軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【26】忠心

「マルグリット、それはいけない。それはだめだ」

元侍女アドリアンヌは、正妃の生国から伴われた、北方貴族の血を引く娘だった。

彼女は正妃がまだ王太子の婚約者という立場だった時から、ずっと正妃のそばにいた。侍女の中では若輩で下っ端だったアドリアンヌだが、マルグリットへの信奉は人一倍で、次第に最も信頼される侍女の一人という立場へと押し上がった。

彼女は、その外形的な特質はマルグリットによく似ていたし、主人であるマルグリットに望まれれば躊躇いもなくその夫に身を差し出す忠誠心、そして何より、気の弱さが傀儡として理想的であった。

「アドリアンヌ。体はつらくない?起きていて平気なの?」

「何か食べたいものはある?何でも用意させるわ」

「妊娠初期は体調を崩すでしょう。私も、ひどいつわりで起き上がれなかったもの。ああ、あなたも顔色がこんなに悪くなって」

「あなたのお腹から産まれる子はこの国の宝物よ」

正妃は、まるで気に入りの人形を手放さない子供のように、一日中アドリアンヌの世話を焼いた。

正妃の宮の奥深くに置かれ、ここから一歩も外へ出るなと言われて、もうどのくらいの時間が経過しただろうか。

宮のすべての人間、アドリアンヌのかつての同僚たちは、すっかり彼女のことを「アドリアンヌさま」と呼んで気遣った。

見て見ぬ振りが得意なのか、それとも彼女たちも正妃のようになっているのか、アドリアンヌにはもうわからない。

「マルグリットさま。マルグリットさまもどうか、お休みになってください。あまり根を詰めて看病されて、あなたさままで体調を崩されてはなりなせんわ。アドリアンヌさまの看病は、その間私どもがいたしますから」

今やこの宮を我が物顔で歩くようになった女官長が、そっと正妃の肩を抱いて気遣わしげにしている。

年相応にしわがれた女官長の猫撫で声はひどく耳障りで、アドリアンヌにとっては忌々しいものだった。

(私はどこで間違ったのかしら)

「平気よ、スミュール伯爵夫人。アドリアンヌがつらそうだから、そばにいてあげたいの」

「マルグリットさまはまことにお優しいお方。きっと、お生まれになる王子さまとこの国を導く、良き嫡母、良き国母におなりでございましょう」

正妃の狂気を良いように助長しているのがあの女だとわかっていても、どうすることもできない。

最初に、アドリアンヌが身ごもっているのではないかと正妃に伝えたのは、女官長だった。

二ヶ月ほど前、視察への出立前の時期に陛下は、正妃の機嫌を伺いにこの宮を訪れた。

正妃は、侍女アドリアンヌを供して自身は陛下とお会いにはならなかった。

たまに訪れる夫に会いもしないというのは、彼女がここ最近、特に他所に子を作られてからは普段からよく取る態度だった。

そういう時、彼女が陛下に無言の圧力をかけるために用意される侍女はアドリアンヌであることもあったし、他の腹心の侍女であることもあったが、ともかくその日はアドリアンヌの番だった。

アドリアンヌは確かに以前から陛下の愛人だが、あの夜には何もなかった。マルグリットはどうしているか、マルグリットに変調はないかと、陛下は一通り正妃の様子をアドリアンヌに確認してから帰られた。

その事実を知っているのはアドリアンヌと、陛下ご本人だけだ。

事実が事実として伝わっていないのは、後宮の記録係の雑な仕事によるものか、あるいは女官長に抱き込まれているのか知らないが、それはアドリアンヌには預かり知らぬことだ。

(もう、そんなことはどうでもいいわ)

『アドリアンヌ!ああ、あなたが、そうなのね! ……あなたが、私たちを救ってくれるのね』

全ての悪夢から開放されたようにアドリアンヌに笑いかけた正妃の笑みに対して、アドリアンヌは違うと、たった一言が言えなかった。

そうしているうちにどんどん取り返しのつかないことになって、アドリアンヌは実際に、起き上がれなくなるほど体調に支障をきたした。

自身の罪がどれほど大それたものなのか、自覚している。

ましてや、女官長たちが企んでいることも。

アドリアンヌの空の腹から出てくる予定になっている「王子」が、どこかで用意されているだろうことも。

陛下が視察から戻られれば、どのみち全てが明るみになる。

そう思えばアドリアンヌはいっそ気が楽だった。愚かな者たちの企みが通ることはない。アドリアンヌは奸計の当事者として槍玉に挙げられることは不思議と怖くなかった。

(だって、あの方がこうまで追い詰められ悲しまれ、心を苛まれるような世界が、正しいものであるはずがない)

ただ、正妃の悪夢がまた続くことだけがひたすらに恐ろしかった。

「マルグリットさま……」

「なあに?アドリアンヌ。なんでも言って?」

「……必ず、健康な王子を、産み参らせてご覧にいれますわ。貴女さまに、待望の、王子を」

正妃は一度、虚を突かれたような無表情を浮かべた後に、花が咲くように無邪気な笑顔を見せた。

「あなたとハロルドの子ならば、男の子でも女の子でもきっと可愛いわ」