軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

巨人の酒と酒豪

その日、とある酒がリーエンベルクに届けられた。

エーダリアの代理妖精である、ダリルダレンの書架妖精からで、巨人が造る幻の酒、グローヴァーである。

世界が傾く雨乞いの酒と評され、常夏の国では目を剥く程の値が付く。

そして、このグローヴァーを呑み始めると、雨が降るのだそうだ。

緑色の長方形のガラス瓶に入った酒は、薄荷水のような色をしている。

魔物達にも好まれる酒なので、ディノとゼノーシュも呼ばれた。

「ネアはお酒大丈夫?」

「ホットワインや、甘い果実酒あたりは何とか好きと言える範囲なのですが………」

ネアにとってのお酒は、嗜好品であった。

雰囲気や香りが好きで飲むこともあるが、飲むと疲れ易くなってしまうので、同じ味であれば他の飲み物の方がいいと感じる場面も少なくはない。

しかし、上等な食事であれば発泡させた葡萄酒も合わせるし、料理に入れるお酒の風味は好きだ。

たいへん、雰囲気に流される人間なのである。

「……飲んでみるかい?」

ディノが、手にしていた繊細な切り細工のグラスを渡してくれた。

小さなグラスに注いで飲むのがグローヴァーのお作法だが、ディノは水でも飲むように呷っている。

あまり酔わないのだそうだ。

「舐めてみます」

世界が傾くとは、一体どれだけ強いのだろうか。

(でも、巨人のお酒なんて、二度と飲む機会がないかもだし)

おまけに、雨を降らせるなんて粋ではないか。

グローヴァーを造る川沿いの町は、毎日雨が降り感傷の町と呼ばれているらしい。

「どう?」

「林檎の香りがしますね。爽やかだけど、ぴりりとして辛口?」

「ネアには、少し強いかな」

「……むむ………まだ特には酩酊感のようなものは感じませんが、私はお酒で冒険をしない主義です!ここで止めておきましょう」

けれども、ここで充分だったのだ。

魔物達はその後すぐに、手遅れだったことを痛感する羽目になる。

未決済の書類を溜めていたエーダリアが、グラストと共に席を外していたのは幸いだったのだろう。

「……これは、私としても大変に不本意ですので、どうぞ殺気を向けないでいただきたい」

ヒルドが手を上げてそう釈明するのは、彼の膝の上に、若干目が据わったネアが乗っているからだ。

グラスを両手で抱えたまま、無言でごくごくと飲んでいる。

見た目は完全に飲酒だがグラスの中身は水なので、もはや見境いもない。

「でも、ヒルドの羽が少し光ってる」

「ゼノーシュ様、これは動揺です」

ディノが殺気を向けるのは最もだが、ゼノーシュまで恨めしそうなのはなぜなのか。

事の発端は、不意に席を立ち、とことこと窓辺に寄って行ったネアが、雪が積もりそうだとはしゃいでいた辺りからだった。

無邪気さが常と違う様子だったので、少し酔ったのだろうと全員考えていたのだが、それは、前兆に過ぎなかったのだ。

「空間認識と、言語認識、色々なものが少しずつ怪しくなっていますね」

まず最初の事件は、ネアが窓際の柱に激突した事だ。

自分の体の幅と、柱までの距離を認識出来ておらずに、右肩を強打してしてしまった。

その辺りから徐々に、皆がネアが酔っているのではと疑い始めたのだろう。

「………痛い」

ぽつりと呟けばディノが飛んで行ったのだが、ネアは、そんな自分の魔物を置き去りにして戻ってくると、おもむろにヒルドの膝の上によじ登った。

そしてそこから、誰にも止められないままこの暴挙が続き、目の前にあったヒルドのグラスを抱えたまま飲み出したので、慌てて中身を水に入れ替えられたという経緯である。

本人は、中身がただの水になっても気付く様子もない。

あまり代わり映えのしない普段の表情よりも遥かに無表情になり、眼差しは虚ろだ。

「ネア様、降りて下さい」

「ここが好きです」

ぽそりと返され、ヒルドが顔を覆う。

「ヒルド、また羽光ってる」

「…………本人としては不本意ですので、ご容赦いただきたい」

そんな有様を見せ付けられたディノの表情は、絶望と嫉妬に歪んでいる。

なまじ微笑みで誤魔化しているので、壮絶なくらいに鋭利な微笑みだ。

「ネア、私の前で堂々と浮気するのはどういう事だろう。悪いご主人様だね?」

「ディノ様、彼女は今酔っ払いですので…」

「ディノじゃない?」

しかし、続いたその一言に、全員の視線が一斉にネアに集まった。

こてんと首を傾げたネアは、眉を顰めて、解せないという表情でヒルドの羽の先に触れている。

ヒルドが激しく動揺しているのは、妖精の羽に触れるという行為がとても親密なものだからだ。

外側の二対ではなく内羽なだけに、その破壊力は大きい。

「ネア、その羽はやめようか!」

「ディノに羽があります………?」

「……………っ、ネア様、私はあなたの魔物ではありませんよ?」

「入れ替わった」

「入れ替わっておりません」

「ほら、ネア。その羽から手を離して?」

どうやら対人認識が出来ないと理解して、保護者が回収に入ると、両手でヒルドの膝の上から抱き上げられたネアは、何度も瞬きした。

「ディノ?」

「そう。私はこっちだよ、ご主人様」

「やっと本物がいました!」

「そうだね。ほら、だからもうグラスは置こうか」

横から手を伸ばしたゼノーシュがグラスを取り上げてやり、ネアは無事に白い魔物の腕に収まる。

「ディノを椅子にしました」

「……それはヒルドだから、私はまだ椅子にして貰っていないかな」

「じゃあ、登ります?」

「登る?」

そこでネアは、わしっとディノの頭を掴むと、本気のクライミングを試みる。

淑女らしいスカート姿だったので、ディノは慌ててその活動を戒めた。

幸い、足を掛けられる前に阻止することに成功したようだ。

「………ネア、私に登るのは、やめておこうか。二人だけのときにしよう」

「む。ディノがつまらないです」

「………つまらない」

ショックを受けたディノが声を失い、酒の亡者の視線は、ゼノーシュに向かう。

「ゼノ……」

「駄目だよ、ネア。僕じゃなくてディノをもっと構ってあげて?」

素早く回避したゼノーシュは、ネアから教わった可愛らしい微笑みで駄目押しをし、酩酊しても可愛らしさは正義だったのか、ネアは素直に頷いた。

「では、ディノを構いますね!」

クライミング事件以降、ネアはディノに抱き上げられたまま、片手を肩にかけ、もう片方の手でディノの髪を鷲掴みにしたまま首に回していたので、至近距離から鋭い視線を向けられてしまったディノは、目尻を微かに赤くした。

「ディノは、どう構って欲しいですか?」

「もう遅いし、髪を洗って欲しいな」

「ふむ。いいでいしょう」

「ディノ様!!それはいけません!」

あまりにも自然にネアが了解したので、ヒルドはここで、慌てて止めにかかるしかなかった。

「口を挟まないで欲しいな」

「そういうことではなく、泥酔者に入浴は危険です!それはまた次回にして下さい」

「……そういうことなら、うーん、どうしようかな……」

歌乞いと契約の魔物は、魔物側の執着から親密な関係になり易いとされている。

親子のような者達もいるが、この二人の場合はまず間違いなく前者向きではないか。

あまりこれ以上関わるといたたまれなくなると判断したヒルドは、すみやかな退出を決意する。

目線でゼノーシュを促すと、てきぱきと机の上を片付けた。

「いいですか、彼女は泥酔者です。甘やかすのも甘えるのも結構ですが、くれぐれも、ネア様の健康は損なわないように。女性ですので、体を冷やさないようにして差し上げて下さいね」

「そうだね。気を付けよう」

せめてもの常識人としての忠告を残し、ヒルドは見聞の魔物と共に部屋を出た。

目が据わったままのネアを抱き上げたディノと最後に目が合い、薄く微笑まれる。

ここは共用の部屋だが、今夜は誰も近付かないように徹底しておこう。

そう確信して、ヒルドは部屋を後にした。

翌朝の白い魔物は、カナリアを食べた猫のような微笑みを浮かべていた。

ネアは単に眠そうなだけだったので、あの後何が起きたかは知る由もない。

ヒルドは、羽に触れたネアの指先の感覚と共に、その夜の事は出来る限り忘れるようにした。

「ネア、飲まないか?」

暫くしてから、どこから情報を得たものか、ネアを晩酌に誘うエーダリアの姿がある。

したり顔の笑みだが、ネアは手にした高級な蒸留酒のことだろうと思い、短く思案する。

「お酒の席もお付き合いの一環ですしね。承知しました。ご一緒させて下さい」

顔色の悪くなったヒルドが慌てて参加し、ゼノーシュに、ディノが風呂から上がり次第こちらに合流してくれるよう伝言を頼む。

長風呂のディノが戻るなり見たのは、テーブルに伏せたエーダリアと、顔色が変わりもしていない通常仕様のネアだった。

ヒルドは、心からの安堵で寛いでいる。

「………ネア、もしかしてお酒強い?」

「疲労感が出るので頻繁には好みませんが、酔ったことはほとんどないですね。この前の巨人のお酒が、珍しく相性が悪かっただけです」

「……と言うことは、もう使えないのか」

「ディノ、どうしました?」

肩を落とした白い魔物を、ゼノーシュが気遣わしげに見ている。

どうやらネアは、酒豪だったらしい。