軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

76. 魔物が大変なことになりました(本編)

とある朝、ネアは早起きして部屋を抜け出していた。

魔物を連れて、不定期に出現する大浴場を楽しんできていたのだ。

ほかほかで良い匂いになっての帰り道、もっとも森沿いの窓がある景観の良い回廊を抜けていると、奇妙な生き物が動いているのを見付けた。

「ディノ、あやつは何者ですか?」

「霜食いの精霊だね」

「霜を食べるのですね」

「霜と厄を食べるから、こういう土地ではあえて迎え入れているみたいだね」

「なんと、厄も食べてくれるとは!」

「時々人間や動物の爪先も食べるから、踏まないようにはした方がいいよ」

「それを食べるのなら、ほぼ危険動物なのでは!」

窓からじっと見ていると、霜食いは顔を上げた。

何とも言えない姿なので、ネアは少しぎくりとする。

「霜食いの精霊が気に入ったのかい?側で見ようか」

「なぬ?」

勘違いした魔物に抱えられて、ネアはあえなく外に連れ出されてしまう。

湯冷めしても嫌なので慌ててコートを取り寄せさせて、保温の魔術もかけて貰った。

雪の上で邪魔な観覧者達を見上げているのは、霜食いの精霊とやらだ。

ネアの目には、地面を這いずる小型ピラミッドが映っている。

そのピラミッド型の生き物は苔色をしており、雪が積もったのかまだらに白くなっていた。

毛皮があるわけでもなく、やはり苔製のピラミッドという表現が一番しっくりくる。

「…………尻尾」

「尻尾の長さで寿命がわかるんだ。これは随分と長命だね」

「尻尾だけフサフサ毛皮で、水玉模様など心の処理が追い付きません」

むっちりフサフサの尻尾を引き摺りながら、苔ピラミッドがずりずりと移動してゆく。

とても怖いので早急に離れていただきたい。

霜を食べているのか、ばりばりと咀嚼音がした。

これだけの音を立てているということは、丈夫な歯をお持ちのようでまた怖い。

「ディノ、そろそろお部屋に…」

「早く起きたから飛び込みも出来るね」

「なぜその流れになったのか、ディノの心の動きが知りたいです」

「ネア、大胆だね……」

「何故照れてしまうのでしょう?」

いつもならここで持ち上げを解除させて帰るところだが、足元が雪靴ではないので、降りれないのが辛い。

また霜食いの精霊を見てしまい、心が不安定になる。

「ネアは、新しい生き物を見付けると可愛いね」

「む。………そうなのですか?」

唐突にそんな事を言われて、ネアは首を捻った。

現在、魔物はご主人様への可愛いを安売りし過ぎてしまったので、ネアはその表現に頓着しなくなっている。

ディノの可愛いの定義が行方不明な所為もあり、困っているところだ。

「狩りのときは楽しそうだし、新しい生き物を見付けると目が輝くか、こうやって震えているから」

「震えているときは、あまり得意ではない生き物に遭遇した時です。速やかに撤退して下さいね」

「震えているととても可愛いのに……」

「拗ねてみせても駄目ですよ!」

この会話で漸くネアは納得した。

だからこそ、カイン探検では百足やイソギンチャクを見せようとしたに違いない。

「ご主人様はあまり甘えてくれないし……」

「たくさん甘えていますよ?」

「巣から引っ張り出してくれなくなった」

「あれは魔物が喜ぶ儀式だと思ってやっていた頃が、私にもありました……」

実は最近、巣に立て籠もった魔物を引き摺り出す儀式の難易度が上がってしまった。

馬の亡霊にお尻を蹴られて巣に進入したことがあり、それ以降、ディノにはご主人様を巣に入れたい欲求が芽生えたようだ。

したがって、巣から引っ張り出す儀式が失敗すると、魔物に巣の中に引き摺り込まれて返り討ちにされてしまう。

(それだけは避けたい……)

あの薄暗く狭いところで魔物に拘束されていると心がざわざわするので、ネアは巣への軟禁が苦手だった。

「今日の仕事は何をするんだい?」

「実は少し生薬の材料が狩りたいのですが、狩りは危険ですか?」

「狩場そのものを、結界で包めば大丈夫だよ」

「では、行きたいです!後は、心臓の薬の依頼が一つ入っています」

「アブレートかな」

「ええ、その名前でした。有名な薬なのですか?」

「火竜の鱗から煎じる薬だ」

「………ヴェンツェル様の火竜さんに無体を働いてはいけませんよ!」

「ネア、浮気………」

その時ネアは、木立の向こうに銀狐がいることに気付いた。

実はここ最近、時折見かけるのだ。

懐いたようで嬉しいので、エーダリアに頼んで免罪符扱いとして貰った。

これは益獣などに適応する魔術の緩和符で、これを与えられた生き物はリーエンベルク内では傷付けてはならない。

免罪符の効力外となるのが、領主のエーダリアと、その補佐官のダリル。

上位権限を持つヒルドにグラスト、そしてそもそも対象外となる魔物達だ。

(ディノは対象外になってしまうので…)

ネアは魔物に銀狐を傷付けてはならないと、厳しく躾けなければならなかった。

魔物曰く、それで損なわれた心の平安を補うべく、ネアは魔物の爪先を踏む日が増やされてしまった。

こちらの損なわれた心はどうすれば良いのだろう。

本日はまだ銀狐に気付いていないので、どうかこのまま気付かないで欲しい。

最近は銀狐もその負の連鎖に気付いたのか、ディノがいない時を狙って遊びに来るようになっているが、今回は早朝なので油断したのだろう。

「ネアは、あの火竜が好きだよね」

「そうですね。竜の方にはお会いしたことがありましたが、初めて大好きだと素直に思える気質の竜さんにお会いしました!」

「………大好き?」

「ええ。あの火竜さんは、人格的にも好ましく素敵な方です。やっと好きな竜が現れてくれて、異世界冥利に尽きますね」

せっかく竜のいる世界に来たのだから、お気に入りの竜が出来るのはとても嬉しい。

ドリーは他の竜よりも大きく、見事な真紅の竜だったので目にも嬉しい出会いだった。

(本当は、雪竜さんの色合いの方が好きだけど、ジゼルさんとの出会いはあんなんだったしなぁ……)

ふとそこで、自分を抱えている魔物の微笑みが危ういことに気付いた。

艶やかに微笑んではいるが、気配がまるで穏やかではない。

「ディノ?」

「………ネア、君は浮気者だね。私のものなのだから、それは駄目だよ」

「む。竜の方は対象外ですと何度言えば良いのでしょう」

「それでも、竜は人間の番いを選ぶこともある種だ」

「格好のいい生き物への憧れ的な賛辞です。ご主人様の情緒をこれからも伸ばして下さい」

「格好いいなんて表現、私には使わないだろう?」

「あら、………そうですね。確かにディノには使わない表現です」

ネアがそう答えた途端、ディノは悲しげに目を瞠った。

少しあざとめのやつなので、ご主人様は遠い目になる。

「ネアに傷付けられた……」

「冷静になって下さいね。各自、似合う称賛の仕方というものがあります。例えば、ディノのことは凄艶だなと思いますが、火竜さんにはそうは思いません」

「私は、……格好良くはない?」

「どちらかと言えば、………格好いいよりは可愛らしいですね」

「可愛らしい………」

足元ではバリバリと霜を食べる精霊がいる。

ネアは、この話し合いをここで続けることに疲労感を覚え始めた。

そもそもが不毛な会話なので、せめて部屋でやって欲しい。

拗ね始めてしまった魔物に、ネアは小さく息を吐いた。

遠くからこちらを見ている銀狐も、何やらハラハラした面持ちでこちらを見ているではないか。

「ディノにはディノの良いところがありますよ。その差異があるからこその一番なので、他者との違いを埋める必要はないと思うのです」

「けれど、人間社会でも、婚約者がいるのに他の男性を賛美するのは良くないと聞いたよ。だから…」

「婚約者………?」

聞き逃せない単語にネアは首を傾げた。

ぎりぎりと深くなる眉間の皺を刻みながら、こちらを見ている魔物がひどく驚くのを見ていた。

(………ものすごく恥じらった感じで、嬉しそうに言われたけど、何のことだろうか)

「婚約者……」

「私は、エーダリア様との婚約は破棄させていただいたので、清く正しく独り者な筈です」

「……………一年後だと約束したのは?」

「一年後?」

「……………予約」

「ええと、…………その、年末のあれであれば、お付き合いをするかどうかなお話ですよね?」

直接的な言葉で確認するのは初めてなのでネアはとても羞恥心に苛まれてしまったが、正面の魔物の表情を見てぎくりと固まった。

ネアが照れている僅かな内に、魔物の目が死んでいる。

「ディノ…………?」

死んだ目のまま黙ってしまったので、ネアは慌ててその秀麗な頬に手をあてた。

片手を魔物の肩に回したのは、注意散漫になって地面に落とされない為の保険だ。

取り敢えず、この場の最優先事項はそちらである。

「……………婚約してない?」

「え、………ええ。ディノ?」

「一年後…………」

「その、………婚約とは、相手に結婚の申し入れをして了承されてから、結婚までの期間を指します。お付き合いもしていないのに、婚約となると………」

「…………恋人でもない」

「そうですね…………。それこそ予約期間というやつです」

「じゃあ今は………何なんだろう」

「むぅ、そうなると難しいですね。お仕事の相棒と言うよりは大事度が高過ぎますし、現状世界で一番大切な家族のような…………ディノ?!」

ネアとて、この状況なので魔物を不安にさせないように言葉で最大限愛情を示したつもりだった。

なので、過去最大の表現をしたネアはやり遂げた気分だったが、目の前は大惨事になっている。

一瞬、自分が見ているものが信じられず、何度も瞬きしてしまう。

「デ、ディノ………、泣いてしまったんですか………」

(………………な、泣いた)

驚くべきことに、魔物は綺麗な水紺の瞳を瞠ってぽろぽろと涙を零している。

途方もなく美貌の魔物であるので、その光景は息が止まりそうなくらいに美しい。

ぱらぱらと溢れる涙は、どこかに落ちる前に星屑のようにキラキラと光って消えている。

(この涙は、どこに消えていくのかしら……)

目の前でこんな風に男性に泣かれた経験がないネアは、いささか混乱していた。

ぽろりと涙を零されるくらいは諸々と追い詰められることのあったエーダリアで慣れていたが、こうなるとどうして良いのかわからない。

これは修羅場の一つなのだろうかと、小さく首を捻る。

(大人の男性もこんな風に泣くのは不思議だけれど、ディノはどこか無防備なところもあるし。こういう純粋なところが可愛らしいって評価になってしまうのかしら)

そこで納得しかけてしまって、キャウンと声を上げて駆け回っている銀狐に、はっと我に返った。

銀狐が飛び切り動揺しているのは、どうやらネアが魔物を泣かせた上に放置しているかららしい。

目が合うと、やや血走った眼差しでたしたしと前足で雪を叩かれたので、目の前の魔物に集中しろと怒られた気がした。

「…………ディノ、泣かないで下さい。大事な魔物が泣いてしまうと、私も悲しいです」

精一杯甘い声で慰めようとしたが、魔物は泣き止む気配がない。

ただ静かに涙を零して、呆然としたまま泣いている。

「…………ほら、湯冷めしてしまうのでお部屋に戻りましょう?ディノが風邪をひいてしまったら大変です!」

ゆさゆさと揺さぶってみたが、流れる涙が飛び散っただけでやはり泣き止まなかった。

「ご、ごめんなさい。そこまで悲しんでしまうとは思わなくて。…………で、でもほら、こういう問題はゆっくり深めてゆけば良いものです。私とディノは、まだ出会って半年も経っていませんし、私はどこにも行かないと約束したので、ずっとディノの傍にいますよ?それに、予約までした以上、他の誰かをディノ程に大切に思うこともありません。それで安心しませんか?」

魔物はまだ声もなく泣いていた。

あまりにも涙が溢れるので、体内の水分量はどうなっているのだろうかと、ネアの思考回路はまた誤作動してしまう。

(これは泣き止んだら水分補給させないと。……いや、そうじゃなくて!!!)

これはもう手に負えない。

助けを呼ぶしかないと、ネアは咄嗟に判断した。

ネアの経験値では、このような場面で泣かせてしまった魔物の処置方法が用意されていない。

「取り敢えず、ここは……」

魔術的な要素の強い大浴場に入ったので、ネアは着替えの際に失踪しないよう、湯船を上がると同時に首飾りを装着されている。

それが功を奏して、首飾りの金庫の中に魔術的通信端末を持っていた。

ヒルドの耳飾りはまだわかるが、最近何やら身の回りを固めようと思ったらしい周囲の者達から、緊急時の転移門や各種身分証書にえげつない武器など、持ち物が爆発的に増やされているところだった。

「………ネアか?どうした?!」

初めてプライベートな連絡をしたので、エーダリアはとても驚いたようだ。

まだ早朝だが、読み通り本日が休日である上司は、徹夜の読書で起きていてくれたらしい。

「諸事情から、リーエンベルクにアルテアさんを呼びたいです。構いませんか?」

「何かあったのか?!どこにいる?」

「うちの魔物が泣き止まなくなりました!」

「な、泣き止まない………?!」

「はい。ヒルドさんやゼノに頼ることも考えたのですが、これはもう、ディノに近しいお友達でなければ無理そうなのです。今は手元に材料がないので、ウィリアムさんを呼ぶことも出来ませんし……」

「……ま、待て、そもそも何で泣いているんだ……?」

「む。………ええと、端的にお伝えするならば、意見の相違による修羅場です」

ネアの報告にエーダリアは絶句した。

ここでまた絶句する者を増やされても埒があかないので、ネアはやや強引に正気に返らせた。

「エーダリア様、許可はいただけますか?難しいのであれば、ヒルドさんを……」

「わ、わかった。………ああ、好きにして構わない。…………修羅場?」

「有難うございます!こんな時間にお騒がせしました」

手のかかる相手を増やされる訳にはいかないので、さっと通信を切り、ネアは前回の話し合いで結局添付し直された守護とやらを頼りに、教えて貰った方法でアルテアに呼びかける。

心の中で叫べば良いのだ。

ただ呼ぶという行為だけでなく、そこに呼ぼうとする意志で発動する不思議魔術である。

(アルテアさん、アルテアさん、ディノが大変なのです!すぐに助けに来て下さい!!)

やっとボラボラのトラウマを克服し、その間に溜め込んでいた私用を取り戻している最中のアルテアには悪いが、これは彼にとっても友人の緊急事態だ。

あまりにも悲痛な呼びかけに驚いたのか、アルテアはすぐさま姿を現した。

何をしていたのかわからないが、何ともいかがわしい着乱れた服装にネアはぎょっとする。

これはまさか、中断させてはいけなかったプライベートな時間中だったのだろうか。

「どうした?まさかあいつが、………シルハーン?!」

説明するよりも早く、現物を見てしまったアルテアが絶句する。

しばらく物言わぬ石になってしまってから、ひどく不自然なぎこちない動きで、ネアに視線を戻した。

「…………お前、何をしでかした?」

「お互いの認識の相違を話し合っただけです!」

「具体的には?」

「…………その、まだ婚約どころかお付き合いもしていないという旨の会話を……。ディノ?!」

その説明にいっそうに涙を零し始めたディノに、ネアは慌てて向き直る。

声は上げていないし表情も歪めていないが、これはもう号泣の域だ。

「どうしましょう、アルテアさん力を貸して下さい!!」

どう声をかけても泣き止まないのでネアも必死だが、アルテアは青い顔でふるふると首を振ると、素早く己の責任を投げ捨てた。

「俺には無理だ。……………ウィリアムを呼ぶぞ」

その後、時差のある遠方の国で仕事中だったウィリアムは、就寝中に強引に呼び出されてとても驚いていたが、ひとまず泣き止まないディノを部屋に運んでくれた。

本当の戦いはここからになるのだが、屋根の下に戻してくれたウィリアムに、ネアは本当に頼りになるのは誰なのかを思い知らされた朝であった。