軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

子どもはみんな

「ふんふんふーん」

家に帰ってきた私はご機嫌である。

「リア様、ようございましたね」

普段は無口なナタリーも私につられて口元に笑みを浮かべている。

「うん! こんどはいつあえるかなあ」

「そうですね。今日のリア様のご様子からして、短時間の外出ならもう大丈夫でしょう。ルーク様に直接お聞きになってもよいかと思いますよ」

「やった!」

ナタリーも会ったばかりのころと比べるとだいぶ話すようになった。

「ふわあー」

夕ご飯もまだだというのになんだか眠い。

結局夕ご飯の最中に寝てしまって、おいしいデザートは食べられなかった。

だが、問題ない。

「やっとレポートが全部終わって、私も今日から夏休みです」

「わーい!」

今日から毎日兄さまが一緒なのだ。

それから何日かの間、本当に兄さまがそばにいてくれて、私には天国だった。

兄さまが忙しいときも、勉強する隣で、あるいは足元で、本を読んだり絵を描いたりすれば、それだけで心が満たされる。夜でさえ旅の狭い宿のように一緒に寝てくれるから、毎日お布団に潜り込むのが楽しくて仕方がない。

思えば、ウェスターではいつも誰かがそばにいてくれた。

危険がいっぱいで屋敷の中にとどまらなくてはいけない時でさえ、ニコが一緒で、時にはエイミーみたいな友だちやアリスターやバートもいて、退屈することなどない。

だが、オールバンスの屋敷に戻ってみれば、いつかウェスターから帰ってきた時と同じように、誰もいない、空虚な日々が待っているだけだったのだ。

私だって、前の自分とは違う。寂しい気持ち、退屈な気持ちをちゃんとお父様や兄さまに伝えて、待遇改善の努力をしている。それでも、その要求はすべてかなえられるわけではない。夏休みになって、本当によかったとニコニコしてしまう。

「リアは楽しそうですね」

兄さまが微笑む。見上げれば兄さまのサラサラの金髪が頬にかかり、生真面目な横顔を縁取っているのがなんだか楽しい。あれ?

「にいさま、めのしたがあおい? くろい?」

「目の下ですか?」

兄さまがペンを置いて両手を頬に当てた。一見恋する乙女のようだが、手で頬を引っ張っているため、白目が出て変な顔になっている。

「にいさま、へんなかお。フフフ」

「変な顔って、これでも学院ではけっこう人気らしいですよ」

「にいさまはにんきもの。フフッ」

「本当ですよ? ちゃんと人気者なんですから」

一度笑い出すとなんだか楽しい。だが、兄さまの顔色に気がついてから周りをよく見てみると、ハンスもナタリーも、他の皆もなんだか顔色がよくない気がする。

城から帰ってきたお父様もよく見ると、眉間にしわを寄せている。

いや、しわはいつものことだが、いつもより谷が深い気がする。

帰ってくるなり私を抱き上げたお父様のしわを、私は両手で一生懸命伸ばしてみた。

「何をしているのだ? リア」

「おとうさまのしわをのばしてるの」

「お父様にはしわなどないが」

「ブッフォ」

ここでハンスが我慢できずに吹き出してしまった。

「ハンス、しっかく。ナタリーをみならって」

「そりゃあないですよ、リア様」

「あれ」

お父様のしわにばかり注意が向いていたが、よく見るとお父様の目の下にもクマができている。

「あれれ」

私は自分の頬に両手を当てた。

そうすると確かに兄さまみたいに白目が出て変な顔になるのだが、今はそれが問題なのではない。

「リアのめのしたも、くろい?」

ぷっくりとした健康そうなほっぺは、ウェスターの王子様のヒューをも虜にした自慢の逸品なのに、クマでだいなしではないか。

「りあ、ねぶそく? たいへん、いっぱいねなきゃ」

途端にお父様が鏡から目をそらさせるように、ぎゅっと私を抱きしめた。

「そうだぞ。いっぱい寝ないと、大きくなれないからな」

「はーい」

寝るのは得意だし、大好きだ。

「今日はお父様と一緒に寝ないか?」

「ねるー!」

兄さまと寝るのもいいが、お父様と寝るのもいい。きっと兄さまとお父様はどっちと寝るかケンカになって、結局は三人で寝ることになるのだろう。

夏休みになって、お兄様がいて、お父様がいて、ご飯もいっぱい食べられる。ついこの間とは違う、充実した毎日が素晴らしい。できれば毎日ニコとクリスとも遊びたいが、ぜいたくは言ってはいけないのである。

結局兄さまとお父様に挟まれて寝たせいで、眠りが浅かったのだろう。

私は夢を見た。

いや、いつもだって夢は見ているのだが、起きた途端に楽しい気持ちだけが残ってすぐに忘れてしまうのだ。

私は草原にいるらしい。頬に当たる風が、ここはウェスターだよと知らせてくれるから、きっとそうなのだろう。見上げれば星が瞬く空は暗いのに、地平を見やればほのかに明るい。

「あのひ、みたそら」

誰もが口をつぐんで話さない、イースターの第三王子がいなくなった日の朝も、こうして夜が明けようとしていた。

「キーエ」

「キーエ」

「らぐりゅう」

どうしたの、こんな夜に一人でと心配そうな声を出すラグ竜が、いつの間にか私の周りを囲んでいた。

「キーエ」

ほら、これを食べなさいと、ラグ竜が目の前に落としたのは葉の柔らかい新鮮な草だ。

ぽす、ぽすと落とされる草が私の前に山盛りになる。

「おかしいよな、そいつら、いつも草を持ってくるんだ」

その声に私はぱっと振り向いた。さっきまでラグ竜の気配も、人の気配もしなかったのに。

「いくら腹が減っても、草なんて食べれやしないのにさ」

「ニコ?」

ニコではない。だが、夜でもわかる、金色の髪にトウモロコシのような黄色の瞳の子どもなんて、ニコしか知らない。

「ニコよりおおきい」

「ニコがだれだか知らないけど、ここにはいないぜ」

見渡しても、少年とラグ竜の他は草原には風が吹き渡るだけだ。

薄汚れた服と顔、細い手足と顔に目だけがきつく吊り上がっている。

ニコではない、お腹のすいた少年だ。

私は、ポケットをごそごそと探る。

「なにもない」

「そんなちっちゃなポケットになにか入ってるわけがないだろ」

少年の目は何もかもあきらめているようだった。

たまにおやつを入れっぱなしにしていることもあるが、今日ははずれだったようだ。

では、肩にかけているラグ竜のポケットには?

「さいきんはませきがはいってたけど、いまはゆめのなか」

どうしてだろうか。今は夢の中にいると、はっきりわかっている。

だって、さっきまでキングダムの王都のオールバンスのお屋敷で、兄さまとお父様に挟まれてぬくぬくと眠っていたのだ。ウェスターにいるはずなどない。

「ゆめだから、ほしいものはあるはず」

少年のお腹がすいているのだから、何はともあれパンである。

「パン、パン」

そもそもラグ竜のポケットには、小さいものしか入らないのだが、私は一所懸命祈った。

そーっと手を入れると、固い黒パンが出てきた。

「パンだ! はいっ!」

私は少年にパンを差し出した。

少年は手を出そうといて、諦めたように目を背け、座り込んだ。

「お前どっかのおじょうさまだろ。おじょうさまからパンを取り上げたって、後で怒られて殴られるのはごめんだ」

「おじょうさまだけど、だいじょうぶ」

私はニコニコとパンを差し出す。

「自分でおじょうさまって言うかよ。まあ、いいや」

お腹がすいてどうしようもなかったのだろう。

少年はパンを奪い取るようにして、急いで食べ始めた。

私はもう一度ラグ竜のポケットに手を入れる。

「リンゴに、パン、ウェリぐり、ノイチゴ」

一度出たら、どんどん出てくる。不思議なラインナップだと自分でも思う。

なぜいつも食べているおいしい白パンを出してあげないのか。

ここは夢だというのに。

その答えは、夢の中の自分が知っていた。

「らぐりゅう、これ、おぼえて」

「キーエ?」

私はラグ竜の鼻もとにリンゴやパンを差し出した。

「ひとのこは、くさをたべられないの。パンやきのみ、くさのみならたべられる」

「キーエ」

「キーエ」

これなら知っているわ。

見たことがあるの。

「お前、ラグ竜が何を言っているのかわかるのか」

「うん。なんとなく。はい」

私は少年に、ラグ竜に匂いをかがせていたパンやリンゴを手渡した。

「これもたべて」

「あ、りがとう」

少年は今度は、おずおずと両手を出して食べ物を受け取った。

地平はだんだんと明るさを増し、空に手をかざすと私のぷっくりした手がとてもかわいらしい。

「キーエ」

ぽすり。

自慢そうなラグ竜が落としたのは、ノイチゴが付いた枝だ。

「キーエ!」

この実がある場所を、ちゃんと覚えていたのよ。

「えらい! すごい!」

「キーエ!」

「キーエ!」

ラグ竜が喜びの声を上げる。

「キーエ」

これでこの子もお腹をすかせずにすむかしら。

「うん。あのね」

驚いてノイチゴの枝をしげしげと眺めている少年に、私は言った。

「これならおなかをすかせずにすむのかっていってる」

「ああ」

少年はノイチゴをつかんだ手と反対の手を、ラグ竜に伸ばした。

「ありがとうな。おれにもお前の言葉がわかったらよかったのに」

「キーエ」

愛しい子。大きくおなり。

通じているような、通じていないような。

あの時と同じ、言葉はすれ違っていても、確かにそこに愛情はあった。

ふと地平のかなたから、誰かが呼ぶ声がするような気がした。

「リア、いかなきゃ」

「リアっていうのか。おれはね」

どんどん明るくなる中、少年の姿も光に溶けていく。

「リア、しってる。なまえは、サイラス」

毎日、毎日、夢の中でパンを食べさせようとしていた少年の名だ。

「やっと、パンをあげることができた」

「そうか。よかったな」

見上げるとお父様が朝の柔らかな光の中に立っている。

草原はどこにもない。

そもそも、夜に虚族が出ない草原などウェスターにはない。

周りを見渡すと、そこは玄関ホールで、お父様だけでなく、兄さまも、ナタリーも、夜は護衛の担当外のハンスまで、寝不足の顔で立っていた。

「おとうさま。だっこ。あれ?」

抱っこをねだって伸ばした手には、白いパンがしっかりと握られていた。

「ここに来る前に、リアが自分で厨房に寄って確保していた」

「さすがわたし」

記憶にはないが、食料を確保するあたり、危機管理がしっかりしている。

お父様はパンごと私を抱き上げると、ゆらゆらと揺らす。

「ウェスターから帰ってきてすぐのことだ」

お父様は、ゆっくりと話し始めた。

「明け方、リアが玄関から外に出ようとしていると、夜番の使用人が呼びに来た」

私がさらわれて戻ってきてからは、ハンスが昼の護衛に付いてくれているが、夜にも部屋の外に人がいるし、屋敷を巡回する警護の者もいる。それが夜番の使用人である。

その夜番のものが言うには、私は朝方になると寝間着のまま部屋から滑り出て、厨房に寄ってパンをごそごそと探し出しその後で玄関から外に出ようとしていたという。

厨房にいってパンを探す前に声をかけて止めてくれればよかったのにと思う私は、間違っているだろうか。

「声をかけても止まらず、『パンを』『パンをわたさなきゃ』というばかりで、目を離すわけにも、抱き上げるわけにもいかず、ぎりぎりまで見守っていたそうだ」

「パンを……。そうか」

私は手に握ったままの白いパンを見た。

「オールバンスにでるゆうれい。リアのことだった」

どうりで誰もが真実を隠そうとするはずだ。

「すまない」

「どうしておとうさまがあやまるの?」

「前回ウェスターから帰ってきた時もそうだった。リアを大事と言いながら、仕事を減らしもせず、一人きりにさせたから……」

私はお父様の首元に、気にしていないよというように顔を寄せた。

確かに寂しいけれど、父親に仕事をさぼらせるわけにはいかない。

「私もです。レポートなど書かなくても学院の範囲などすべて履修済みだというのに、学院も融通がきかなくて」

兄さまも悔やんでいるようだが、もちろん、学生に学校をさぼらせるわけにもいかない。

「リアにわからぬように、医者に見せたりもしたのだが、精神的なストレスが原因だろうと、そのうち治るだろうとしか言わなくてな。精神的なストレスなど、言うまでもなく心当たりがありすぎる」

私自身に秘密にしていた私の夜歩きについて、やっと話せたのが嬉しいのか、話が止まらない。

「ご当主様。温かいものを用意しましたので、リア様をお部屋までお願いできますか」

執事のジュードが声をかけて、やっと私の部屋に移動することができた。

「もうひと眠りしたほうがいいとは思うが、夜歩きでリアが目覚めたのはこれが初めてだ。わかる範囲でいいのだが、リアの中で何が起きていたのか説明できるだろうか」

お父様に続いて、兄さまも問いかけてきた。

「ウェスターで大変な経験をしたのは一緒にいた私はわかっています。ですが、なぜパンを?」

既に眠くなっていた私だが、夢からはっきり冷めたせいか、今まで何が起きていたのか、説明できるような気がしていた。

「リアね、ゆめでサイラスにあっていたの」

端的に言えば、これだろう。

「サイラス! 死んでまでリアを苦しめるとは!」

「くるしめてないよ。にいさま、だいじょうぶ」

兄さまがあんまり怒るので、私は逆に笑い出しそうになってしまう。

「やはり目の前で人が亡くなるのを見てしまったからでしょうか。死ぬならひっそりといなくなればいいものを」

兄さまが恨み骨髄といった感じである。

「たぶん、そうじゃないの」

虚族に人が殺されるのは、しんとした悲しみが残るけれど、血が出るわけではないから、そこまで私に影響があったとは思わない。サイラスよりよほど大切なハンナがなくなったときだってちゃんと乗り越えてきたのだ。

それよりも私の心に残ったのは、サイラスとラグ竜の小さい頃からのつながりとすれ違いだ。

私は食べることが大好きだ。愛していると言ってもいい。

だからお腹がすくのは大嫌いだ。

自分じゃなくても、小さい子どもがお腹がすいてどうしようもなかった話を聞いてしまったのが、いつまでも心に残っていたのだろう。

「サイラスは、ちいさいころ、ごはんがたべられなくて、そうげんでラグりゅうとすごしてた」

「残念ながら、疎まれれば、そういうこともあるだろうな」

お父様にはわからないのだ。空腹が何かということさえ、きっと知らない。

「ラグりゅうはサイラスのかりおやとなり、ごはんをくれた。でも」

「ラグ竜の主食は草です。人間の食べられるものは、持ってこられなかったということですね」

兄さまもその場にいてラグ竜の話をきいていたから、私の言いたいことがわかるのだろう。

「たべないサイラスをしんぱいして、もっとくさをあつめるラグりゅう。ラグりゅうのやさしさはわかっても、おなかがすいてどうしようもないサイラス。せめてリアがともだちだったら」

「リア!」

年も違う。国も違う。

だが、私はこの国の王族とも、ウェスターの王族とも、そしてファーランドの王族とも友だちだ。

ありえないとわかっていても、イースターの王子であるサイラスが子どものころに、私がいて、ラグ竜とつないであげられたらと思ってしまったのだと思う。

「たぶん、ずっとゆめのなかに、パンをもっていこうとしていたの」

「サイラスに渡すため、ですか」

「そう。そして」

長い話に、だんだんと瞼が重くなってくる。

「ラグりゅうに、にんげんのたべものをおぼえてもらうため。そしたらリアがいなくても、きっとサイラスはおなかがいっぱい」

パンは持ってこられなくても、ノイチゴやウェリ栗があれば、サイラスならあとは自分でなんとかするだろう。

「リアがどうがんばったって、あいつはもういないんですよ。何をしても結果が変わることはないし、ましてや夢の中のことです。なぜそこまで……」

わからない。ベッドの上を見ても、そこに夜空はない。

「こどもはみんな、おなかいっぱいがいい」

目をつぶれば、パンにかじりつく黄色い瞳の男の子が笑っていて、ラグ竜が楽しそうにキーエと鳴く。

「もう、パンをあげなくてもだいじょうぶ」

明日からは、オールバンスの幽霊はきっといなくなるだろう。