軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

curtain call 忠臣の止まり木

「また今年も、夏が来ますね……」

赤毛の侍女は主人の髪を梳りながら窓の外に視線を向ける。

「そうね…もう何年目かしら…彼女の居ない夏は…」

「32年になります」

侍女は主人に答えた。即答と言える程にその答えは早かった。

彼女が荷物をまとめ屋敷を後にしたのは、敬愛する元主人が屋敷を出て数日した頃だった。

敬愛する前主人と最後の言葉を交わしたのは建国祭の日だった。

「スピカ様、貴女がこのお屋敷を出て行ったら私もうこの屋敷から出ていこうと思うんです」

スピカは困惑した顔でアリッサに向き合う。

「そんな…頑張っていたのにどうして…」

「私が頑張れたのは貴女がいたからなんですよ。スピカ様がいなくなってしまったら私が頑張る意味がありません。

私気付いちゃったんです。貴女以外にわたくしの主人はいません。だからスピカ様が戻ってきたときに一流の侍女としておそばにいられるようこの屋敷を出ていこうと思ったんです」

「行くあてはあるの?」

スピカはアリッサから視線を外さない。

アリッサは居心地悪そうに視線を外した。

「えっとそれは まあどうにかなると思います。どこだって人不足ですからね」

どうやら当てもコネも無いらしい。

「それなら少しの間でもここを頼ってみてはどうかしら」

呆れ混じりにスピカは紙に何かを書き起こして渡してくれた。

スピカの差し出した紙に書かれていたのは彼女の友人の名だった。

本来であれば縁続きになることなど難しいであろう高位の貴族の令嬢である

「よろしいのですか?だってこの方は…」

「雇ってもらえるかはアリッサ次第よ。それとこれは私からの餞別…最後の贈り物だから…」

もうアリッサはスピカの覚悟を知っている。この先何があろうと揺るぐ事が無い決意である事もわかってしまっている。

「ねぇ、アリッサ。私は貴女が居てくれて本当に幸せだったのよ。だから私に縛られないで貴女の幸せのために生きて頂戴」

スピカの瞳からは大粒の涙が一筋溢れた。

「スピカ様、私の幸せは私が決めます。だから先の未来でお側に私が駆け付けたら、その時はお世話をさせてくださいませ」

2人は熱い抱擁で別れを惜しんだ。

アリッサが屋敷を出る時には母親であるマアサと正面からぶつかった。物理ではなく言葉による殴り合いと言っても良かった。

最後にとアリッサは侍女長へ辞表を投げつける。

それはマアサの頬に良い音をたててぶつかった。

「貴女の事はもう母親だとは思わない。尊敬すべき侍女の先輩だとも思えない。私の人生から貴女を切り離すわ!さようなら」

「待ちなさい!アリッサ!貴女はステラ様と共に皇家へ行かなければ行けないのよ!誰がお嬢様を支えて差し上げると言うの‼︎アリッサ‼︎」

アリッサは母の叫びなど聞く耳も持たず、そのまま大きな鞄を一つ抱えて屋敷を後にした。

17年共に育った屋敷ではあったがアリッサにとってそこはすでに抜け殻だったのだ。

そのまま彼女は振り返る事なく別の屋敷を目指した。

一年後、アリッサの姿は皇城の中にあった。

次期大公妃、パトリシアの輿入れ侍女の1人だった。

しかし此処でアリッサは1人仕事を黙々とこなす姿しか見せない。

「ごめんなさいね、アリッサ。私の侍女達も誇り高くって…」

「いえ、パトリシア様。当然の事で御座います。私は私の出来ることで御恩返し出来ればそれで良いのです」

気の毒そうに眉を顰めるパトリシアにアリッサは朗らかに微笑んでみせた。

アリッサは屋敷を出て直ぐにミッツバーグ公爵家へと向かい、パトリシアへスピカの推薦状を携えて面会を果たした。

その際アリッサは言った。

「私の心の内には既にお仕えすべき主人がおります。それでも私をお雇い下さいますか?私は真の主人がお戻りになったら、かの方の元へと戻りたく存じます」

パトリシアの脳裏には友の顔が浮かび、その願いが叶う未来が遠い事を憂いた。

「いいわ。私がパールが戻って来るまでの貴女の止まり木として枝を貸しましょう」

しかしその場にいたパトリシアの侍女達はアリッサを認めなかった。仕えるべき主人に忠誠を誓わず既に心に別の主人を抱くなど、パトリシアに対する裏切りであり、冒涜だと感じたのだろう。

更には胸に抱く主人が帰ったら居なくなるのだというのだから…

そんな主人を想う使用人達との軋轢にもアリッサは耐えた。真の主人を胸に抱く彼女にだって、己の主人に真摯では無い人を主人に近づけたく無い思いは分かるのだから。

だからこそアリッサは人の何倍も仕事をこなした。

本来ならやる必要のない下働きの仕事も率先して行った。

途中、以前仕えていた女性の死を知らされたが、自分の主人を苦しめた元凶の儚さに思うところは無かった。

ステラ嬢を憎んでもスピカ様はお戻りになられない…

何処か悟った様に仕事をこなした。

以前の出仕先であるエメンタール家の惨状と事実も聞こえてきた。

あれだけスピカ様を蔑ろにしておいて、己達が悲劇の主人公の様に振る舞う様には正直、どの面下げてと悪態が喉元に迫り上がってきた。

しかしそれを言った所で彼女の運命は変わらない。

母であった人は父から離縁され今は元伯爵となったスピカの両親と共にエメンタールの地に渡ったと言う。

時折息災かとの手紙が来るが、その返事をする事は無かった。かの人は手紙すら書く事が叶わないのにとの思いや、率先して自分の母が自分が主人と敬愛する人を蔑ろにしていた事実が許せなかった。

真面目に仕事をしていたおかげもあって、アリッサが信頼を勝ち取る程の年月が過ぎた。それだけの実力も彼女にはあったし、彼女の仕事に一分の隙もなかった。

今や自分の心の主人で幼馴染は帝国の大聖女様である。

アリッサの仕事場も皇城から北の大領地へと移り、寄生木の主人は大公妃として忙しい日々を送っている。

アリッサにも言い寄る人はいた。

大公妃付きの侍女であればそう言った輩も居るのかと邪険にしたが、本当にアリッサを見初めての求婚だった。

しかしアリッサはその想いを受け取る事は無かった。

主人よりも先に家庭を持つなど考えられなかった。

そのうちにアリッサは大公妃の古参侍女としての日々をただ粛々とこなす日々になった。

しかしながら心の内にはスピカに対する忠誠が静かに燃えている事をパトリシアは知っていた。

涙の別れから48年目の春、その知らせは国中に告示された。エメンタールの地にてお役目を果たす大聖女様の代替わりの告示だった。

それは国中を騒がせた。年頃の令嬢のいる家は挙って名乗りをあげ、我が娘がその後任となれるようにと教会に巨額の寄進をする家が後を絶たなかった。

パトリシアの孫娘も5人が立候補した。そのうち2人は最終選考まで上り詰めたが最後にその席を手に入れたのは別の令嬢だった。

少女達はその清々しいまでに己を磨く潔い戦いに禍根も無く次代となる少女を送り出した。

「パトリシア様、お暇を頂戴したく参りました」

その年の夏アリッサは大公妃へと願い出た。パトリシアは優雅に微笑む。

「止まり木から本当の主人の元へと帰るのね…寂しくなるけれどそれが貴女の望みですもの。今日までありがとう」

そう言ってアリッサを快く送り出してくれた。

アリッサがエメンタールの領都キイワに着いたのは建国祭の賑わいと大聖女の代替わりとで祝祭ムード一色となっている頃だった。

何度も教会へと大聖女様へと面会を申し入れたが、たかが平民の女にその許可が下りることは無かった。

しかし面会の依頼も十数回になった時、面会が叶った。

スピカ様はお変わり無いでしょうか…お身体は弱ってはいらっしゃらないでしょうか…そんな不安の中通された部屋には茶の癖のない髪にほっそりとした顔の儚げな女性が佇んでいた。

それはアリッサの記憶からそのまま抜け出してきた姿のようだった。

「スピカ…様…無事のお帰りお祝い申し上げます。約束の通り、不肖アリッサ、御前にまかり越してございます。

これから先をどうぞ御身の側で御身の為に尽くす事をお許し下さい」

アリッサは深く深く頭を下げた。

しかし女性は首を縦には振らなかった。

「いいえ、アリッサ。私の為にその身を費やす事を私は望みません。

面会依頼者の一覧に貴女の名を見つけた時の私の気持ちを貴女は知らないのです…

私は貴女に友として、そして幼馴染としてこれからの時を共に過ごしたいわ」

そう言ってシワひとつない少女のような手をアリッサの時を刻んだ手に乗せた。

彼女達は今一度静かな抱擁の時を迎えた。

大聖女の眠る墓所は志を共にしたいと願う者やその恩恵にあやかりたいと言う人々が多くあった。しかしその全てを受け入れる事は出来ず一部の選ばれた者だけがその栄誉に与れた。

その中に小さな墓石がある。大聖女の目覚めから彼女の身の回りを世話し、最期の時にはその顔に死に化粧を施したとされる大聖女の忠臣として彼女の名は帝国史に刻まれる。

「大聖女の唯一無二の友にして忠臣

アリッサ・フェデロバここに眠る」

大聖女の最後の時、彼女は大聖女の願い通り友としてその手を握ったとされる。

そんな彼女の墓所には侍女を目指す者達が絶えず花を手向け、巡礼の聖地として今日も静かにそこに佇む。

静かに誠実に信念を保ち続けた先達として彼女の事を慕うものは多い。