軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

307. 二回目のお誕生日です(本編)

それは静謐で優しい夜の真ん中で、始まった。

もそりと体を起こし、隣で横にならずに座ってそわそわしていた魔物にそっと声をかける。

「ディノ、日付が変わりましたよ」

「……………うん」

「まずはお祝いさせて下さいね。ディノ、お誕生日おめでとうございます」

そうお祝いして頬に口づけすると、魔物はきゃっとなって顔を覆ってしまった。

「ディノ、二年前の今日に、私と出会ってくれて有難うございます。これからも宜しくお願いしますね」

「……………うん」

息も絶え絶えにそう呟き、魔物は一度巣の中にびゃっと逃げて行ってしまった。

その中で散々じたばたした後にまたそろりと出てくると、ネアの前に出てきてこちらをじっと窺う。

「さぁ、朝になったらまた楽しいですよ。今年は、ウィームの森に出来た移動木馬に乗るので、今夜はゆっくり眠りましょうね」

手を伸ばして掴んだ三つ編みは、この薄闇でもきらきらと光るようだ。

触れる指先がその色に染まりそうで、白い宝石の内側から淡く虹色の光が透けているような、まさに宝石を紡いだがごとくの髪である。

「…………隣にいていいのかい?」

「ええ。今日はお誕生日ですから。まぁ、………見て下さい。ほら、森の方がきらきらしています」

「…………抑えようとしているのだけど、上手くいかないんだ」

「ふふ、ディノのうきうきで森があんなに綺麗になってしまうのですね。それなら、私は幸せな気持ちで、きらきらしている森や、ディノの美しい髪の毛を見ながら眠りますね。私の大事な魔物が幸せだと、私もとっても嬉しいのです」

どうやら森の輝きはディノの心が作用したものであるらしく、少しだけ困ったように告白した魔物に、ネアはそう言ってやった。

昨年の初めての誕生日もかなり喜んでいたが、二度目の今年は昨年が楽しかったことを知っているからこその期待や喜びがあるのだろう。

(あの時よりも、もっとみんなとの距離も近くなった…………)

そうして積み重ねてゆくそれは、どこかで当たり前になるのだろうか。

けれどもその先には、いつか避けようもなく別れもやって来る。

始まり深めてゆく物語はとても美しいしわくわくするけれど、ゆっくりと暮れてゆくその終盤の憂鬱さは同じように輝いていても例えようもなく切ない。

永くを生き、残されるという事の悲しさを知っている魔物にはきっと、そんないつかへの恐れもあるだろう。

だから、安心してこれから先もずっとと言えるまだ二回目の今日は、また新しいことを沢山体験させてあげよう。

そんなことを考えながら、ネアは目をきらきらさせて頭を擦り寄せてくる魔物を撫でながら眠りに落ちた。

目を覚ますと、しっとりとした灰色の美しい朝が、寝室に柔らかな影を落としている。

海で遊んだのはたった数日前なのに、ウィームは一気に秋の気配を深めてきた。

夜明けの深い霧や、そこに滲む色彩の違いを、うっとりと肌に触れる朝の光の色で楽しむ。

(綺麗な朝だわ。…………少しだけ霧雨も降っているのかな………)

「おはようございます、ディノ。…………むぐ?」

そしてなぜか、ネアはディノの腕の中にいた。

魔物曰く、夜明け前に少しだけ頬に触れたところ、荒ぶったご主人様が足でばすんと抑え込んできてとても可愛かったので、押さえ込まれたままで、自分からもネアを抱き締めて眠れてとても幸せな時間だったのだそうだ。

となるとご褒美の項目が増えているに違いなく、果たしてこの魔物はご褒美には設定種目数に上限がある事を覚えているのだろうかとネアは不安になる。

(でも、今日はもうディノの二回目のお誕生日なのだから…………)

ご褒美問題はまた後日にしようと体を起こして部屋を見回せば、花瓶に飾られた花は少しだけ成長してしまっていたし、昨日までよりも美しく咲き誇って、細やかな祝福の光の粒を零している。

窓の外の空には雲が流れてゆき、青空と曇天、微かな霧雨や霧の流れなど、目まぐるしく天候を変え美しい虹がかかっていた。

不思議なことに、そんな虹の煌めきが霧に滲んで、見たこともないような彩雲めいた色合いの淡い霧が森を包んでいる。

「ディノ。あの枝に不思議な花が咲いています!」

「…………どうしても咲いてしまうんだ。君のお気に入りの木なのに、変えてしまってごめんね」

「鉱石のお花が咲いてしまうと、木に悪影響が出たりするのですか?」

「祝福のものだからね、良い影響はあるかもしれないけれど、悪いものではない筈だよ」

「そうであれば、ディノの瞳の色のような綺麗な鉱石のお花が咲いているのに、どうしてしょんぼりしてしまうのでしょう?とても綺麗で素敵なので、更にあの木が大好きになってしまいました」

「かわいい……………」

寝起きのネアに頭を撫でて貰い、魔物はもじもじと頬を差し出した。

昨年の勘違いから、誕生日は無制限に口付けをして貰える日だと思っているようなので、そっと頬に口付けを落とせば、またしてもきゃっとなって逃げてゆく。

(誕生日なのだから、このくらいいくらでもしてあげるのに、ディノが弱ってしまうからあんまり沢山は出来ないかな…………)

せっかくのお誕生日なのだ。

今日は一日元気でいて欲しい。

窓の外の庭やその先に続く森はいつもよりもふくよかさを増し、花々は美しく咲き誇っていた。

そこかしこが雨上がりの雫が陽光に煌めくように、不思議な輝きを纏っている。

ネアはそんな窓からの景色を堪能しつつ、身支度をして着替えた。

今日はお誕生日なので、ディノの髪の毛も丁寧に梳かしてやり、どれにするのかを聞いて、指定された最初に買ってあげたラベンダー色のリボンをきゅっと結んでやる。

「さて、いよいよ二回目のお誕生日が本格始動しますね。心の準備は出来ていますか?」

「ネアが可愛い…………。その服を着てくれたのだね」

そう恥じらう魔物の言う通り、ネアはいつの間にか衣装部屋に増えていた、くすんだような渋めのラベンダー色が絶妙な、普段着用のワンピースドレスを着ている。

もったりと重くならないさらりとしたニットの織り地で、スカート部分がしっかりと生地を取ってあって、微かな動きにも揺れて美しく、尚且つ裾にはネアが季節の舞踏会で気に入ってしまったけぶるようなチュールがあった。

同色の幅広の天鵞絨のリボンが腰回りにあるのだが、こちらにだけ虹色がかった白色の糸と、透けるような繊細さが美しいミントグリーンの糸で精緻な刺繍が施されている。

遠目には天鵞絨のドレスに見えるだろうが、ニットなのでとても着心地がいい。

隠しポケットも幾つもあるし、これはお気に入りの一着になりそうだ。

昨晩、明日のお誕生日会では何を着ようかなと考えていたら、ディノがさかんにこのドレスを外側のラックに出して来ていたので、これを着て欲しいのだろうなと察して選んだのだった。

「しかしディノ、何かが変です。ディノのお誕生日なのに、よく考えたら私のお洋服が増えているだなんて…………」

「ほら、私のリボンと同じ色合いだよ。君の髪色や瞳の色にもよく似合っていて可愛いね。その妖精紬の織物の糸は新しく開発されたもののようだ。気に入ったのなら、他にも作るかい?」

「なぬ、なぜそっちに行ったのだ。こうなったら、急いで会食堂に連れてゆくしかありません」

話題が本人の誕生日からどんどん逸れてゆくので、ネアは慌てて魔物を連れて会食堂に向かった。

魔物はぐいぐい引っ張って貰えるのが誕生日のサービスだと思ったのか、目元を染めて嬉しそうについてくる。

「…………ネア?」

何度かそんなディノを振り返ると、ディノは不思議そうに目を瞠っていたが、これだけ長命な生き物が誕生日というものにこんな風にはしゃいでいる姿は、とても無垢な感じがして何度も見上げてしまった。

世界を初めて見るかのように澄んだ目を輝かせるのだから、大切に大切にして、幸せにしてあげたいと思うのだ。

「ディノ、誕生日おめでとう」

会食堂に着くと、真っ先にそう祝ってくれたのはエーダリアだった。

森や庭の変化を見ていたらしく、窓際の方にいたヒルドとノアも戻って来て、お祝いの言葉をくれる。

「ディノ様、お誕生日おめでとうございます」

「シル、おめでとう。僕より早く二歳になっちゃったねぇ」

その言葉にまずは無言でこくりと頷き、ディノは目をきらきらさせてちらりとネアの方を向いてから、きりっと顔を上げた。

「有難う」

今年は躊躇わずにきちんと自分でお礼を言えた魔物に、ネアは微笑みかけてやる。

ノアも、今年は人型で起きていてくれたようだ。

ゼノーシュとグラストはこの時間帯は仕事なので、お昼のお祝いに来てくれて、ドリーもまた顔を出してくれるらしい。

今日が正妃の輿入れの日であるのは変わらないので、きっと王都での式典にうんざりしたヴェンツェルも来てしまうのではないだろうか。

(午後には、イーザさんとヨシュアさんが来てくれて、ギードさんは夕方頃に。アルテアさんがこちらに来る時に一度ほこりが来てくれて、ウィリアムさんは夜のお誕生日会の開始までには…………)

そのどこかで、シェダーも顔を出してくれるだろうか。

実はダナエ達からはもうお誕生日のお祝いが届いているので、それは夜にお披露目となる予定だ。

そしてリーエンベルクからは、さっそく朝食でのお祝いが始まっていた。

「まぁ、今年もグヤーシュに、お祝いの言葉が書かれていますよ」

「…………また飲んでしまうのだね」

リーエンベルクの料理人達は、今年もグヤーシュの上に、妖精らしい繊細さで素晴らしいメッセージを描いてくれていた。

そこにはネアの印章が中央に描かれ、額縁のように周囲を花々で飾ってある。

そして優美な文字で、最高の誕生日になりますようにと書かれており、小粋な一言として冬が楽しみですねと付け加えられていた。

ディノはすっかりその演出に心を奪われてしまい、嬉しそうに唇の端をもぞもぞさせてグヤーシュのお皿を見ている。

一度持ち上げてどこかにしまおうとしたので、ネアは宝物部屋に隠し持っていてはいけないと説明してやらなければならなかった。

「………………それと、これは、フレンチトーストかい?」

グヤーシュから視線を外したところで、ディノはそのお皿にも気付いたようで、はっと目を瞠った。

いつもより少しだけ贅沢に絵皿に白いお皿を重ねて、テーブルの上には優しいラベンダー色の薔薇が生けられている。

お皿には薔薇のように盛り付けた燻製ベーコンと、ケッパーとフェンネルを添えたサーモンタルタル。

そしてディノの大好きなさっぱり酢漬け野菜の鮮やかな彩りに、食べられる薔薇の花びらを散らしたサラダ、ぷりっとした香草ソーセージがある。

その隣のお皿には、ディノが目を止めたフレンチトーストが、柔らかな卵色で鎮座していた。

ふるふるしながらこちらを見た魔物に、ネアはふんすと胸を張る。

「朝食は、料理人の皆さんと私の共同制作です!このように、今日の朝食はフレンチトースト付きですから、こちらのシロップや生クリーム、果物のジャムと合わせてデザートにしても、ベーコンやソーセージと合わせて、甘いとしょっぱいのお食事にしても、好きなように食べて下さいね」

「……………もしかして、君が作ってくれたのかい?」

「はい。こっそり作って、ノアの状態保存の魔術で隠しておりました!」

「ご主人様……………」

ネアは、大切な魔物の大好物を忘れてはいなかった。

まずはそんな大好物から始める朝食で、幸せな誕生日の気分を高めて貰いたい。

幸いにも、ウィームの食卓にもほかほかパンケーキやワッフルのようなもので甘いとしょっぱいを楽しむメニューがあるので、この並びでも眉を顰められることはない。

さっそく、付け合わせのサラダを後回しにしてフレンチトーストから食べ始めた魔物は、嬉しそうにくしゃりとなっている。

次に向かったのはグヤーシュだが、お祝いの文字ではなく、ネアの印章の部分を最後まで残して飲む方針であるらしい。

「今日は森の木馬に乗るんだっけ?」

ソーセージとフレンチトーストで、お食事食べをしながらそう尋ねたノアに、ネアは頷いた。

森の移動木馬は、森の魔術が潤沢であることを前提に、尚且つこの季節にしか出来ない大人も楽しい遊具なのだが、ネアはつい最近までは知らなかった。

長年どうしてもその木馬に乗ってみたかったらしく、先日ノアの付き添いで念願を果たしたエーダリアが教えてくれたことで、その存在を知ったのだ。

「ええ、そちらもお誕生日割引がありますし、時間貸し切りが出来るお誕生日チケットの前売りがあったので、ディノの記念になると思って」

「僕が、ウィームって凄いなぁと思う最たるものの一つだね。あれって遊具の範疇を軽く超えてるし、寧ろウィームの森の七不思議って感じなんじゃないかな…………」

「ノアから見ても、不思議なものなのですか?」

「うーん、…………乗ってみた方が分かるかな。うん。きっと、乗ると分かるよ。………あ、怖かったりはしないから安心して大丈夫だからね。花火が綺麗だったよ」

「………ディノ、七不思議だそうですよ」

「不思議なことが、七つあるのかい?」

「…………む。確かにそう考えると残りの六つが気になりますね…………」

「ありゃ。六つも他にあるかな………」

「リーエンベルクにも一つあるのでは?騎士達が話しておりましたよ。鍛錬用の魔術仕掛けのボールを手に取ると、どこからか銀狐が駆けてくると」

「……………ヒルド、目が笑ってないって………」

ディノも大満足の朝食を終えて、ネア達は噂の森の移動木馬に乗りに来た。

乗り場はリーエンベルク側の禁足地の森ではなく、その反対側となるザルツ方面に続く、主要な街道が作られ、交通量も多い森の方であるらしい。

構造上周囲に迷惑はかけないのだが、さすがに街道沿いには設置されておらず、街外れの小道にある看板を頼りに森の奥に進む。

会場までは特設の魔術の道があり、可愛らしく赤や黄色の花びらが道に敷かれていた。

「ふふ、可愛い道ですし、お祝いっぽくて素敵ですね」

「木馬の魔物の木馬ではないのだよね………?」

「あら、心配になってしまいました?そうではないので安心して下さいね。………この森にあるのは、ずっと昔のウィームの王様の側近だった魔術師さんが作った、木馬の使い魔さんを利用した乗り物なのです」

「使い魔…………なのかい?」

「とは言え、仕掛け使い魔さんなので、エーダリア様曰く命があるようなものではなく、人造使い魔、即ち魔術道具に近いものなのだとか。王子様達の、乗馬の訓練用に作られたものだと言われています」

ネアの解説にこくりと頷き、頷いたもののよく分からなかったのか、ディノは首を傾げた。

(勿論、ただの木馬による乗馬体験なだけではないのだ!)

このアトラクションをネアが選出したのには立派な理由があり、それはすぐに森の中に見えて来た。

「ディノ、あちらですよ!」

「おや、馬車になっているのだね」

森の中には、素晴らしい彫刻を施された古い木のカウンターがあり、そこに受付の男性が立っていた。

カウンターの上には鮮やかな真紅の薔薇を生けた花瓶が置かれていて、劇場の受付のように優雅な雰囲気だ。

受付係の人物が男性だと思うのはその体格からで、実際には見事な狼の頭を持っている為、ネアには、顔だけでは性別を判断出来なかった。

「予約をさせていただいたネアです。こちらがチケットになります」

ネアが取り出したチケットを受け取ると、その狼頭の係員は、慇懃に頷き、ぺたんとスタンプを押してくれた。

それだけではなく、ディノのお誕生日特別チケットは水晶を薄く削いで作った特製紙挟みに挟んでくれる。

手触りのいい黒い厚めの紙のチケットには、艶消しの金色の箔押しで、木馬のシルエットが美しい。

流麗な文字で森の移動木馬と書かれており、下には金色の日付の刻印と、お誕生日優待の文字があった。

「こちらになります。お足元に気を付けて下さいませ」

代わって案内してくれるのは、こちらも狼の頭をした女性で、黒一色のメイド服のような可憐な装いに、胸元には赤い野菊のような花を飾っている。

このメイド服の女性達は五人ほどおり、木馬のチェックや乗車の際の手助けまで、全てを補助してくれるようだ。

ネア達が乗り込んだのは、森結晶と雪琥珀で作られた素晴らしい馬車で、屋根がないので周囲の風景がよく見える。

座席の部分にはふかふかとした柔らかな緑色のクッションが敷かれ、体を魔術で固定する灰色がかった焦げ茶色のベルトが用意されていた。

「ベルトでお体を固定して下さいね。そのベルトによって、お体の正しい向きを観測して維持します。体感する風の強さは小となっていますが、より野性的に風を感じたければ男性側のお席の横にあります、菫石のボタンを押して下さい」

説明を担当してくれた係員の女性の声は、優しい声音だがとても聞きやすい。

乗車説明をふむふむと聞き、ネアは頷いた。

馬車の先にいるのは、本物の馬よりふた回り程大きな木彫りの黒い木馬だ。

色とりどりの花で編まれた手綱の表現が可愛らしく、だが馬そのものは精悍な美しさを見事に表現している。

「では、過去のウィームをどうぞお楽しみ下さい」

「はい。宜しくお願いします」

一人の女性係員がかちりと黄金の羅針盤のようなものを動かすと、ぶおんと、木馬の周りに不思議な風が渦巻いた。

わぁっと笑顔になったネアが横を見れば、きちんとベルトを締めたディノが目を瞠ってこちらを見返す。

「…………過去を走るものなのかい?」

「影絵の中を走るのだそうです。まぁ、馬さんが!」

ヒヒーンといななき、木馬の表面に彫られた毛並みが風に揺れた。

木馬から、生きている馬のような姿に変わり、大きく前足を上げて駆け出すと、馬車はぐんぐん速度を上げてゆく。

ふわっと風は感じるが、説明通りそよ風程度のものに調整されていた。

(わ、凄い!!)

「ほわ!森の風景が一気に変わりましたよ!」

ネアが思わず声を上げたのは、紅葉に向かう葉色の変化を僅かに示した森の風景が、一気に美しい白銀の森に変わったからだ。

見える季節は冬だが馬車の中にまでその寒さは伝わってこず、空の上にはいつの間にか大きな満月が見える。

森はあちこちが楽しげに光っていて、見たこともないような不思議に光る花や、鉱石の木の実の横をばびゅんと通り過ぎてゆく。

飛び交う妖精達に、とろりとした黄金のキノコ、枝に引っかかってまたたいている流星や、木の上で居眠りしている青白く燃える鳥。

そんな光景を二人は暫し堪能した。

一般客は十分ほどだが、この特別チケットを買うと半刻の乗車となるので、ゆっくりと影絵の中を見て回れるのだ。

そっと、伸ばされた手がネアの手に触れた。

そちらを見て微笑むと、ネアは自分よりは少し温度の低いディノの指先をきゅっと握る。

「…………この雪の色は、随分と古いものだね」

また少し、目を瞠ったまま馬車が駆け抜けてゆく森を眺めてから、ディノがぽつりとそう呟いた。

木にぶつかったり、乗っていて危ないと感じるようなところを走るタイプのアトラクションではないので、木馬は森の木々を縫いながらではあるが、乗客が充分に外の景色を楽しめる道を走ってくれる。

月光に煌めくダイヤモンドダストをくぐり、雪原に出ると、その向こうには大きな湖が見えた。

今のウィームの街の姿はないものの、幾つか覚えのある建物の影も見える。

何よりも、リーエンベルクが真っ白な雪の中に佇む様をこうして雪原を走る馬車から見られるのは、特別な思いであった。

「影絵ではない実際のこの頃には、ディノと私はまだ会っていません。でも、この木馬さんの馬車に乗れば、そんな時代の風景の中を二人で眺められるのです。気に入ってくれましたか?」

そう問いかけたネアに、水紺色の瞳がはっとしたようにこちらを見る。

風に揺れる真珠色の髪が、冬のウィームの夜空に浮かび上がり、ディノ自身がぼうっと光るようにも見えた。

瞳を酷く無防備に揺らしてから頷くと、ディノはとても魔物らしく凄艶な、けれども触れたらはらはらと崩れてしまいそうな儚げな淡い微笑みを浮かべる。

「…………君はいつも、思ってもいなかったものをくれるんだ」

「ふふ。今の時間だけではありませんよ。これでもう、ディノと私はこの時代の風景の中でも一緒に過ごしたのです。……まだ王都は今のように開けてはいませんが、この時代のウィームもとても美しいですね」

頬に触れた手に眉を持ち上げ、ネアは微笑みを浮かべたまま目を閉じる。

ふわりと唇に触れた温度は柔らかく、どこか切実な男性的な欲も滲んだ。

ふつりと離れた温度に目を開けば、吐息が触れそうなほどに近くこちらを覗き込む水紺色の瞳。

そこにはパライバグリーンや菫色、白銀色などの様々な色が散らばり、美しい冬の夜空のよう。

「…………私の過去は、どこにも君がいないんだ。君が来てくれてから、そこには大切なものもあったのだと分かったけれど、…………この頃は、ただとても苦しかった。…………なぜその苦しみが去らないのか、どんな理由で苦しいのかすら明確に理解出来ていなかったのかもしれない。…………けれどもいつも、どこにも行けないんだ。…………でも、今は君がここにいる」

「……………ええ。ここにいますよ。この風景のいつかでは寂しかったディノの隣に、今はもう私がいるので安心して下さいね」

「……………うん。ここにも、君は来てくれたのだね」

「木馬さんが連れて来てくれました。でもそれも、ディノが私をここに呼んでくれたからこそ、今日があるのです」

どぉんと、大きな音がした。

リーエンベルクの近くの雪原から花火が上がり、まだ建物などはないローゼンガルデンの高台では人々が歓声を上げている。

影絵になって残っている、とある祝祭の美しい夜。

ばさりと飛来した雪竜が花火を嬉しそうに見ていて、リーエンベルクのバルコニーにはここからは判別できないくらいの小さなものではあったが誰かの姿があった。

(ノアから、この時代はグレアムさんがウィームのあたりを統括していたのだと、教えて貰った)

であればディノは、一度くらいはここを訪れたことがあるだろうか。

花火に照らされたその横顔を微笑んで見上げると、ディノも嬉しそうに微笑んでくれる。

二人はもう一度口付けを交わし、馬車は花火の打ち上げられる平原を駆け抜けて、また森へと戻って行った。

「とっても素敵な移動木馬でしたね。実際に使われていた頃は、直接木馬さんに専用の鞍をつけて乗っていたのだとか。大きいので、乗馬の講師の方と王子様が一緒に乗って、馬に乗る感覚に慣れる為に使われたそうです」

「あの木馬に敷かれた魔術を見ると、恐らく作ったのはグレアムだろう。彼は人間の魔術師のふりをして、その時代のウィーム王の補佐をしていたからね」

「まぁ!あの木馬さんを作ったのはグレアムさんなのですね!」

ディノが珍しく照れなかったので、二人は手を繋いで、そんな話をしながらリーエンベルクまで少し遠回りをしながらゆっくりと歩いて帰った。

誕生日の日だからか街はいつもとは違う見え方をするらしく、魔物はずっと幸せそうに微笑んでいる。

「あっ、ネアだ」

リーエンベルクに帰ってくると、思いがけない姿にネアはえっと声を上げた。

なんと、早めに来てしまっていたというヨシュアがいるではないか。

隣で、まだ約束の時間ではないからと止めようとしたのだが、引き摺られて連れてこられたというイーザがぺこりと頭を下げ、ヨシュアのポケットには亡き奥様の姿を模したぬいぐるみと、その反対側のポケットにはアヒルの人形が入っている。

「ヨシュアさん、イーザさんも、来て下さったのですね」

「シルハーンの誕生日なんだ。僕が来るのは当然だよ!今日は朝まで宴なのかい?」

「ヨシュア、ご迷惑をかけてはいけませんよ。お祝いを差し上げたら帰ると話したでしょう?」

「やだ」

「ヨシュア…………」

「僕だって、みんなとカードをするんだ。お祝いに来たのだから、きちんともてなすといいよ!」

イーザが怖い顔をしたからか、ヨシュアはさっとネアの方を見上げる。

ふるふるしながら、奥さんのぬいぐるみも連れて来たんだよと涙目で言うので、ネアはディノの表情を確認してから頷いてやった。

「ほら!僕は帰らないからね!!」

「………………では、私はその間、ウィームの友人宅におりますので、ヨシュアが粗相をしたらすぐにでも呼んでいただければ、力尽くで連れ帰りましょう………」

「おや、リーエンベルクに居れば良いのでは?」

ヒルドはそう勧めたが、イーザは微笑んで首を振った。

このあたりが気遣いの人という感じで、お構いなくといっても気にかけてはしまうのでと、あえて離れた友人宅でヨシュアを待つことにしたようだ。

すると、その様子を見ていたヨシュアは、少しだけ考えた後で夜には帰るよとイーザに伝えており、何だかんだでこの二人はきちんとお互いのことを考えているのである。

「はは、大賑わいだな」

そう笑ったのは、ドリーだ。

ヨシュア達が午後から訪れると聞いていたので、お昼前に来てくれたようだが、ヨシュアが我慢出来ずに早く来てしまったので、ここで対面することになったらしい。

「ドリーさん!来て下さって、有難うございます」

「今年はヴェンツェルは撒いてきたからな、安心してくれ。ディノ、誕生日おめでとう」

「有難う」

ドリーにそう爽やかににっこりと微笑んで祝われ、ディノも素直にお礼が言えるようになったようだ。

「そうだった!シルハーン、おめでとう!」

「万象の君、お誕生日おめでとうございます」

その様子を見ていたヨシュアが、はっとしたように慌ててお祝いの言葉を口にしている。

きっと最初から気付いていただろうに、イーザはヨシュアに先に言わせてから、自分も丁寧にお祝いの言葉を言ってくれた。

(あ、ドリーさんの持っている箱は、大きさ的に、去年ディノが大のお気に入りになったあの陶器の人形をまたくれるのかしら?)

一応予告はあったのだが、注文などに手間がかかる品物なので過度に期待しないようにしていた。

だが、これは間違いなくそうかなと思うと、またディノが陶器の人形を大事に抱える姿が想像出来て、ネアも笑顔になる。

せっかくだからみんなで昼食を食べようということになり、ヒルドが既に手配してくれたようだ。

ドリーはすぐに帰る予定であったのだが、初対面の魔物もいるので、挨拶がてら参加することにしたらしい。

「……………もの凄い顔ぶれだな」

外客も入れる昼食会場に移動して着席し、やっと和やかになり始めたところで、戸口から思いがけない声が響いた。

ずさっと振り返ったドリーが、目を丸くする。

「ヴェンツェル?!どうしてここに!」

「なに、王都は抜け出してきた。ニケに貰った高性能の転移門があったのでな。一度見知った場所で使い勝手を見ておくようにと言われていたので、ここで試すことにしたのだ。国の歌乞いの魔物の祝いの場に、私が足を運ばずにいてどうするのだ」

「………………ということなので、兄上も昼食に招いてもいいだろうか」

一緒に部屋に入ってきたエーダリアは、もうどこか遠い目をしている。

叱られるのが分っているからか、ヴェンツェルは、あえてドリーやヒルドではなく、エーダリアに到着の報せを出したようで、エーダリアは、王都の代理妖精達に連絡を取ったりと大わらわだったのだそうだ。

「仕方がないなぁ。君も加わるといいよ。宴は賑やかな方が楽しいからね」

「なぜあなたがそう言うのか分りません。今日は招かれている立場なのですから、大人しくしていなさい」

「ふぇ、………………ネア、イーザが僕を叱るんだ。僕は、シルハーンの祝いの場を盛り上げようとしているだけなのに……………」

「む。泣き出しました…………」

「本当に申し訳ありません…………」

恐縮するイーザと、一人で転移をしたヴェンツェルを叱り始めてしまったドリーで、部屋はにわかに賑やかになり、ネアは困惑したように目を瞬いている魔物の袖を引っ張った。

「ディノ、どうであれ、みなさんはディノのお祝いだからこそ、ここまで駆けつけて下さったのですよ。私の大事な魔物がみなさんに大事にされていて、何だか心がぽかぽかします」

「………………うん」

そう言われて、これは自分の誕生日を祝う為に集まった人達なのだと再認識したのか、ディノはまたどこか擽ったそうに眼差しを揺らし、口元をむずむずさせる。

ネアは、ヨシュアとヴェンツェルが揃った食卓が一体どうなるのか少々不安だったが、そんな魔物を見上げて微笑みかけてやった。