軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

公爵家へ

一月二日の午後。

わたしはフィールズ伯爵家の貴族用馬車で、グローリア公爵家へ向かっていた。

一緒に乗っている両親は、わたしと兄を馬車でグローリア公爵の屋敷へ送った後、そのままフィールズ伯爵領へ帰るそうだ。

出発前、それを知った兄が父と母へ、グローリア公爵夫妻へ挨拶をしないのか聞くと、母が少し片眉を上げて答えた。

「昨日のパーティで、あなたたちが食事をしている間にグローリア公爵夫妻には挨拶を済ませといたわ。リディの婚約者にはヘンリーが会っているし」

ヘンリーは父の名前だ。

「ですが、リディがしばらくお世話になりますし、もう一度挨拶をしておいた方が良いのではありませんか?」

「そんなに何度も挨拶しなくていいわよ。それに世話になるも何も、公爵家から来て欲しいって言われたのよ。 フィールズ(うち) からじゃないわ」

兄はほんのわずかに顔を引き攣らせた後、「それでは」と言った。

「僕が一緒に行ってご挨拶します。まだグローリア公爵にお会いしたことがないので」

「あなたが結婚するわけじゃないから、必要ないでしょう」

「いえ、公爵は王立学院を卒業された大先輩ですので、ご挨拶しておきます」

「公爵家から学生寮まではどうやって帰るのよ」

「頼んで馬車を呼んでもらいますよ」

父は兄と母の会話に口を挟まないまま、黙って新聞を読んでいた。

もしかしたら、聞いていなかったのかもしれない。

フィールズ伯爵家のタウンハウスから、馬車で走ること三十分ほど。

王都の西側にあるグローリア公爵家の屋敷は、フィールズ伯爵領の屋敷よりずっと大きくて、格式を感じる建物だった。

さすが、建国の時からある家だと思う。

馬車を屋敷の正面玄関につけると、すぐに執事服を着た男性と、数名の使用人が屋敷から出てきた。

「執事のニレと申します。フィールズ伯爵のお嬢さまとそのご家族さまですね。お待ちしておりました」

馬車の扉を開いてもらい、兄とともに馬車を降りる。

歩いている時は冷たい風が吹きつけて来て思わず身を震わせたが、屋敷に入った瞬間、暖かな空気に包まれた。

公爵家の使用人へ上着を預けると、そのまま応接室に案内された。

「こちらで少々お待ちください。旦那さまと奥さまをお呼びします」

使用人は温かなお茶とお茶菓子を兄とわたしの前に並べ、一礼をして応接室から退出していった。

「リリーディア」

二人きりになった時、兄が珍しくわたしを愛称でなく名前で呼んだ。見ると、兄は目に真剣な光を浮かべていた。

「お前も薄々気づいていると思うが、母上と父上のやり方は、 フィールズ(うちの) 領だからできることだ。ほかの家では通用しない。わかるか?」

わたしは目を丸くして兄の顔を見上げる。

「やっぱり、貴族が使用人の馬車に乗るのは変ってことよね?」

「リディにそんなことをさせたのか……道理で、馬車の台数がおかしいと思った」

兄は頭痛がするのか、額を片手で押さえた。

「……使用人の馬車に貴族が乗ることを禁止する法はないし、貴族用の馬車に使用人が乗ることを禁止する法もない。だからお前が、使用人用の馬車に乗ることは問題ない。でも、時と場所は考えないといけない。王族に会いに行くための馬車を用意することができる状況なら、用意するべきだ」

「やっぱり、そうよね……」

「どうせ母上だな……父上は止めなかったのか? いや、その時はいなかったのか」

わたしが下を向き、兄がため息をついた時、応接室の扉が開いた。

深い緑色のドレスを着た綺麗な女性が、使用人を従えて入って来る。

慌ててソファから立ち上がった兄とわたしに、その女性は悠然と微笑みかけて、サラリと一礼した。

「ようこそ、リリーディアさん、お兄さまのアーサーさん。ウィリアムの母のアメリアよ、はじめまして」

この方がウィリアムさまのお母さま……。

ほっそりとした体型に、つやつやとした波打つ黒髪。くっきりとした猫のような目は、ウィリアムさまと同じ色だ。

わたしの母も他から美しいと言われる人だけど、ウィリアムさまのお母さまは、二十三歳の息子がいるとは思えない若々しさをしている。

「初めまして、グローリア公爵夫人アメリアさま。フィールズ伯爵家の長男、アーサー・フィールズです。こちらは妹のリリーディアです」

「リリーディア・フィールズと申します。本日からよろしくお願いします」

兄の言葉にわたしも頭を下げる。

心臓が飛び出しそうなほどドキドキしていて、夫人でこの状態なら公爵にご挨拶するときは気絶してしまうんじゃないかと思えてくる。

「お二人とも楽にして頂戴。ウィリアムは朝から王宮に呼び出されていて、今はいないの。夕方には帰ってくるはずよ。公爵である夫もすぐ参ります」

にこりと笑った公爵夫人は兄とわたしにソファに座るように勧めた。

「昨日のパーティで、フィールズ伯爵ご夫妻にお会いして、ぜひアーサーさんにもお会いしたいと思っていたの。今日はリリーディアさんと一緒に来てくれてうれしいわ」

「いえ、この度は婚約のお話を頂きましたこと、また妹への格段のご配慮をありがとうございます。どうか妹をよろしくお願いいたします」

兄が公爵夫人に頭を下げた。ふふふと公爵夫人が笑う。

「妹思いの素敵なお兄さまね。安心してください、アーサーさん。妹さんは我が家で大切にお預かりするわ」

笑うとウィリアムさまよりも濃い青い目が、ふわりと温かみがある優しい青色に変わる。それはまるで、よく晴れた青空のようだった。

「やあ、遅くなってすまない」

低い男性の声がして、壮年の男性が入って来た。

ウィリアムさまと同じぐらいの身長で、ダークブラウンの髪に、切れ長の目。長い足でソファへ近づいた男性は、そのまま公爵夫人の隣へ座った。

「キース。遅いわよ」

公爵夫人が笑って声をかける。

「やあ、君がリリーディア嬢だね。あぁ、座ったままで構わない、そのままで。そして、兄のアーサー君も、初めまして。僕がウィリアムの父のキースだ。よろしく」

グローリア公爵が人の良さそうな笑顔で兄とわたしに握手を求めた。

公爵夫人がニコニコしながら公爵に尋ねる。

「キース、さっそくだけど、リリーディアさんを連れて行っていいわよね?」

「まだ緊張しているだろうから、お手柔らかにね。アーサー君は待っている間少し私と話そう。実は、君が去年提出した論文を読んだんだ」

「さあ、リリーディアさん、行きましょう」

有無を言わさない雰囲気でわたしは公爵夫人に手を引かれ、応接室を出た。

しばらく歩いて、連れていかれたのは、おそらく公爵家の衣装室。けれど、それはフィールズ伯爵家の三倍は広い。

「えっと、あの、公爵夫人」

パチンと公爵夫人が指を鳴らすと、何人ものメイドたちが何処からともなく現れた。

衣装室の扉が音もなく閉まり、二人のメイドがわたしの体をがっちりと掴む。その目は何故かギラギラと輝いている。

「リリーディアさん、あなたはどんなドレスが好きなのかしら? いくつか用意してみたから、好きなドレスがあれば教えてほしいわ」

公爵夫人が楽しそうな声ではっきりと言った。

「さあ、みんな! リリーディアさんを磨くわよ!!」

◇◇◇

それからどれぐらいの時間が経ったのだろう。

ドレスを着せられ、脱がされ、また着せられ、化粧品を顔にはたかれ、ハーフアップにしていた髪を解かれ、結ばれ、解かれ…公爵夫人に見守られながら、どんどん着替えさせられていく。

「できましたわ、奥さま」

メイドたちが満足げな顔をして、ようやく体から手を放してくれた。メイドの一人がわたしの前に姿見を持ってくる。

クリーム色の生地に、小さい花模様の刺繡が一面に施されているドレスは、袖の裾に白い精巧なレースが縫い付けられていた。

スカートの部分は細かい襞がいくつも作られていて、それが歩くたびにフワフワと揺れるようなドレスに見せている。

どう見ても普段使いするドレスには見えなくて、高級すぎる生地に冷や汗が出そうだ。

ハーフアップをしていた髪は、ゆるくウェーブが掛けられて、サイドにまとめられていた。

顔には、タウンハウスを出る前にハンナにしてもらったお化粧になじむように、アイラインやアイシャドウが追加されている。

「可愛いわ…すごくすごく可愛いわ!」

公爵夫人は目をキラキラさせて言った。

「やっぱりむさ苦しい男たちより、女の子を着飾るほうが楽しいわね!」

「え…えっと」

「そうそう、最後にこれを着けなくちゃ」

公爵夫人が自ら、青い宝石がついた髪留めを留めてくれた。

「どうかしら、何か気になる所はある?」

「あの…公爵夫人、このような高価なドレスをお借りするわけにはいきません」

「これはあなたに私が渡したくて用意していたものよ。もし気に入ったのなら、どうか受け取ってほしいわ」

「ですが…」

その時、ダダダッと足音が聞こえて、衣装室の扉が開いた。

「母上。何をしているのです」

「あら、早かったのね。夕食の頃に帰ってくるのかと思っていたわ」

そこにはウィリアムさまが立っていて、公爵夫人を睨んでいた。

手紙のやり取りはしていたけれど、会うのはお見合いの時以来で。記憶と変わらない、整った容姿と海のような青い目。

わたしの、婚約者。

「母上がリディに何かするんじゃないかと思いまして、早く帰って来たんです。思った通りでした」

「あら。着替え中だったらどうするつもりだったの?」

「メイドに入室可能な状況か、確認しましたから」

ウィリアムさまは近づいてくると、わたしに背を向け、公爵夫人から庇うように立った。

「私の婚約者です、返してもらいます」

「…狭量な男は嫌われるわよ」

「父上に言ってください。リディ、すまない。母上の遊びに付き合わせてしまった」

そう言って振り向いたウィリアムさまは、わたしを見て固まった。

「あ、あの…ウィリアムさま、お久しぶりです…」

とりあえず挨拶をしてみたが、ウィリアムさまは石のように動かない。

「ウィリアムさま…?」

「あ、いや…そのドレス、よく似合っている」

「そうでしょう!? ここに到着した時に着ていたドレスもよく似合っていたけど、このドレスの形もよく似合っていると思わない?」

公爵夫人が嬉しそうに言う。ウィリアムさまは咳払いを一つして、公爵夫人に向き直った。

「と、とにかく。リディも疲れているでしょうから、部屋へ案内します。アーサー殿もお呼びして、夕食までは、そちらでゆっくりしてもらいますから」

「わかったわよ。じゃあリリーディアさん、後でね。おいしい夕食を用意させておくわ」

はっとして公爵夫人に頭を下げると、公爵夫人は笑顔で手を振ってくれた。

ウィリアムさまがエスコートのための手を差し出してくれた。握り返したその手は、お見合いの時に握ってくれた時と同じで温かかった。