軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

フェーベ地区

王都第二区にある職人街。フェーベ地区。

生まれて初めて訪れた場所は、朝からとっても賑やかだ。

ここは特に織物に関する工房が多いらしく、糸紡ぎ、機織り、染色、刺繍等々の工房が乱立している。

カエルのカバンを肩にかけた私は、普段見る事の無い光景にワクワクしながら歩いていた。

ちょいワルな事をやっている自覚があるからこそ、ドーパミンが脳内に大量に放出されている。その証拠に昨日一睡もしてないのに全然眠くない。

さすがにそろそろ、プチ家出をした事がバレたかなー。

今日の朝、普段からこっそり標準装備しているロープで作った輪っかをドアノブに引っ掛け、もう一方の端を部屋の窓から垂らし、見事庭へと降下したのである。

我が家の門には24時間門番がいるので、門からは出られない。なのでガゼボから一つ椅子を運び出し、門から離れた塀の側に置いてその椅子の上からジャンプ。見事塀をよじ登った。21世紀の日本だったら、監視カメラとか、赤外線探知機とか、いろいろ防犯設備があるのだろうけれど、ヒンガリーラントにそんな物はない。広すぎる敷地の塀を巡回の騎士達だけでくまなく監視する事は不可能だし、番犬であるタヌーは私にすっかり慣れているので、ガゼボでバッタリ会っても「ワン」とも吠えなかった。

そして、ひとたび塀の外に出てしまえば目の前に広がるのは、広くて美しい石畳の道。早朝という事もあって誰もいない。平民街だったら朝早くから働いている人や、健康の為にランニングをしている人とかいるだろうけれど、王城特区内にそんな人はいやしない。なので、王城特区に入る為の門まで、誰ともすれ違わずに歩けた。

門番はまだ若い男性騎士2人で、徹夜明けだからだろう。眠そうな目をしていた。

門番の重要な仕事は、入って来る人に怪しい人間がいないかを確かめることであって、基本的に出て行く人の事はあまり気にしない。

一応、どこの家門の人間かを聞かれたので「シュテルンベルク家です。」と嘘をついた。

「お使いかい?」

と聞かれたので

「はい。バーベンブルク子爵夫人の所に手紙を届けに行きます。」

と実在する貴族の名前をだした。バーベンブルク子爵夫人とは、アカデミーの副校長の名前だ。

校長の名前にしなかったのは、男性へのお使いだったら男の使用人が行かされるはずでは、と思われるかもしれないからである。副校長はアカデミーの女子寄宿舎の離れに住んでいるので、もし門番さんがそれを知っていてくれたら、尚更女の子1人でのお使いに納得してくれる事だろう。

「・・手紙?」

と言いつつ、騎士さんは私のカバンから顔を出している2匹の仔豚のぬいぐるみを見つめた。黒い仔豚とピンクの仔豚。この2匹はブルーダーシュタットで買った物だ。実はこの仔豚さん達は未来の世界の猫型ロボットのようにお腹にポケットがついていて、中に猫型ロボットほどではないにしても物がけっこうな量入るのだ。私は、黒豚ちゃんのお腹にヒンガリーラントのお金を、桃豚ちゃんのお腹に外国のお金を入れているのである。つまりこの豚様達は、貯金箱であり財布なのだ。

「このぬいぐるみもお届けするよう言われているのです。当家では不要の品なので、孤児院に寄付をして欲しいと。」

と私は嘘をついた。

「そうかい。この周辺は巡回の騎士もいて割と治安も良いけど、でも気をつけてね。」

と騎士さんは言ってくれた。良い人だ。

そこからはまた、しばらく歩き、広場まで行って巡回馬車に乗った。労働者の中には夜明けと共に働き出す人も多い。そんな人達を乗せる為、日本のバスのように街中を巡回する馬車があるのである。馬車は文教地区を抜け商業地区へと着いた。運河がはりめぐされている場所なので、ここからは、小舟の方が目的地までの移動に便利だ。

そうしてついに私はフェーベ地区へたどり着いた。

私がフェーベ地区を目指したのは無論理由がある。

フェーベ地区は職人街だが、職人が作った品を取引したり買い付けたりする商人も多くやって来るので、宿屋も充実しているのだ。

そして、仲良くなったヴァイスネーヴェルラント人の商人クラリッサも、ヒンガリーラントに来るたびこの地区にある宿屋を常宿にしているらしい。

宿屋の名前は、レーベンツァーン亭。タンポポという意味だそうだ。中年の実の姉弟が経営している宿屋だそうで、値段の割に広くて清潔、廊下をネズミが走り回っている事も、ベッドにトコジラミがわいている事もない。防犯もしっかりしていて、女性でも安心して泊まれる宿だし、何より食事がとてもおいしいのだそうだ。特にザリガニ入りのアイントプフは絶品だとか!

家出中だからといって、そこら辺の橋の下で野宿をするつもりは私には全く無い。しかし、ヒンガリーラントにはネットカフェや24時間やってるカラオケ店も無い。なので、私が唯一知っている、リーズナブルだけど安心安全な宿屋で数日過ごそうと思っているのである。

はて、レーベンツァーン亭はどこかな?と、キョロキョロしていた私は、漂ってきた良い香りの方向にふらふらと歩き出した。

香りの発生源はパン屋さんだった。しかし、日本のパン屋さんとは全然違う。お客さんがパン生地を持ち込んで焼いてもらうという店だった。

パンを焼くにはオーブンがいるが、庶民の家全てにオーブンがある訳ではない。というよりオーブンがあるのは、ごく一部の富裕層で、大抵の家庭には、小さな調理用ストーブか、かまどがある程度だ。なので、家でパン生地をこね、大きなオーブンがあるパン屋さんに持ち込みパンを代わりに焼いてもらうのだ。朝のこの時間帯、パン屋さんは大忙しのようだ。

そんなふうに、持ち込まれたパンを焼く店とはいえ、一応店売りのパンもあるらしい。店先に置かれたカゴの中に長さ1メートルくらいのバケットが何本か入っていた。一本銅貨2枚だそうだ。安い!お腹も空いてきたし買おうかな。と考えた時だった。

「キャーッ!」

という、あまり若くなさそうな女性の野太い悲鳴が聞こえてきた。

後で聞いた話だが、私が家出した事に気がついた、お母様と全使用人は大変なパニック状態に陥っていたそうだ。

人生の経験値が乏しい私は、常識に欠けていた。

私は日本にいた頃、児童養護施設で暮らしていた。そこには、親のネグレクトが原因で暮らしている子も多数いた。親が子供を残して家を何日も空け、数日経てば何事も無かったように戻ってくる。更に、親の虐待が原因でプチ家出を繰り返す子もいた。そういった子供らはネカフェで過ごしたり、スマホを使って『神待ち』をしたりする。結局警察に補導されたりするのだが、そんなふうに家出する子供の事を親は探していないし、気にしていないし、気がついてもいなかったりするのだ。

更に、私の一番の親友の子は声優さんや、薄い本を作る作家さんが大好きで、自分の好きな作家さんとかが何かのイベントを告知すると、そのまま親に何も言わずに、大都会行きの深夜高速バスに乗ってしまうような子だった。なので、親もそんな我が子の事を諦めて「人様に迷惑さえかけなければそれでいい。」と達観していた。

そんな、親子ばかり見ていたせいで私は知らなかった。

『普通』の人間は、家族が家出したら大変な恐慌状態に陥るという事を。