軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

誰もいない城

ふうっと吹きかけた息が凍え、白く細やかに光り落ちた。

ダイヤモンドダストのようなその吐息が触れた先で、まだ辛うじて息をしていた土竜の体が土塊になり崩れ落ちる。

既に焼け爛れて真っ黒になっていた大木も、その振動に引き摺られるようにひび割れて瓦解した。

「すまないな」

小さく呟いてその土塊を踏み越え、ウィリアムは軍帽をかぶり直した。

身に馴染む乾いた死の香りが、ざあっと吹き荒ぶ風に切れ切れになって千切れ飛んでゆく。

ばさりと音を立てて広がった真っ白なケープに、まだ燃えている地平線の向こうが赤く映る。

「さすが終焉だな。何もかも殺してしまう」

そう背後から声がかかり、ウィリアムは懐かしい声に微かな驚きを噛み殺して振り返った。

ひょろりとした体格の男だ。

しかし脆弱な印象はなく、寧ろウィリアム以外の誰かが見れば、その異様な光を映した瞳にぞっとするだろう。

(久し振りに見たな。毒の瞳か、……)

多くの生き物達が、彼の瞳をそう表現する。

燐光の緑の色みを帯びたぎらりとした紫の瞳は、その色合わせにふと不安を覚える。

切れ長の瞳は美しくもあるが、目の前の男の美貌には不安定さがつきまとう。

ふっと崩れ落ちる足元の地面のように、決して噛み合わせてはいけない歯車のように、何か居心地が悪く、何かが決して安心出来ない。

そう思わせるからこそ、彼は絶望なのだろう。

白藍の髪は肩口まででざんばらに切られ、大振りでじゃらりとした深紫の夜の結晶石の耳飾りと、夜の砂漠の商隊に紛れていそうな漆黒の長衣を重ねた装い。

黒い編み上げのサンダルのような爪先がざくりと崩れた亡骸が折り重なる大地を踏みつけ、霜を踏むような音を立てた。

「ギード………」

「五十年ぶりくらいかな」

「………ああ」

魔物にとっては決して長い時間ではないが、それまでは殆ど毎月会っていたので、ウィリアムはそんな頃が随分と前のことのような気がした。

「あんたがここまで殺すのは久し振りだ。あまりにも殺し過ぎたから、その怨嗟が俺の寝床にまで届いた」

「すまない。これは俺の不手際だ」

「ここまで絶望したのが、不手際なのか?」

「さて。…………絶望というよりは、落ち込んだのかもな」

「ウィリアムが?」

ふっと唇の端に皮肉っぽい微笑みを浮かべ、絶望の魔物は腐り落ちた大地を眺める。

「また誰かを殺してしまったのか?」

「はは、それも酷い決めつけだな。………いや、殺してはいない。だが、嫌われてしまっただろうなとは思う」

「それくらいのことか」

そう笑う暗い声は、決して彼自身が絶望しているからではない。

彼は、自身が絶望するというよりは、絶望を齎し絶望を刈り取る者だ。

ウィリアムが死の予兆や気配を持つ者に関わり天秤を傾けるように、このギードもまた、関わる者を絶望で損なうという厄介な特性を持つ。

「俺にとっては、そのくらいとは言えないことだ。だが、君が来たという事は、これはいよいよ確定的なのか………」

「ん?更に落ち込んだな……」

「いや、久し振りに会えたのは嬉しいんだが、少し事情があってな………」

また何処かで、腐り落ちた台地が崩れて辛うじて生き残っていた者達が力尽き腐敗してゆくのがわかる。

太陽は昼間だというのに翳り、この鳥籠の様子がおかしいと気付けずに逃げ遅れた疫病や死の精霊達は、取り憑き食らうものを見失って共食いを始めていた。

例え己の系譜とは言え、腐り始めてしまった眷属達を外に出す訳にはいかず、ウィリアムは、この鳥籠の中の腐敗した大地を彼等諸共処分するしかない。

(…………疲れたな。酷く疲れた)

ふと、この酷い有様の全てを投げ出し、どこかへ行ってしまいたくなる。

しかしそんなことをすれば、ここから染みだした毒が仕事を増やすばかりではないか。

「まるで、ラエタの頃のあんたみたいだ。誰が、ウィリアムをそこまで不機嫌にしたんだ?」

「強いて言うなら、俺自身かな。恐ろしい偶然だが、そのラエタで当ってもいる」

そう答えたウィリアムに、ギードは少しだけ首を捻った。

「ラエタの血族は、確かヴェルクレアの王家に残っていたか………」

「いや、あの二人の子孫の方じゃない。………とある精霊の呪いに、ラエタの影絵が残っていたらしくてな。偶然その中に落とされた知り合いが、あの頃の俺に傷付けられたらしい」

そう説明すれば、ギードは困惑したような呆れたような顔をした。

「あんたは、……どうしていつもそんな目に遭うんだろうな」

「俺もさすがに、影絵の自分に誰かを傷付けられて落ち込むのは初めてだけどな」

「方法ではなく顛末のことだ。頑強そうな絆を結んでも、すぐに壊してしまう」

「君にだけは言われたくないな」

「残念だが、俺は、もうそういうものは卒業したんだ。世界は広く、好きな時にどこにだって行ける。一人で生きる方が拍子抜けするくらいに気楽だからな」

近代の絶望の魔物は、怠惰の魔物とも言われている。

とは言え実際にはそのくらいの緩み方をしている方が世界には優しいもので、惰眠を貪り城に篭りきりのギードを外に連れ出す酔狂者はいない。

いるとしたら、こうしてちょっとした加減の仕損じで、国を一つ腐り落としてしまったウィリアムくらいだろう。

彼が最後に絶望したのは、いつだっただろう。

どうして一人で生きていくと決意してしまったのか、それはやはり親友を失ってのことだろうか。

「………カルウィの方に、今代のグレアムがいる。会おうとは思わないのか?」

そう尋ねたウィリアムに、ギードは唇の端で小さく微笑んだ。

「でもそれはもう、俺が知るグレアムじゃない。司るものの資質が変わらない限り、今代の犠牲の魔物もきっと同じような魔物だろう。…………けれど、どんな顔をしてその魔物に会いに行けと言うんだ?祟りものとなった先代の犠牲を封じたのは俺だし、俺は、グレアムとの最後の約束すら守らなかった」

ウィリアムは、そのグレアムとギードの最後の約束とやらが何なのかは知らなかった。

ただ、その言葉がギードに重くのしかかり、彼はその約束を果たすことを放棄して姿を消した。

(グレアムが言い残しそうなことくらい、想像はつくがな………)

先代の犠牲の魔物が愛したのは、戦火のような己の伴侶だけであったが、彼が心を傾けたのは彼の王ただ一人であった。

万象とは酷く多面的な魔物であるが、その中でもグレアムが触れることが多かったのはその孤独だったのだろうということは、想像に難くない。

シルハーンを案じ、その隣に寄り添って支えたからこそ、誰よりもその内側の虚ろな闇を覗き下ろしたのはグレアムだったのだと思う。

「シルハーンの事を頼まれたんだろう?」

「…………グレアムにもお救い出来なかったあの方を、絶望である俺がどうやってお救い出来ると言うんだ」

ウィリアムは、その夜のことを今でもよく覚えている。

『ギードがね、お別れを言いに来たんだ』

がらんどうの美しい城の中で、シルハーンはそう微笑んだ。

グレアムとその伴侶が滅び、すっかり静かになってしまった万象の城をウィリアムが訪れたのは、グレアムの崩壊からだいぶ経ってからだった。

その頃はちょうど世界があちこち不安定になっており、すっかり足が遠のいてしまっていたが、そう言えば何年か万象の姿を見ていなかったと慌ててやって来たところだった。

『それは、……いつだったんですか?』

『さて、昨日だったか、何年か前だったかな』

その言葉を聞いて、ウィリアムはぞっとしたものだ。

多分、ギードが別れを告げに来た日からずっと、万象は誰とも会っていなかったのだろう。

『なぜ、ギードはそんなことを………。彼程に、あなたに懐いていた魔物もいないでしょう』

ギードは、とても万象を慕っていた魔物の一人だ。

信奉とは違う寄り添い方をし、まるでしっかり者の弟のようにグレアムと共に危なっかしい万象の世話を焼いていた。

ギードにとってのグレアムは友人だったが、シルハーンは、彼にとってとても大事な宝のようなものであったのに。

『グレアムが去って、自分一人が私の側に残ると、その身に司るものが私に良くないだろうと話していた。これ以上多くの絶望を私の手元に置かないように、私にはもう会わないのだそうだ』

『やれやれ、ギードはもしかしたら、グレアムが不幸になったのは自分と深く関わり過ぎたからだと思っているんですかね』

『かもしれないね。本当にそうかも知れないし、そうではないかも知れない。私であっても、その答えは分からないことだ』

月のない暗い夜だった。

その夜の暗さに万象の白さだけがぼうっと光り、華美ではないにせよ、せっせとグレアムが暖かな空間にしようと手を加えていた万象の城は、まるで美しいだけの廃墟のようではないか。

温度もなく、音も明かりもなく。

使用人もなく、唯一人が住まうのみ。

まるで檻のように鋭い顎門を広げて横たわっている。

(こんな場所に、どれだけ一人でいたんだろう……)

これがもし、もう少し下の階位の魔物であれば、その魔物を招いた誰かや、その魔物と親しい誰かがその不在に気付くだろう。

しかし、それが万象ともなれば、そうそう誰もが出会える存在ではないからこそ、その不在に気付く者は極端に少なくなる。

万象に謁見したい者達などどれだけでもいるが、彼等のほとんどは万象が望まなければ会えない者達だ。

そして、知りもしないものを万象が望む事はないだろう。

あの最初の砂漠の夜の暗さを思い、恐ろしくなったウィリアムは、その晩は仕事を投げ出して万象を城から連れ出した。

かつてはそこにいつも一緒にいたグレアムやギードの存在を恋しく思い、何度ギードを強引に呼び出してしまおうかと思ったことか。

けれども、彼は大切に思っていたものを見捨てる代わりに、己の資質からそのものを守ろうと決断したのだと思えば、苦渋の選択をしたであろうギードの名前を呼ぶ事は出来なかった。

ただ自分の為だけに見捨てたのではない。

なぜならば、グレアムを失ったギードもまた孤独であり、楽な方を選ぶのならば、シルハーンと二人で失ったものを嘆く日々を送る事も出来たのだ。

それでも彼は、世界に残された大切なものを守る為にその前から姿を消すことを望んだ。

「ギード、………今のシルハーンは大丈夫だからな」

だから、ウィリアムは久し振りに会った友人にそう告げた。

こちらを見て怪訝そうな顔をしたギードに、意図して穏やかな微笑みを浮かべるようにする。

しかし、そうすることは、そんなシルハーンの隣にいるものを失ったウィリアムにとっては、いささか苦痛なことでもあった。

「シルハーンが………?」

「ああ。君は噂を聞いていなかったんだな。シルハーンは歌乞いを得て、もう孤独ではなくなった」

「……………歌、乞いを?」

呆然と瞠られた瞳は、無防備なほどの驚きに満ちていた。

毒色の瞳が微かに濡れたような輝きを帯びる。

或いはもしかしたら、滲んだのは本当に涙だったのかもしれない。

「ああ。それに彼女は、シルハーンの指輪持ちだ」

「指輪を、…………指輪を差し上げたのか」

最後の一言を、ギードは口元を無意識に綻ばせながら呟いた。

まだきちんと受け止められてはいないが、口元に彼には珍しいただの微笑みが浮かぶのを見て、ウィリアムは少しだけ安堵する。

かつて、ギードはウィリアムが休みの夜に酒を酌み交わす友人の一人だった。

しかし、ウィリアムが戦場でもう一人の友人の伴侶を殺してから、その友情は途切れている。

復讐に駆られたグレアムに誰が伴侶を殺したのかを言いはしなかったが、ギードはあの時、同じ戦場でことの顛末を見届けた、その犯人を知るただ一人であったのだ。

「………だから、君は安心してグレアムにでも会いに行けばいい」

「ウィリアムは、もう会ったのか?」

「………いや。だが、いずれ戦場で出会うだろう。彼が犠牲で俺が終焉である限り。カルウィは、ヴェルクレアとも由縁の深い国だからな。………いや、俺はもう、ヴェルクレアにそうそう近付くこともないだろうが」

その言葉を口にした途端、なんとも言えない胸の苦しさを感じた。

とは言え、その精査は今はするべきではない。

これからも鳥籠を敷き、終焉を齎すのが自分であるのならば、このような失態は一度で充分だ。

(…………そうだ。失うことなど、決して珍しくはないだろうに)

燃え上がった大地を走る風が、ウィリアムのケープを大きく翻す。

あまりにも腐敗が酷く、ウィリアムは一度この土地の全てを滅ぼし、鳥籠の中ごと焼いてしまうつもりでいた。

そうしなければ、この島は未来永劫腐敗したまま、祟りものの温床となってしまう。

近くの海の一部も汚染はされたが、まだまだ近隣には健やかな島も多い。

不手際で腐らせた島を、このままにはしておけなかった。

「そうか。………あの方に、指輪を贈る相手が出来たのか。……グレアムに聞かせてやりたかったな」

「…………ああ」

そして、そんな会話が途切れた時のことだった。

「……………ん?」

ふっと目を奪われたのは、足元の汚泥に鮮やかな緑の新芽が芽吹いたからだ。

はっとして周囲を見回したウィリアムに、ギードも何かを察したのか、慌てて視線を巡らせている。

「シルハーン?!」

そしてそこに、ふわりと降り立ったのはこの暗く爛れた大地には眩い程の、万象の魔物だった。

透明度の高い白い髪にありとあらゆる色彩が煌めき、まるで宝石に光を通したように地面に様々な色の淡い光が落ちる。

そして、その光の触れた場所からは幾つもの芽が芽吹いた。

「君がここまで壊してしまうのは珍しいね」

穏やかな声に、ウィリアムはふっと胸の奥の何かが剥がれ落ちるのがわかる。

目の前の万象は誰とも添わない魔物であったが、万象だけはいつもそう言ってくれたからこそ、ウィリアムはグレアム達と共に万象の側に在ったのだと思う。

それが常だと言うものがほとんどの中、シルハーンだけはいつもこう言うのだ。

「…………シルハーン」

そんな感慨を持つウィリアムの隣で、微かに震える声でその名前を呼んだのは、ギードだった。

その姿を目に留め、シルハーンもまた微かに目を瞠る。

そして、淡い微笑みを唇の端に浮かべた。

「久し振りだね、ギード」

万象の爪先が触れた地面が、ざわりと波打ち淡く虹色に光る。

爛れ腐った地面が水が湧くように動き、あっという間に真っ黒な泥は柔らかな土色に戻った。

万象の足元から一斉に芽吹いた草木はするすると育ち、葉を茂らせ枝を伸ばし、艶やかな色とりどりの花を咲かせる。

(或いは、ただこの光景を見るその為だけにであっても、俺は万象を望むのかもしれない)

終焉が殺してしまった大地を、蘇らせることが出来るのは万象だけだ。

通常時であれば、ウィリアムはシルハーンが鳥籠の中に入ることを喜ばない。

それは、終焉の要素を万象が補填して浸透させてしまうからで、万象がただ普通に在るだけで引き起こされる頭の痛い問題だった。

しかし、こうして終焉にここまで破壊された大地では逆に、その恩寵を受けるばかりとなり復活が叶うのもまた、万象らしい容赦のなさであった。

あっという間に、島は緑で覆われていった。

隠されていた太陽が雲間から覗き、向こうの方では優しい雨が降り虹が出ている。

そして、今度は海を渡ってきた清涼な風に長い髪を揺らし、万象は再び色を変えた島を無関心に一瞥した。

決して望んで蘇らせた訳ではなく、万象にとってはただ、降り立っただけのこと。

「すみません。すこし不手際がありました」

「ここを収拾するのに、どれくらいかかりそうかい?」

「………いえ、シルハーンが訪れてくれたことで、後始末の必要はなくなりましたから、もう大丈夫そうですね」

「では、その後の仕事の調整がついたら、少しでもリーエンベルクに顔を出すといい」

「…………ネアに何かありましたか?」

ぞっとしてそう尋ねれば、シルハーンは不思議そうな顔をした。

「あの子は元気にしているよ。今はノアベルトが甘えているようで、ゼノーシュと一緒に、狐を洗うのだそうだ」

「…………安心しました。………では、なぜ俺を?エーダリア達に何か問題があったか、アルテアがまた悪さでもしましたか」

「いや。ネアがね、君にもお礼が言いたいのだそうだ。ヨシュアを投げ込んでくれて助かったそうだよ」

「……………ネアが?」

思わず、声が掠れた。

その言葉をどう受け止めていいのか一瞬戸惑い、それから小さく頷く。

頷きながら、自分は何かまるで違う言葉を聞き間違えていないだろうかと恐ろしくなった。

(……………魂を削がれるのは、どれだけ不快なことか)

かつて、ウィリアムは気に入った生き物の魂を削いで持ち帰っていたことがあった。

それは、本人を連れ帰ってもどうせ死なせてしまうからと編み出した打開策だったのだが、しばらくすると、欠片を奪われた生き物も、その切り口から終焉に侵食されて死んでしまうのだと知ったのだ。

慌てて魂を返した者もいたが、終焉に魂の一部に触れられた者は、その不快感と苦痛のあまり正気を保てずに自死してしまった。

ネアは幸いにも数日で済んだので、そこまでの苦痛を感じずには済んだようだが、それであっても不快な思いをしたのは間違いない。

ましてや、相手を排除せんとして近付いた自分に出会ったのであれば、それはもう、酷い思いをした筈なのだ。

(……………いや、酷い思いはしたのだろう)

ただ、彼女はいつもの彼女のように振る舞い、そんなことを気にしなかったのか、或いはその上でも自分と会ってみようと思ったのか。

微かに震えるように揺れた片手を持ち上げて口元を覆い、ウィリアムはもう一度深い息を吐いた。

「……………ここを片付けたら、すぐにでも行きます」

「そうするといい。ただし、週末には、春闇の竜達が来るようだ」

「やれやれ。彼女の周りはいつも大忙しですね」

そう苦笑してやっと、奇妙な倦怠感や息苦しさが剥がれた気がした。

どれだけ自分が失望していたのかを知り、ウィリアムはそのことにまた苦笑する。

安堵というものは不思議なもので、安堵を吐き出そうとすると唇の端に笑みが浮かんでしまう。

「…………我が君、あなたが、歌乞いに指輪を贈ったのだと聞きました」

ウィリアムが落ち着いたからか、そうシルハーンに話しかけたのはギードだった。

そんなギードをどこか懐かしそうに見返し、シルハーンはそうだねと頷く。

「私の歌乞いで、私の伴侶にする者だ」

「………………良かったです」

万感の思いを込めて。

ただ安堵と喜びだけをその言葉に込めて、ギードは呟く。

そんな言葉を受け止めた万象は、どこか困ったような不思議な微笑みを浮かべていた。

「…………あなたにそういう方が現れたのだと聞けば、グレアムは喜んだでしょうに」

「燭台の塔で、グレアムにも話したよ。クライメルと勝負をしている時に、無理矢理蝋燭から立ち戻ってきたんだ。でも、そのお陰で短い時間だったが話が出来た」

それは、ウィリアムも知らないことだった。

蝋燭の塔とクライメルと言えばいつのことだか想像がつくので、あの時にグレアムが現れたということなのだろう。

「……………グレアムは喜んだでしょう」

「そうだね、喜んでくれたのだと思う。…………最後に火を点けて欲しいと言われたから、そうしてきた」

「俺には出来ませんでしたが、その結果、グレアムは一番聞きたかった吉報を得てから旅立てた。有難うございます、我が君」

そう深々と一礼したギードの胸中は、いかばかりか。

こうして、万象が想う相手を得たという報せだけでも喜びであるのに、グレアムがそれを知ることが出来たのであればそれ以上の喜びはあるまい。

そしてその事実は、ウィリアムにとっても救いとなった。

どのような顛末であれ、やはりグレアムはウィリアムにとっても友人ではあったのだ。

「君もいつか、ネアに会わせてあげるよ。今はまだ正式に伴侶にしていないから不安定だけれど、あと一年もすれば伴侶になるからね。それまでは損なわれないようにしておいで」

「…………俺を、ですか。………しかし」

「…………グレアムを、彼女に会わせてやりたかったと後悔したんだ。なぜだか分らないけれど、あの子は私に友人がいたと知ると喜ぶんだよ。だから、せめて君はきちんと会わせてやりたい」

「………………俺を」

それはきっと、思いがけない言葉だったのだろう。

ギードは絶句してしまい、そのまま唇を震わせて涙ぐむと何度も頷いた。

その時までには完全な擬態を会得しておくので、必ずや不要な影響を及ぼさないようにして、会えるようにしておくと宣言する。

こんなに嬉しそうな絶望を見たのは、グレアムが伴侶を得た夜くらいだなと、ウィリアムも明るい気持ちになった。

去り際に、ところでノアベルトの名前が聞こえたような気がしたと言うので、ウィリアムはギードが余計な煩悶を抱えないよう、とりあえず空耳だと言っておいた。

「確か、俺は友人枠ではなかったんですよね。複雑ですね」

ギードがいち早く擬態を完全にする為にと慌てて帰っていってしまってから、ウィリアムは少しだけそんなことを言ってみた。

グレアムとギードよりは外周にいた自覚はあるが、それでも自分もそれなりに近しくあったつもりではあり、少し前までは気にならなかったそんなことが気になったのだ。

「君のことや、アルテアのことはよく分らないんだ。友人ではあったのだろうけれど、そういうことを考えてみる前に、ネアに会わせてしまっただろう?」

「………もしかして、ネアを基準に判断しているんですか?」

「うん。あの子に会わせてみたいかどうかで、考えているからね」

「成程。あなたらしいですね」

「そんなことを考えるようになったのは、最近のことだよ。ネアが傍にいてくれるのが当たり前になって、あの子が逃げ出すことを考えないようになってからだからね」

魂を削られた後遺症やこの島のことなど、幾つかのことを話した後でシルハーンは帰っていった。

「さて、………俺も少し準備をするか」

見回した大地は、万象の予兆ともされる恩恵を受け、完全に元通りとは言えないものの、酷い戦乱があったとは思えないくらいに豊かな森が息づいている。

いまはまだまっさらな森だが、ここであればやがて多くの生き物達が戻ってくるだろう。

そんな島を眺めて頷くと、ウィリアムは、リーエンベルクに足を運ぶならネアに何か買っていってやろうと行き先を考えた。

万象程ではないにせよ、何かを思い慈しめるというのは、得難く幸福なことだ。

その安堵を噛み締めて、少し前までは死の気配しかなかった島を後にした。