作品タイトル不明
第50話 エルロー地方ロッカ村の激突、二つの正義
『ヴァルゼン公家暦11年 6月中旬 エルロー地方、ロッカ村近郊 晴れ』
【公の右腕グレン伯爵視点】
収穫祭の熱気も冷めやらぬまま、俺たちは再び戦場に立っていた。
場所は、エルロー地方の中心部にほど近い、ロッカ村の近郊。あの黄金色の麦畑が遠くに見える、開けた平原だ。
初夏の日差しが、研ぎ澄まされた槍の穂先に反射し、チカチカと目を刺す。
目の前には、俺たちと寸分違わぬ布陣を敷く、敵の軍勢。
その数、およそ二千。
こちらとほぼ同数だが、その内実が違う。
後方に陣取るのは、明らかに装備も練度も劣る、あのミュラー伯爵の兵だ。
だが、その前面に展開する一団の殺気は、本物だった。
南方の異国を思わせる、独特の湾曲した剣『シャムシール』を腰に下げ、灼けた肌を晒した傭兵ども。
『ムンド傭兵団』。
そいつらが、まるで 主(あるじ) を守る牙のように、ミュラー伯爵の旗の前に布陣している。
俺の背後には、イリア率いる『銀狼傭兵団』と、ソフィア率いる『 紅豹(こうひょう) 傭兵団』、そしてハンスやヨセフたち、グレンフィルト本隊の兵がいる。
風が吹き抜ける。
金、銀、銅、鉄の四つの丸が描かれた俺の軍旗が、音を立ててはためく。
それは、城と門をあしらったミュラー伯爵の古びた軍旗と、真正面から睨み合っていた。
「……イリア、ソフィア。あのムンドとかいう男、どう見る」
「……やりにくそうだね。アタイらと同じ、プロの匂いがする」
「ええ。ですが、後ろのミュラー伯爵の兵は、ただの農民ですわ。あそこが崩れれば……」
ソフィアが冷静に分析する。
その時、敵陣から一騎、馬がゆっくりと進み出てきた。
浅黒い肌に、精悍な顔つき。腰には一際大きなシャムシールを差した、ムンド本人だ。
俺も馬を進め、両軍の中間地点で、その男と対峙した。
「アンタが、あの『ヘルデンの英雄』さんか。グレン伯爵」
ムンドは、まるで世間話でもするかのように、気安く声をかけてきた。
「いかにも。俺がグレンだ。エルロー地方は、俺が『保護』下に置いたはずだ。それを、無断で踏みにじるのは、どういう了見だ?」
「『保護』? そりゃあ、聞こえがいいな」
ムンドは、喉の奥で笑った。
「俺の雇い主は、ミュラー伯爵だ。あんたが来る前から、この地を治めていた『正統』な領主サマだ。俺たちは、その領主様の統治を『再開』するために来たにすぎん。金で雇われた、ただの傭兵だ。……邪魔をするなら、アンタこそが侵略者だぜ、伯爵」
正義、か。
こいつにも、こいつなりの理屈があるらしい。
だが、俺の正義は一つだ。
「……あの村で、俺の民が麦を育て、収穫した。その豊かな実りを、お前たちの雇い主のような『病人』に、これ以上くれてやるつもりはない」
「ファッ……! 病、ね。違いない。だが、俺はそいつから金をもらっているんでな」
「ならば、決裂だ」
「ああ。――戦場で、アンタの『英雄』とやらが、どれほどのものか、見させてもらうぜ!」
ムンドが馬首を返す。俺も、自陣へと戻った。
俺は、鞘から剣を抜き放ち、それを高く掲げた。
「全軍、突撃だ! 狙うはミュラー伯爵の旗! あの蛇の首を落とせ!」
『『『オオオオオオオオオッ!!!』』』
地鳴りのような雄叫びと共に、グレンフィルト軍が、怒涛の勢いで平原を駆け抜けた!
それに応じ、ムンド傭兵団も、ミュラー伯爵の兵を守るように、重々しく前進を開始する。
そして、戦場で最初に激突したのは、俺とムンド、両軍の 頭(かしら) だった。
「――そこだぁっ!」
俺は、雑兵上がりの勘で、ムンド本人へと狙いを定めた。指揮官が崩れればこの軍は弱いと見た。
だが、ムンドも、俺が来ることを見越していたかのように、そのシャムシールで俺の剣を受け止めた!
キィィィンッ!
耳をつんざくような甲高い金属音。
重い。
湾曲した、見慣れない剣だ。
俺の剣が、まるで粘りつくような軌道で弾かれる。
「速い! だが、雑だぜ、伯爵!」
ムンドのシャムシールが、蛇のように、予測不能な角度から俺に襲いかかる。
俺は、ヴァルゼン公との稽古を思い出しながら、その猛攻を必死で防いだ。
こいつ、強い!
イリアやソフィアとは、まったく違う剣筋だ!
俺とムンドが、互いに一歩も引かぬ死闘を演じている間、両軍はすでに入り乱れての乱戦となっていた。
「雑魚は引っ込んでな!」
イリアの『銀狼傭兵団』が、雄叫びを上げながら、戦場で最も脆い部分――ミュラー伯爵の兵に牙を突き立てる。
「隊列を組め! 一斉に突き出せ!」
ソフィアの『 紅豹(こうひょう) 傭兵団』は、その冷静な指揮で、手強いムンド傭兵団の側面を的確に攻撃し、戦線を支えていた。
「ハンス、右だ!」
「ヨセフ、任せろ!」
俺の訓練を受けたグレンフィルト本隊も、恐怖に耐えながら、二人一組で敵兵を確実に仕留めていく。
戦いは、徐々にグレンフィルト側有利となっていった。
やはり、崩れたのはミュラー伯爵の兵だった。
ムンド傭兵団そのものは、ソフィアの部隊と互角以上に渡り合うほど強かった。
だが、彼らが守るべき「本隊」が、イリアの猛攻の前に、あまりにも脆く崩れ去ったのだ。
「なっ!? おい、逃げるな貴様ら!」
「ダメだ! 銀狼だ! 死にたくない!」
一度空いた穴は、もう塞がらない。
ミュラー伯爵の兵が我先にと逃げ出し、ムンド傭兵団は、敵、つまり、グレンフィルト軍の真っ只中に取り残される形となった。
「……チッ! あのクソ伯爵のザコども、役立たずが!」
俺と剣を交えていたムンドが、初めて焦りの色を見せた。
ヤツは、俺の剣を渾身の力で弾き飛ばすと、生き残った部下たちに向かって絶叫した。
「全軍、撤退だ! ミュラーブルクへ退くぞ! 俺が 殿(しんがり) を務める!」
「逃がすか!」
俺は、即座にムンドを追撃する。
だが、この男、退き際までもが尋常ではなかった。
「伯爵の相手は、この俺がする!」
ムンドは、数名の部下を文字通り「盾」にしながら、そのシャムシールで恐るべき剣の壁を作り出す。
俺は激しく攻めたてるが、湾曲した剣が、こちらの攻撃を巧みに受け流し、致命傷を与えさせない。
「イリア! ソフィア! 回り込め!」
「わかってる!」
「逃しませんわ!」
三方向から同時に仕掛けるが、ムンドは、まるで泥の中を泳ぐ大蛇のように、その包囲網をすり抜けていく。
「くそっ! 討ち取りきれん……!」
俺が、最後の盾となった傭兵を斬り伏せた時、ムンドの背中は、すでに遥か後方だった。
ヤツは、自らの部下を三割近く失いながらも、その身一つで戦場から脱出してしまった。
「…………」
戦は、終わった。
ムンド傭兵団は壊滅的な打撃を受けたが、その頭領を逃してしまった。
そして、平原には、逃げ遅れたミュラー伯爵の兵たちの、無数の冷たくなった 躯(むくろ) が転がっていた。
初夏の日差しが、やけに強く、彼らが流した血を照らし、乾かしていた。