作品タイトル不明
再び執務室
そのタイミングで稲光が光り、ドドドーン!と大きな音がした。
まるで映画か、演劇のワンシーンのように。誰かが「キャ」とか言いそうなくらい大きな音だったが、三人共手紙を
「見せてー。」「見せてー。」の大合唱だ。君達意外に胆力あるな!
私の返事を待たずに三人は手紙を覗きこんできた。
「うわ!」
と叫んで、目をそらしたアーベラ。
「まあ!」
と言ってガン見しているコルネ。そして首を傾げたユリア。たぶん、ユリアは何が描かれているのかわかっていない。
その手紙に描かれていたのは絵だ。字は一切書いてない。
その絵は緑色の絵の具で描かれていた。
もしも日本の漫画雑誌に描かれていたら、モザイク必須な絵であった。
ようするに、女性の下半身の絵で、とんでもない構図でいろんなモノがとっても詳しく描いてあったのだ。
ある意味、21世紀の地球で暮らしていたら、いかがわしいモノが目に入る機会はそれなりにある。
しかし、インターネットも写真集もレンタルビデオ店のアダルトコーナーも無い世界では、いかがわしいモノが視界に入る機会は金を払ってそういう商売をしている人がいる場所に行かない限り、ほぼ無い。少なくともユリアが、そんな絵を見る機会なんか一度たりとも無かっただろう。
首をひねっているユリアに、なぜか絵を一瞬で理解したコルネが説明をした。
これが腹でー、脚でー、鼠蹊部でー。
「きゃあああーっ!!!」
鼓膜が裂けそうなくらいユリアが絶叫した。
あまりの悲鳴に、ヨハンナさんが部屋に飛び込んで来た。
「大丈夫ですよ。雷は、だんだん遠くへ行っておりますから。」
違うんです。雷は関係ないのです。
「やだやだやだー!」
と言いつつユリアがコルネをぺしぺしと叩く。
「痛いです!やめてください、ユリア様!」
「焼きましょう!こんなモノ。」
2分前の5倍の声量で「焼きましょう」とユリアは言った。
「ダメよ。焼くなんて絶対ダメ!」
と私は言った。
「そうですね。将来的に脅迫に使えるかも。」
とコルネが言う。コルネ、君はいったい何を考えているんだ⁉︎
「どうなさったのですか?」
とヨハンナが聞いてきた。
「コンラートお兄様から、手紙が来たんです。」
「まあ!坊っちゃまから?」
「でも、コンラートお兄様が描いたんじゃないと思います。」
「えっ?」
「クランベリーの効能も知らん奴にこんな絵が描けるわけがない!」
私は叫んだ。
「あのー、私もクランベリーの効能を知らないんですけど、クランベリーって何に効くのですか?」
とコルネに聞かれた。
「クランベリーは、尿路感染症に効くと言われているの。そして、女性は圧倒的に男性より尿路感染症になりやすいの!」
「そうなんですか。」
「それより、ヨハンナさん!今すぐ、伯爵様に話したい事があるので、執務室まで一緒に来てください。」
「えっ?伯爵様に言うんですか?さすがにちょっと・・・。」
とコルネが言うが、これは絶対に報告するべき事案だ。それも1秒でも早く!
私は手紙を握りしめ、廊下へ飛び出した。廊下を青白い稲光が照らしていた。
そして私はまた執務室へ戻って来た。さっきこの部屋を出てからまだ10分経っていないと思う。
私は、ガンガンガンとドアをノックし、返事と同時に入室の許可も待たずに中に入った。後から思うと、護衛騎士に斬り殺されかねない暴挙だったが、その時は完全に頭に血が上っていた。
「失礼します!」
と言って私は執務室に入った。アーベラにユリアにコルネ、そしてヨハンナが一緒だ。
「どうしたんだ、レベッカ?」
と伯爵が驚いた表情で言う。
私は室内を見回した。室内にいたのは、伯爵と執事と護衛騎士の三人だ。アントニアはいない。
「アントニアさん、いないんですね。何の用事だったんですか?」
「いや、別に全然たいした用事ではなかったよ。」
「そうですか。ところで、さっき私が閣下の執務室へ来ていた数分の間に、私の部屋に誰かが手紙が置いていったんです。」
「そうなのか?」
「コンラートお兄様の名前が書いてありましたが、お兄様からの手紙ではないと思います。久しぶりに会った女の子に面と向かって『太った』などと言うような人がこんな手紙寄越して来ると思えませんから。」
「・・コンラートが、君にそんな失礼な事を言ったのか?それは申し訳なかった。私から謝罪させてもらう。」
「私にじゃなくてコルネにです。一応、そーゆう事は面と向かって言うな、と伯爵様から機会があったらお伝えください。そーゆう無神経な一言が原因で思春期の女子は、摂食障害になったりするのですから。」
「君にそんな事を言ったのか⁉︎君は全然太っていないし、むしろあと10キロは太るべきだと思うが。」
と伯爵がコルネに言う。
「いえ、そんな、私は別に・・。」
とコルネがわたわたとして言った。
「それより、コレが手紙です。見てください!」
と言って私は巻物を伯爵に突き出した。
「見せたらダメです。レベッカ様!」
とアーベラが私の腕を押さえようとしたが、伯爵が巻物を受け取る方が一瞬早かった。
伯爵が巻物を広げ、執事と護衛騎士が覗き込む。更にヨハンナも覗き込んだ。全員が言葉に詰まった。
「この手紙の問題は、緑の絵の具で描いてあるって事なんです!」
と私は言った。
「私が案内された部屋にはゴミ箱がありましたが、こんな絵、ゴミ箱にはそのまま捨てられません。回収しに来たメイドさんに見られたくありませんから。羊皮紙だから手では裂けないし、部屋のどこにハサミやペーパーナイフがあるのかもわかりません。そうなったら、捨てる方法は一つしかありません。暖炉の火の中に放り込んで焼いてしまうんです。実際、ユリアには焼いてしまうよう言われました。でも、この絵は焼いたらいけないんです。」
「その通りだ・・・。」
と言って伯爵は蒼ざめて震えながら手紙を握りつぶした。
ユリアやコルネは知らなかったようだが、伯爵は知っていたようだ。
緑の絵の具には『砒素』が混ざっているという事を。
それを私に教えてくれたのは、フェーベ街で下宿屋を経営していたマルティナだ。
「調理用のストーブの中に、絵の具のついた紙や布を入れて燃やしたら絶対にいけないよ。特に緑色の絵の具は絶対だ。緑色の絵の具の中には毒が入っていて、燃やしたら空気の中に毒が散ってしまうからね。その空気を吸い込んだら死んじまうんだよ。」
特に今日は雨が降っているから、窓を閉め切っている。そんな中で絵を燃やしたら絶対に死ぬ!
「コンラートが、こんな事をするわけない・・・。」
と伯爵は言った。
「表に書いてある文字は、坊っちゃまの文字ではありません。」
と執事も言った。
「緑色の絵の具の何が問題なのですか?」
とアーベラが聞いてきた。私が説明をすると、アーベラは蒼ざめて息を飲んだ。
「もしも私がこの絵を暖炉に放り込んでいたら、私だけでなくコルネもユリアもアーベラもみんな死んでました。それだけでなく明日の朝、私を起こしに来た使用人さんだって死んでしまったかもしれません。私はこんな事をされて、笑って許す事はできません。衆人の前で堂々と斬りかかってくるとかならまだしも、こんな卑怯なマネをしてくる犯罪者は厳罰に処して欲しいです。そうでなければ、こういう犯人は必ず罪を繰り返します!この絵はまだ、絵の具が乾いていないので、描かれたばかりのはずです。犯人はまだ、パレットや筆を洗っていないかもしれません。容疑者の部屋を調べてください。」
たとえ明日の朝、私達四人の死体が発見されても死因の解明は困難だろう。毒物は、飲んだ時と比べて吸い込んだ場合非常に判別が難しいのだ。21世紀の地球でもそうだったから、毒物を吸わせるという手法は度々ミステリー小説や映画で描かれた。そして発見された死体は、病死とか自殺で扱われるのだ。地球よりはるかに科学が劣っているこの世界では尚のこと、死因の判定はできないだろう。四人が同時に死んだら『呪い』扱いとかされるかもしれない。
「当然だ。オイゲン。全使用人を集めろ!」
と伯爵は言った。暗殺やら毒殺の恐ろしさ、重大さは私みたいな子供より伯爵の方がよくわかっているはずだ。鬼気迫るような表情で伯爵は立ち上がり、側に置いてあった剣のついたベルトを装着した。それを見てコルネが「あっ」と言った。
「どうした?」
「い・・いえ。何でもないです!」
「何か気がついた事があるのだったら言ってくれ。」
「あの・・その、伯爵様は左利きなんだな、って。」
確かに、伯爵は腰の右に剣をさした。
「絵を描いた人は、左利きです。」
とコルネは言った。
「そうなの?」
と私は聞いた。
「はい。筆が右から左に走っていましたから。」
伯爵がもう一回絵を見たが、女性陣の視線に気がついて慌てて絵を伏せた。
「フレスコ画を描くところをどうか想像してみてください。ベッキー様はどのように手を動かされますか?」
そんな物を描く日など永遠に無い。
ので、自分がスプレーアートを描くところを想像してみた。自分は横線を引く時に、どちらからどちらに手を動かすだろうか?ちなみに私は右利きだ。
「あ、なるほど。右利きの私は左から右に手を動かすね。左利きだと逆になるんだ。コンラートお兄様はどちらが利き手なのだろう?」
「右です。」
とコルネが即答した。
「私が左利きなので、初対面の方はまずどちらの手が利き手なのかを確認するんです。お茶をする時や食事の時に右利きの方の右側にうっかり座ってしまったら、肘がぶつかってご迷惑をかけてしまいますから。」
「そうなの?」
思えば寄宿舎で、コルネは必ず私の左に座った。今日の夕食も、私の左に座りたがった。それをアーベラに断られたら、ユリアと席を代わってもらっていた。きっと、肘がぶつかってもコンラートよりユリアの方が許してくれる可能性が高いと思ったからだろう。
左利きの人がそんな事を気にして生活しているなんて全然知らなかった。
でも。
「わかるよ。」
と伯爵は言った。
「私は両方の手が使えるよう子供の頃に訓練したのだけど、私も食事は必ず右手を主に使うようにしている。ただ、剣だけはやはり左の方が使いやすいんだ。」
そう言って、部下に指示を出して戻って来た執事に質問した。
「オイゲン。この館に住んでいる者で、左利きの人間が何人いるかわかるか?」
「もちろんでございます。利き手がどちらかによって、カトラリーの位置も、カップの持ち手の向きも変わります。執事としてその方の利き手がどちらかは、会った時一番最初に確認します。この館で、左利きの人間は七人です。メイドが二人、騎士が二人、そして旦那様とクルートー様とアントニア様です。」
一瞬、伯爵の背後の騎士様が動揺したのは、彼が左利きだからだろう。彼も剣を右にさしている。
でも、彼はずっとこの部屋にいたのだろうから犯人じゃない。そしてもちろん伯爵様も犯人じゃない。
「メイドさんは違うと思うな。」
とコルネがつぶやいた。
「絵の具って高価ですもの。一色だけ持っていても意味ないし。最低でも、赤と青と黄色と白を持っていないと絵は描けないですもの。」
青と黄色を混ぜればできる緑色の絵の具をわざわざ買うのは、お金持ちだけだと言いたいようだ。
「絵を描くのが上手な人ですよね。」
とユリアが言った。しかしコルネが首をふった。
「上手じゃないですよ。右と左の太腿の太さがあれだけ違う人間は実際にはいません。股関節の曲がってる方向もおかしかったです。」
よく見てたんだな!と感心してしまった。私はさすがに、恥ずかしくてまじまじとは見られなかったよ。
ユリアは、犯人を自分より絵が上手な人と思っている。コルネは自分より下手だと思っている。
おそらく二人は同じ人間を容疑者として考えているはずだ。
そして私も、同じ人間を疑っている。
そう。我が家の侍女長ゾフィーがアーベラに「警戒しろ」と伝えた相手だ。
その相手は二人。
しかし、一人は容疑者から外れた。
「クルートー様は昼から外出しておられて、まだ帰って来てはおられません。」
と執事が言ったからだ。
執務室に一人、また一人と人が集まってくる。
その度に私のすぐ側にいるアーベラの緊張が高まっていくのがわかった。
また青白い稲光が、執務室を鋭く駆け抜けていった。