作品タイトル不明
第五百五十一話 追体験
数年前まで帝国が周辺諸国から攻め込まれるなんて考える奴はいなかった。
誰もが帝国の黄金期を予想していた。
その中心にいたのは皇帝の長子である皇太子ヴィルヘルム。
脇を固めるのは逸材揃いの弟妹たち。
当時の帝国はまさしく盤石だった。
それが弱体化したのは、一つの事件が始まりだった。
皇太子ヴィルヘルムの死。
そこからすべてが崩れていった。
あれがなければ帝国が弱体化する未来はありえなかった。
大陸中央に君臨する帝国が盤石であれば、他の国は迂闊には動けない。
帝国が大陸統一に動き出したとしても、今ほどの混乱は大陸に巻き起こらなかっただろう。
強国が他国を呑み込むより、強国が崩れるほうが混乱は大きい。
だが、そんなことは滅多に起きない。崩れないから強国なのだ。
だが、帝国は崩れた。
完璧なタイミングでヴィルヘルムが倒れ、ヴィルヘルムの周りを固めていた弟妹たちが争い始めたからだ。
内輪揉めほど国力を落とすことはない。予期せぬ内輪揉めならなおさらだ。
誰もが起きないと思っていた帝位争いが起きた。しかも泥沼の争いだ。
すべては一つに繋がる。
謎に包まれた皇太子ヴィルヘルムの死だ。
藩国との戦いで流れ矢がその命を奪った。
ヴィルヘルムも人間だ。流れ矢で死ぬこともあるだろう。だが、誰もが驚いた。
あの皇太子が流れ矢で死ぬなんて、と。
だが、本人が自分の死を望んだなら?
思い出されるのは、らしくない言葉だ。
留守の間、帝国を頼むぞ? と長兄は言い残して出発した。
あの時はきまぐれと思ったが、自分がいなくなるとわかっていたならあり得る言葉だ。
そりゃあ留守にもなるだろう。
命を落とすのだから。
今でも帝国の人々は皇太子の影を追い求めている。
あまりにも偉大だから、その留守が……その喪失が大きいのだ。
もしも。
信じたくはないが。
もしも、この状況を作り出して、人類の一発逆転に賭けた人物がいるとするなら。
それは我らが長兄、ヴィルヘルムだろう。
だが、それはつまり。
この混乱期で命を落とした者たちは、ヴィルヘルムのその行動によって命を落としたということになる。
家族だけじゃない。帝国の民が、他国の民が多く命を落とした。
必要な犠牲というには大きすぎる。
だから、信じたくはない。
あの優しかった長兄がそんな決断を下したと、想像したくはない。
「どうした? 考え事か?」
「……悪魔との戦争というのは……何もかもを犠牲にしないといけないのか……?」
「……かつてはそうだった。少し、昔話をしよう」
そう言うと、長老はゆっくりと目を瞑る。
同時に長老の家が消え去り、俺と長老は空の上にいた。
「これは……?」
「追体験だ。かつての大戦の、な」
長老の言葉と同時に、場所が変わる。
燃え盛る村。
辺りには無数の死体。
立っているのは黒い翼を持った悪魔だけ。
「始まりは一人の魔導師が行った悪魔召喚からだった。だが、古代魔法の時代ですら悪魔召喚は不確かな魔法だった。どんな悪魔が出てくるかわからず、制御できるかもわからない。当然、この時も失敗だった。元より異界の住人を召喚し、操ろうとするのが間違っているわけだが……この時はそのツケを人類全体が払った。召喚されたのは魔界最強の悪魔、魔王ルシファーだった」
長い漆黒の髪に、夜空に浮かぶ星々のように輝く金眼。
見た目は人間とさほど変わらない。
端正な顔立ちの青年だ。黒い翼と禍々しい魔力以外は。
実際にその場にいるわけではないのに、その威圧感で体がすくむ。
間違いなく一人じゃ勝てない。
今まで見てきた化け物たちが可愛く見えるくらいだ。
たしかに魔王という異名はピッタリだ。
「召喚は現在の連合王国がある島で行われた。その波動は黒い柱として、天まで届いた。異変に気付いた島の者たちは団結して、ルシファー討伐に動いたが、一瞬で消し炭にされた。そして島の者たちは島から脱出した。人間の本能だったのだろう。敵わない化け物と悟ったのだ」
「よく……逃げられたな」
「ルシファーはすぐに動かなかった。自分が召喚された穴を拡大させていたからな。そして穴の拡大が終わると島を拠点として、無数の悪魔が大陸に攻め込んできた」
場所が変わる。
また空の上。
下には大陸がある。
そして炎が大陸中に広がっていった。
これはイメージじゃない。
実際、大陸中に炎が広がっていったんだろう。
「悪魔が攻め込んできた直後は、大陸に乱立していた国々が個別に対処した。そしてすべて返り討ちにあった。次々に国が滅んでいき、北から来る暴威に対して、多くの民が南への逃避を選んだ」
炎はどんどん北から南へと進んでいく。
大陸の西側、中央、東側。
この三方向から悪魔が進軍していた。
だが、西側と東側がどんどん炎に包まれていくというのに、大陸の中央では炎の動きが止まっていた。
「逃げ腰の人類。軟弱な大陸の民など簡単に捻りつぶせるとすべての悪魔が考えていた。だが、そんな悪魔に一つの国が立ちはだかった。当時、すでに大陸中央で強国の地位を確立していたアードラシア帝国だ」
さらに場所が変わる。
そこは広い平野だった。
おそらく戦闘の後。
傷ついた多くの騎士たちが一点を見つめていた。
華麗な壇上ではなく、無骨な岩に立つ一人の男。
その手に握った剣を掲げ、騎士たちを鼓舞していた。
「見よ! 我が騎士たちよ! 悪魔とて無敵ではない! 我らの力を結集すれば倒せるのだ! 声を上げよ! 逃げ惑う各地の民に我らの勝鬨を聞かせようではないか! 人類反撃の狼煙は我ら帝国が上げるのだ!!」
男の演説を聞き、平野に集まった騎士たちが空に向かって声をあげた。
傷を負い、今にも死にそうな騎士も声をあげる。
命が尽きるその瞬間まで、その騎士は声を上げ続けた。
敬愛する主に捧げた最後の勝鬨だった。
「自ら先陣を切り、悪魔に対抗した騎士皇帝……アンドレアス」
短い金髪の男だ。年は二十代後半くらいだろうか。
さきほどの魔王のような威圧感はない。
あくまで人だ。
人外ではない。だが、人としては最高峰の能力とカリスマ性を持っていた。
「悪魔の侵攻は帝国の抵抗によって押しとどめられた。人類反抗の希望となった帝国には、各地から悪魔に反抗する意志を持つ傑物たちが集まり始めた。その中に一人の少年がいた。その少年こそが人類の希望だった」