軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

亡霊の訪問と青い小鳥

疲弊しきって眠る不機嫌な夜には、時折あの日のことを夢に見た。

ずっと傍にいた彼女に、大事な大事なララに、すぐに戻ると言い残しなぜ自分は馬車を降りてしまったのだろう。

それもまた、レーヌの狡猾な計算の内であったことは分ってはいても、胸が引き裂かれるように痛み軋む。

あの雨の中でこの手の中で失われた温もりは、初めて得る形で育った愛であり、この心が最後にたった一人だけ、この女でなければと魂を揺らした最高の女であった。

ざあっと雨音が耳の奥で響く。

この季節にはもうウィームは雪に閉ざされてしまい、聞こえない筈のその響きに顔を顰めた。

ふっと瞳を開き、いつもの自分の書庫を見渡した。

(夢か………………)

昨晩、何か不愉快な出来事があっただろうかと考えかけ、何か形のないものの浄化作用がこのウィームから在るべきものを奪うかもしれないという可能性について、とある男とあれこれ議論していたのだと思い至る。

目を開くと、ほっとしたようにこちらを見るウォルターがいて、奥に居たエメルと視線を交わしているようだ。

ガヴィレークの姿は見えないが、ここにいない筈もない。

本来は閲覧用であるテーブルの上には、茶器やウィームの地図などが出しっ放しになっており、乱雑に書き連ねられたメモなども散乱している。

そろそろ開館時間ではあるが、ここはダリルダレンの書架の中の迷路の一つ。

禁書の書架の区画には、特別な資質と許可証がなければ辿り着けないので、当分は誰も来ないだろう。

よく、誰もいない筈の書棚の向こうからくすくすと笑う声が聞こえたり、人の気配を感じると言うが、それは単にその者には立ち入れない特別な区画が併設されているだけなのだ。

本の数だけ魔術と扉があるこの建物の中で、見えるものばかりが世界だと感じる事ほど愚かなことはない。

書庫と学び舎には、必ず迷路が隠されている。

天窓の外側には雪が積もっていた。

その隙間から差し込んだ筋状の光が書架の隙間を縫い、薄暗いこの部屋を奇妙な明るさと暗さに切り分けて染めていた。

朝なのかと思い、魔術仕掛けのカレンダーを見れば、いつの間にか今日という日の在り処は、クラヴィスから後退していた。

これからは暫し、日付のない空白の日々が続くのだろう。

けれどもそれは、いつものウィームの冬でしかない。

「おや、お目覚めかな」

振り返りそう微笑んだ青年の姿に、ダリルはふんと鼻を鳴らした。

少し離れた書架の隣で並ぶ本を見ていた男は、容姿だけで判断するなら青年と言うしかない容貌なのだが、実際にはそれなりの年齢である。

身に持つ魔術の関係で、この男はいやに若く見えるのだ。

「あんた達はもういいよ。下がって休みな」

そう言えば、ウォルターはどこか探るような目をしてこちらを見た。

一見、本当に大丈夫だろうかと問いかけているようにも見えるが、この指示が言葉通りのものかどうかを、ダリルの瞳から探っているのだ。

「…………お一人でこの者と?」

「この男が、私を損なうことだけはない。繋がった魔術から、こいつの大事なものも損なっちまうからね」

「であれば、我々は隣室に控えておりましょう。何かあれば声をかけて下さい」

「少し休んでおくんだよ。あと半刻もすれば、交代の奴等が来る」

「…………あんな男よりは、お役に立ちますよ」

「まったく、あいつが絡むとあんたも頑固だねぇ」

そう笑って片手を振ると、ウォルターを追い出した。

エメルの姿は既に見えないが、この部屋に水差しがあり、そこに澄んだ水が入れられている限りは、エメルの監視はどこまでも及ぶ。

水竜の中でも突出した力を持つ彼だけが可能とする、ダリルの承認の下に敷かれたこの建物内を網羅する魔術の小窓だ。

明け方近くに、ダリルがもう寝ると言い残してこの長椅子に横になった後は、ウォルターとエメルが客人の相手をしていたのだろう。

一見、無造作に使われたようなテーブルの上には、ウォルターらしい規則性があった。

彼等は、ダリルが眠っているからといって、迂闊に情報を渡したり魔術を敷かれたりする愚かな弟子ではないので、安心して後を任せてある。

だからこうして、このテーブルの上のものの配置は、彼がこの男と交わした議論から得た情報を暗号として残してあった。

(ふぅん…………、やっぱり、案外毒はないのかね。………とは言えあの一族の嗜好なら、本来はあの子のことはかなり好きだろうけどさ……………)

「……………まったく、あんたのお蔭で最悪の目覚めだよ」

ウォルターが退出し、そう呟けば声もなく笑う気配がある。

ひらりと揺れたのは、裕福な貴族や商人などが好むような華やかな緑色の刺繍入りの上着だ。

柔和な青年らしい姿にはとても似合っているのだが、何となくむず痒い思いがする。

どこか、この男の言動に対してらしくなく無害そうな装いでいるという目で見てしまうのだろう。

その証拠に、彼がふっと深めるその微笑みは決して御し易いものではない。

「そう言ってくれるな。私も、この季節の大事な一日をこちらに使ったんだ。この問題はついうっかりなどという理由で間違いがあっては困るものだし、君が私に気付いた以上は、私の知る限りの詳細までを擦り合わせておいた方がいいだろう?」

(とは言えこの男の暗躍は、いささか身勝手が過ぎる)

こちらの事情を知らないからこその過剰な手立てもあり、結局その帳尻を合わせなければならなくなるダリルからすれば、最低限は好意的で聡明なる邪魔者といった感が拭えない。

「シカトラームの魔術にまで働きかけてかい?」

「無駄なことかとも思ったが、人間の繋げる魔術こそ、魔物達が見落としがちな小さな棘になる。どんな些細な気付きであれ、必要なことだと思うけれどね」

そう微笑んだ男は、淡い銀髪に緑色の瞳のその配色は、やはり魂の彩りなのだろうか。

とはいえその髪色は擬態に過ぎず、実際には鮮やかな程の凄艶な白い髪を持つ。

かつてのこの男は決して白持ちではなかったが、その当時から身に白を隠し持っていた可能性は高い。

彼が現在の場所まで辿り着く為に編んだのは、彼自身が信じるだけの成果を与えておらずとも、想像を絶する程に複雑で精緻な禁術なのだ。

「そう言えば、あんたは鷹揚そうな外面とは違って、複雑に絡み合った魔術が大好きだったね。私にもその傾向はあるけれど、それは時として悪手だよ。愛する者を奪われたからこその周到さだと言うなら、私だってさして変わりはない」

「であれば、私はあのカルウィの王子のように、少々屈折しながらも馬鹿正直に、彼等にこう言うべきだったのかな。私の大切な者が危険に晒されると困るので、どうか上手くやっていただきたい。例えば、その為に君達が多少の不利益を被るとしても、こちらの腹は痛まないので宜しく頼むと?」

「そう明け透けに腹を割って交渉出来たのならば、変えられたものもあったかもしれないね」

そう呟けば、ふっと苦々しく微笑み、男は溜息を吐く。

「……………それこそが、裏切りというものの顛末だよ。まったく、君はその全てを眺めていただろうに、意地悪なことを言うものだ」

ダリルは決して、彼を傷付ける為にその言葉を選んだ訳ではなかった。

あの時は本当に、なぜ、したたかで聡明な人間が、あのような愚かな選択をしたのだろうと頭を悩ませたものだ。

あの時、この男と親交の深かった魔物達は、比較的早くその選択を受け入れていたが、ダリルには、守る為に共に滅びるという選択肢は理解が及ばなかった。

それはもしかしたら、愛する者の為に滅びるという術を選ばないダリルだからこその、素朴な失望であったのかもしれない。

「今はもう答えの出ない問いかけだね。今のあんたに向けても仕方のない問いだが、それでもと考えることもあるんだよ。私もね。とは言え私は今の暮らしが気に入っているから、取り戻せるものならばとは言わないけれど」

「それなら、こう答えるべきなのかな。…………愛する者達を奪われたからだ。人間とは、そのような時にこそ、何の救いもない愚かな選択をしてしまう」

もし、ネアだったらどうしただろう。

ふとダリルはそう考える。

(あの子は多分、残ったものだけを抱えて、さっさと戦場を捨てただろう)

その資質は多分、彼女が喪った者だからだ。

なので、そもそも喪うということを知る前にその選択がなされるかという疑問はあるものの、それでもダリルの知るネアは、残されたものだけを生かすことに全力を尽くしただろう。

そう考えればつまり、あの男は愛する者を奪われた悲しみで判断を誤ったことと合わせ、残された愛する者達の為だけにも生き延びられなかった憐れな人間だということなのだろう。

本物の選択の鋭さというものを見るのなら、それはやはり、自分の手の及ばないものを捨てることも出来なければならない。

それが多分、あの男を気に入っていた選択の魔物が、最後の一線でそれでも失いたくないと彼を連れ出さなかった理由でもあるのだろう。

彼は、国を捨てることが出来なかった。

それは間違えたからではなく、やはり最後はその他の道を選ばなかったということなのだ。

(深い悔恨と、深い愛情…………か………)

ウォルターが残した暗号には、そんな言葉が記されている。

心のどこかでは、この男も、彼こそが最後にその手を離したことを分かっていて、だからこそ巧妙に立ち回り、その贖罪に入れ込むのだろうか。

「…………ふうん、そんなものかね。それと、あんたは忘れているかもしれないけれど、あの子達が繋いだ縁がなければ、あんたの大事なものはその手に戻らなかったんだ。それを忘れるんじゃないよ」

「勿論だ。だからこそ私は、彼女達のことがとても好きだよ。とは言え私は、所詮人間に過ぎないからね。どれだけ感謝していても、愛する者達を再び私の手から奪う要因になられては困ると、そんな我が儘な思いも持つのさ」

「…………何でだろうね。あんたを見てると、少し前までの、訳知り顔で肩を竦めていた高位の魔物達を思い出すよ。案外、その辺りの取るに足らないような誰かが、あんたのその澄ました顔を張り飛ばすかもしれないね」

「おや、それはそれで歓迎するよ。これでも私は、我が家で愛する者達と過ごす時間を最優先させているつもりだからね。厄介な懸念を忘れ、早く何の憂いもない家族団欒に戻らせて貰いたいものだ」

もう戻れる筈なのだ。

戻ればいいのにと、ダリルは思う。

遠い昔、一人の商人の息子が死んだ。

その青年は己の魂の歪みに食われてその心を壊し、自ら命を絶ったのだとされている。

そして、その要因となった記憶の持ち主が、いつかどこかで自分の魂を受け入れた体が空いたのならと遺していた魔術が動き、亡霊として目を覚ましたのだと。

一枚の絵から目を覚ましたその亡霊は、愛するものを取り戻す為に世界中を巡り歩き、その為にであればどんな悪手も厭わなかった。

ある意味、彼の魂は、ようやく今になって自分が守れるだけのものを、守ることが可能なその場所で手の内に抱え込めたのだとも言える。

(けれどもその亡霊は、こいつ自身が思い込んでいるように、過去のあの男そのものではない。魂が残っていたならいざ知らず、全く同じものが取り戻されるという奇跡は、修復の魔物が失われたこの世界には、絶対的に存在しないのだから)

ダリルもよく知るその男の魂は、何としても守り切ろうとした火竜の王の手からも奪われたものだ。

王宮を閉ざした魔術が敷かれた時点から、その魂が跡形もなく砕かれる呪いは仕込まれていたし、因果の成就が司り、彼こそは誰よりも逃すまいとしたバーンチュアの執念はいかばかりか。

誰よりも憧れ、誰よりも崇拝した男が自分の苦しみを理解しないと知った時、バーンチュアが抱いたのはそれ程に深い絶望と憎しみだったのだ。

或いは、生かしておけばこの先、自分は大陸の覇者達と渡り合う為の覚悟が定まらないと、そう考えたのかもしれない。

(だから、ここにいるのはあの男ではない…………)

であればそれは、一人の商人の息子の心が壊れ、かつての偉大なる王を模し蘇った呪いのようなもの。

壮絶な最期の記憶をその魂から引き剥がせず、それに侵食されて出来上がった復元体に過ぎないと一蹴してみせたのは、この土地に古くから居を構えかつてのあの男と親交のあった選択の魔物だ。

その記憶を引き継ぎ、その記憶に飲み込まれて、人間としての生を残したまま自我をそちらに譲り渡した祟りもののような人間がここにいる。

「…………さて。そろそろ帰らないと、一緒に朝食を食べられないなぁ」

のんびりと眠そうな瞳を瞬き伸びをして、相変わらずここには複雑な魔術の道が張り巡らされているねと微笑んだその人間は、おやっと目を瞠った。

「……………ダリル、気のせいでなければ、妖精が派生したようだよ」

「……………どこに?!」

「その、修復用の机のあたりかな。………ああ、ほらまた光った。まだ小さな光にしか見えないけれど、あれは妖精じゃないかな…………」

その時にはもう、背後から聞こえてくる声に答える余裕はなく、ダリルは横になっていた長椅子の背もたれを飛び越えてそちらに向かうと、もの凄い形相でその小さな光を追いかけていた。

ふわふわと揺れ動くまだ幼い妖精は、いきなり追い回されて驚いてしまったものか、慌てて飛んで逃げようとしたが、あっという間にダリルの手に掴まえられてしまう。

「ピギュ?!」

小さな声を上げて逃げ惑う光をそっと手の中に閉じ込め、手のひらに触れるその儚い温度に胸が潰れそうになった。

ああ。

ああ、帰ってきた。

それは勿論、あの女そのものではないが、こうしてここに、また大事なものが戻って来た。

冷静な声を出す為にまずは何度か深呼吸し、背後で面白そうにこちらの様子を窺っている男のことは気にしないようにする。

「……………いいかい、あんたは司書妖精だ。けれど、そんな小さななりでこの書庫の中をふわふわしていたら、ここにやってくる無神経な奴らにあっという間に潰されちまう。そうそうなことじゃその身が欠けないように、守護をやるから少しだけ大人しくしてな」

「…………ピィ」

努めて穏やかな声を出してそう説明してやれば、手の中で暴れていた小さな生き物は動きを止めたようだ。

とは言え手を開いて逃がしてしまうような愚行は冒さず、ダリルはそっと自分の指の隙間から、書架妖精としての最大限の祝福と守護を授ける。

「ピュイ?!」

その直後、手のひらの中のあまりにも脆弱な光の粒は、ぼふんと音を立てて小さな青い小鳥になった。

指の間からはみ出た尾羽を傷付けないように慌てて手を開くと、目を丸くして尻餅をついた美しい小鳥がこちらを見上げている。

思わず唇の端が持ち上がり、その無防備で幼気な姿を惚れ惚れと見つめた。

「…………よし、形を得たね。その状態になると自分の意志で、周囲の魔術を取り込めるようになる。そこにいることに気付かずに誰かに潰される心配もないから、私も一安心だ」

「……………ピュイ」

「…………私はこの書庫と数多の書架を治める者だよ。ここで暮らすお前には、今日から最高の守り手をつけてやるからね。派生の祝福も、幸いにも今のウィームには頑強な祝福を贈れる者達がたくさんいる」

「ピュイ?」

こちらを見上げるつぶらな瞳には、幼い好奇心と安堵があった。

まだよくは分らないものの、自分を抱き上げているダリルが、自分の庇護者であることはきちんと理解したようだ。

「おお、司書妖精の復活を目の当たりにするとは思わなかった」

「さて、こっちは忙しくなる。さっさと帰っておくれ」

「はは、新しい司書妖精の派生に立ち合えたのなら、私もいい気分で帰れるよ。花の祝福が欲しくなったら、いつでも声をかけてくれ。……………さて、私も愛する者のところに帰ろう。商談からの戻りが遅いとロデルに叱られると困るからね」

そう笑い、椅子の背にかけてあった深緑色の毛織のコートを羽織ると、昨晩遅くにこちらを訪れた厄介な来客は、ダリルダレンの書架を出て行った。

はらはらと、その男の歩いた跡に僅かばかりの花びらが舞う。

その魔術の欠片に顔を顰め、動くものに興味を持った生まれたての司書妖精が追いかけてしまう前に、魔術で綺麗に掃き清めてやった。

目を惹いた綺麗な花びらが片付けられてしまったことに落ち込む小鳥に、ダリルは一冊の無害な本を開いて見せると、その中の一つの挿絵に向かって息を吹きかける。

「ほら。こっちにしな」

さあっと、挿絵の中の花園が揺れて色とりどりの花びらが舞い上がった。

「ピュイ!!」

羽をばたつかせて喜ぶ小鳥の背中を撫でてやり、花びらと遊ぶ幼い生き物が理解しやすいように優しく話しかける。

「いいかい、さっきの男には警戒するんだよ。壊れた心を癒しきれていないあいつの愛するものは、この世界に片手の指程しかない。自分の伴侶にする予定の竜と、血の繋がらない自分の兄、そしてこのウィームの領主だけだ。それを守る為であれば何でもする奴だからね、どんなに優しい微笑みを浮かべてみせても、容易く信用するんじゃないよ」

「ピュイ……………」

司書妖精は、どんな姿でも派生した書庫の広さだけの叡智を備える賢い生き物だ。

まだその魂は無垢で幼いが、こちらが言おうとしている言葉の意味を理解することは出来るだろう。

花びらまみれになった青い小鳥は、じっとダリルを見上げてから、了解の印として小さく羽を動かした。

「その代わりに、厄介に思えても頼もしい奴等も沢山いるのがこのウィームだ」

「ピュイ?」

そこに、隣室に控えると言いながらとある書架の裏側にある休息の小部屋に隠れていたウォルターが出てきた。

こちらを見て、眼鏡越しに瞳を輝かせる。

隣にいるガヴィレークは、どうやらあの男には姿を見せないようにしていたらしい。

「ダリル、…………派生が叶ったのですね」

「ああ。…………やっとだよ。ネアちゃんが来てから随分と魔術の凝りが早まったから、夏くらいからそろそろかなとは思っていたけどね」

「……………美しいものですね」

「おやおや、これは叡智の青を持つ良い司書妖精ですな。土地の承認を得る為に、早々にエーダリア様の祝福を得られては?」

「勿論さ。ネアちゃんに頼んで、ディノからも捥ぎ取るつもりだからね」

そう微笑めば、ガヴィレークは眉を持ち上げて微笑んだ。

それは、様々な栄枯盛衰を見届けてきた長命の妖精らしい、したたかで穏やかな理解の微笑み。

「それはつまり、万象とその婚約者が万が一にも損なわれる可能性を考えてもいないからですね」

「そりゃそうさ。あの二人には、春告げの舞踏会の周りの祝福があり、ヒルドの羽の庇護もある。ディノやノアベルトとも話したけれどね、それ以外にも魔物の指輪に近しいものをあの子に持たせている奴等もいる。…………それにまぁ、歴代最高の魔術師にも自覚なく守られているからね」

「先程の御仁ではなく?」

「あれはせいぜい二席から四席程度だね。魔物の白を得て階位を上げはしたが、その要素は本人が思うよりも強く本来の持ち主に手綱を握られている。それにあの男は、まさか自分が、塩の魔物に嫌われているとは思いもしないのだろう」

とある魔術師が、塩の魔物の心臓であったという一羽の月光鳥を殺して食らった。

けれどもそれは既に、塩の魔物にとって言われる程に重要なものではなくなっていたのだ。

一つの国とその国の王家を呪う魔物が、そのような不安要因を残しておくだろうか。

ましてや塩の魔物の心臓の話は、子供達ですら知る有名な話であるのだから、手を打っていなかった筈もなく。

そして誰も知らない事ではあったが、己の心に殉じ一族を滅ぼしたかつてのウィーム王を、塩の魔物は嫌っていた。

それはダリル自身も、ノアベルトと直接会話を持ってから知り得た事実である。

(でもまぁ、それもそうさね。彼がネアちゃんだと思っていた歌乞いは、ウィーム王家の血族ですらない。王の選び取った道に、愛する者が道連れで殺されたと、そう思うだろう……………)

「であれば、私もここまで警戒する程ではありませんでしたかな。人間の魔術師の階位はいやはや測りにくいものだ」

「まぁ、あの男はあの男なりに、せいぜい上手くやればいいさ。二、三年もすれば、棘も毒もなくなっちまうだろうよ」

「あの方が、ヴェルリアでは悪名高い伝説の魔術師の後継だと思えば惜しくもありますが、そうなりますでしょうな。愛情とは力強く、かくあるべきものですから」

ガヴィレークもそう笑い、ちらりとダリルの手の中の青い小鳥を見た。

「私はそうそうは変わりはしないさ。この気質は守る為に育むものではなく、書架妖精としての資質だからね」

「それは安心ですな、坊ちゃん」

「師がどのような選択をされるとしても、あなたの一番弟子として、お側で生涯お仕えしてゆく気持ちは変わりません」

「ピュイ!」

こちらを向いて恭しく一礼したウォルターに、何が気に食わなかったのか、青い小鳥はそんなウォルターの肩を飛び上がってげしりと蹴飛ばした。

目を丸くしているウォルターに、ダリルとガヴィレークは顔を見合わせて笑い出した。

この弟子は、顔に似合わずこのような小さな生き物が大好きなのだ。

蹴飛ばされて呆然としている表情には、いっそ絶望の表情すら浮かんでいる。

「坊ちゃん、どうやらその幼い妖精は、坊ちゃんが一番弟子だと言ったのが気に入らないようですよ」

「ピュイ!」

「やれやれ、あんたが私の一番弟子を名乗りたいのなら、早く大きくなりな。その体じゃ、せいぜいまだ私の娘みたいなもんだ」

「……………ピュイッピ……………」

しゅんと項垂れた小鳥を撫でてやり、その日はまずリーエンベルクを訪問して、エーダリアから土地の祝福を捥ぎ取った。

ネアも新たな書架妖精が派生したことを喜び、巣材としてカワセミを三本程贈ってくれ、尚且つ婚約者である万象の祝福を取り付けてくれた。

それは勿論、万象の魔物にもしものことがあればこちらにまで波及し、この小さな妖精をも飲み込んでしまうものだろう。

しかしダリルは、彼等にもしものことがあるとは微塵も思っていない。

「はは、大した信頼だ」

「私がリーエンベルクを訪れた時にも、また妙な拗れ方でもしたのか、アルテアに馬乗りになって縛り上げていたからね。あの子なら大丈夫さ」

そう呟けば、からりとグラスの中の氷を鳴らし、共に飲みながら今後の相談をしていた男が何とも言えない顔をする。

「…………やっぱり縛るんだな。向こうの会に縄を祀り上げている奴がいると聞いて、本当かよと思ってたんだが。…………それにしても、あいつは自分が翼を継いだ竜と大差ない状態なのだとは知らないのか?」

「知らないんだろうねぇ。と言うか、当人にはもう、その厳密な違いが分からないのかもしれないね。………でもそれが、あの魂の生かし方だったのかもしれないとは思うよ」

「ま、暫くすりゃ、自分がどっちのどんなものだろうと、愛するものさえいれば問題ないと考えるようになるさ。今でも、砂糖を吐きそうな甘やかしぶりだからな。あれは、将来エルトを嫁にする気満々の腹黒さだぞ。…………俺からすれば、それはフェルフィーズ自身の気質だ。エーヴァルトはもう少し、…………融通のきかない、破滅的な優しさみたいなものが強かった………」

「……………やれやれ、そうなると、万象といいジゼルといい、いずれは幼妻だらけになる訳か」

「あんたもじゃないのか?」

にやりと笑ってそう尋ねたバンルに、ダリルはふっと微笑みを深めた。

「さてどうだろうね。でも何だか、そうはならないような気がするよ。今度の私の役回りは、ララの父親かもしれないね」

そう微笑んで、膝上で丸くなって眠っている青い小鳥をそっと撫でる。

またいつか、この司書妖精が人の形を取れるようになったらララの愛用していた眼鏡を贈ろう。

(そうだね、この子の守り手にはエメルをつけようかね…………)

遠い雨の日のことを思い出す。

ウィーム最強の水の加護を与えておけば、雨の日でももう大丈夫だろう。

『お帰りなさい、ダリル。たくさん本が届いているわよ!』

そう微笑んだララを思い出し、ダリルは唇の端を持ち上げる。

あれから色々なことがあり、ダリルにはもう、伴侶のそれとは違う意味で魂をくれてやるだけの人間も出来た。

あの頃とは様々なことが変わったが、それでもこうして生まれた司書妖精が愛おしくてならない。

大切な司書妖精を、もう二度と一人にしないとその無防備な寝顔に誓った。