軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

20. 思いがけない生き物を捕まえました(本編)

今更ではあるが、ネアは音痴だ。

本人としてみれば、飲み込みがたい事実であるが、残念ながら変えようがない真実でもある。

ネアの歌唱試験に立ち会ったゼノーシュは半日寝込んだし、エーダリアの指揮の下、歌乞い用の教本から有名な唱歌を何本か抜粋して貰ったものの、結果は見事に惨敗した。

そして、魔物という生き物は総じて、歌に重きを置く。

歌乞いという仕事が契約の上に成り立つのは、それが彼等に根深く浸食するものだから。

その中でも、歌乞いと契約をしていない所謂野生のもの程、その影響力は甚大なのだそうだ。

それはどうやら、望ましく無い影響という方面であってもそうらしい。

ネアは、こっそりと、庭にいた蝶の魔物で歌唱実験をしたこともある。

しかしその結果、ぱたぱたと飛んでいた蝶は、数秒でお亡くなりになってしまった。

ディノの結界すらすり抜ける程に無害な生き物の、無垢なる命を奪ってしまったので、庭の一角には立派な墓所を建立してある。

その悲劇を経て、ネアは、己自身の喉が最終防衛手段であることを確信した。

勿論、自分も羞恥で死にそうになるので、ほぼ相討ちにはなるのだが、無力極まりないネアが展開出来る、唯一の対抗手段なのは間違いのだった。

「………なぜこうなった」

しかしながら現在、ネアは這いずって足元ににじり寄った黒煙を、踏みつけて動けなくしながら、途方に暮れていた。

先程と同じように苦悶の表情で、おまけに涙を流しているが、なぜかご主人様と呟いている。

ヒールのあるブーツで容赦なく踏みつけ、体重をかけなければ取り縋られていたかもしれないので、ものすごく怖い。

「ネア。また、目を離した隙に浮気をしてしまったのかな………」

更に、絶妙に嫌なタイミングで転移してきた魔物には、全力で責められている。

こちらの魔物は、ネアの最終攻撃の直後にふわりと出現し、怪我人とは思えない荒ぶり具合ではないか。

どうか、傷口が塞がるまでは安静にして欲しい。

怪我をしたことに落ち込み、寝ていたのではなかったのだろか。

「ディノ、この状況で私の足の下を羨ましいと言うなら、かなり重症の部類になりますよ?」

「見たことがないことをしてる……」

「これは、決して私に触るなという意思表示による、苦渋の選択ですので、真似をしてはいけません」

「それなら………羨ましくないのかな?」

「その通りです。語尾の疑問形を取り外しましょうね」

「……わかった。それはいらないね?」

「ええ。ぽいしたいです」

ディノは、ネアの足首に手を伸ばそうとしてる黒煙に目を細め、手も触れずに黒煙の魔物を遠くに転がした後、両手でネアを拘束する。

すぐさま持ち上げようとしたので、慌てて押しとどめた。

「あ、駄目ですよ!香辛料だらけの生き物を踏んだので、足裏が汚いですからね」

「でも、目を離すとすぐにどこかに行くからね」

「………今回は、迷子後に積極的に動きましたが、入口は、あのお屋敷に不用意などこでも扉が仕掛けられていたせいですよ?」

「確かに変な魔術式が残ってたね。後で責任を取らせよう」

ディノは、靴裏を魔術で綺麗にしてくれると、いつものように抱き上げたネアに頭を押し付ける。

真珠色の綺麗な頭頂部を撫でてやりつつ、ネアは、不安に駆られて眉を顰めた。

「ディノ、左手首は痛くないのですか?」

「……………痛い」

「嘘つけ。痛くないだろ」

すかさず割り込んだアルテアを恨めしそうにじろりと睨み、ディノは罪のない微笑みをネアに向けた。

どうしてだろう。

とても胡散臭い。

「傷口が痛むのなら、私を地面に下しましょうね。その腕の上に座らされている身としては、大変心苦しいです」

ディノの抱き上げ方は、いつも同じだ。

片腕にひょいとネアを乗せ、片手を自由にする子供抱きスタイルである。

そして今回、ネアを乗せているのは左手なのだ。

「それは嫌だな」

「傷口が開くのでやめて下さいね?」

ディノを何とか宥めようとしながら、ネアは転がされていった黒煙の魔物ではなく、その反対側で大きな木に寄り掛かって立っている、アルテアを眺める。

ふぅと息を吐き、片手で前髪を掻き上げてクラヴァットを緩める様は、何とも官能的だ。

足止めをして、あわよくば少しでも悪さをしないように無力化しようと思っていたが、弱ってしまうと流石に不憫ではある。

ゼノーシュのように、半日寝込むぐらいで済むだろうか。

しかし、死んでしまったりはしないといいなと観察していると、目が合い、かなり嫌そうに顔を顰められてしまう。

「お前のどこが音痴なんだ」

「……………え?」

思わずディノの方を見てしまえば、ディノも困ったように眉を顰めている。

胸に刺さる事実だが、やはり音痴という認識で間違いないらしい。

「もしや、アルテアさんは聴き取り音痴……」

「やめろ。だったら、そこの下位が正常反応するわけがないだろ」

「正常………?」

明らかに正常ではないご様子だった黒煙を目で探ったが、ディノに転がされた際に意識が落ちたのか、茂みの手前で動かなくなっていた。

「ディノ、あちらの容疑者は、死んでいませんよね?」

「落としただけだよ。壊すと、ネアは嫌なんだよね?」

「ええ。ほっとしました。………そして私は、………音痴という評価で着地しましたよね?」

「独特な歌い方で可愛いと思うよ」

一抹の期待を抱いてしまったせいで、ネアは、その返答を聞き、目頭が熱くなった。

期待しすぎるといいことはないという、典型的な落とされ方だ。

「……ということです。アルテアさんの耳は、同じように独特だったと言うことで」

「いやいやいや、その確定の仕方はやめろ!シルハーン、こいつに歌わせる歌は、ものを指定したのか?」

「ネアの話題に触れないで欲しいかな」

「そこからかよ!」

ディノはそのまま会話を終えたいようだが、音痴という汚名返上に縋るネアは、そのやり取りを聞き逃さなかった。

さりげなく髪の毛に顔を埋めるディノを押しやると、アルテアの方に向き直る。

「待ってください!選曲によっては、私は音痴じゃなくなれるんですか?!」

「ネアは音痴だよ。転職は出来ないから、諦めるといい」

「ひどい!」

「どうせ、教本の歌でも与えられたんだろ。あれは古典だ。単調な童謡でも歌ってみろ」

「仰せのままに!」

目を輝かせたネアは、汚名返上に恥をかなぐり捨てて必死で歌ってみたが、一小節も進まない内に手で止められる。

具合が悪そうなアルテアが物理的に止めにかかろうとしたので、本気のご様子である。

「よし、通常仕様では音痴なのは納得した。二度と歌うな」

「上げておいて落とすなんて………!」

「可哀想に。もうアルテアとは口を利かない方がいいよ」

「こんな風に傷付けられるのならば、黒煙の魔物さんだけでなく、あの攻撃的液体は、アルテアさんにもかけておくべきでした………」

「………やめろ」

悲しげに地面に置かれた水筒を眺めるネアに、ディノは珍しく困ったような顔で苦笑する。

老獪な魔物らしい、気遣わしげだが含むところのある眼差しだ。

「ネア。黒煙に何かをしたのだね?」

「ええ。私の大事な魔物に怪我をさせた上に、その傷を治さないというので、復讐をしたのです」

「………そう、なのだね」

こうしてまた、ほろりと幸せそうに微笑むから、だからネアは、自分の凄惨な復讐を正当化してしまうのだろう。

(こんな風に、自分でもわからないように喜ぶのはずるい)

いつか転職するネアが、これ以上にこの魔物を大事にするのは難しいのに、こんな風に微笑まれたら、心臓に悪いではないか。

まだ躊躇なく出来るのは、髪を引っ張ることぐらいなのに。

「ディノが嫌な思いをした分を、きっちり取り返しておきましたからね」

「いいご主人様だね」

木々の間を抜ける風が、繊細な森と花の香りと、いささか不似合な香辛料の香りを運んで来る。

ネアは、この臭いがディノの髪につかない内に、この場から撤収しようと心に決める。

「傷口が開くといけないので、帰ります?」

「…………うん。そうしようか」

「ただ、あちらで倒れている魔物さんが月の羅針盤を持っているのなら、慰謝料代わりに毟り取ろうと思います」

「毟り取る………のだね」

「はい!」

「歓談の最中に悪いが、とりあえずこの状態の責任をとっていけよ?」

「………はい?」

その問いかけを聞いたネアは、嫌な予感がした。

ぎりぎりと眉間の皺を深くすれば、アルテアは、ぞくりとするほど綺麗に笑う。

「歌乞いが、魔物を捕えたんだからな」

応じる声をネアは持たなかった。

ぐっと体感温度が低くなったディノの為に、必死に首を振る。

滲むような紺色の瞳が悲しげに翳り、白銀や菫色の彩りも鮮やかな煌めきを失う。

こんなに憂鬱そうなディノを見たのは初めてだ。

「…………浮気」

「していません!!」

悲壮な顔で全力否定すると、アルテアが愉快そうに声を出して笑った。