軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【番外】愛妻家たちの苦悩 4

その翌日、国王夫妻の御子が無事に誕生された。漆黒の目と髪の愛らしい姫君だ。

一時は容体が危ぶまれた妃殿下だったが、医務官たちの尽力により回復に向かっている。命の危機は去ったとのこと。

陛下が御子の名付けや妃殿下の見舞いができるよう、臣下は持ち回りで執務の補佐を務めた。

乳母や環境は整っているものの、妃殿下にはしばらく医務官が付きっきりになる。調整や人員補充などやることはたくさんあった。

帰宅できない間に、ジルベルは父になっていた。

報せは時系ごとに届いていたが、陛下に究極の選択を迫った身として、事態を見届ける責任があると思ったから。

一人で出産に臨む妻にできたのは、ただ走り書きを送ることだけだ。

「私事で申し訳ありませんが」

陛下の御子が産まれて二日、ひとまず状況が落ち着いてきた。

何日も被り続け、すっかり癖のようになった無情な仮面で微笑みながら、ジルベルは主に許可を願い出た。

「我が家にも子が産まれたようです。名付けのため、一時帰宅しようと思うのですが、よろしいでしょうか」

その場にいた陛下とケヴィディ侯爵、上司である監理長官がぎょっとしたようにこちらを見た。

それにもまた微笑んで、首を傾げて許可を待つ。

「もちろんだ。こちらはもう問題ない、帰宅して構わない」

「ありがとうございます。改めまして、姫君のご誕生おめでとうございます」

丁寧に礼をとって踵を返すと、なぜか周囲がバタバタと手を尽くしてくれて、最短ルートで馬車に乗り込むことができた。

ひどく凪いだ心地で帰宅して身を清め、まっすぐにリルーシェの元へ向かうと、彼女は眠っているようだった。

つい二日前に産まれたばかりの我が子が、妻のベッド近くに置かれたゆりかごで寝ている。

子供部屋を用意していたはずなのに、リルーシェは赤子を近くに置きたかったのか。

それもまた妻らしく思えて、微笑ましい。

ふわふわとした癖っ毛の髪は、ジルベルが大好きなミルクティー色。

まだそう膨らんではいない頬に、そうっと指先を触れる。

ジルベルの指先から肘までの大きさもない、小さな小さな存在が、確かに、呼吸をしていた。

なぜだろう。ものすごく可愛いし、ありえないくらい感動しているはずなのに、うまく感情が動いてくれない。

もどかしくて悔しくて、でもどうしていいのかわからず、途方に暮れた。

リルーシェの傍にいたかった。許される限り、一緒に頑張りたかった。何ができるわけでもないけど。

手を握るとか、痛む場所をさするとか、怒ってくれてもいい。ただ、共にありたかった。

でも、自分の選択が誤っていたとも思わない。何度繰り返しても、ジルベルは同じ選択をする。

それはそう、なんだけど。

窓際に置かれた椅子に腰かけて、ジルベルは、努めてゆっくりと部屋を見渡した。

ひだまりの満ちる室内。妻と子の寝顔。

慣れ親しんだ妻の香りと、真新しい命から漂う甘い匂い。

ふつ、と。

限界まで張り詰めていた感覚が、軽い目眩と共に現実に落ちた気がした。

過ぎるほど鮮やかだった景色も、異様なほど研ぎ澄まされた神経も、すべての感情を削ぎ落としていた心も。

「……帰ってきたんだっけ」

あたたかな空間と、つい数時間前までの緊張感との落差を、少しずつ埋めていく。

半ば呆然としたまま、すやすやと眠る赤子の爪先ほどの小さな手に触れると、きゅ、とやわく掴まれた。

瞬間、理解する。

────あ。僕は、きみのお父さんだ。

気の利いた言葉は、なんにも見つからないんだけど、これは間違いなく奇跡の光景だ。

息を吹き返した心から激しく愛しさが溢れて、ジルベルはやっと素直な心地で笑った。

こんなにも小さなきみは、もう心を引き戻す力すら持っているのか。どうしようもなく愛おしいな。

「……初めまして。ようこそ、異世界へ」

守ってあげよう。きみが一人で立てるまでは近くで、その後は少し離れた場所から、いつだって。

いつか、ちゃんと自分の人生を歩いていけるように。

「ジル? おかえりなさい」

飽きることなく我が子を眺めていたジルベルは、呼びかける声にはっと駆け寄った。

少し顔色の悪い妻が、ほんわりと笑っている。

「ただいま、ルシェ、ありがとう。頑張ってくれてありがとう。留守を守ってくれて、それに可愛い赤子も、それに、」

「ジル」

くすくすと笑う声が、少しずつジルベルの強ばりを解く。

そっと差し出された華奢な手が、凍りついていたジルベルの頬を撫でた。

「わたくしたちは、お互いの場所で、共に最善を尽くせたかしら」

婚姻する時、共に歩もうと誓った。守るだけでも守られるだけでもなく、一緒に歩むのだと。

共に歩むというのは、必ずしも同じ場所とは限らないのだ。

華奢な手を優しく握って、頬にすりつける。

このぬくもりを失ったらどうしようと、近くにいない時になくしたらどうしようと、ひたすらに恐ろしかった。

「……僕もきみも、共に戦っていたよ」

同じくらい恐ろしかっただろう友に、非情な選択を迫った。

命懸けで生命を産み落とす戦場に、一人で立ち向かった。

立場や状況は違えど、ジルベルもリルーシェも、己の成せる最大限を尽くした。

言いたいことも、聞きたいことも、たくさんある。

でも。

「僕たちの宝物に、名前を贈ってあげなきゃね」

ジルベルとリルーシェの、可愛い可愛い天使。大事な宝物。

この子の世界が、どうか優しくあたたかいものでありますように。

愛されて生を受けた事実が、いつか出合う困難の時、この子の力になりますように。

ひだまりの真ん中で眠る宝物。

最愛の人に寄り添う幸福に包まれながら、小さな命への初めての贈り物をした。