軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【7:兵站将校の休日(上)】

夕方まで街をぶらついて時間を潰し、軍団本部へ戻ると、もう夕食の時間が近かった。

持っている服の中から仕立てのよいものを選んで身に付け、髪を撫で付けてから士官食堂へ向かう。王国軍の将校は皆が最低でも騎士位階、上級将校になれば一代限りとはいえ貴族として扱われる。だから下士官や兵とは食べるものも場所も異なるし、本部のような場所であれば給仕さえテーブルに付く。

兵学院では教養の一端として、テーブルマナーまで学ばせているから、将校であれば一通りのマナーは身についていることになっている。見る者が見れば付け焼刃かそうでないかはわかってしまうが、決定的な恥だけは晒さないように、という心遣いなのだった。

「君、俺はアルバロフ大尉だが、メイオール少尉はもう来ているかな?」

入口に立っている従卒に尋ねると、ご案内します、という返事だった。約束の時間には少し間があるが、やはりもう来て案内されているらしい。

従卒のあとについて中へ入ると、リディアは隅のテーブルにつき、背筋を伸ばして待っていた。普段は後ろでまとめている髪を下ろし、うっすらと紅を差している。

視線を上げたリディアがレフノールに気付いて目礼した。

「始めてくれ。食前酒は――というか、酒は要らない。食事が済んだら茶を頼む」

リディアに会釈を返しながら、レフノールは従卒にそう伝える。従卒ははい、と応じて引っ込んだ。

「遅くなって済まない。待たせたか?」

「いいえ、わたしも先ほど」

席に着きながら尋ねると、リディアが小さく笑って首を振った。

下ろした銀の長髪がさらりと揺れ、蝋燭の明かりを捉えて光る。こぼれた髪の束をかき上げて耳に掛けなおす仕草が新鮮だった。跳ねてしまった心臓に、二十歳前の若造でもあるまいに、と心中で毒づく。

「休めたか?」

内心の動揺を気取られないように、低くゆっくりとした口調でレフノールは尋ねた。

「はい。朝は早起きしてしまいましたけれども。――隊長は?」

「昼まで寝た。もう少し寝台が柔らかければ、夕方まで寝られた気がするが」

肩をすくめて答える。ふ、とリディアがまた少し笑った。

「あとは街をぶらりとね。ああいう祭りはどこでも賑やかでいいものだな。王都のは別格だったが」

「そうですね。でも、この街のお祭りも、穏やかな雰囲気でよいかと」

「ああ、悪くなかった。見て回るのが楽しみだ。

少尉、君、去年までは兵学院だろう? 王都ではどんなところを?」

「はい、兵学院もその時期は休みになりますから――」

数少ない同性の同期とともに出歩いていたのだ、とリディアは言う。レフノールが記憶する限り、女性士官の数はごく少なく、士官全体の1割にも満たない。

おおよそどこの軍団に配属されたとしても、関係の良し悪しはともかくとして同期がいる、というレフノールとは違うのだ。少佐がこの少尉を妹のように扱っていたその理由も、理解できる気がした。

「年が上がるごとにひとりまたひとりと減っていって、最後の年の夏至と秋分のお祭りは、ふたりだけでしたけれども」

王都での思い出をひとしきり話したリディアは、最後にそう言って小さく笑った。

人数が減っていく理由は容易に察せられる。数少ない女性をエスコートしたい男は、それこそ掃いて捨てるほどいる。リディアが最後の年まで女性だけでいたのは、高嶺の花として扱われていたのか、お眼鏡に適う相手がいなかったのか、まあ両方なのだろう。

光栄と思えばいいのか責任の重さを感じればいいのか、レフノールにはよくわからない。

「ここの冬至祭、俺も少々下調べをしようとは思ったんだが当てが外れてね。だから済まないが、やはりうまく案内はできないと思う」

少佐との間で交わされた会話は絶対に話せない。墓の下まで持って行くものだ、とレフノールは思っている。

「そうなのですか? わたしはいくつか教えていただけましたから――」

御案内できます、とリディアが身を乗り出す。

「うん、頼む。済まないが」

「いいえ、済まなくなどは。わたしからお願いしたのですし。

それで、あの」

言い澱むリディアに、何かな、とレフノールは目顔で先を促した。

「いくつか、買いたいものがあるのです。一緒に見ていただいても、よろしいでしょうか?」

レフノールは黙って頷く。異論があるはずもなかった。

「それじゃ、明日は昼前にここを出て、外で昼を食べて、それから君の買いたいものを見に行こうか」

「はい!」

会話をするうちに食事は済み、食後に運ばれた茶のカップもあらかた空になっていた。

席を立ちながら、ああそうだ、とレフノールが付け加える。

「衛門を出たら少尉と隊長はちょっとな。メイオールさん、でいいか?」

「あ、はい――隊長は、その、なんと?」

「好きに呼べばいいよ。アルバロフさんでも何でも」

はい、と応じたリディアが背後で呟いた一言を、レフノールは聞かなかったふりで通した。

「――わたしは、リディアでよいのですが」

※ ※ ※ ※ ※

翌日の昼前。衛門を出たところで待ち合わせた二人は、そのまま街へ出た。

広場に出て、串焼きを売る屋台で買った昼食を食べながら、レフノールが尋ねる。

「行先を聞いてなかったが、どこへ?」

齧り取った肉を飲み込んだリディアが、あ、はい、と応じた。

「仕事の道具を、自分で揃えたいと思っていまして」

レフノールが貸している私物の仕事道具を、リディアはこの機に自前で揃えたいのだ、と言っている。

「……どうせ予備のやつだし、君が使うならそのまま、と思っていたんだが」

その分、服でも装身具でも好きなものを買えばいい、とレフノールは思ってしまう。

とはいえ、リディアの気分も理解はできた。そういう形で甘えたいとは思っていない、ということなのだろう。

「目星は付いているのかな。店とか『こういうのが欲しい』とか」

「少佐に、そういうものを扱っている店を教えていただきました」

ああ、とレフノールは頷いた。

「少佐のご紹介であれば安心だな。案内してくれ」

※ ※ ※ ※ ※

案内された店は、官衙や商館が立ち並ぶ街の中心街の一隅にあった。

太い木組みの柱に白い漆喰の壁。入口の扉の上には、ペンとインク壺をかたどった看板が掛けられている。開かれた窓からは、薄暗い店内の様子が見えた。店構えからするとおそらく中流、なりたての将校の俸給であっても商品を選ぶことができる程度、とレフノールは踏んだ。

少佐に聞いた店、ということだから、おそらくは懐具合まで勘案した上でのことなのだろう。

「入る前に尋ねておきたいんだが」

「はい」

「どのくらいのものを手に入れるつもりかな」

「――あまり高価なものは」

リディアの返答に、そうだな、とレフノールが頷く。

「無理をして高価なものを買うことはない。ただ、普段使いするものだから、あまり安物を買っても、というところはある」

「すぐに壊れたり、ということでしょうか?」

「それもあるが……なんと言えばいいかな。気に入ったものが手許にあると、多少なりと気分が良くなる。安くてもそういうものであればいいが、なかなかね」

ああ、とリディアが頷く。

「まあ、いくつか並べて見せて貰えばいいだろう。見て気になるものがあれば、実際に触れてみて、それで気に入ったものを選べばいい」

「はい!」

※ ※ ※ ※ ※

扉を開けると、扉に取り付けられた小ぶりのチャイムがからんと鳴った。はぁい、という間延びした声とともに、木製の大きなカウンターの向こうで誰かが立ち上がる。

ほの暗い室内はランプの柔らかな明かりに照らされ、かすかにインクの匂いが漂っている。

「どちら様で――?」

手をはたきながら顔を見せたのは、壮年の男だった。おそらくこの店の主だろう。一見の客であるレフノールとリディアに、どう応対したものかと考えている風情だった。

「すまないが、ご主人、いくつか見せてもらいたいものがある。俺たちは計数や書記の類の仕事をしているんだが、彼女が、仕事道具を揃えたいと言っていてね。それで、知り合いからここを教えてもらったというわけだ」

レフノールの言葉に、ああ、と店主が笑顔で頷いた。

「どのようなものでございましょうか?」

「算盤と算石、ペンナイフ、それに蝋板と尖筆を」

「長く使いたいということだから、相応のものを頼むよ」

店主の質問に、リディアが答え、レフノールが補足する。店主は頷いて、少々お待ちを、と応じた。

ほどなく、店の奥――倉庫から、店主がいくつかの木箱を取り出してきてカウンターに並べる。

「算盤はこういったものがございますが」

並べられたのは、陶製のもの、大理石のもの、そして御影石を使ったもの。

「触ってみても?」

「ええ勿論。陶製はお値段としてはさほどでもありませんが、どうしても少々壊れやすいところがございます。大理石は、やはりこの質感でございますな。こちらも石材としては柔らかい方ですので、ご注意いただく必要があるかと。あとはまあ、やはり値が張ります」

リディアの質問に、店主が頷いて答え、商品の説明を付け加えてゆく。リディアは溝が刻まれた算盤の表面を撫で、あるいは算石をいくつか握り込んで、感触を確かめる。

「お手頃なのは御影石でしょうな。少々重いところが難点ですが、硬く丈夫です。いまそちらにお出ししたのは白御影石ですが、黒みが強いものもございますので――」

店主の言葉に、リディアがいいえ、と笑顔で首を振る。

「この色の方が」

「――ペンナイフはこちらです」

続いて、小さな刃のついたナイフが3本、カウンターに並べられた。

「刃はどれも変わりはありません。うちで懇意にしている鍛冶工房で鍛えたものです。変わるのはここ、柄の部分でございます。こちらがクルミ材、これが黒檀、これは鹿角」

クルミと鹿角のものには、柄の端に近いあたりに控え目に紋様が彫り込まれている。ゆるく湾曲した柄を軽く握って、リディアは小さく笑った。

「手に馴染む形ですね」

「おわかりになりますか。官衙のお客様にご意見を伺って、工夫したものです」

店主が嬉しそうに頷く。職人にとって、己の作に忍ばせた工夫を見抜いてくれる客というのは嬉しいものなのだろう。

「こういう小さい飾りも」

クルミ材の柄に施された蔦草の紋様を指先で撫でて、リディアが言った。

「お気に召したようで。蝋板は――ああ、お客様によいものを思い出しました。少々お待ちを」

言い残して店主が引っ込んだ倉庫から、がたがたと何かを動かす音がした。戻った店主の手には小さな木箱がある。

「こちらです。材質はありふれたものですが――」

木箱から取り出された蝋板は、磨き込まれた木製のもの。レフノールには、大きさも材質もそう特別なものとは見えなかった。ただ、小さないくつもの花と、細長い葉をもつ植物の紋様が、蝋板を縁取るように彫り込まれている。同じ植物の花束の彫り込みが中心にあった。

紋様を見て小首を傾げていたリディアが、小さく、あ、と声を上げた。

「これ! そういうことなんですね?」

「やはり女性の方がお詳しい。ご賢察のとおりかと」

なにかに気付いた様子にリディアに、店主が満足そうに頷いた。

「なんだ、この模様になにかあるのか?」

さっぱり理解できない、という表情で、レフノールが尋ねる。

「色がついていないと、少々難しいかもしれません」

「勿忘草です!」

リディアとレフノールを見比べて面白そうに笑う店主が応じ、リディアが紋様を指して言う。

「勿忘草」

「花言葉はご存知でしょう?」

「――ああ!

『私を忘れないで』――なるほど、なるほどね! これはいい!」

ようやく理解したレフノールの顔に笑みが拡がる。備忘として使う小道具に入れる紋様としては、確かに似合いのものと言えた。

「ご店主、これを是非」

リディアが嬉しそうに言い、ではお包みします、と店主が応じる。

買ったあれこれの手入れの仕方を一通り聞き、箱を抱えて、ふたりは店を出た。

「その、すみません、持っていただいて」

いいよ、と首を振るレフノールの手には算盤が入った箱がある。

「君にだけ持たせるわけにいかないだろう。

しかし、気に入ったものが見つかったようでよかった」

「はい!」

レフノールはリディアの顔を見なかった。

弾んだその声だけで、笑顔を想像できるからだった。