軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

61. 正しい相談相手なのでしょうか(本編)

すうっと息を吸い込んで、小さく深呼吸をした。

心の中がざわめいている。

動揺や苛立ち、焦燥感や居心地の悪さ、そんな全てがあちこちでざわついていて、少しも落ち着けない。

けれど、ここで刺々しい気持ちになっていたところで何の得もないので、深呼吸で心を宥めにかかる。

判断や戦略に関わるのが、自分一人でないということに慣れないのが最大の要因だった。

見知らぬ人達に気を遣い、忘れてしまった人達の顔色を窺う。

そんな時間ばかりを儀式的に挟めば、自分の思考を阻害されているようでじりりと心が焦げ付く。

結果ネアは、僅かに残った知り合いに逃げた。

「ダリルさんも、理由もなく苛々するときってありますか?」

「そりゃあ、あるよね。まだ状況証拠しかない嫌な奴を、先走ってひっくり返してやったことあったなぁ」

「やはり元凶を叩かないと、このもやっとはすっきりしないのでしょうか?」

「まぁ、根本から解決させてすっきりするのが一番じゃない?」

「ですよねぇ………」

今回の試練の対策にあたって、ネアが頼ったのはダリルだった。

覚えている知人という範疇では、アルテアもいるのはいるのだが、呼び戻してまで相談をするような間柄ではないと思い、リーエンベルクに紐付いており、事実上同僚でもあるダリルを頼ったのだ。

そして、なんと荒んだ心の毒の吐きやすいことか。

是非に師匠とお呼びしたい心持ちだ。

「それにしても、アルテア落ち込んだでしょ」

「何しろ、雪食い鳥の絵を見ながら、おのれあの夜はと思っていた直後の出来事でしたからね」

「そういうところ、引きが強いんだな~」

ダリルダレンの書架は、膨大な結界を組み上げて迷路のように外周を取り囲んでいるのだそうだ。

素人目には見えないものの、高位の魔術師であれば一目瞭然、高位の魔物になれば触れてみることも出来るくらい、エーダリア曰く趣味の悪い要塞になっているのだとか。

そんなわけなので、ダリルに会いたいという要請は割とすんなり受理された。

迎えの道を用意して貰い、扉を開ければ書架に繋がっているのも便利と言うしかない。

「なぁに?迷路を貸して欲しいなら、一番長いのを貸してあげようか?今のところ中で数人彷徨ってるから、その雪食い鳥の子も百年くらいは時間を潰せるよ?」

何とも心そそる提案だが、少し方向性が違う気がする。

「純粋な危害と言うよりも、心抉る制裁がいいです!」

「ネアちゃんは澱みないねぇ」

「本人の黒歴史になるような、更生のきっかけになる事件を体験させ、社会の役に立つ所存です」

「選んでいる単語がちょいちょい物騒だし、目が完全に悪役だからね!」

「仕方ありません。時に年長者は、悪役を演じて若者たちを諌める責務があるのです」

「う~ん、その雪食い鳥の思い人ってのを、奪っちゃえばいいんじゃないの?」

ダリルの指摘はもっともだった。

あの短い会話から拾え、彼女の弱点になるであろう情報は、それくらいしかない。

しかし、最大の問題はそこから先なのである。

「そもそも、その思い人が特定出来ないんです」

「一緒に居たディノじゃないの?」

「何だか、違うような気がするんですよね………」

「じゃあ、その雪食い鳥の仲間かな?」

「彼女のお相手がラファエルさんだとしたら、生物学的には鳥になるんでしょうか。頑張れるかどうか不安になってきました」

「っていうか、真剣に籠絡するかどうか、本気で悩まなくていいからね」

真っ青なドレスに身を包んだダリルにウィンクされ、ネアは首を傾げた。

ダリルが身の安全は保障してくれたので、魔物はリーエンベルクに置いてくることに成功した。

最後までごねた魔物に、ダリルが何かを囁いてくれた結果大人しく黙ったので、やはりかなりの戦略家である。

「ねぇ、ネアちゃん」

不意にダリルが声のトーンを変えた。

淫靡といってもいいような程に妖艶な美女っぷりであるので、男女のそれとはまた違う感覚で、ネアは思わず頬に熱が籠る。

(ば、抜群にお綺麗で悪女なやつ!)

「何でしょうか?」

「ディノのこと、今はどう思ってるの?」

「契約の魔物さんです。そしてちょっと、甘えん坊な大型犬に見えてきました」

「あれだけ美麗な魔物と同じ部屋に居て、ちっとも心は動かない?仮にもほら、そんな指輪までしてるんだし」

「さすがに落ち着かないので、お部屋は分けましたよ?………ダリルさんは、この指輪の由縁を知っていますか?いくら守護になるとはいえ、私がそう素直に、誰かから貰った指輪を嵌めるようには思えないんです」

「う~ん、自分のこと良くわかってらっしゃる」

「だから、この指輪にはきっと、嵌めるに至っただけの理由があるのではないかと思いまして」

「ネアちゃん、魔物の指輪の定義を知ってる?」

割れそうに青い目を微笑みに細めて、ダリルがそう問いかけた。

何となくだが、あの雪食い鳥なんかより遥かに試練を出しそうな生き物の風格があると思うのは、気のせいだろうか。

「いいえ。魔物の指輪というものには意味があるんですね?」

「そ。魔物が指輪を与えるのは、基本伴侶にだけだからね」

意味ありげな微笑みで散々焦らされたので、ネアはさほど驚かなかった。

と言うよりも、記憶喪失の向こう側となると、どこか他人事のような気がするのだ。

「………伴侶、ではない筈なのですが」

「それだけ大事にされてるってことじゃない。ネアちゃんだって、それがわからないような馬鹿には見えないから、ある程度は理解した上で、その指輪をつけているんだと思ってたけど」

「…………頭が痛くなってきました」

「現状、ネアちゃんがあの魔物の伴侶じゃないなら、それだけ魔物が譲歩しているってことだよね。その必死さは考えてやんな」

「ダリルさんは、………何と言うか、良い大人なのですね」

思いがけず懐の深い言葉にそう言えば、ダリルは手を振って豪快に笑った。

本人曰くそんなつもりは微塵もないらしく、ただ、あの魔物が荒ぶると自分の生活のリズムが乱れるからだと、笑いながら教えてくれた。

「これでもさ、年末年始と、デートの予定もあれば観劇や旅行の予定もあるわけ。ネアちゃんがあの魔物をぽいっとやったせいで、魔物が暴れて予定を変更するのだけは御免だからね!」

「ぽいっとやる予定なのは、私に試練を与えた雪食い鳥さんですね」

羊皮紙や紙の匂いに、蓄積された魔術の歴史のミントのような香り。

独特な香りに包まれた薄暗い書架の見上げる程高い天井には、見事な天井絵がある。

そんなものを何気なしに眺めながら、ネアはそっと付け足した。

「それに、ディノは私の大事な魔物なのだそうです。何があっても、きちんとそこに戻ってやらなければいけないと、私は私の忠告で知りました。エーダリア様からも、歌乞いと契約の魔物は、死が二人を別つまで共にあるものだと言われましたしね」

「ふうん。よくわかってるんだね。それに慎重じゃない。記録媒体か何かで残してあったわけ?」

「ふふ、秘密です。でも、自身の慎重さに感謝しつつ、こんなことまで予見しなければならなかった、己の日常にとても不安になりました」

ばすばすと激情のままに軽く机を手で叩けば、ダリルが小さく笑った。

「ネアちゃんは、この世界の幼子だよ。まだ日が浅いからだね。でもこれで、血を奪われるってことがどれだけ厄介か、学んだわけでしょ」

「日常生活で、身体が捨ててゆくものは構わないんですよね?」

「そう。自然に体から剥がれ落ちる組織は心配しなくていいよ。他者から与えられた効果によって、奪われたものって認識でいるといいね」

長い髪をつまみ上げて、ネアは眉を顰める。

「散髪は大丈夫ですか?」

「髪も念の為に用心した方がいい。リーエンベルクの外では切らないようにしな」

「わかりました。気を付けますね」

そこでふと、ネアは己の髪の毛の行方問題に、不安があったような感覚に襲われる。

「……ダリルさん、私はふと、己の髪の毛の行方に不安を抱いたのですが」

「ああ、ディノの指輪じゃなくて?あの石は、ネアちゃんの髪の毛から紡いだ宝石なんでしょ?」

「………なぬ」

「ネアちゃん自身の提案だったみたいだよ。ディノが七転八倒の喜びようで、みんなに自慢して回ってたからね」

「………ぐぬぬ」

「どうしてそんな物騒な顔になるのかなぁ」

「………まるで、ストーカーのような恐ろしい発想ではありませんか!私は、自分の精神状態が心配になりました」

頭を抱えてしまったネアに、ダリルは仰け反って綺麗な声で笑った。

鈴を鳴らすような、美しい声だ。

唯一、男性のものであるのが大変に残念である。

(先ほど、エーダリア様も見惚れていたし)

もしや、自分の雇用主はこの美しい妖精に恋をしているのではないだろうか。

性別はアレだが、見た目はとても良くお似合いだ。

「すとーかーって何?」

「相手の意思を慮らず、つきまとう粘着質な恋の亡者です」

「それなら大丈夫。ネアちゃんがそうなっても、ただの両思いだからさ」

「……なぜに私は、そんな激しい贈り物をしたのだ………」

がくりと机に崩れ落ちたネアは、羞恥のあまり転がりたくなる。

そこまでの意思表示をしておいて、部屋に帰ってから一方的に排除出来るだろうか。

あの綺麗な魔物からすれば、あんまりな仕打ちではないか。

(同僚ならいざ知らず、恋人同士や、その手前の雰囲気だったとしたら、さすがにこの状況は申し訳ない……)

だかしかし、お相手の要望はいささか変態の側に偏っている。

もし、万が一自分がその愛情表現を乗り越えていたのだとしたら。

(………そもそも、椅子って何だろう)

現状、そちらにある未知の扉は絶対に開きたくないのだが、どうすればいいのか。

「えー、いいじゃん。どっちにしろ、大事にしてやるんでしょ?」

「…………む、……確かにそうですね」

あからさまに冷やかしの表情になったダリルに、ネアは曖昧な返事をした。

何かがとても間違っているような気がするのだが、とは言え証拠の品がある以上、その通りなのだろう。

(………ええい、三日の我慢!)

ぐるぐると考えてから、ネアはその問題を、ぺいっと床に捨ててゆくことにした。

覚えてないのだから致し方ない。

なるようになれだ。

問題は、この後で魔物と合流してからの対応である。

(私の大事な魔物、かぁ………)

そう書き残して憂うだけの存在。

その不思議さに、また心がざわつく。

“あなたが自分の力で、あなたの一番大切なものを思い出せたら”

試練として残されたその言葉が、妙に染みるのはなぜだろう。

ふと、あの雪食い鳥の試練を、自分だけの力で解いてみたい気がした。

もしかしたらそれは、今のネアにとって、とても大切なことなのかもしれない。