作品タイトル不明
長い旅(4)(サーシャ視点)
プラムパイハイムを訪れた四日後。僕達家族は、エーレンフロイト家からの迎えの馬車に乗っていた。
四日前に、侍女殿に言われたのだ。
「当家で新しく作る製菓大学の講師を募集しています。講師になるつもりはありませんか?」
「なります。」
と即答した。エーレンフロイト家というのがどのような家門なのか、外国人の僕には全然わからない。あるいはこれは、地獄の門を開く行為なのかもしれない。だが、地獄ならもう十分に見てきた。
凍死する恐怖と闘いながら野宿し、たどり着いた王都は地獄の様相だった。数えきれないほどの打ち捨てられた死体。それに群がる野犬やカラス。絶望してする事もなく座り込んだ人々。乾き切ったパンに異臭が漂う干し肉。横暴で野蛮な役人。
ヒンガリーラントに来るまでの道中では、野盗やオオカミに怯えた。そうしてたどり着いたハーゼンクレファー領は無慈悲な土地だった。
冷たく追い払われ、そこからまたヒンガリーラントの王都を目指した。娘達が人買いに攫われそうになったのもその土地だった。王都までの道中は飢えとの戦いだった。疲れ果てた娘達が高熱を出しても薬を買うお金もなかった。
そして王都にたどり着き、今目の前に仕事がある。それも『お菓子作り』という仕事だ。今までの人生で他の仕事をした事が無かった。他の仕事ができる自信もなかった。このチャンスを逃せば、ブラウンツヴァイクラントの王都で打ち捨てられていた腐乱死体のようになるだけだ。と思った。自分一人だけの事なら、人生を諦めていたかもしれない。でも、妻と娘だけは守りたかった。安心できる居場所を作ってあげたかった。
その為には、もう何だってできると思った。
「まずは一ヶ月。試用期間を置きたいと思います。そのうえで雇用するか否か決定します。勿論。そちらから断られる事も可能です。」
「わかりました。」
「ご主人だけでなく奥様にも講師をして頂けたらと思います。どうでしょう?」
「私もですか⁉︎」
「大学には、卵の割り方や果物の皮の剥き方など、基礎の基礎から教える『初等科』と、ある程度の下地ができている人が学ぶ『高等科』を作る予定です。奥様には『初等科』の講師になって頂きたいと思っています。」
「はい。私、やります!何でもします。ありがとうございます!」
とナキアも言った。
「大学は王都から遠く離れた領地に作ります。でも作るのはこれからで、まだ建物も立ってはいない状況です。大学ができるまでは王都で、新商品の研究や、教科書作りなどをして頂きたいと思っています。」
いつかまた、ここから長い旅に出なくてはならないらしい。新しく行く土地はどんな土地だろう。どこまで流れて行く事になるのだろう。
行き着く先はまだ遠く見えなかった。
僕達は馬車に乗って雇い主であるエーレンフロイト家の屋敷に向かった。
大きな屋敷だった。僕が働いていたホテルより大きかった。だけど僕達家族が案内されたのは、本館ではなく西館だった。
西館の応接室には先客がいた。二十歳くらいの女の子だ。緊張の面持ちでソファーに座っていて、口元に運んだティーカップが小刻みに震えていた。
僕達の顔を見ると飛び跳ねるように立ち上がり
「ミリヤム・フォルカーです!よろしくお願い致します。ご主人様!」
と叫んで頭を下げた。
「ミリヤムさん。この方々もミリヤムさんと同じ、お菓子作りの職人の方ですよ。」
と笑いを噛み殺すような表情でメイドが言った。ミリヤム嬢が耳まで真っ赤になった。純朴な娘さんのようだった。
「それと、貴族に挨拶する時はまず貴族の側から挨拶をします。許可が出てからミリヤムさんは挨拶なさってくださいね。」
「す、すすすみません!私、こういうのに慣れていない田舎者で。」
変な話だが、緊張でがちがちになっているミリヤム嬢を見ていると僕の方の緊張がほぐれた。
「サーシャ・ハーディングです。ブラウンツヴァイクラントのホテルで料理人として働いていました。どうか、よろしくね。」
と言ってから娘達に挨拶するよう促した。
「ルキアです。初めまして。」
「レキアです。よろしくお願いします。」
「私はナキア・ハーディングです。よろしくお願いしますね、ミリヤムさん。」
「はいっ!」
と叫んでミリヤム嬢はぺこぺこと頭を下げた。
「どうぞ、ハーディングさん達もおかけください。お茶をご用意します。テーブルの上のお菓子もご自由にお食べください。」
とメイドが言ってくれたので僕達は腰掛けた。
美しいお菓子達だった。
まず目が言ったのは、生クリームとフルーツを挟んだフルーツサンドだ。ブルーベリー、オレンジ、アプリコットがあるがいずれも切り口にフルーツの断面がちょうど来るように切られている。フルーツとクリームをサンドイッチにするなんて、こんな美しくしかもおいしそうなお菓子ブラウンツヴァイクラントには無かったし、自分には思いつかなかった。衝撃的なお菓子だった。他にはチェリーパイと、木の実入りのカトルカール、そして白くて四角い形の見た事も無い菓子がある。メイドが
「栗ヨーカンです。」
と教えてくれた。
「こ、こんな、すごいお菓子頂いてもいいのでしょうか?」
と言いつつ、ミリヤム嬢がヨーカンを食べていた。
「ううっ、緊張して味がわからない・・。」
と小声で言っているのが聞こえた。
「フォルカーさんは、他の街から来られたの?」
とナキアが聞いた。
「はい。湖水地方のレートブルクから来ました。実家はパン屋をやっています!あ、えっとミリヤムって呼んでください。もしくはミリーと。」
「わかったわ、ミリー。私達、隣の国から来たからよくわからないのだけれど、レートブルクというのは遠くの街なの?」
「船で一日の距離です。でもちっちゃな街で、人口百人もいないんです。田舎なんです。王都に来て人の多さにびっくりしました。こんなにたくさんの人を見たの生まれて初めてです。」
そんな田舎街から呼ばれた、というのを少し不思議に僕は思った。
「お父さん。このサンドイッチ、すごくおいしい!」
とルキアが嬉しそうに言った。
「そうか。お父さんも食べてみよう。」
僕もサンドイッチを手にとった。アプリコットのサンドイッチだ。サンドイッチは想定の範囲内の味をしていた。つまり、すごくおいしいという事だ。
想定外の味だったのはヨーカンだ。栗だけでなく豆の味がする。おそらくヒヨコ豆だ。豆をお菓子に使うなんて考えた事もなかった。だけどものすごくおいしい。そして、何故この菓子は綺麗な四角形をしているのだろう?どうやってこんな形に固めているのかがわからない。
考えているとドアをノックする音がした。
入って来たのは先日お会いしたゾフィー様だった。そして、その後ろからいかにも大貴族!という感じの威厳のある貴婦人が入って来られた。黒髪に黒い瞳のキツい表情の女性だった。更にその後ろから貴婦人とそっくりの黒髪の少女が入って来る。その後ろに侍女なのだろうと思われる四人の美少女が入って来た。一人はリーシア様だ。他の三人は一人は金髪で、もう一人は赤褐色の髪、もう一人はミルクティー色の髪色をしていた。
更に数人の侍女と護衛騎士風の女性達も入って来る。私達は姿勢を正した。
「エーレンフロイト侯爵夫人アルベルティーナ様と侯爵令嬢レベッカ様でございます。」
とゾフィー様が言われ続けて言った。
「自己紹介をして頂けますか?」
ミリヤムをちらっと見たら、彼女は緊張のあまり硬直していた。なので僕が先に名乗る事にした。
「サーシャ・ハーディングと申します。そしてこちらは妻のナキア。娘のレキアとルキアです。お目に叶う事ができ幸甚の至りでございます。」
「ミ・ミリヤム・フォルカーです!コウジ・・コ・ココ。」
「緊張しないで。楽にしてちょうだい。」
と侯爵夫人が言われた。
「お菓子は口に合ったかしら?」
「はい。どれも素晴らしいもので感動致しました。」
と僕が代表して答えた。
「それは良かったわ。ではさっそく、今から厨房に案内しようと思うのだけれどそこで貴方方にも何か作って欲しいの。よろしいかしら?」
「はい。」
「はいぃっ!」
とミリヤムも裏返った声で返事をした。
「ハーディングさんは、自分が一番自信のあるお菓子を作ってくださる。ミリヤムさんは、例のアレを。」
「しょ・・承知しましたっ!」
「レベッカ、厨房に案内して。」
と侯爵夫人が言うと
「ほーい。」
と、あまり侯爵令嬢らしからぬ声をレベッカ様はあげた。
「こっちだよ。」
とレベッカ様は言って歩き出した。