舞踏会で愛ましょう
作者: ルーシャオ
本文
「カッシア侯爵令嬢アマンディーヌ! お前との婚約は破棄する!」
高らかな宣言が、舞踏会の中心で叫ばれる。
名前を呼ばれたアマンディーヌは、ひたすら慌てふためいていた。
「ど、どうして!? レニ、何か悪いものでも食べた? お腹痛くない? 大変、レニがまたお腹壊したかもしれないわ!」
「またとか言うな! お前、自分の立場が分かっているのか!?」
「そうよ! レニをずっと困らせておいて、よくもそんなことを言えるわね!」
誰もが振り向く好青年然としたランデュー公爵家嫡男レニと、その隣にいる怒った様子の令嬢が、アマンディーヌを責める。
しかし、アマンディーヌは驚く。
そう、その怒った令嬢が誰だか分からなかったのだ。
「誰!?」
「セーラ伯爵令嬢ミラだ、お前に無視され続けたと言っていたが、どうやら本当のことらしいな」
「待って、本当に知らないわ。あなた、どこかでお会いしたかしら?」
「ほら見ろ。お前はそうやって彼女を無視して」
「だって彼女とは一度も——」
「言い訳は無用だ! とにかく、お前がそんなにも意地の悪い女だとは知らなかった!」
レニは頑として、アマンディーヌの所業を責め立てる。
公衆の面前で婚約破棄を宣言するほどの、正義感から来る憤怒はレニを本気で怒らせている。その証拠に、レニのこめかみには青筋が立っていた。
アマンディーヌは——そのミラという令嬢のことは何も分からないが——最愛の婚約者であるレニがここまで怒りを爆発させる姿は、心に深く刺さってしまう。
「そ、そうよね……私は何てことをしたのかしら」
「今更悔やんでも遅いぞ!」
「うぅ、だって私はレニのことが大好きだから、それ以外のことは目に入らなくなることだって多々あったし」
騒然とする周囲に対し、レニもミラも「は?」という唖然とした顔をしていたが、アマンディーヌは盛大に懺悔を始めた。
「レニが士官学校の見学に行くときだって心配でたまらなくて先回りしてお兄様たちに上級生たちを叩きのめしてもらったし、貴族学校の卒業式で断罪されたらいけないと思って生徒会の面々を事故に見せかけて別の会場へ誘導したし、でもそれはあなたのためを思ってのことだったけど重かったのかもって今反省しているわ……」
「お前……そんなことまでして……」
「ごめんなさい、レニ! あなたのことを信頼していなかったようなものだわ! あなたならきっと貴族いじめをする士官学校の教官を懲らしめたり、生徒会の謀略だって片手間で対処できたでしょうに……! 私はなんてことを」
アマンディーヌは感極まって涙してしまう。いけない、淑女が涙を見せるのは心に決めた殿方の前だけなのに。
そう思って、アマンディーヌはドレスのレース袖で涙を拭いて、懺悔を再開する。
「それに、いつもレニに見惚れてぼうっとしていたから、そちらの彼女にも気付けなかったんだわ」
「そ、それよ! あなたがそうやって私を無視するから、他の令嬢たちも私に声をかけられなかったのよ」
「二日も会えない日があったから頭の中でレニの笑顔のバリエーションを整理していただけなの! 爽やかな笑顔を向けてくれるときは大体誤魔化そうとしていることがあったり、微笑みがぎこちないときは助けてくれの合図だったり、照れ隠しに顔を背けているときは絶対に覗き見てはいけないと分かっていても一番好きなお顔だから、水面やガラス窓でこっそり見たりしていただけなのよ!」
アマンディーヌの頭の中には、いつも笑顔のレニがいた。
明るい亜麻色の髪、澄んだ水色の瞳、背は高くてスラリと痩身で、どこか世話を焼かないといけない子どもっぽさがある。
散々な顔をしたミラが、大袈裟に呆れていた。
「……あなた、レニのこと、容姿しか見ていないのね!?」
「顔だけじゃないわ! 階段では必ずエスコートしてくれるし、レニったら自分が苦手な赤ワインはそっと遠ざけてしまうし、この間なんてお食事会でレニの嫌いなアンチョビペーストが出てきたから一皿食べられなくて私がこっそり給仕に取り替えてもらったりしたけど!」
「あ、あれはお前の仕業だったのか!」
「本当に悪かったと思っているわ。レニならそんなの気合いで何とかできたでしょうに、でもいつも先回りして助けてもらっているから、つい私もと思って空回りしてしまったの! 恥ずかしい!」
わっ、とアマンディーヌは両手で顔を覆った。
いつもいつも、アマンディーヌは自分のことが嫌いだった。女性にしては高い身長、黒いのに巻き髪で、白い肌は弱くてすぐに日焼けしてしまう。目の色も何の変哲もない濃い茶色だし、ドレスは派手な色が似合わない。
それなのに、目の前のミラは真逆だ。
小柄で、金色の髪は上手くまとまってアップにされ、くりっとしたお目目は猫を思わせる。ドレスはちょっと古風な緻密なレース主体だけど、スカートのふんわり具合はとても可愛らしい。
だから、アマンディーヌは余計にみじめだった。ミラのことは正直まったく思い出せないが、だからといって無視していいわけでもないし、ひょっとすると無意識のうちに嫉妬のあまり無視していたのかもしれなかった。
「レニ、こんな私のこと、幻滅したって仕方がないと思うわ。婚約破棄だって、宣告されても……私はどうすることもできない。あなたに負担をかけてごめんなさい、もっと早く知っていれば……ううん、今更もう遅いわ……うぅ」
アマンディーヌは嘘が下手だと、レニも知っている。
レニはその言い訳のような言葉が、不器用なアマンディーヌの本心だと分かっていた。
揺らぐレニは、声をかけようとする。
「アマン。お前は、どうして」
「あー! 待ってレニ、アマンディーヌはレニに近づくと思って私を無視したんじゃなくって!?」
「あ、ああ、そういう話だったな」
ミラに遮られ、レニは渋々本題に戻ってきた。
それに、しゃっくりを時々しつつも、アマンディーヌはさらに懺悔を加速させていく。
「正直に言えば、レニに近づく女性に嫉妬しなかったわけじゃないわ」
「ほら!」
「でも、ふと思ったの。私が大好きなレニの魅力を知っているのは、一人でも多いほうがいいのではないか、って」
「えっ」
「当然のことよね。レニほどの世紀の好青年がいたら、誰だって声をかけたくなるし、むしろレニへ嫉妬してしまうわ。だったらレニの魅力を余すところなく伝えて、誰からも好かれるように少し、すこーしだけお手伝いしましょうと思って」
「思って、何をしたんだ……?」
「レニからもらったラブレターの一文を、印刷所の活版印刷でたくさん刷って、知り合いの令嬢たちに渡したわ。レニはこんなにも素敵な文章を書く殿方で、私は婚約者だけれどレニはみんなのアイドルであって欲しいから」
「待て。待て待て待て! まさか、いや、どの……」
「あれは忘れもしない、昨秋の落ち葉が降り積もった林で歩いたときのこと。私は落ち葉の下に何があるか怖くて踏めないわと弱音を吐いたとき、レニは私を抱き抱えて落ち葉の上でタップダンスまでを披露してくれて……そのときの気持ちをこう記してくれたでしょう? 『怖がらなくていい、アマンがいれば虫がいようが落とし穴があろうが、踏み越えてみせるから』って」
「わーッ!?」
レニが慌ててアマンディーヌの口を手で塞ぐ。勢い余って唇に触れ、レニの手には大きな口紅の痕がついてしまった。
だが、アマンディーヌの悔恨はそれだけでは終わらない。
「それだけじゃないわ」
「まだあるのか!?」
「もうお腹いっぱいよ!」
しかし、レニもミラも、アマンディーヌの衝撃の告白を止められはしない。
「レニが悪徳貴族に好かれて夜伽を強いられては大変、と思って、先回りして警察総監のお父様と一緒に片っ端から男色趣味のある悪徳貴族を告発して国外追放したの……大丈夫よ、悪徳貴族だけだから、虚偽の罪は一切ないわ」
「うわっ……」
「えぇ……?」
「それも、私はレニのことを信じられていなかったからだわ……レニならそんな要求を跳ねつけるなんてわけないし、悪徳貴族がいれば自分の手で片をつけられるはずだもの。前に実家のランデュー公爵家にご挨拶に行ったとき、レニのお母上があまりのレニの可愛さに心配していたから、つい……」
好青年になる前のかつてのレニは、類稀なる美少年だった。そのことを知っているのは、少年時代を過ごした領地で一緒に暮らしていたレニの母や兄妹たちだけで、アマンディーヌはそのころのことは知らない。
だが、今でも人に好かれる婚約者だ。もし何かあったら、と思いつめ、その思いが暴走したことがある——その自覚は、アマンディーヌにはあった。
何もかもが、レニを思ってやったことだが、それがレニの望むことだったかと問われれば違うだろう、とアマンディーヌは今更ながらに打ちひしがれる。
結局、アマンディーヌはしょぼくれ、肩を落とし、どうしようもない状況なのだと悟り諦めてしまった。
そんなアマンディーヌを前にして、レニは真面目腐った顔で、こう告げた。
「……もういい。アマン、もういいんだ」
アマンディーヌの懺悔は、舞踏会のホールにいる全員が耳にしている。
とっくに音楽は止まり、ダンスに興じていた人々は耳を澄ませ、息を殺して三人の様子を窺っていた。
アマンディーヌの後悔、レニの真剣な表情、ミラの呆れ果てたため息。
アマンディーヌは、おそるおそるレニへ問う。
「それは、もう私にはそんなことをできないよう、婚約破棄するから……?」
「違う。誤解だった、お前が誰かに嫌がらせをするような心の狭い人間じゃないと、知っていたはずなのに」
「それこそ誤解よ! 私は狭量で、心配性で、あなたのことを思うと何も手につかなくなって……」
「だからだ。そんなにも愛してくれていたのに、どうして俺はお前を疑ったんだ」
しん、とホールは静まり返る。
ミラの主張がどうであれ、レニは婚約者へ向けて、婚約破棄を宣言するほど怒りを爆発させた。
そのことは、事実だ。
アマンディーヌは婚約者を愛するがゆえにしでかしてしまった数々の所業を暴露してしまい、結果的にレニも巻き込んでいるが、やらかしを反省していることもまた事実だ。
だから、ミラのため息が、殊更大きくホールに響いた。
「はあ……もういいわ、レニ。ごめんなさい、騒がせてしまって」
「ミラ、すまない。だが、無視されたことは事実なんだろう?」
「うーん、事実なんだけど、ちょっと違うの」
ミラは、あっけらかんと、自分もまた事実を口にする。
「あなたたち、気付かなかったの? 舞踏会で、誰も私のほうを見ていないじゃない」
そう言われて、アマンディーヌもレニも周囲を見渡す。
紳士淑女の視線は、確かに三人のほうを向いている。しかし、ミラだけへと注がれる視線はあるのか——どう見ても、ミラは通り過ぎ、アマンディーヌかレニへと視線は集中している。
まるで、ミラはそこにいないかのように。
それに気付いたせいか、ミラは少しだけ、その姿を透けさせていた。
「ごめんなさい、悪ノリしすぎたわ。私は幽霊だから、誰からも無視されていただけ。偶然レニがホールの前で私のことを見つけてくれたから、つい嬉しくて嘘を吐いてしまったの。私だって、昔、婚約破棄されたショックで自殺したのにね」
ふっ、とミラの寂しそうな笑みがこぼれた。
貴族の家は覚えきれないほどある。セーラ伯爵家というのは実在しているかもしれないが、ミラという令嬢のことは確認しなくては生死も分からない。
なのに、レニはさっき会っただけのミラの嘘に憤り、アマンディーヌを責め、なのに何だかおかしなことになってしまっていた。
バツが悪そうに、レニは頭を掻く。
「そう、だったのか」
「騙して悪かったわね」
「いや、君にも思うところがあったんだろう」
「それに、私はレニにたくさん告白できてよかったわ! 今までたくさん迷惑をかけてきてしまったけれど」
「だから、そんなことはない。アマン、もう気にするな」
何やかんやとアマンディーヌとレニは互いを気遣う。
その様子を見て、ミラはまた深くため息を吐き、それから祝福する。
「さようなら、邪魔してごめんなさいね。どうか、お幸せに」
ミラはそう言い残し、消えていった。
呆れたような、おかしいような微笑みを浮かべて。
嘘を吐いて誰かの怒りを焚き付けるほどの悪意は、かつての自分のような結末を見ずに済んだ安堵に変わっていたのだろう。
アマンディーヌとレニの言い合いが途切れたためか、音楽が再開した。
ここは舞踏会のホール、そもそも二人は婚約者として一緒に参加するために来た。
アマンディーヌは自分より少し背の高いレニへ向かい合い、レニも気恥ずかしげにアマンディーヌを見つめる。
「レニ」
「アマン」
互いの名を呼ぶだけでは、事態は進展しない。
そう思ったのか、レニはその場で片膝を床に突く。
「君にばかり告白させては悪いから、俺もやるよ」
それだけでは済まないが、と付け足して、レニはアマンディーヌの左手を取り、見上げる。
指輪はないが、その所作は見間違うはずもなく、プロポーズのものだ。
「結婚しよう、アマンディーヌ」
聴衆からは、興奮気味な歓声が一気に噴き上がる。
アマンディーヌは、涙が溢れて止まらない。
ただ、今回は止める理由がなかった。
「〜〜〜はいっ! お受けします!」
舞踏会のホールには、二人への祝福の声が絶えず響き渡る。
後日、アマンディーヌとレニは、セーラ伯爵令嬢ミラの墓参の旅に出た。
彼女のことを何も知らないから、とアマンディーヌはミラの人生について調べ、いつの日か彼女についての本を世に出そうと決めた——たくさんの感謝を込めて。