軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

お父様と私

さて、つかまり立ちができるようになってしまったので、私のベッドは落ちても大丈夫なように、かなり低いものに替えられた。柵を高くするのが一般的だが、私はよく動くのでいっそのことベッドから自由に下りられるようにしたということだ。

兄さまが使っていた椅子やテーブル、そして持ってきてくれた絵本やおもちゃはそのまま置いておいてくれているので、兄さまがいなくても退屈はしなくなった。それにいつもハンナがまじめな顔をしてそばにいてくれるから、ちょっとうっとうしいけどさみしくはなくなった。

兄さまが読んでくれた本を何度も読んでもらって、少しずつ字を覚えていく。生まれ変わったとはいえ、魔法のある世界ではなさそうだし、一般人の知識がこの世界で何の役に立つとも思えない。できるのはちゃんと体を作って知識を蓄えることだけだろう。

しかし、つかまり立ちとハイハイで動けるようになってきた私には、少々自分の部屋だけでは物足りなくなってきていた。もう少し広い所を動いてみたい。そう願っていたら、チャンスが訪れた。

ある日昼寝から覚めたら、部屋に誰もいなかった。最近たいていはハンナがいるのだが、用事でどこかに行ってしまったようだ。暑いので窓が開いているが、頬を撫でる風がいつもと違う。もしかしてと思いドアを見ると、ほんの少し開いていた。チャンス到来!

私はまだ少し眠い自分に気合を入れると、低いベッドから慎重に降り、床にスタンバイした。

ドアまで這って行くと、ドアの隙間に頭を入れて、むりむりと這い出る。危ないからよい子は真似しちゃだめだが、これで無事にドアから出られた。一度お座りして周りを眺めてみる。ただの廊下なのに、ワゴンを押したメイドさんが余裕ですれ違えるほど広い。右手のほうはなんだかすぐ突き当たりのようなので、左手に向かって進もう。それにしても広いな。

後で知ったが、私の部屋は東棟の端っこで、お母様の部屋のすぐ近くだったそうだ。お母様が亡くなってからは、手入れはされているもののほとんどだれも来ることのない、さみしい場所になっていたようだ。

ではなぜセバスや兄さまやお父様が顔を出したのか。セバスは私が気になってしょっちゅう来ていたし、兄さまは気持ちが落ち着いてお母様の部屋にやっと来れるようになったら私がいて興味を持ったのだし、お父様はお母様の思い出をたどるために、人のいない時に静かに来ていたらしい。

ちょっとくらいは赤子を見ようとは思わなかったのかね、まったく。

私は偶然にも中央に向けて這っていたらしく、時々お座りして休みながらも這っていると、高級そうな革靴が視界に入った。どうも夢中になっている間に、誰かの足元まで這っていたらしい。

しかし、その革靴の持ち主は何も言わない。

よし、見なかったことにしよう。

私は方向を少し変えて、その革靴の人の横を通って進んだ。

「待て」

ついに声をかけられてしまい、うっかり一瞬止まってしまったが、私は赤ちゃんなので、待ての意味は分からない。うん。お父様のような気がするが、無視しよう。私は高速でハイハイを再開した。

「待てと言っている」

私は赤ちゃんなので聞こえない。知らんぷりをして進む。お、向こうにあるのは階段ではないか? 低いベッドから下りる要領でいけば、そろそろ階段も何とかなるだろう。

「待て!」

今度の声は頭の上からした。と同時に、背中がグイッと引っ張られる。

「だーう」

「待てと言っているのに。聞こえないのか、お前は」

どうやら背中の服をつかまれているらしい。私は念のため手足を動かしてみた。進まない。

「だーう」

離してほしいが、父親に愛想を売るのも嫌だ。

「だーい、だーう、えーい、あー」

不満を垂れ流しておこう。

「いったい何がしたいのだ、これは」

「えーい」

お散歩ですよ、ほっといてくれませんかね。すると、その背中の服をつかまれたまま、私はグイッと持ち上げられた。猫の子を持つようにだ。はあ? 苦しいんですけど。

「だーい!」

「お前……」

初めて近くで目を合わせたかもしれない。その人はやっぱり長い金髪を後ろでまとめていて、切れ長の淡い紫色の瞳をしていた。私はふっと目をそらすと、力を抜いて、ため息をついた。

「クレア……」

お母様がどうかしたかね。

「そうやって、クレアもいつも私に、しようがないわね、という顔をして、いつも……」

本当にしようがないやつだからじゃね?

「だーい」

私は一応返事をしてあげた。お父様ははっと気づくと、私をそっと地面に降ろし、逃げないように足の間に挟んだ。ちょっと、逃げないようになら抱っこするとか何かあるんじゃないの?

「誰か!」

そのお父様の声に、どこにいたのか、使用人がわらわらと湧いてきた。

「これを、これが」

リーリアと言えばいいんじゃね?

お父様が目を下げて私を見るのと同時に、使用人の目も私に下がった。

「あー、階段から落ちそうだったので捕獲、いや、捕まえ、いや、押さえているので、部屋に戻すように」

その時、ハンナがエプロンで手を拭きながら急いでやって来た。

「リーリア様!」

「目を離したのか」

「すみません、お嬢様はいつもよくお昼寝なさるので、厨房の手伝いをしておりました」

ハンナは青くなって頭を下げている。何を怒っているんだか。そもそもついこないだまで、マーサ以外はほとんど誰もいないで一日を過ごしていたんだからね。

私はちょっと腹を立ててお父様の足をパンパンと叩いた。

「だい、だいー、まー」

「リーリア様、ありがとうございます」

「ありがとうって、何を言っている」

ハンナの言葉にお父様がいぶかしげな顔をすると、セバスが近くまで来てきてこう説明した。

「ハンナを怒らないで、と言っているのですよ」

「ダーとしか言っていない」

「表情と言い方でなんとかわかるものでございます、さ、リーリア様、こちらに」

セバスは私を抱き上げてくれた。はーやれやれ。

その時集まっていた使用人たちにざわめきが起きた。階段の上に立つ当主。その横には、当主そのままの髪色と瞳の赤子がいて見つめ合っている。どう見ても親子だ。

「だうだーう」

もう少し外で遊びたい。そう言う私にお父様は、

「部屋に戻せ」

と冷たく言った。

「だーい」

私はそう言うと、目をそらしてふっとため息をついた。駄目な大人だよ、あんたは。

「クレア……」

「本当に、色合いこそ侯爵家のモノであっても、顔立ちは本当にクレア様にそっくりにございますよ、リーリア様は」

お父様のつぶやきに、セバスはそう答えて私をゆすり上げた。セバスがずっとこれをお父様に言いたかったことを私は知っている。

「ふっ、だい、えーい」

私はお父様を横目で見て、ふっと笑い首を振った。

「クレアも、そうして……」

本当に困った人だったんだね、お父様は。

「よい、部屋にもどせ」

結局部屋に戻される私だった。