作品タイトル不明
或る公女(1)(エリザベート視点)
『時を戻す秘術』
という言葉を言うと、ベッキーは再びフリーズしてしまいました。
何か考えているのでしょうけれど、その考えを読む事はできません。
やがて
「理論的には可能だと思います。」
と言いました。
「とある物理学者が言っていますから。光の速さで走ると人は年をとらなくなる。光の速さを超えることができたら時間は巻き戻るって。相対性理論という理論です。」
「へえ。」
と思わず言ってしまいました。
ベッキーという人は本当に・・・。
時を戻す秘術の話を聞いた人の反応は通常二つです。
『時間が戻るわけがないじゃない』
『本当に戻れるなら、◯年前に戻りたいわあ』
だけど、さすがベッキーというべきでしょうか。彼女の考えは常に私の予想を飛び越えて来ます。
「光の速さで走ったら、年をとらなくなるのですか?」
ユリアが目を丸くしてそう聞きます。
「らしいよ。」
「光の速さって、どれくらいなんですか?」
とコルネが聞きました。
「だいたい、1秒で地球を7回り半するらしい。」
「走れるわけないじゃないですか!」
「それを走れる乗り物を開発する事が科学なんだよ。」
「人体が風圧に耐えられると思えませんけれど。」
とユリアが言います。
確かに、違う意味でもうそれ以上年をとらなくなるかもしれませんね。
「光の速さよりも速い物ってあるんですか?」
とコルネがベッキーに聞きます。
「人の噂は絶対速いね。」
「それは間違いありませんね。」
ユリアも賛同していました。
「そういえば噂といえば。」
話がどんどんとずれていきます。
『秘術』とか『稀人』とか『エディアルド』という話題はすっかり消えてなくなってしまいました。
「ブラウンツヴァイクラントのララ公女殿下が、ヒンガリーラントを出て行かれる。というのは本当なのでしょうか?」
ユリアが首を傾げて質問します。
本当です。
あの毒蛇のような女はさっさと追い払っておかないと害悪しか撒き散らしません。
あの女は『森の賢者の会』の主宰の一人でありアウグスティアンですから。
『森の賢者の会』の連中がブラウンツヴァイクラントの王族や貴族達をオークションにかけた時、ララ公女は厄介な女、という事はララ公女を含む幹部たちにはわかっていました。なので、会の新参者であり、貴族社会に足を踏み入れたばかりのガルトゥーンダウム伯爵に皆が公女を押し付けたのです。
公女は寄生植物のようにガルトゥーンダウム家に絡みつき財産を浪費しました。毎日豪華な食事と新しいドレスを要求しガルトゥーンダウムの金で贅沢品を買い漁り、文句を言う者を脅迫し恫喝し洗脳しました。
「私に不敬な態度をとる者は、国王陛下がそれはそれは怖い罰を与えるわよ。」
「国王陛下が地位を取り戻された暁には、そなたはこの世の栄光の全てを味わう事ができるわ。」
鞭と飴を使い分け、公女はガルトゥーンダウムを精神的支配下に置きました。
ブラウンツヴァイクラントの国王はもう死んでいるのでは?とガルトゥーンダウムは思っていました。それが確実な話だったらガルトゥーンダウムは公女を叩き出したでしょう。しかし、万に一つも国王が生きていたらと思うと、ガルトゥーンダウムには恐ろしくて公女を無碍に扱う事ができませんでした。
ただその状況で、ララ公女が幸せだったのかというと、そんな事はありませんでした。
彼女が支配下に置けたのはガルトゥーンダウムとその使用人達だけだったからです。
ララ公女は第一王子と第二王子のルートヴィッヒに何度も手紙を書き接触を試みましたが、ルートヴィッヒは彼女を完璧に無視していました。
「会ってしまえば、多分僕は唆されてしまう。」
とルートヴィッヒは言っていました。
その判断は正しいのです。
君子は危うきに近寄ってはなりません。
その判断ができる人こそが真に賢い者なのです。
第一王子の方は頻繁に手紙の返事を書いていたようです。しかし、彼は王妃宮に幽閉されている身の上で、何のあてにもならないまま愚かな遊びに耽り流刑にされてしまいました。
ルートヴィッヒに無視され続けた公女は今度は第三王子のクラウスに接触しようとしました。
しかしララ公女はかつて、ジークレヒト・フォン・ヒルデブラントと醜く揉めた女です。そんな女をクラウスが相手にするはずがありません。
あの女が次に接触しようとしたのは、自分の従姉妹にあたるブラウンツヴァイクラントの王女達でした。
「あなた達の父親の行方を知っている。」
と手紙に書き直接会って教えると持ちかけたのです。会ってしまえば、王女達の後見であるシュテルンベルク家やエーレンフロイト家にまであの女は触手を伸ばしてくる事でしょう。
しかし、王女達は理性的な判断をしました。
『彼女の言葉は信用できない』
『本当に知っていて別行動をとっているという事は、国王に捨てられたか捨てたかのどちらかだ』
とジークルーネが王女達に言ったそうです。
そして
『ララ公女と親密になると、彼女を厭うエーレンフロイト家の後ろ盾を失う事になる』
と警告しました。
その警告を無視してまで、真実かどうかもわからぬ情報が欲しい。と思うほど父親に対する愛情が王女達にはなかったようです。
王女達もララ公女を完全に無視しました。
ララ公女のような自意識が過剰な女は無視される事を最大の屈辱と感じます。
接触さえすれば、たぶらかせるという自信に溢れているから尚更です。
そんなあの女に更に悲惨な出来事が待っていました。