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【電子書籍化進行中】結婚相手を探し始めたら何だか同期の様子がおかしい

作者: risashy

本文

「クラリス、あなたいつまでフラフラしているつもりなの? 真剣に将来のことも考えるべきよ。もう二十二歳でしょう」

さも我がまま放題の困った妹をたしなめるように、姉のフェリーネは言った。

「お姉様、その話は今聞かないといけない?」

明日も仕事があるし、一刻も早く眠りたかったのに、姉が突撃してきたので何事かと思ったらこれだ。王宮から帰ってようやくベッドに潜り込めると思ったところだったのに。

「当然じゃない。私はこの家の当主なのよ。いい? 殿方に混じって夜まで仕事なんて、はしたないわ。あなたときたら、いつまでも実家に居座って気ままに過ごして」

「よく言うわね……。私は出て行くと言ったけれど、お姉様が駄目と言ったのよ。覚えていないの?」

「そんなはずないでしょう。本当に、あなたって子は、すぐにおかしなことを言うのだから」

五年前に学園を卒業し王宮の文官として働き始めたときに、私はこの家を出るつもりだった。そんな私を引きとめたのは他でもないこの姉である。

しかしこの人は昔からすぐ記憶を改ざんするので、恐らく今は私が家に居座ったというありもしない記憶にすり替わっているのだろう。

「私、再婚が決まったの」

「……! そうだったのね。おめでとう、お姉様」

姉は女男爵だ。八年前、両親が突然事故で死んでしまい、姉が当主になった。当時学園に在学中だった姉は婿取りをすることになり、学園を卒業後に最初の夫と結婚したのだ。しかし姉の激しい気性に気弱な婿はついて行けず、結局姉夫婦は数年で離婚してしまった。

再婚を目指して姉は頻繁に夜会へ出席していたので、そこで相手を見つけたのだろうか。

相手を聞くと、我が家と同じ男爵家の次男だという。悪い噂は聞かない人だ。姉の前の夫のように気が弱すぎるような印象もない。

姉の再婚は、家にとっても慶事だ。素直に良かったと思う。

「えぇ。せっかく婿に来てくれるのに、独身の妹が家にいれば気を遣うわ。それに、彼があなたの顔を見たら、びっくりしてしまうでしょう?」

困ったように眉を下げながら姉は言った。

私は思わず自分の頬に手を添える。

私の顔には目立つ傷がある。右頬を斜めに走る傷は白く盛り上がり、化粧をしても完全に消えない。初対面の人は大抵ぎょっとして視線を逸らす。あからさまに嫌悪感を示されることもある。

そもそも、この傷は昔、姉が馬を暴走させてしまい、運悪くそこにいた私が負傷してできた傷だった。奇跡的に姉は無事だったものの、私は大怪我をした。傷は顔だけでなく、身体にもある。後遺症が残らなかったことだけは幸運だったと思う。

こんな風に傷のことをあげつらうのは姉の癖のようなもので、それを言われた私が果たしてどんな感情になるかなんて、この人は何も考えていない。むしろ私がここでその話はやめて、なんて言ったら逆に姉がひどいひどいと泣くのである。

つまり深刻に捉えずに流すのが最適解だ。

「分かったわ。それなら王宮の寮に空きがないか聞いてみる」

王宮には女性向けの独身寮があるので、空いていれば入れるだろう。しかし姉はこれ見よがしにため息をついた

「一人で出て行くなんて駄目よ」

「どういうこと?」

「クラリスも結婚しなさい」

「えぇ?」

顔に傷がある時点で私は結婚を諦めている。それなりにいい家柄の女性であっても、顔の傷は致命的だ。

「女性はね、結婚をして一人前なのよ。いくら遊びたいからって、家庭を持たずに仕事ばかりではだめ。大丈夫。あなたの傷も受け止めてくださる度量の大きい殿方もいるはずよ」

姉のご高説を賜りながら、私の意識は遥か遠くへ飛んでいく。

私がいつまでもふらふらとしているのが駄目なのか、再婚相手が気を遣うのか、独り身でいることが駄目なのか、つまり姉の主訴はどこなのか……などと考えてはいけない。彼女は思いついたことを次々に口に出しているだけなのだ。

しかし、遊んでいるって何なの。お姉様ったら私が好き好んで結婚もせずにここまで来たとでも思っているのかしら。まさか本気で?

「はぁ」

何度目か分からない大きなため息が出る。

連日残業して作った次年度の予算編成がようやく宰相の承認を得て、陛下の印をいただいたという嬉しい報告が入り、仕事はひと段落ついたが、私生活の方でストレスがたまりすぎて胃に穴が空きそうである。

王宮の財務部で働き始めてもう五年。

馬鹿貴族の意味不明な物言いや、領主たちのしつこい陳情、騎士団の脳筋たちが上げてくる適当な書類にも慣れてきた。

財務部の中でも歴が長くなって、頼りにされることも多い。徹夜の書類作成だって乗り越えてきた。

それでも、家族の問題とはここまで自分を疲弊させるものか……。

「クラリスさん、どうした? ため息ついちゃって」

「あ、あぁ。すみません。ちょっと疲れちゃっただけで」

「お疲れのクラリスさんに、これあげますよ。王都三番街で人気の飴―!」

「ありがとう。包み紙が可愛いわね」

先輩や後輩たちに気を遣わせている。情けない。いまは仕事中なのだ。切り替えなければ。

「クラリスさん、いる? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「はい」

その時、書類を持ちながら財務部に入ってきたのは管理部のロドリックだった。私は顔が引き攣りそうになるのを堪える。この人は細かいことをいちいち確認してくる面倒な人だ。しかもいつも私を指名してくる。

伯爵家のご子息らしく、あまり無下にできないのが辛いところだ。

「君に添付するように言われた見積りだけどさ。デント商会とミゲル商会だけでいいかな」

「お伝えしたと思いますが……昨年同様、実際に契約する商会の見積もりでお願いします」

「そうだったかな。そんなこと書いてあった?」

「はい。要綱のここに書いてあります」

あ、本当だ、とロドリックはわざとらしく声を上げた。

嫌な目線を感じる。こんな風に、どこか値踏みするような目で私を見てくるのが嫌だった。

「あと、管理部で発注している魔石が値上がりしていて、予算が足りそうにないんだよね」

「それについては……」

(昼休みは後ろにずれ込みそうね)

疲れているところでロドリックの相手は辛い。早く話を終わらせるように頑張ろう。

(結婚ねぇ……)

確かに私はすでに行き遅れだが、私にはそもそも結婚しようという発想がなかった。

姉との話し合いを思い出して、眉間に皺が寄る。

「うちにも世間体というものがあるのよ」

まぁ確かに、我が家は一応男爵家で、私は男爵令嬢だ。いい年をした令嬢が仕事ばかりで結婚もせず跡取りの姉家族がいる家に居座るのも、今さら王宮の独身寮に入るのも、口さがない人たちの話の種になる。そう言われてしまえば返す言葉もない。

「お相手はお姉様が探してくださるの?」

「なにを言っているの、クラリス! あなたの不注意でそんな傷だらけになって。男の人に交じって夜中まで仕事して……そんな女を妻にしたい男がいると思う?」

じゃあどうしろと。呆れた私は「はぁ」と生返事をする。

姉が見つけられないのに、私に結婚しろと急かすのは筋が違うのでは……。

「私だって自分で夫を見つけたのよ。クラリスも自分で見つけなさい」

面倒になって私は頷いた。このように話し合いは決着したのだった。

——しかし、どうやって相手を見つければいいのだろう。

一般的な場は夜会だが、体にも傷がある私がドレスを着てパーティーに出席したところで、引かれるだけである。厚めの化粧を施してドレスのデザインを工夫すれば傷を隠すこともできるが、詐欺だと言われないだろうか。面倒だし、ナシだ。

次に考えられるのは職場だ。しかし部署のメンバーは殆ど既婚者で、独身の男性がいても既に婚約者がいる。ナシである。

「はぁーーーー」

「どうした、クラリス」

また大きなため息をついてしまったところで声を掛けられ、びくっと震える。

顔を上げると、文官として王宮に一緒に入った同期たちが立っていた。

五年前、同じ年に文官として王宮に入ったのは私を含めた三人だった。私と同じ女性であるケイト。男性はマクシムだ。この二人は私の傷を意識しない珍しい人種だった。

「えらく疲れてるわね。隈すごいわよ」

「本当? 最近寝られてないから」

ケイトに指摘され、思わず顔を触った。

「でも地獄の予算査定の時期は終わったんだろ? なぁ、また飲みに行こうぜ」

「まぁね……マクシム、もしかしてあなた、また彼女と別れたの」

はは、とマクシムは苦笑いする。図星らしい。

「それで我が同期の一番星クラリスはなぜそんなに暗い顔をしているの?」

ケイトが水を向けた。

ひどい顔でため息をつく私を心配してくれているらしい。改めていい同期に恵まれたものだ。そんな二人の顔を見て、私はハッとした。

この二人は同い年で同期という対等な立場であるだけでなく、気の合う友人として気楽な仲だ。

(友人の紹介……!)

これしかない。

傷のことも折り込み済みで、私と気が合いそうな人を紹介してもらうのだ。

ケイトは数年前に既婚者になったし、マクシムは常にモテていて、女性経験が豊富だ。異性関係もこの二人なら信頼できるし、心強い。

「実は、結婚相手を探しているの。誰かいい人いない?」

意を決して打ち明けると、二人はよほど予想外だったのかぽかんと口を開けた。

「えぇ……! 本当!? クラリスが?」

ケイトが驚きの声を上げる。マクシムはまだ衝撃から戻ってこれないのか、目を瞬かせている。

「姉に言われてね。結婚して出て行けって」

「えぇー、意外だわ! クラリスが家のこともしているんでしょう? あのお姉さんは絶対あなたを手放さないと思っていたわ」

「再婚するから、もういいんじゃない? 執事もいるし、何とかなるでしょう」

姉は正直、仕事ができるとは言い難い人だ。学生の頃から、私が家の帳簿を管理するようになった。男爵家のこまごました仕事も私が担当している。しかしその姉の方から私に出て行けと言っているのだから、きっともう私の手伝いは必要ないのだろう。

「それならあなたのお姉様の気が変わらないうちに決めちゃわないとね! どんな男がいいの? 年齢とか、見た目のタイプとか」

「うーん……。親子ほど離れているとかでなければ、別に歳の差は大丈夫。外見も……最低限清潔感があれば、なんでもいいわ……。でも、暴力暴言は嫌かな」

「それだけ? そんな条件で紹介できるはずがないでしょう。広すぎだし、ふわっとしすぎだわ」

「そうだよ。どんな中身の奴がいいんだ」

中身……人柄かぁ。うーんと考え込んだ。

「元気な人がいいかな。どこでもすぐ寝れる感じの。いっぱい食べる人。笑顔が可愛い人」

「それ人柄……?」

「あ、あと一緒にいて落ち着く感じの人」

異性の好みなど、今まで考えたこともなかった。必死に絞り出した条件を、二人は真剣な表情で聞いている。

「家柄とか年収とかの条件はねぇの」

「それは別に拘らないわ」

私も働いているし、それなりに蓄えはあるので、相手に必要以上の条件を求めるつもりはない。

「あぁ、そろそろ戻らなきゃ」

昼休みが終わる時間が近い。仕事に戻ろうと私が立ち上がる。

「また誰か良い人が見つかったら言うわね」

「ありがとうー、お願い!」

食堂から財務部に戻りながら、そう言えば今日は、いつも賑やかなマクシムの口数がやけに少なかったなと思った。

マクシムは王宮の試験で満点に近い点数を叩きだした。そんな天才はどんな人物かと思ってみたら、涼やかな容姿のとんでもない美形だったので驚いた。話してみたら、彼はその静謐な印象に反して明るく賑やかな男だった。

明るく見目がいいマクシムは恐ろしく女性にモテた。彼は来るもの拒まずらしく、特定の相手がいないときに告白されれば気楽に付き合うらしい。

とはいえ彼は悪い別れ方はしないようで、マクシムと別れる女性はみんなアッサリしている。彼と別れた女性が、いい思い出ができたわ、なんて話しているのを聞いたこともあるので、マクシムはどんなことも卒なくこなすのだなぁなんて的外れな感想を持ったものだ。

「クラリス」

「あらマクシム。帰り?」

「あぁ。クラリスも終わりなら飯でも行こうぜ!」

「いいわよ」

王宮から出たところでマクシムに声をかけられ、そのまま近くの店に入る。手ごろな値段の飲み屋で、食事も美味しいので王宮の役人からも人気の店だ。

「なんだか二人で飲むの久しぶりね。仕事はどうなの」

「まぁボチボチだな。最近は落ち着いてるし、次の日に響かないようにさっさと寝てるな。職場のソファで寝る日もあるぜ」

「分かる。睡眠、大事よね」

とりあえず頼んだ酒で乾杯して、料理はマクシムが頼んでくれた。どんどん頼んでいくので、今日は二人なのよ、と思わず口を挟んだが、俺は腹が減ったんだと言う。まぁ彼が食べられるなら問題ないか。

「それで、グレンダと別れたの?」

「お……、おぅ。別れた」

「なんで?」

「……俺が悪い」

グレンダは王子宮で働く侍女で、王宮でも有名な美女だ。性格もいい。数か月前に彼女と付き合ったときは今度こそ結婚するのでは、なんて言われていたが、今回も駄目だったのか。

マクシムは別れた相手のことをあまり話さない。悪くも言わないし、未練がある様子もない。好奇心で別れた理由を聞いても「自分が悪い」としか言わない。別れた女性もマクシムを悪く言わないので、不思議だと思う。

「次は誰なの?」

「いや、もう、告白されても断る」

珍しくきっぱりと言い切ったので、私は意外に思った。

その時に相手さえいなければマクシムが告白を断らないことは有名なので、順番待ちをしている女性はたくさんいる。残念。私は彼女たちに内心で手を合わせた。

「へぇー。そうなんだ。まぁいいんじゃない。疲れちゃうよね」

といっても私は恋人さえもいたことがないのだが。

「そんなことより、クラリスが結婚に興味があったことが驚きだよ!」

「結婚さえすれば丸く家を出られそうだからね。まぁ、もともと全く興味がないってわけでもなかったわよ」

縁がないと信じていただけだ。

両親が死んでしまってから、男爵家の手伝いに自分の勉強……。文官になってからは仕事ばかりだった。

「うん。クラリスはずっと頑張ってきたから、自分のために幸せを見つけるのはいいと思う」

「……ありがとう」

案外優しいことを言うので、少し救われた気になる。

机には先ほどマクシムが頼んだ前菜がどんどん運ばれてきて、机を占領していった。私はそれをつまみつつ、酒を流し込んだ。

「でもねぇ。この傷でしょ。姉はあてにならないし、夜会とかだと難しいと思って、みんなに頼んじゃった」

「お前傷のことすげぇ言うよな。まぁ結婚の件は俺らに言ってくれてよかったよ。じゃ食うか」

先ほど腹が減っていたと宣言したマクシムは机に並ぶ料理をどんどん口に入れていく。良い食べっぷりに感心してしまう。

「マクシムってそんなに食べられるの? すごいね」

「俺はいくらでも食える」

そう言ってマクシムは笑った。

彼は細いわけではないが、決して大柄とも言えない体形なのに、食べたものがどこに入っていっているんだと不思議である。

「クラリス。また飯行こうぜ」

「そうね、マクシムがしばらく彼女を作らないっていうなら、誘いやすいわね」

「……おう」

結局マクシムは本当に机に並んだ食事をすべて食べてしまったのだった。

近ごろ、マクシムの様子がおかしい。

「具体的に、どこがおかしいの?」

昼休み、食堂でケイトにマクシムの話題を出してみると、心当たりがないらしい。

「ずっと何か食べてるの!」

食堂に一緒になると、三人前は食べている。最近、仕事帰りにばったり会うことがあるのだが、その度に凄い量を食べる。さすがに食べすぎでは、と心配になる。

「あぁ……たしかに?」

「それにね、ところかまわず寝ているらしいの。外とか、椅子とか」

財務部でも話題になっていた。庭園や空き会議室などで寝ている場面を目撃されているのだ。

ケイトは微妙な表情になった。彼女もマクシムの奇行は把握しているらしい。

「大丈夫だから心配はいらないわ。ただいっぱい食べて、どこでも寝てるだけじゃない」

ケイトは雑に言う。彼女がそう言うのなら、大丈夫なのだろうか。

「そういえばクラリス。家の方はどうなの」

「もう大変よ」

姉は事あるごとにまだ相手は見つからないのかとうるさいし、まだだと返せば「目立つ傷があるんだから仕方ないわね」と哀れんでくる。反して執事たちは「クラリス様行かないでください」と半泣きだが、私にはどうしようもない。

姉の言うことなど無視して家を出ようか……。そうなると激情型の姉は私と縁を切るだろう。文官試験のときに身分保障となった実家と縁を切れば、王宮にいられなくなるかもしれない。

いや、その方がいいだろうか? いっそ王都を離れて一からやり直した方がいいのかもしれない……。

「誰かいい人はいそう?」

「——クラリスさんは誰を探しているのかな?」

唐突に会話に割り込んできたのは、面倒な男ロドリックだった。思わず「げっ」と声を出しそうになったが、すんでのところで押しとどめる。

「いえ、大したことでは……」

「なんてね。知っているよ。結婚相手を探しているんだろう?」

ロドリックは心底楽しそうな笑顔を浮かべている。

「……!」

「先日の夜会で、君の姉さんに聞いたよ」

声にならない私の疑問に答えるようにロドリックが言った。

最悪だ。よりによってこの男に言うなんて。本当に姉は余計なことしかしない。

「……つまらない話ですから、お構いなく」

「でも安心して。もう相手を探す必要はない。まだ聞いてないみたいだけど、僕が立候補したからさ」

「は、はぁ?」

思いもよらないことを言われ、間抜けな声が出た。

立候補とは……。つまり、私の夫にということだろうか。この男が?

(絶対に嫌なんだけど)

この男と私は親しいとは言えない。仕事以外で繋がりがあるわけでもない。彼が私の夫になりたがる意味が分からない。

それに、人気が少ないとはいえここは食堂である。こんなところで求婚なんて馬鹿げた話だ。

しかし構わずロドリックは話し続ける。

「だって困っているんだろう? まぁその傷だとね……。でも、僕は気にしないよ。大丈夫」

「いや、私は」

ロドリックのじっとりとした目線が、私の右頬に注がれる。

「……まさかとは思うけど、君は自分が相手を選べる立場だと思ってるのかい?」

心底馬鹿にするような口調で彼は言った。久しぶりに他人から受けたあからさまな侮蔑に言葉が詰まってしまう。

「あの、酷すぎます!」

顔を怒らせたケイトが口を挟むと、ロドリックは鼻白んだ。

「何が酷いんだ。事実じゃないか。とりあえず、また正式に——!?」

そこでロドリックの言葉が途切れ、突然目の前の視界が遮られた。これは……男性の背中だ。

「おい、あんた。悪いがこいつは売約済みだ」

「……マクシム!?」

「なッ……」

マクシムはぎろりと上からロドリックを見下ろし、睨みつけた。ロドリックがひるんだところで彼は私の手首を掴み、そのままずんずんと出口に引っ張っていく。

「ちょっと、」

「お、おい……!」

ロドリックが何か言っている。しかしマクシムはそれを無視して「ケイト!」と叫んだ。

「ごめん! 財務部にクラリスは借りるって言っておいてくれ!」

「任されたわ!」

急展開についていけない。

ケイトはなぜ戸惑ってないんだろう。その上、あろうことかマクシムは私を抱きあげ、走り始めた。周囲にいた女性が歓声のような声を上げている。

「ははっ」

マクシムは楽しそうに笑った。

すごい速さで王宮を駆け抜けていく。文官のマクシムが私を抱きあげたまま走れるなんて驚きだ。

でも自分を支えている彼の腕も胸も、確かに頼りがいがある男性のものだった。

「マクシム! ロドリックさんにあんな態度して大丈夫なの」

「さぁな! とりあえず今はあいつの話はなし!」

「そんなこと言って……!」

マクシムは風を切って走っていく。

さっき彼は売約済みだと言った。その意味を考えると、ただ心臓がうるさかった。

王宮の庭園の端でマクシムは私を下ろした。辺りには誰もいない。季節の花が沢山咲いていて、綺麗な場所だ。

さすがに私を抱えて全力で走ったからか、マクシムは息を切らしていた。

「だ、大丈夫?」

「ハァ、ハァ……あぁ。大丈夫」

息を整えたマクシムが、両手を私の肩に置いた。

ザッと吹いた風とともに花びらが舞う。

「クラリス。俺は、クラリスと話していると落ち着く。お前はどうだ」

「えっ、そうね。落ち着くかな?」

同期だし、それなりに長い付き合いだ。彼といて緊張はしない。

うつむいていたマクシムは顔を上げ、私をじっと見ると、ニコ、と相好を崩した。満面の笑みを浮かべるマクシムに困惑する。

——この流れでなぜ?

「お、俺の笑顔。か……っ、かわいいかよ……?」

マクシムはもしや頭から湯気が出るのでは、と思うほど赤面した。

あ、そうか。これは、まさか。

どこでも寝れて、たくさん食べて、一緒にいて落ち着いて。笑顔がかわいい。

近ごろの奇行は、全部……?

「俺、お前と結婚したい。クラリス」

追い打ちをかけるように伝えられたその言葉に、私は何も返せずただ見つめ返すしかできなかった。

熱情を孕んだ目線が、私を射抜く。

「気がついたら好きだった。でもお前、本当に男に興味がなさそうだったし、結婚しないってずっと言ってただろう。気持ちを伝えても、お前が困るだけなのは分かってた」

それはその通りだった。私は結婚を自分事として捉えたことがなかった。誰かと恋愛関係になることも、考えられなかった。

それにマクシムは同期で、友人で、気安い仲間で……。結婚相手どころか、異性として見たことはなかった。

「でも急に結婚なんて言い出してさ。俺、お前が……クラリスが俺以外の男とくっつくなんて許せない。でも、いざとなると告白する勇気が出なくて……ぼやぼやしてたらあいつに言い寄られてて、」

「ちょっと待って。マクシムは色んな女の人と付き合ってたじゃない」

「それは……相手がいたらその間は誰も寄ってこないからさ……最低だよな。全部、俺が悪い」

「そんな理由で……!?」

「お前のこと諦めようとしたときもあったけど、無理だった」

周りには誰もいないし、もう風は吹いていないのに、やけに自分の心臓がうるさかった。

今、自分がどんな表情をしているのか分からない。マクシムに見られたくない。もうしゃがみ込んで全部隠してしまいたいと思った。

「ずっと好きだった。頼む。俺を選んでくれ」

懇願ともいえる必死の眼差し。彼がこんな顔をするなんて知らなかった。

頭が良くて、明るくて、よく笑って、よく食べて。沢山の素敵な女性が彼を好きだと言う。こんな人が私なんかにこんな顔を晒すなんて、あり得ないことだと思ってしまう。

「なんで私なの……マクシムはもっといい人がいるでしょう」

「お前がいいんだ。俺には他に欲しいって思う人がいない。それって最初からお前一人しか選択肢がないってことと一緒だろ」

「でも、私。傷があるのよ」

「知ってるよ。だからなんだ」

「顔だけじゃないわ。身体にだって!」

「知ってるって」

マクシムはそっとわたしの右頬に手を添え、そこに残る傷をゆっくりと撫でた。恐る恐る彼を見上げると、優しく細められた瞳が私を映していた。

マクシム、あなた、なんて目で私を見るのよ。

「お前は綺麗だよ」

私はこれまで、男性に容姿を褒められたことはない。顔に目立つ傷があるのだ。容姿に関する話題に触れられたこと自体が少なかった。

たとえ他の男性から同じ言葉を言われたとしても、きっと私は薄っぺらいお世辞だと断じたことだろう。

でもマクシムが心からそう思っていることは、なぜか信じられた。

これまでがんじがらめに自分を縛っていた固い結び目が、ほろりとほどけた気がする。

「な、泣くなよ……」

「だってマクシムが泣かせるから」

「そんなに嫌だったか?」

「ちがうの。嫌じゃないし、悲しいわけでもない」

ぽろぽろと流れる涙をマクシムはハンカチで優しく拭いてくれた。

この人は私の涙でこんなに慌ててしまう。その事実がわけもなく嬉しいと思う。

「……嬉しいの」

悲壮な表情をしていたマクシムは、泣きそうに笑った。

「なぁ。一緒にお前の実家に行っていい?」

「……うん」

マクシムは恐る恐る私の手を取った。

「大事にする……」

マクシムの手が小刻みに震えている。いや、震えているのは私だったかもしれない。

その後、私の実家に来たマクシムに姉は度肝を抜かれていた。姉が固まっている間にマクシムは強引に話を進めていき、信じられないスピードで結婚が決まってしまった。

「聞いてないわ」

「うん、ごめん」

「あなたが侯爵家のご子息だなんて……」

度肝を抜かれたのは家族だけでなく私もだった。なんとマクシムは侯爵家のご子息だったのだ。

そんなこと、彼はこれまで一言も言ってなかった。家の話になると普通の家だとしか言わないので、てっきり平民かと思っていた。彼の言動からも、全く違和感がなかったし。

ともかく彼は家の力を全力で使い、さっさと縁談を纏めてしまったのだ。

ロドリックにあれほど強気に出られたのは、こういうことだったのか……。

「なんで最初に言ってくれなかったの」

「言ったら普通に仲良くなれないと思って。実際そうだろ?」

確かにそうだ。同期とはいえ、侯爵家のご子息と気安く接することはできない。それにしたって、五年も黙っていることはなかったと思う。

「でも、うちは男爵家なのよ。つり合いが……」

「侯爵の息子っていっても俺、後妻の子でさ。しかもうっかりできちゃった子なんだぜ。兄が三人もいるし、家から俺に残されるものなんてないんだ。それで文官になった」

「そうなのね」

「でももしクラリスが結婚相手に求めるものに家柄って言ってたら、即打ち明けたけど……」

「フ……なによそれ」

あまりにもマクシムがあけすけに言うので、思わず笑ってしまう。

「まぁでも。今回は親の七光りを全力で使わせてもらったから、家族には感謝だな。あとはロドリックの野郎を何とかして」

「ちょっと、何するつもりなの」

「別に。お前は俺のもんだって分からせてやるだけ」

マクシム曰くロドリックは私に執心していたらしい。

そう言われてみれば、いつも私を指名していたし、食事に誘われることもあった。ロドリックと二人で食事など息が詰まりそうで一度も応じたことはないが……。

男性から自分がそういう対象に見られるという発想がなかったから気が付かなかった。

でもきっとロドリックは、傷という瑕疵がある私だから良かったのだと思う。私と対等な関係を築こうという姿勢は見えなかった。あの人と結婚なんてことにならず本当に良かった。

「あースッキリした!」

私の心をそのまま言語化したようなマクシムの台詞に、まさか気持ちを口にだしてしまったのかと思った。

「ようやくお前をあの家から連れ出せて、嬉しい。クラリスの家族だけど、俺、あの人にめっちゃ腹立ってたから……」

どうせ私に結婚相手など見つけられないと考えていた姉は、目の前のマクシムの存在が信じられないようだった。

姉は「なぜクラリスなのですか」と問いかけた。マクシムが「好きだからです」と答えたときに姉が見せた理解不能といった表情は少々痛快だった。

両親が生きていたころから、私たちは気が合わない姉妹だった。

姉は私の何もかも気に入らなかったし、私も姉を好きになれなかった。

だからこそ姉は便利に私を使ったのだと思う。面倒な男爵家の仕事は私に押し付け、憂さ晴らしに貶める。婿が見つかり不要になれば、今度は私の意思など関係なく、追い出そうとした。

相手を探しもしないのに、結婚して出て行けという無茶を言い、私が疲弊する姿を見たかったのだ。

遊びに飽きたら適当な家に打診をして追い出すつもりだったのだと思う。

「お前のことを悪く言う奴は誰であっても許せないんだよ」

彼の声音には怒りが滲んでいた。

なぜ彼は怒っているのだろう。

そうだ。私のためだ。マクシムはずっと、私の為に怒ってくれていたのだ。

「……マクシム」

「ん?」

「私、あなたのこと、とても好きみたい」

「え、えぇ?」

真っ赤になったマクシムが素っ頓狂な声を出す。そして照れたようにはにかんだ。

あぁ、とっても可愛い笑顔だわ。

私の理想の結婚相手は、確かにこの人だったようだ。

◇ ◇ ◇

誰にでも公平なクラリスに、俺だけを見て欲しかった。

でもそれは叶わないことだった。

誰のものにもならないと思っていたから、友人として振る舞えた。

クラリスが誰かのものになるというのなら、話は別だ。

彼女の価値は傷ごときで損なわれるものではない。

絹のような銀の髪に、理知的な青い瞳が映えて美しい。

まろい頬は愛らしい。落ち着いた声音が心地よくて、ずっと聞いていたい。

すっと伸びた姿勢も、隣にいるとふわりと香る甘い匂いも、笑うと見えるえくぼも、細く長い爪の先まで、全部好きだ。

すやすやと眠る妻の顔をじっと見る。

俺の妻になったクラリスの身分は実家が保証することになった。

これで心置きなくあの女に制裁をできる。クラリスが男爵家と繋がりを持っている間は手出しができなかったから。

あの頃、俺の容姿に惹かれてやってくる女性と関わっていたのは、情報を集める手段の一つだった。王宮に勤める様々な立場の女性達は、侯爵家だけでは集めきれない情報を持っていた。彼女たちも一時の楽しい相手として俺を使い、真剣な相手が見つかると俺から去っていった。

彼女たちのおかげで、クラリスの姉が懇意にしている商会も、再婚相手の実家が目指している事業も、彼らが抱える後ろ暗い事情も知っている。

それらを使えば、真綿で首を絞めるようにあの女を追い詰めることができる。クラリスの姉はこれから勝手に自滅するだろう。

クラリスを縛り付け、傷つけ、利用した咎を思い知らなければならない。

銀のまつ毛がふるふると震え、ゆっくりと開かれた奥に深い青が見える。

「見すぎよ……」

「起きてたのか」

「そんなに見詰められたらさすがに起きるわ。穴があくかと思った」

「寝顔がかわいかったから。触るのは我慢してた」

彼女は呆れた表情をした。俺が適当に言っていると思っているのだ。本気なのに。

自己評価の低いこの可愛い人に、そろそろ自分がどれだけ魅力的なのかを分かって欲しい。

「ふふ」

「どうした?」

「可愛いのは、あなたの方だと思って」

彼女は腕を俺の首の後ろに回し、唇を俺の鎖骨に寄せた。俺は彼女の額にお返しする。

動き始めるのは午後からでもいいだろう。

今日は休日なのだから。

〈了〉