー・Bという偽名でミステリー小説を書いており、それが領地内だけでなく王都やラインランダー王国でも広く読まれているのですが……お嬢様は「読者からどんな反応があるか怖くて」と評判を耳にしないよう努めているので、知らなくても仕方ありません。

ですので、お嬢様がお書きになられた小説がラインランダー王国にも出回り、真実の愛に酔いしれた夫婦が未だに元婚約者様を悪役令嬢と誹っている事も、その息子が法を犯し平民の子を嫡子と偽った事も全て知られてしまったなど私の口からは言えません。

登場人物は確かに名前を変えてはいましたが、真実の愛から続く物語だと書かれていればローンズリー侯爵家に辿り着くことは容易い事でしょう。そして普段ミステリー小説を書かれているハリー・Bが突然恋愛小説を書いたとなれば、これは恋愛小説にみせかけたミステリー……つまり自分の現状をどうにかして世に伝えようとした暴露本だと思われ、正式に国から調査が入ってしまったなどとてもとても私の口からは言えません。

「恋愛小説だなんて私には似合わない本を書いたから、酷評されてローンズリー侯爵家にご迷惑をかけてしまったのは確かよね」

「それは……」

酷評はされませんでしたが、ローンズリー侯爵家の取り潰しと婚姻白紙の原因となったのは間違い無くお嬢様の小説が原因です。

お嬢様はご自身の小説を「父親のコネで置かせてもらっている」と信じていますが、その影響力を見誤ってらっしゃいます。エヴァレット伯爵領はラインランダー王国との国境である大門が観光地になるほどの都市。ラインランダー王国側の地と合わせれば両国の王都に劣らない規模の都市なのです。その都市で、領主である旦那様が懇意にしている本屋ともなれば国内でも有数の広さを誇る店。そこへ領主様直々に作家を紹介したともなれば店の一番目立つ場所に置かれるのは必至です。

もちろんお嬢様の文章が読者の心を掴んでいるのも事実ですが、まずは人目につくかどうかが肝心なのです。そしてエヴァレット領で流行る物はドレスであれ宝石であれ、本であれ。ラインランダー王国で流行るのも当然の事。

「本当はタンジェス様の成長を見守るエドマンド様とヘレン様の物語も書きたかったのだけれど」

騒動の原因となったタンジェス様は余計な罪を被らないようにと孤児院に託されたと聞きましたので、それはただの追い討ちです。

「侯爵ご夫妻も、エドマンド様とヘレン様も、ヘレン様のご両親も、あんなにも真実の愛に溢れたご家族だったのに。恋の一つもしてこなかった私では、あの方々を理解するのは難しかったのね」

恋云々はともかく、真っ当な常識を知るお嬢様があの愚か者達の思考を理解するのは難しかったでしょう。

真実の愛を掲げて婚約者を無実の罪で罵った男と、それに便乗した女も。

真実の愛を信じて愛人の子を嫡子と偽った男と、正妻であるお嬢様を見下した女も。

真実の愛だと偽り無能ゆえに男爵家から放逐され商会に拾われただけの男も。

本来であれば眉をひそめられ指をさされる思考なのですから。

「ビアトリクスお嬢様、今は旦那様達が仰る通りゆっくりと心身を休める事に専念してはいかがでしょうか」

「そうね、確かに過ぎた事をいつまでも引きずっている訳にはいかないものね」

カップに残った紅茶をすべて飲み終え、お嬢様はようやく笑顔を見せてくださいました。

私はビアトリクスお嬢様の専属侍女。

お嬢様が本当に悲しむようであれば、例え相手がローンズリー侯爵家でも容赦をするつもりはありませんでした。

ですが。

「今度は三のお兄様からお話を聞こうかしら。キャロル様の侍女を口説き落とすなんて、そんな情熱どこに隠していたのかしら」

お嬢様にとってローンズリー侯爵家の人々はただの観察対象。楽しいお話を聞かせてくれる他人に過ぎませんでした。

少しでも人としての情を抱いているようでしたら、真実の愛の 真(・) 実(・) を教えて差し上げたのですが。

ええ、仕方ありませんね。お嬢様の価値が分からない愚か者が、お嬢様から愛されようだなんて。烏滸がましいにも程があるというものです。