軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【21:罠(1)】

半刻ほどの行程ののち、ボリスは敵が作ったという陣地を目にした。

斥候の報告のとおり、街道上に横向きに停められた馬車があり、その両脇には街道を塞ぐ形で防柵がしつらえられている。海岸沿いを進む街道の両脇は、片方が高く、片方が海岸まで切れ落ちた急斜面。小勢で多数を相手に足止め、ということを考えるのであれば、たしかに好適な場所と言える。

防柵の向こうには兵の姿が見えた。陽光を反射して光るのは、槍の穂先だろう。その後ろには、少数ながら弓を構えた兵の姿も見える。

矢でもって攻勢側の兵力を削ぎ、防御のための場所を整えて、小勢に可能な時間稼ぎをする。教本に載せたいような、撤退戦の殿軍としての働きだった。馬車の御者台に立つ人物が、腰から剣を引き抜いて空にかざす。同時に何やら兵たちに向けて叫んでいる様子ではあるが、その内容まではわからない。

ボリスは即座に強攻を決断した。

伏兵を懸念する部分がないではない。むしろ、何かあると考える必要がある場面だった。だが、砦の規模から考えて、詰めていた兵はおそらく50程度。どう多く見積もっても100を超えることはない。そして砦から先、拠点となりうる場所――旧王国遺跡の遺構を利用した村落まで、まともな大きさの集落はない。その村落までおよそ1日行程という事実を併せて考えるならば、敵は大勢に影響するような規模の増援を受けていない。伏兵がいたとして、それはさしたる数ではないのだから、下手に警戒して足を止めるよりも、損害を織り込んで強攻することの方が目的には適う。

「先鋒隊前進! 歩兵第1百人隊、行軍隊形のまま前へ! 歩兵第2百人隊、第1百人隊に続け! 弓兵第1百人隊、前進して歩兵を援護しろ!」

下した命令は復唱され、ただちに実行された。

盾を背負って行軍していた兵たちが盾を構え、槍の穂先を揃えて前進を始める。装備こそほぼ同等とはいえ、圧倒的な数の差は、それ自体が敵兵たちを揺さぶるものになるだろう、とボリスは考えている。

結果、敵が背を向けて逃げ出してくれればそれでよし。既に追いついているのだから、追撃して殲滅すればよい。あくまでも踏みとどまって戦うのであればそれもよし。数の差を活かしにくい地形ではあるが、正面でぶつける兵の数にせよ、援護する弓兵の数にせよ、あまりにも大きな差がある。

――四半刻も持てば、あの敵を褒めてやらねばなるまい。勇敢で有能な兵と指揮官だった、と。

ボリスにとってこの場での勝利は既定事項で、あとはどれだけその時間を短縮できるか、どれだけ被害を抑えられるか、といった問題でしかなかった。

「まだだ! 引き付けろ! 引き付けろ!!」

歩兵たちと並んで前進してゆくと、叫ぶ敵指揮官の声が聞こえた。

「十分に引き付けてから射て! 前衛は槍を構えて待て!!」

御者台の上に立ち上がり、己の配下の兵たちを叱咤している。無駄な矢を使わせることなく、射程に入るまで待ち、効果的に攻撃側の戦力を削る。こういった防御戦の定跡と言ってよい。だが、定跡でどうにかするには数の差がありすぎる。あの指揮官も、それがわからないような愚か者ではないはずだ――早々に砦を捨てるという判断を下したのだから。

――わかっていても、やらざるを得ない、か。

ボリスは敵の指揮官に、かすかな同情を抱く。敵味方に分かれているとはいえ、同じ前線指揮官だった。とはいえ、手加減をするつもりも、そしてその必要もない。ボリスは新たな命令を下さなかった。既に前進は命じており、そして命令はそのとおりに実行されつつある。

「引き付けて――あっ、待て! まだ――!」

前進を続ける兵たちの姿に、敵の弓兵の誰かが、恐慌を来したのかもしれない。

射程に入る前に1本の矢が放たれ、それが呼び水になったのか、ばらばらと統制の取れていない射撃が行われる。

「第1百人隊、ただちに突撃。このまま奴らを踏み潰せ」

ボリスは突撃を下命した。本来、まだ突撃を開始する距離ではなかったが、敵はこちらに気圧され、動揺している、とボリスは見ている。効果がなく、統制の取れない射撃はその証左。であれば、その隙を確実に突く。ここで敵を殲滅できれば、この先は随分と楽になるはず。そのように考えている。

「第1百人隊、突撃にィ、移れェーっ!」

頷いた百旗長が号令とともに剣を振り上げ、振り下ろす。

喊声とともに、百人の兵たちがにわか作りの陣地へと走り始める。その効果はすぐに表れた。敵兵の数名が背を向けて逃げ始め、一瞬遅れて全員がその後を追う。

「逃げるな! 貴様ら逃げるな! ここを抜かれれば……!」

突撃によって敵軍の士気は崩壊した。どうにか態勢を整えようとしていた指揮官も、やむなしと見たか、御者台から飛び降りて部下たちとともに走って逃げてゆく。

「突撃! 第1百人隊、突撃! 殲滅しろ!!」

防柵に第1百人隊の先頭が到達する。既にそこに抵抗する兵の姿はない。全員が背を向けて逃げ、急斜面の影に隠れて見えなくなった。

――伏兵がいたとしても、これではどうしようもあるまい。

本隊が潰走してしまっては、伏兵がいたとしても各個撃破の好餌にしかならない。緒戦は不戦勝、次戦は敵の自滅。存外あっけないものだ、と感慨に浸るボリスのもとへ、第2百人隊の百旗長が近づいてきた。

「我らも追撃に加わりますか、ボリス・ドミトリエヴィチ?」

「まだよい、イゴール・キリロヴィチ」

短く応じたボリスに、若い百旗長がかすかに不満そうな表情を見せる。

ボリスは小さく笑って付け加えた。

「この場の功はクラスノフに譲ってやれ。貴官と貴官の部下たちの実力は、あの、エディルとかいう拠点の攻略で発揮してもらおう」

「は。――第2百人隊、突撃開始線まで前進、待機!」

敬礼し、己の部下たちに向き直って、百旗長が命令を下す。

ボリスも先鋒の部隊長として、突撃した第1百人隊の様子を確かめた。百人隊の末尾が、まさに防柵を越えようとしている。敵はもういない。一度崩壊した士気を立て直すことは難しい。よりしっかりと守れる拠点や、防御を支えうる援軍がなければ不可能と言ってもよい。どちらも、今の敵に用意できるものとは思えない。つまりあの小勢は、このまま踏み潰されて終わる。

このあとの段取りを、と考え始めたボリスの眼前で、橙色の火球が、街道上の馬車を飲み込んだ。

100歩近く離れたボリスのところまで、熱が波となって押し寄せ、半瞬のちに爆発音と熱風が届いた。

今まさに防柵を乗り越えようとしていた数人の兵が、身体を焼かれて凄まじい悲鳴を上げる。

「イゴール、イゴール・キリロヴィチ、なんだ? 何があった?」

「わかりません、千旗長、急に炎が……!」

手近な百旗長に声をかけて状況を確かめようとしたが、相手も何が起きたのか掴めていない様子だった。

ほんの数瞬前まで、ボリスは勝利を確信していた。その先のことを考える余裕さえあった。敵の自滅。そのはずだった。

だが、今は。

潰走したはずの敵が残した馬車が突然炎の塊と化し、激しく燃えている。炎の壁は、乗り越えることはおろか、近づくことさえできそうにない。

――罠か!

混乱する頭で、かろうじて答えにたどり着く。先鋒の、その先頭を任せた第1百人隊は炎の壁で本隊と分断された。分断されたならば、次に来るのは何だ?

自問したボリスは、答えに思い至り、悪寒と吐き気を覚えた。

各個撃破。殲滅。それ以外にない。

最悪の事態が、もたらされようとしている。