軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

失われた声の酒

「この盃の特性を、薬作りに利用出来ないでしょうか?」

本日分の薬の提出後に、ネアは突然そんなことを言い出した。

無造作にポケットから取り出した盃に、あの夜のことが流れるように思い出される。

いささか無理を言ったが、その分の成果が得られたので罪悪感はない。

あの瞬間のひそやかな歓喜は、選択したからこその結果だ。

ただ、あの夜以降、時折、彼女は不可思議な眼差しでこちらを見ることがあるので、その眼差しの温度には妙に不安を掻き立てられた。

どこか、エーダリア様やディノ様のことを諌める時の眼差しに似ていると思うのは、気のせいだろうか。

「薬として、ですか」

「はい。望めば質を変えるんです。それって、一種の錬成ですよね。煎じ薬のような液体なら作れるかもしれません」

「成る程。そう言われてみれば、確かにそうですね」

「良かった!では試してみますね」

「お一人で、ですか?」

「……そうでした。被験者が必要でした」

眉を顰めて思案している様は、どこか危うい。

差し出してくる言葉や提案に比べ、彼女は飄々としているいつもの眼差しが執着のなさであるが故に無防備なのだ。

あまり変化のないように見える表情が微かに揺れれば、それは彼女の節制から漏れた心の揺れだとすぐに気付かれてしまう。

だから、動くだけの全てが剥き出しなのだ。

「私で良ければお付き合いしましょうか?」

そう言えば、驚いたように顔を上げる。

「ヒルドさんが、ですか?」

「ええ。妖精というものは、自然に属する魔術に長けております。煎じ薬なら私で充分に判断出来ますよ」

「お忙しいのに、こんなことでお時間をいただいてしまってもいいのでしょうか?」

「夜の盃は、まだ塔でも現物を手にした者がいない魔物の道具ですから、私も色々と興味があります」

「……それなら、ご無理がない程度にお願いしてもいいですか?勿論、何かの利益が発生したら折半します!」

お休みの時間でも構いませんからと腰が引けた様子であったので、今からとその場で手を打った。

考える時間を与えてしまえば、逃げていってしまいそうな表情ではないか。

(………あの時のように)

少し前まで、彼女にわかりやすく避けられていた時期があった。

業務的な報告のときはそつなく会話を回すのだが、その席を立つと素早く姿を消してしまう。

不自然な程に整った微笑みで逃げていく様に、なぜか胸が引き攣れるような感覚に捕らわれた。

困惑した。

訝しみ観察してみれば、どこか怯えたような素振りすらある。

怖がらせたつもりはなかったと、珍しく自分の言動を振り返ってしまったくらいだ。

なぜだろうと考えれば考える程、奇妙な疎外感に胸が軋む。

ふと、遠くの彼女の姿を目で追えば、グラストやゼノーシュ達と談笑して寛いだ微笑みを浮かべており、そんな様子を見ていると、羽に触られた後でも残っていたどこか冷めた部分が、その不快感によって打ち壊されてしまったと言ってもいい。

恐らく、執着というものは、そんな些細なことから生まれるのだろう。

教え守ったエーダリア様にも、無論、執着と言うべき感情がある。

そうしなければならない場面が訪れたとしたら、命を捨ててでも守ってやるくらいには、彼は自分にとっての守るべきものであった。

息子のようであり、弟のようであり、そして共に並び立てる一番弟子のようでもある。

守ると誓った家族や、かつての部下達に向けたのと同じ類の親密さだ。

その点、彼女に覚える執着は、初めて感じる色をしていた。

妙なことであるが、自分に繋がる何かがどこかにあって、これは自分が庇護するべきものだとふとした折りに感じてしまうのだ。

決して自分のものではなく、それでも自分に繋がるものがなければならないと感じるのは、自分の中の何かが、彼女によって奪われているからなのだろうか。

それを奪われたまま、逃すわけにはいかないと感じる、そんな執着の暗さと切実さは、初めて狩りを覚えた頃のような甘美さでもあった。

「うーん、なぜ煎じ薬は駄目なのでしょう?この盃めは、理解能力が低いのでしょうか」

形のいい眉を顰めて、薔薇色の唇を浅く噛み締める。

(彼女の心はきっと、永劫に私のものにはならないだろう)

そう思えば、呆れたことに胸が痛んだ。

でもそれは、ディノ様が最初に掬い上げたからという訳ではなく、彼にしか出来ない形で彼女が生かされているからだ。

もし、最初に出会ったのが自分であっても、ネアは、あの魔物を慈しむようにこちらに手を差し伸べはしないだろう。

そのくらいのことを理解出来るくらいには、私も永く生きてきた。

そして、そうだとしても、少しの成果を掠め取れるくらいには、淀んだ水を飲んできた。

「もしかして、薬という分類が錬成の妨げになるのでは?それは盃です。名前は時として、魔術の道筋の大きな壁となることがありますからね」

「では、盃で飲むべきものしか、ここには反映出来ないということでしょうか」

「煎じ薬ではなくても、薬と同等の効果を生むものは幾つかありますよ?」

「ほんとうですか?」

嬉しそうに目を輝かせて、ネアはこちらを見る。

艶然と微笑んで頷けば、淡い感嘆の色が彼女の瞳に浮かんだ。

『なんて綺麗なんでしょう。あなたとお知り合いの方は、あなたと会う度に幸せな気持ちになりますね!』

初めて出逢ったとき、彼女はそんなことを言った。

だからきっと、あの王宮では足枷でしかなかったこの姿にも、ある程度の力がある筈だ。

『お前は美しいわ』

かつて蹂躙された祖国で、跪いた自分にそう言い放った王妃に感じたのは、屈辱と嫌悪感だけだったことを思い出す。

(あれからもう、随分と遠いところに来た)

窓の外の雪が、目を射る程の緑と熱帯夜の島の記憶を遠くする。

冬のリーエンベルクはとても静かで、厭わしかった夜ももう、微睡むように柔らかな夜に沈むばかり。

試行錯誤するネアを覆うように羽を広げると、少し困惑した眼差しに心が疼いた。

揺らがせる為だけに困らせてみたくなる、不思議な人間だ。

「…………とうとう、日常的に危険を求める段階まできてしまいましたか」

しかし、彼女の呟いた言葉は私にも不可解で、気付かれないように眉を顰めた。

その日の成果としては、声を失った者の治療が可能な酒を錬成することが出来た。

結果としては単一で上々であったが、次には何を作りましょうかと、さり気なく継続性を持たせてある。

彼女はあの夜、一つの誓約を私と交わしてしまったことを、まだ知らない。