作品タイトル不明
5月12日(3)
私とユリアはエリーゼの私室に呼び出された。何故かサーシャさんファミリーも一緒だった。
「あなた達の耳に入れておきたい事があるのです。」
とエリーゼはお茶を飲みながら言った。
「私の実家のブランケンシュタイン家では、ブラウンツヴァイクラントの菓子職人を雇いたいと思い難民達の中から菓子職人を探しています。そして、遂に一人見つけました。しかし、諸々の事情を考慮してその人物はブランケンシュタイン家では雇い入れない事に決定しました。その人物は以前トラオームシュルフトに住んでいて、サーシャ・ハーディングの弟子だったと言っていたそうなので、ベッキーとハーディングには伝えておこうと思ったのです。」
「私には弟子が三人いました。どの子でしょうか?」
『どの子』という言い方にサーシャさんの弟子達に対する愛情を感じた。
「アリア・ロウツィンガーです。年齢は20歳です。」
「アリア!アリアがヒンガリーラントにいるのですか⁉︎」
「まあ、アリアちゃんが。」
とサーシャさんの奥さんのナキアさんが言った。ナキアさんの言葉にも強い親愛の情があった。少なくとも二人の様子から、アリアさんとやらが人間性に難がある問題児、という印象は受けなかった。
なのに、どうしてブランケンシュタイン家はアリアさんを雇うのを見送ったのだろう?
サーシャさんの元を離れた後、闇堕ちしたのだろうか?
「アリアは王都にいるのでしょうか?」
とサーシャさんが聞いた。
「いいえ、いるのはブルーダーシュタットです。」
「そうですか。・・夏の王都にいる家族の所へ行くと言っていましたが。」
「なんで、ブランケンシュタイン家では雇わない事にしたんですか?」
と私はダイレクトに聞いてみた。
「病気を患っているのです。」
「え?」
「結核です。」
エリーゼは優雅にお茶を飲みながら言った。
「現在、ブルーダーシュタットの貧民救済病院にいるそうです。ただ、そこでは最低限の世話しか受けられません。結核を完治させるには莫大な薬代がかかりますが本人にそれを支払う能力は無いようです。公爵家で薬代を出して将来に投資するかどうかを話し合ったのですが、結局見送る事になりました。ハーディングの弟子である以上、ハーディングの知識を超える知識や技術を持っていると思えないからです。」
ひどいっ!
何て酷薄な考えなんだ!と思う。
命を何だと思っているんだ!と言いたい。
だけど、それが貴族の論理というものなのだろう。見返りもなく大金は支払えないのだ。
それに、きっとブルーダーシュタットには、いやたぶん王都にもアリアさんのような人は山のようにいるのだ。貧しくて薬代が払えなくて死を待つだけの人。アリアさん一人を可哀想と言うのは偽善なのだ。
だけど、納得できなかった。
「なら、私が!」
と言おうとした途端
「薬代なら私が払います!」
とサーシャさんが言った。
「レベッカ様。お金を貸してください。何年かかっても返しますから。お願いします!」
「わかった。」
その方が良いと思った。会った事の無い私がおせっかいをやくよりも、師であるサーシャさんが手を出した方が良いだろう。
ついでに言うとサーシャさんは、結構小金持ちなのだ。
私は『自分が作り方を知らなかったお菓子のレシピ』をサーシャさんから聞くたびに情報料を払っている。一つにつき金貨一枚だ。
サーシャさんはその金貨を娘達の将来の為、と言って大切に貯金していた。
「そうしたいくらい大切なお弟子さんなんだね?」
「弟子は皆、子供のような存在ですがその中でもアリアは特別です。アリアは先代のホテルの支配人の孫で、私は彼にとてもお世話になったのです。アリアを見殺しにはできません。」
「レベッカ様。どうかしばらく休暇をください。ブルーダーシュタットに行って来たいのです。アリアちゃんに会って来たいのです。お願いします。」
とナキアさんも言った。勿論私に反対する理由は無い。
エリーゼ様も何も言わなかった。たぶん、こうなる事を見越してサーシャさん達夫婦にアリアさんの情報を伝えたのだ。
その後、サーシャさん達夫婦は部屋を出て行ったが、エリーゼ様は私とユリアに残るよう指示した。
「ユリア。ハーディング達と一緒にブルーダーシュタットに行きなさい。久しぶりにブルーダーシュタットの話を聞いたら伯母に会いたくなった、とでも言って。そして、アリア・ロウツィンガーという人間に会って来なさい。かつてサーシャ・ハーディングをエーレンフロイト家で受け入れた時、侍女長がリーリアと一緒に人間性を確認しに行ったように、アリア・ロウツィンガーの人間性を確認して来るのです。そしてもし、エーレンフロイト家に害を及ぼす可能性があると思ったら貴女が良いと思うように問題を処理しなさい。」
「あ、あの私がですか?」
「そうです。これは貴女の問題処理能力の試験でもあります。感情に流される事なくエーレンフロイト家にとっての最善を見定めなさい。」
「・・わかりました。」
正直言って、私はほっとしていた。いくら『感情に流される事なく問題を処理しろ』と言われてもユリアが非人道的な事をする事はないだろう。それこそ、我が家にはちょっと、と思う事があったとしてもそれならそれ。レーリヒ家で菓子職人として雇い入れるのではないだろうか。
新たに男爵となったレーリヒ家は、第二貴族地区に現在豪邸を建設中だ。なので使用人を大量募集中なのである。
そしてエリーゼは、そうさせる為ユリアにこんな指示を出したのだと思う。
でも、それなら何で私まで部屋に呼んだのだろう?
「治る病気があってもお金のある無しで命が選別されているのは悩ましい問題ね。」
「そうですねー。」
「ベッキー。これは王族になる貴女が考えるべき問題なのよ。一人を救うのなら善意の個人の力でどうにかなります。だけど、命のとりこぼしをしない為には、国が動かねばなりません。現実として結核は我が国の死亡原因No.1の死の病なんです。」
「は、はい!」
心の中で王様と宰相と医療大臣に言ってよ。と思ったが、私はとりあえず大きな声で返事をしておいた。
そして翌日。
ユリアとサーシャさんファミリーは、ブルーダーシュタットに旅立って行った。
不思議な感じだ。
思えばこの数年間。ユリアとコルネが私の側にいない。という事はなかった。あの二人は常に私の側にいた。
それなのに今は二人そろって私の側にいないのである。
それは一応良い事なのだ。来るべき5月12日を前に、二人が王都からいなくなってくれた事は私にとって安心材料である。
とわかっていても、何だかちょっと寂しかった。あの二人のどちらかが犯人なのかもと思いつつ、私はあの二人が早く戻って来ないかな、とも思っていた。