作品タイトル不明
エーレンフロイト邸へ(3)(テリュース視点)
馬車は、リーシアの家にたどり着いた。
突然の訪問にびっくりしただろうが、ベロニカ夫人とマレーネは笑顔で迎えてくれた。
「いい普段着を着ていますねえ。」
とマルクが小声で呟く声が聞こえてきた。確かにその通りだった。マレーネは、二日前のお茶会の時よりもよっぽど良い服を着ていた。
「突然の訪問申し訳ない。・・リーシアの事で来たんだ。」
どう切り出したら良いのかわからず、たどたどしい言葉しか言えなかった。
「まあ、そうですか。ですがリーシアは体調が悪くて、部屋で休んでおりますのよ。伝言があれば伝えておきますわ。」
ベロニカ夫人がそう言った。
ぞわっとした。ものすごく自然に嘘をつかれた。あまりにも普段通りの口調で、ついさっき、リーシアと直接会っていなければとても嘘だと気づけなかっただろう。
僕はマレーネを見た。
「・・リーシアは、部屋で・・休んでいるの?」
「ええ、そうですわ。」
とマレーネが言う。こちらもものすごく自然な口調だった。一瞬のためらいも無かった。
「リーシアはエーレンフロイト邸にいるんだ!」
と叫びそうになった。
だが、その前にマルクが口を開いた。
「そうですか。できれば直接お会いしたいのですが。お部屋をお訪ねする事は可能ですか?」
「まあ、そんな!年頃の娘の寝室に殿方をご案内など出来ませんわ。」
そう言ってベロニカ夫人は鈴を転がすような声で笑った。
「え?」
と言ってマルクは首を傾げた。
「いえ、さすがに寝室に入るつもりはありません。応接室か書斎、何でしたら居間で結構です。それともリーシア様の私室にそれらの部屋は無いのですか?」
ベロニカ夫人が、ギクッ!とした顔をした。
けれど、マルクの言う事は変な事じゃあない。この家は、元々デューリンガー伯爵家のセカンドハウスだった家だ。なので、僕が住む家と同じような作りになっている。
当主と家族が住む部屋は三階で、当主夫婦の部屋は勿論、子供部屋も豪華な作りだ。
僕の部屋には寝室以外にも、来客に対応する応接室、趣味の時間を楽しむ居間、家庭教師と勉強する書斎、仕立て屋を呼んだ時に使う衣装室がある。勿論それは、僕が一人息子だから、一番良い子供部屋を使っているのだが、他の子供部屋だって居間と書斎くらいはついているのだ。
「会うのは無理だと思うわ。リーシアお姉様は、人に会わないって決めた時は絶対会いたがらないの。それなのに、無理に部屋の中に入ろうとしたらとっても怒るから。私もついさっき、お姉様のお具合が少しでも良くなったらいいな、と思ってオレンジジュースを持って行ったのだけど、そしたら・・うっ・うぅっ・・。」
マレーネがぽろぽろと泣き出した。
「そしたら?どうされたのですか?」
とマルクが聞く。
「い・・いえ。いいんです。ううっ。」
「あ、そうですか。じゃあ、いいですね。で。リーシア様の事ですが。」
マルクの冷たい一言に、マレーネが一瞬「え?」という顔をした。
「手紙を届けて頂けませんか?預かっている手紙がありますので。」
「マレーネ。大丈夫?可哀想に。」
ベロニカ夫人がマルクの言葉を無視して、マレーネの腕をとり慰める。
というか、手紙?そんな物預かってないだろう?
「おっと、しまった。手紙を馬車に置いて来てしまった。若。ちょっと、とって来ますので少し待っていてください。」
この地獄の空気の中に僕を置いて行くのか⁉︎
多分、オレンジジュースを持って行った時に何をされたか聞いてあげて、「可哀想に、マレーネ。リーシアは最低だな」と言ってあげたら泣き止むのだろう。
でも、リーシアは今エーレンフロイト邸にいる。なので『ついさっき、オレンジジュースを』持っていけたわけがない。だから、その話は嘘だし、ならば当然その後続く話も嘘だ。それを聞いて、今までと同じ態度で「可哀想に、マレーネ」と言える自信がなかった。
「リーシアはエーレンフロイト令嬢と仲が良いらしいね?」
僕は話題を変えた。
「そうなのですか?」
マレーネが、まだぽろぽろ涙を流しながら言った。
「すごいわ。お姉様。侯爵令嬢とお友達だなんて、羨ましい・・。でも・・。」
「どうしたの?マレーネ。」
とベロニカ夫人が聞いた。
「以前あるご令嬢と自分は親友だ。とお姉様が言われたので、とあるお茶会でその令嬢にお会いした時ご挨拶に行ったんです。そしたら、別に仲良くなんかしていない。とその令嬢はおっしゃって。私、混乱してしまって。」
褒めて、羨んで、最後に貶す。
よくよく考えてみると、こういう話し方がマレーネは多い。今になって気がついた。
「もしかして、手紙ってエーレンフロイト令嬢からですか?」
とベロニカ夫人が言った。
「今までに、エーレンフロイト令嬢から手紙が届いた事はありますか?」
僕は質問に質問を返した。
「昨日届きましたわ。リーシアったら、その時に何か失礼な事でも書いてお返ししたのではないかしら。そうだったらどうしましょう。」
むしろ、そうであったらまだマシだったのだろう。その届いた手紙が、家出したいという気持ちに火をつけたのに違いない。
僕はベロニカ夫人の質問には答えなかった。はいとか、いいえとか言ってしまって、後からマルクに真逆の事を言われたら困るからだ。
それにしても時間が経たない。マルクが遅い!
ようやく戻って来た時は、思いっきりマルクの事を睨みつけてしまった。
「こちらでございます。よろしくお願いします。」
「誰からの手紙ですの?」
ベロニカ夫人が硬い声で聞いた。
「尊い身分の方からでございます。恋文の類いではございませんのでご安心ください。口頭で構いませんので返事を頂けますでしょうか?」
尊い身分の方からの手紙は、普通馬車に置き忘れないだろ!
誰かにそう突っ込まれそうな気がしたが誰も言わなかった。ベロニカ夫人は、手紙を持って部屋を出て行った。
僕が慰めるような事を言わなかったからだろう。マレーネがずっと、涙で潤んだ目でこっちを見ている。
しばらくして、少し蒼い顔をしてベロニカ夫人が戻って来た。
「申し訳ございません。リーシアが癇癪を起こしてしまって。返事がもらえませんでした。本当に申し訳ありません。でも癇癪を一度起こしたら私ではどうにもできなくて・・。」
僕が部屋まで行って怒鳴りつけてあげましょうか?
と言ったら、何て答えるかな?と考えていたらマルクが
「そうですか。それでは仕方がありませんね。落ち着かれたら伝言をお願いできますでしょうか?では、若。次の予定があるので帰りましょう。あ、お見送りは結構ですよ。では失礼します。」
と言って、僕の袖を引っ張った。
僕達は、そのまま部屋を出て行った。
「帰るって⁉︎教科書と制服はどうするんだ?」
庭に出て直ぐ、僕はマルクに食ってかかった。
「離れに忍び込んで、もう回収致しました。馬車の中に入れております。」
「おまえ、勝手に忍び込んだのか⁉︎鍵はどうしたんだ?」
「鍵は付いていませんでした。」
女性が暮らす離れに?と不思議に思った。不思議と言えば
「あの手紙どうしたんだ?」
「馬車の中で私が書きました。」
「何て?」
「内容に意味はありません。私が知っている東大陸公用語の単語を十個ほど羅列したものです。東大陸公用語を知らない人間には、単なるマークにしか見えないでしょうし、知っていたとしても全く意味はわかりません。どうせリーシア様の手元に届く事は絶対に無い手紙です。
何か書いてさえあれば良いのです。」
「・・リーシアは部屋にいるって言ってたな。」
「ベロニカ夫人が戻って来た時の顔色を見るに、家の中にいない事に気がついていなかったのでしょう。許せない話です。あいつらは、リーシア様を閉じ込めて、食事も水も与えず二日も放置していたという事です。これは立派な殺人未遂です!」
ああ、そうか。これは怒るべきところなんだ。と僕はぼんやりと考えた。マレーネとベロニカ夫人に、嘘をつかれていたんだ。というショックで放心していた。
「だったら、ガツンと言ってやったら良かったのに。何で、直ぐ帰るなんて言ったりしたんだ!」
「夫人は、リーシア様がいないという事に気がつかれました。そこにタイミングよく現れた我々が、リーシア様の居所を知っていると直ぐにピンときたはずです。そうなると、若はともかく私は、監禁されて拷問にかけられかねません。」
「拷問って、おまえな!」
「夫人は鞭を振い慣れている方です。実際の経験が無ければ実践できない類いの暴力です。リーシア様以外にも、被害に遭っている使用人が数多いる事は容易に想像できます。」
・・容易に想像できなかったよ。
「若。馬車に戻る前に離れを見ていかれますか?想像を絶する酷さでしたよ。」
マルクにそう言われて、見ていこうかという気になった。いくらなんでも貴族家の離れだ。そこまで酷いはずはないだろう。
と思ったが。
「ここが『離れ』?家畜小屋だろ?」
厳密に言うと家畜小屋だった場所だ。今は動物はおらず、朽ちた柵が僅かに残っている。その家畜小屋の一部が小部屋になっていた。おそらく用具入れだろう。
ドアはあるが鍵はない。そもそも、ドアは壊れていて完全に閉める事はできない。小さな窓もあるが、ガラスは割れていた。
「私も最初、信じられませんでした。しかし、こちらの館には本館以外の建物はこの建物しかないのです。」
ドアを開けると中は意外に清潔だった。ただしベッドしか家具はなかった。ベッドの上には毛布と枕、折りたたまれた木綿の服があった。
「クレマチスの塔の囚人だって、もっとマシな部屋に住んでいますよ!」
マルクの声が怒りで震えていた。
「ここに人が住めるわけないだろう!いくらなんでもそんな!」
「制服と教科書はこの部屋にあったのです!」
「だったら、ここに一時的に置いていただけで・・。だいたい、私物が少なすぎだ。ここが部屋だと言うのなら、他にもいろいろなければおかしいじゃないか?文房具とか。櫛とか鏡とか。・・下着とか。」
「そういう物は、アカデミーの寄宿舎に置いておられるのではないでしょうか。」
「そ・そうだ。普段はアカデミーで暮らしているんだ。だから私物をただここに置いているだけで・・。」
「本気で言っておられるのですか?若に将来子供が出来た時、アカデミーに通っている子供の私物を、若は物置に放り込むのですか?若のご両親は、若がアカデミーに通っていた間も、若の部屋を毎日使用人に掃除させ、若がアカデミーの休みに戻ってくる時には食べきれないほどのご馳走を用意しておられました。それが、親というものではないですか?」
「・・・。」
「確かにベロニカ夫人は実の親ではないですし、マレーネ様は実の妹ではありません。リーシア様の事をどれほど努力しても愛せない、という事はあるでしょう。でも問題はそこではありません。お二人は、嘘に嘘を重ねて周囲を騙していたのです。まるで自分達の方が被害者だと言わんばかりに。」
その時だった。
「あんた達、何してんだい!」
突然の大声が聞こえてきた。