作品タイトル不明
シュヴァイツァー邸
船をつけられる岸につくと、馬車と白髪のおじいさんが立っていた。一介の御者にしては身なりが良く、体幹がピシッとしていて姿勢がいい。近くに寄って見るとそこまで、おじいさんではないのかな?と思った。
「よくお越しくださいました。レーリヒ様。」
「ラングハンス様自ら、お迎えに来てくださるとはありがとうございます。」
と秘書のナータン氏が言う。
「御者が所用で出かけておりましてね。なので、代わりにこの老骨がお迎えに上がりました。」
あ、やっぱりこの人そこまで年寄りじゃないな。本当の年寄りは、自分で自分の事を年寄りとは言わないものだ。
「ラングハンス様は、シュヴァイツァー家の執事なんです。」
とユリアがこっそり教えてくれた。
夏だからだろう。屋根の無い馬車だった。と言っても荷馬車みたいな馬車じゃなくて、地球の王族がパレードをする時のような豪華な馬車だ。座席も豪華な革張りである。しかし、舗装されていない土の道を走るので、ものすごく揺れる。なまじ屋根が無いので、急ブレーキをかけられたら、馬車の外に転がり落ちるかもしれない。
馬車は、森の中の小道を通って行った。一応、この土地もシュヴァイツァー家の私有地らしい。正直、あまり手を入れてなさそうな森だ。薄暗い木の影から、海賊が出て来るのではと思ってドキドキする。
5分ほど馬車で走っていると館の門が見えてきた。館は高い塀でぐるりと囲まれている。門番はいないみたいで、執事さんが御者台から降りて門を開けた。門がギギギっと大きな音をたてて動いた。周囲の鬱蒼とした森からは、うるさいほどの小鳥の声が聞こえてくる。
私達を乗せた馬車は門の中に入り、執事さんが門を閉めてカギをかけた。このカギは執事さん以外に誰が持っているのだろう?海賊を中に引き入れるには、カギが必須のはずだ。
「中へどうぞ。」
と、執事さんは笑顔で言った。
何の脈絡もなく、私は文子だった頃本で読んだマザーグースの一節を思い出した。
『広間へどうぞ、とクモはハエに言いました。』
いやいやいや、私はハエじゃないし!
私はユリアやアーベラ、ナータン氏と一緒に館の中へ入って行った。
館の中はまずまっすぐ廊下がのびていた。片側は大きな窓がたくさんあり、反対側にはフレスコ画が描いてある。現実世界にはいるわけない、と思えるほど爆乳のお姉さんが四人、手をつないでマイムマイムみたいな踊りを踊っている絵だ。しかし、私は別な物に目が釘づけになった。
銀貨が落ちてる!
・・てる。と考えた瞬間に私はもう、その銀貨を踏んでいた。その後、靴ひもを直すフリをして、銀貨を拾った。
すごいな。銀貨が落ちていて、それを誰も拾わないなんて。ここの住人は、真の金持ちに違いない!
それから歩いて数十歩。
たどり着いた応接室には、すでにたくさんの人がいた。
「やあ、よく来てくれたね。待っていたよ。」
と中年のおじさんが朗らかな声をあげた。
「ユリアーナさんだったかな。会うのは1年ぶりくらいだろうかね。ますます美しくなって。お父上も誇らしい事だろう。」
「ありがとうございます。シュヴァイツァー様。お目通りをお許しくださって感謝致します。」
「ははは。そんな堅苦しい呼び方をしなくてもいいのだよ。私の事はカールおじさんと呼んでおくれ。」
・・・。
文子だった頃、西日本に住んでいた私の頭の中に、ものすごく有名なCM曲が流れていった。
カールおじさんは、口の周りに黒々としたヒゲを生やしていたので、尚更『カールおじさん』に見えた。
「そうですよ。私もゲルトルートという名前だけど、気楽にゲーリーと呼んでね。」
とシュヴァイツァー夫人が言った。
もちろん何も変な事はありません。ゲルトルートなら愛称はゲーリーでしょう。
ただ!ユリアのお父さんの悲劇を思うとなんというか、どういうべきか。というか、初対面の年上の人にそこまでフレンドリーになれない!
カール・シュヴァイツァー氏は背があまり高くないが、顔の大きい五頭身体型の人だった。ゲルトルート夫人の方が夫より背が高く、スラリと細身でメガネをかけている。なんか、未来の世界の猫型ロボットが出てくるアニメの主人公のパパとママみたいだ。
「娘が来たという事は、やっぱり父親は重病で死にかけているって噂は本当なのかい?」
ソファーに座っていた男の人が急にそう言った。
「アーレンス様!」
と、ナータンが鋭い声をあげた。
「つまらない噂を真に受けておられるようですね。旦那様は単なる夏風邪です。体調に問題はありませんが、万が一にもシュヴァイツァー様におうつしすることがあってはならないと、本日は遠慮したのです。」
「体調に問題ないなら、むしろ訪問するべきではなかったのか?シュヴァイツァー様のお招きなのだぞ。あまりにも不敬ではないか。」
アーレンスという人は、ユリアのお父さんと同じくらいの年に見えた。カールおじさん以上に顔がデカいのに、センターフェイスである。
トリミングをしたら美男子と言える顔かもしれない。だけど、自分の娘といってもおかしくないくらいの年の女の子に意地の悪い事を言う人間に好感は持てない。
「もしよろしければ、そちらのお嬢さんの事をご紹介頂けませんか?」
アーレンス氏の向かいのソファーに座っていた男の人が、カールおじさんにそう言った。
「レーリヒ商会のお嬢さんのユリアーナさんだよ。ユリアーナさん。こちらは、セルナール商会の商会主のファビアン・セルナール氏だ。良い男だろう。あはははは。」
確かにいい男だ。日によく焼けた肌にキラリと光る白い歯が眩しい。だけど最近何度も『英雄の島』を呼んでいるからだろうか。顔の良い男になんか、胡散臭さを感じる。
「ユリアーナ・レーリヒと申します。お目にかかれて光栄です。」
「ファビアン・セルナールだよ。その年で父上の代わりを務められるなんて優秀な方なんだね。」
「はっ。子供のお遊びじゃないんだぞ。レーリヒ商会の非常識さが、ブルーダーシュタットの市民として恥ずかしいな!」
アーレンスという野郎がまた嫌味を言ってくる。
「父の代わりをしっかりと務めさせて頂くつもりです。」
「何が、父の代わりだ。こんな大事な場に友達まで連れて来て完全にお遊び気分じゃないか。そっちのお嬢ちゃんには、この場がどんなに重要なものかわかっているのか?シュヴァイツァー様がどれほど偉大なお方か、ちゃんと説明を聞いたのか?」
「ベッキー様を侮辱するのはやめてください!」
「はっ、何がベッキー様だ。おままごとはよそでやれと言っているんだ。」
「そちらのお嬢さんはユリアーナさんのお友達なのかな?」
カールおじさんが優しい声で聞いてきた。
ちなみに、私もユリアもナータン氏もまだ立ったままである。当主であるカールおじさんから、ソファーに着席する許可がまだ降りていないからだ。
私はアカデミーでシュトラウス先生に叩き込まれたカーテシーをして言った。
「美しい午後の日でございます。フランツ・フォン・エーレンフロイトの娘、レベッカ・フォン・エーレンフロイトがご挨拶を申し上げます。レオデキアの名門シュヴァイツァー様にお会いする機会を得た事を嬉しく思います。」
ひゅっと、誰かが息を飲む音がした。
ココはエーレンフロイト領。私はその領主の娘なんだからこの場のヒエラルキーの最高峰なのだ。
「まあ、申し訳ありません。いつまでも立たせたままで。どうかお座りになって!」
ゲルトルートが慌てて言った。
「エーレンフロイト姫君でしたか。父上には大変にお世話になっております。」
とカールおじさんも頭を下げる。
「突然の訪問を謝罪致します。珍しい宝石が見られる場だと聞いて、連れて行って欲しいと私がユリアにわがままを言ったのです。どうか、ユリアをお責めにならないでくださいませ。」
「もちろんです!姫君のご訪問光栄の極みでございます。」
「今日が、ご夫妻にとって大切な日である事は理解しております。お二人の商品の購入を邪魔をするつもりは全くありません。でも、お二人が望まれない品に良い物がもしもあるのならば購入をと考えているのです。」
アーレンスが、目を輝かせて言った。
「ええ、最高の品を揃えておりますから、姫様にもぜひ見て頂きたいです。」
「あなたから買う気はありません。」
・・・・。
場がシーンとなった。
当たり前だろうが!自分が3分前に何て言ったか考えてみろ。面の皮が、恐ろしく実の部分が少ないスイカの皮くらい厚い奴だな!
「では、さっそく見させてもらおうかな。」
ははははは、と乾いた笑い声をたてながらカールおじさんが言った。