作品タイトル不明
王子が家へやって来た
何をしに来るのかというと、私が紹介をした『オーソン動物記』を借りに来るのである。
私は『オーソン動物記』はシュテルンベルク家の本だとばかり思っていたが、実は先代の伯爵が亡くなった時お母様が遺品としてもらったのだそうだ。
その件で私が『泥棒』呼ばわりされたと知ったお母様は怒り心頭だった。
「いくら私の実家とはいえ、貴重な財産である本を、十年も借りっぱなしにするなんて非常識な真似絶対にしません!」
というわけで、我が家の本だったらしい『オーソン動物記』を王子が借りに来るそうだ。
本に用事があるのだから、使用人に玄関で渡してもらって、はい終わり、で済んだら気が楽なのだがそういうわけにもいかないらしい。
次の日、私はよそ行きの服を着て、髪も可愛く結んで王子様をお迎えした。
その後、応接室にて二人でお茶を飲む事になった。
と言っても、お互い護衛騎士がすぐ側にいるし、ゾフィーとユリアとコルネが侍女服を着てお茶やお菓子の用意をした後、後方に控えているけどね。
しかし、緊張する。そして会話が無い。この前アイヒベッカー家で会った時は『オーソン動物記』の話しかしていないし、それにあれは私が一方的に喋っていただけだ。そもそも、思い返してみるに、私達がこんなにじっくりと向き合うのって、11歳の時に王宮図書館で話して以来じゃないか?
ううっ、どうしよう。こんな時自分の恋愛経験の少なさ(というか事実上ゼロ)が悲しくなる。
王子様も
「あれから大丈夫ですか?」
と聞いたきり、何も聞いてこない。そして私も、ジークやコンラートになら「今年バトった相手で最弱だった」とか平気で言えるけど、この人には言えない。言ってしまったら、何だか私まるで超凶暴なバーサーカーみたいじゃない?一応私、平和主義者なのよ。
「あの、フィリックス殿下はどうお過ごしなのでしょうか?」
何とか会話を捻り出してみた。
「気になる?」
「気になるというか・・何だかこの場にいらっしゃらないのが変な感じです。私が殿下にお会いした時は、大抵殿下の側にフィリックス殿下がいらっしゃったので。チェス大会の時も、王宮図書館でお会いした時も。」
芳花妃様が閉じ込められてた日はいなかったけど。でも、後は大抵いたもんな。
「実を言うと、僕も変な感じがするんだ。彼が側にいない事に。生まれた時からの付き合いなので。」
その後、じっとティーカップを見つめてルートヴィッヒ王子は黙り込んでいた。
沈黙が辛い!
心の中で「早く帰ってくんないかなー。」と思っていたところ。
急に王子が口を開いた。
「フィルを恨まないで欲しいんだ。」
別に、全然恨んでないけど。あの人には別に意地悪言われていないし。ただ「けっ!」て思ってるだけで。
「フィルも、複雑な育ちだから。父親の公爵が一番愛しているのは妻であるイーリス夫人で、イーリス夫人は数学だけを愛している人で。研究者仲間や学生と議論する事はあっても、フィルの話を聞いてあげたりとかはしない人だから。フィルは、少しでも母親に認めて欲しくて、知識の収集が好きな人間が集うコミュニティーに所属していたのだと思う。父親もだけど、母親がもう少しでもフィルに関心を払っていてくれたら・・・。」
うおーい!マザコンかいっ!
まあ、あの女性はかなりの変わりもんだって事はちょっと会って話しただけでわかったよ。
けどねえ。父親と母親が超仲が悪くて、父親には愛人がいて、給料家に入れてくれなくて、たまに戻って来たら暴力振るうようなそんな父親のいる家庭だったら超辛いよ。
母親が趣味とか何にも無い人で、人生の全てを子育てに捧げていて、我が子の成功が自分の成功!みたいに考えている人だったら超超辛いよ。
ようするにだな。
フィリックス殿下は幸せを条件で考えている人なんだろうな。
幸せになる為には、満たしていなければならない条件がいろいろあって、それが全部叶っていなければ幸せじゃない。99%は0と一緒みたいなさ。
生き辛さをきっと、すごい感じながら生きているんだろうなあ。
けど。
「フィリックス殿下はお幸せですよ。こんなにも気遣ってくださる友人がいるのですから。」
「そうなのかな。」
「本で読んだだけの知識ですが、人生につまずいてしまった時に立ち上がれる人と立ち上がれない人がいますがその違いは、つまずいてしまった人に力があるかないかではなく。」
私は王子の目を見て言った。
「立ち上がるまで支えてくれる人がいるか、いないか、なのだそうです。ですから、ルートヴィッヒ殿下がずっとフィリックス殿下がいつかまっすぐ立てる日まで諦めずに支えてあげたら、きっとフィリックス殿下は立ち上がられると思います。」
私はお茶を飲みながら言った。
「本当はそれは親の役目なのですけどね。でも、貴族社会は立場とか人目とかのせいでしょうか。普通でない親も多いですから。」
「そうだね。ありがとう、レベッカ姫。あなたを励まそうと思って来たのに、僕の方が励まされてしまったな。」
「僭越な事を申し上げました。」
「いや、本当にありがとう。レベッカ姫は優しいな。」
まあ、言うだけならタダですから。
というか、そういえば私も一つ申し上げたい事がありまして。
「アイヒベッカー侯爵夫婦の罪が確定して、エレナローゼさんとカーテローゼさんは身分が貴族から平民になってしまうのですよね。」
「ああ、親が貴族でなくなったら子供の貴族籍も剥奪されるからね。」
「知人から聞いた話なのですけれど。」
ドロテーア経由でデリクから聞いた話である。
「貴族の入る牢獄と平民が入る牢獄は雲泥の差があるのだそうですね。そもそも貴族牢は独房ですけれど、平民の入る牢は十数人、事によっては数十人が一緒に入れられるとか。その為囚人同士で言葉にできないほどひどい暴力行為が行われ、特に権力を持っていた役人や元貴族は凄惨ないじめを受けるそうです。食事も比べ物にならないくらい質素で、そのつましい食事すら力の強い物が奪い取り、弱い人は食べられないのだとか。怪我をしても病気になっても医者にもかかれず、夏は暑く、冬は凍死者が出るほど寒い。繰り返される暴力と栄養の無い食事、劣悪な衛生環境のせいで、囚人の平均余命はたった三年ほどと聞きました。お二人は貴族牢を出て、そのような環境に放り込まれるのですよね。」
「・・・。」
「監獄を劣悪な環境にする事が犯罪の抑止力になるのはわかります。エレナローゼさんがそれだけの罪を犯したのだという事もわかります。でも、そんな人を姉に持ったというだけでカーテローゼさんまで、同じ状況におかれるのは胸が痛みます。しかも彼女はまだ、社交界デビューもしていない未成年です。せめて彼女を、そのまま貴族用の監獄に収監しておくというわけにはいかないでしょうか?」
こんな事を言ったら怒るだろうか?王家の判断を批判する気か!と怒鳴られるだろうか?
でも、この人だってさっき「フィリックスを許して欲しい」と言ったのだ。私だって言ってもいいよね?
そう思いつつも恐ろしかった。この人は将来私を殺すかもしれない人なのだ。こんな事を言ってしまって、家族や家臣にまで罰を与えられたらどうしよう⁉︎
心臓がバクバクと大きな音をたてる。
王子は静かな声で言った。
「デイム・クリューガーという方を知っているかな?」
・・・話をそらされた?
仕方ないよね。王様の判断には王子様も逆らえないだろうし。「この無礼者!」って怒られないだけ良かったのかな。
とにかく、この話題はここまでって事だ。私にこの国の全ての不幸な子供を救う事はできない。仕方ないんだ。そう思いつつも泣きたい気持ちになった。
「いえ、知りません。」
デイム、というのは王室から勲章を受け取った女性に与えられる称号だ。男だったら爵位を貰えるレベルの功績をあげた人である。女性は爵位を貰えないので、代わりにこの称号を受け取るのだ。与えられた女性の身分は貴族になる。女性が受けられる唯一にして最大の貴族称号である。
「20年くらい前に、子殺しの罪で死刑判決を受けた女性だ。3歳になる息子を殴り殺した罪で捕えられた。でも、彼女は犯人ではなく本当の犯人は夫だった。夫の親族達に罪をなすりつけられたんだ。夫は準男爵とはいえ貴族で、妻は平民だった。なので、司法省は夫側の意見だけを鵜呑みにした。」
「・・ひどい話ですね。」
「一人息子を失った悲しみで、生きる気力を失っていた彼女だったが、支援者の助けを得て立ち直り再審請求をおこした。公正に調べ直せば証拠は出てくる。子供は頭蓋骨を折るほどの傷を負っていたんだ。素手で殴れば犯人だって手を傷める。そもそも、女性が負わせられるような傷じゃない。」
そうかなあ?
できる女もいるんじゃないかな?
という目で私を見るな!ユリア、コルネ、アーベラ!
「使用人からも証言が出て、彼女は無罪になり夫に死刑判決が出た。無実の人間に人殺しの濡れ衣をかけるのも犯罪だ。夫の母親と姉には終身刑の判決が出た。その後彼女は、猛勉強をして大学に入り弁護士の資格をとった。そして無実の罪を着せられた女性や、理不尽に重い刑を科せられた女性達を救う為の支援を始めた。監獄を出た女性達が立ち直れるようリスタート支援もしている。たくさんの女性達を救ってきた功績を認められ、勲章とデイムの称号を与えられた。『現代の聖女』とも言われている人だ。」
それはそう呼ばれて当然の人だろう。地球の人権派弁護士みたいなものだが、基本的人権が尊重される日本と君主制のヒンガリーラントとでは、活動にかけられる圧力が違う。『デイム』の称号が与えられるまでは平民だったのだ。平民の身で、司法省の役人や裁判官と戦うのはどれほどの勇気が必要だっただろうか?身の危険を感じる事も幾度となくあっただろう。
「彼女に相談してみたらどうだろう?カーテローゼ嬢の事を。」
「え?」
「法律の専門家だし、減刑や恩赦の為に必要な知識と情報、そして人脈がある。定期的に監獄を訪問しているので刑務官からも信頼されている。囚人が看守や刑務官から暴力を受ける事も多いらしいが、定期的に家族や弁護士が面会に来る囚人は全く来ない囚人に比べて、看守から受ける暴行が9割以上減るとさえ言われている。」
「そうなんですか!私、デイム・クリューガーという人に会ってみます!」
話をそらされた、と思った。でも、そうじゃなかった。ルートヴィッヒ王子は私の言う事を真剣に聞いてくれていた。その上で適切なアドバイスをくれた。王室のメンツとか、そういう事も気にせずに。
いい人なんだ。と、思った。
過去世では、お母様を悲劇的な理由で亡くしていろいろな物がひん曲がってしまったのかもしれないけれど、本当は他人に同情できる優しい人だったんだ。
私と目があった王子がにこっと微笑む。美しい笑顔にドキッとした。
正直に言います。
アイヒベッカー家で、光輝会の人達によってたかって泥棒呼ばわりされた時、かばってくれてすごく嬉しかったです。好感度のゲージが振り切れそうになりました。だって私だって、女の子だもん!
たとえ『最弱の敵』とはいえ、集団で迫られたら怖かったよ。そんな中で、私が犯人じゃない!って言ってくれたのは、弟のヨーゼフとこの人だけだった。もちろん、身分差があるから何も言えなかった、って人達もいるだろうけれど、でもやっぱり味方してもらえないのは悲しかったよ。だから王子様が味方してくれてすっごく心強かった。ものすごく嬉しかった。
ええ、はっきり言って。かなりキュンとしました!
そして、この人が私の結婚相手だなんて嬉しいかも。と思いました。
いかん、いかん、いかん!
と、私は必死で心の中に湧き上がった甘い考えを振り払った。
一回目の人生で、この人と婚約していたせいで、どんなに辛かったかを忘れてはいけない。
そもそも、アイヒベッカー家であんな仕打ちを受けたのはルートヴィッヒ王子と私が婚約していたからなのだ。原因と結果をはき違えてはならない。この人は、ぶっとい死亡フラグだ。人の姿をした旗なのだ!
と思いつつも、やっぱり考えてしまう。ほんと、この人顔が良い・・・。
まあ、いいか。わざと怒らせる事をする必要もないし。今はこの甘い時間を楽しんじゃおう。
死亡フラグを折る作業は、また明日から頑張ればいいんだ。
「そういえば、あの金魚達はどうなったのでしょう?」
と私は聞いてみた。
「王宮で引き取ったんだよ。金魚鉢は、王宮図書館に置かれている。ぜひ、見に来て欲しいな。」
「はい。必ず。」
私達は微笑みあった。自分がサスペンスでもゴシックホラーでもなく、恋愛ドラマの主人公になったような気がして、ちょっとほんわかした幸せな午後の日だった。
三日後。私はデイム・クリューガーの家を訪問した。
クリューガー邸の場所を教えてくれたのはデリクだ。現代の聖女とも呼ばれている人権活動家なら、絶対取材した事あるだろうと思って聞いてみたら、案の定デリクとデイム・クリューガーは知り合いだった。
私が書いた手紙をデリクは届けてくれて、返事もすぐにもらって来てくれた。家までの道案内もしてくれた。
「バルバラ・クリューガーと申します。 陋屋(ろうおく) へよくおいでくださいました。お目にかかれて嬉しいですわ。」
とデイム・クリューガーは言ったが、全然『陋屋』などではない。大きくはないがおしゃれで品のある家だった。物は少ないが貧乏くさくはなく、すっきりと片付いていて清潔感がある。そんな家と同様、デイム・クリューガーはすっきりと上品で清潔感のある女性だった。
年は40代の半ばくらいだろうか。小柄で華奢な女性だった。たとえ幼児が相手でも、殴り殺すとか絶対無理でしょ。と思わずにいられない人だ。だけど、私を見つめ返す瞳には強い意志の光があった。なんとなくだが、嘘が通じそうにない人だと思った。
「カーテローゼ嬢には、アロイス卿に依頼されて何回か面会をさせて頂きました。彼女の置かれている状況は明らかに理不尽なものです。彼女の減刑の請願に関して、エーレンフロイト令嬢にも協力していただけるなんてこんな嬉しい事はありません。」
そう言ってデイム・クリューガーは微笑んだ。
私はカーテローゼがどんなふうに、過ごしているのか質問してみた。それと同時に、刑務所を取り巻く現実と課題を聞いてみた。デイム・クリューガーは多忙な人だろうに、一つ一つの質問に誠実に答えてくれた。
この人は信頼に値する、立派な人だと思った。きっと百年後にはアカデミーの歴史の授業で、偉人の一人として教師に紹介される事だろう。
ジークは、世界は神の箱庭だと言った。そこには毒花も咲くし毒キノコもはえると。だけど美しい花や香りの高いハーブ、甘い実のなる果実や価値ある薬草だってはえるのだ。
世の中には悪人もたくさんいる。そんな人達のせいで、嫌な思いや怖い思いをする事は確かにある。でも、デイム・クリューガーのような立派な人も世の中にはちゃんといる。
だから世界は美しいのだ。そう思った。