軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

雪白の香炉と経典の楽園

夕暮れまでの僅かな時間、ネアとディノは、ウィームの薔薇園の話をしていた。

「高台なので、ローゼンガルデンのレストランは一年前から予約で埋まるのだそうです」

「ネアも行きたかったかい?」

「私はまだ一年目なので、どこでも何でも満足ですが、ディノは、もっと特別なものを見たいのではないかと思って。まだ時間はありますよ、見たいものや、したいことはありますか?」

「ネアって、時々無用心だね」

「む。なぜにその評価になるのでしょう」

「……そうだな、雪白の香炉を覗いてみようか」

「雪白の香炉とは、どんなものなのですか?」

「すぐにわかるよ。さてと、まずはあの白いケープを持っておいで」

「あのケープですか?」

「そう。色んなものがいるから」

そう言われると不安しかないので、ネアは慌ててケープを取りに行った。

これだけの守護が厚い防護服もないので、ケープは衣装部屋ではなく、いつも寝室にかけられている。

ケープを羽織って振り返ると、真っ白な宝石の飾りのついた靴を持ったディノが立っていた。

ご新規様の靴の出現に、ネアはもはや悟りの境地で微笑んだ。

実はリノアールに欲しい靴があるネアは、最近新規の靴には苦渋の思いを抱いている。

淡い水灰色の柔らかな山羊革の靴を、自分のお金で買いたいと思っているので、誰にも知られないように憧れを噛み殺してきた。

自分のお金で買い物をするという喜びを、例えディノにとて奪われたくはない。

(いつか、こっそりと買ってきてみせる!)

なので、あまり競合となる靴を増やさないで欲しいのだ。

買う理由がほぼ殺されかけており、ネアは悲しく思っている。

「さぁ、行くよ」

「どうやって行くのでしょう?…………わっ?!」

ひょいと抱き上げられて、窓が開いた。

吹き込んだ雪に白いケープが大きく広がる。

いつの間にか、ディノの片手には鎖でぶら下げるタイプの香炉が握られていた。

煙の尾を引いて、何もない虚空に精緻な唐草模様の彫りがある階段が浮かび上がってゆく。

その先の曇天の隙間に、見たことのない真っ白な扉がある。

ディノは、片手にネアを抱き上げて、片手に香炉なので、ネアは思わずわたわたとしてしまったが、近付くと扉はすっと開いた。

(不思議、雲の上に森がある)

雲の上に森があった。

正確には、薄っすらと輪郭を透かした森なので、どこから生えているのかはよくわからない。

床にあたる部分は透けていて、下には天の川のように煌めく街が見えた。

雪曇りだからか、ほの暗い街はイブメリアの飾りの明かりを、きらきらと際立たせる。

「上も見てご覧」

「わぁ、氷のシャンデリアですね」

見事な大きさのシャンデリアが、空のどこからか下がっている。

シャンデリアにぶら下がっているのは、ムグリスに似た妖精だ。

ただし、長い縞々の尻尾がある。

「ディノ、ここはどのような場所なのですか?」

「雪白の香炉の舞踏会だ。とある経典に記載がある楽園の一つが具現化した場所で、伴侶のいる者しか入れない」

「伴侶………?……あ、お一人様では入れないのですね」

確かに周囲を見回せば、カップルばかりだ。

あまりにも熱烈な妖精の恋人達を見てしまい、ネアは赤面して目を逸らす。

「ああ、妖精はね。少し刺激が強かったかな」

「いえ、普段は然程気にしないのですが、こんな形で男性同士の恋人達を見たのは初めてなのです。照れてしまいました」

「……ネアの線引きが時々わからない」

もう一組の熱烈な恋人達はさらりと流したので、魔物は困惑の眼差しを浮かべた。

(映画のようで綺麗だから、そんなに驚かないのかしら)

ウィームの街並みを見下ろし、口付けを交わしていたのは、目元に微かな鱗の煌めきを持つ麗しい男女だ。

高階位の人外者らしく、所作が優美なので、いちゃついていても上品に見える。

「足下は平面だよ。視覚に惑わされないように」

「はい。平面なら、もはや見ないようにします」

いつの間にかディノの手には、香炉がない。

優しく床に降ろされて、片手を預けた。

確かに言われないと、眼下の雲や街並みのせいで足元が不安になる。

こつりと鳴った踵の音に気分を良くして、ネアは口角を上げてディノを見上げた。

ちゃんと床があるのなら安心だ。

微かな囁きを感じるのは、ディノが擬態せずに居るからだろう。

真珠色の髪の美貌は、やはり周囲を見ても頭一つ以上に抜けて際立つ存在感だ。

(すましていれば、こんなに綺麗なのに!)

贔屓目もあるかもしれないが、やはりこれは飛び切りに美しい魔物だ。

自慢したいような温かな気持ちになったが、下手に喜ばせると、また厄介な気質が前面に出てしまう。

(是非にこのまま、素敵な魔物でいて貰おう)

手を引かれて歩いてゆけば、ウィームの街の真上に出た。

預けた手をくるりと回され、向かい合う。

「踊ろうか」

「はい。爪先を失う覚悟を問うところですが、ディノは大丈夫そうですね……」

「ネアは上手だと思うよ」

エーダリアが婚約者だった頃、社交の場ではダンスの必要があると聞いた為、魔物を相手に練習したことがある。

元々、学校の授業と、家族で参加した晩餐会での経験値しかなかったが、こちらでも通用するステップを、あらためてそこで覚え直したのである。

(残念ながら、リードが上手い人としか踊れないようだけど……)

後に音痴だと発覚したせいで理由が判明したのだが、ネアは音の取り方が下手だ。

ダンスの振りだけであればネアは完璧らしいが、使われる音が身に馴染んでいない限り、上級者のリードが必須となる。

視線の先のディノが、ふわりと微笑む。

「ほら、上手だよ」

「ディノが、綺麗に回したり引っ張ったりしてくれるからですよ。ディノと踊ると綺麗に回れるので幸せです」

褒め過ぎてしまったせいか、目元を薄っすらと染めた魔物が微笑んだので、ネアはひやりとした。

さすがにここでは、変態さを発動して欲しくない。

「ほら、街の光が濃くなってきましたよ」

体感では、もう一時間くらいで晩餐の時間だろう。

楽しみが近くなり、ネアは微笑みを深める。

「ネア、……晩餐のこと考えてるね」

「む。……そう言えば、ディノはどうしてここに来たかったのですか?夢のように綺麗ですけど」

経典の楽園と言われるだけあり、ここは素晴らしい舞踏会場だった。

空の上にある不思議な森には、真っ赤な林檎に似た果実がたわわに実っている。

見えない透明な壁があるのか、はらはらと降る雪は、壁に触れると藍色の星屑になって消えてゆく。

木々の根元に咲いているのは、百合と水仙だろうか。

胸いっぱいに吸い込むのは、雪と花の冴え冴えとした香り。

テーブルには特別な飲み物と食べ物が揃えられ、そのテーブルは全て宝石で出来ている。

妖精に竜、魔物の美しい恋人達も、それだけで美貌の風景の一つになっていた。

「ここは美しいと聞いていたから、ネアが喜ぶだろうと思って。それに、今までは扉を開ける資格がなかったからね」

「はい、こんな素敵なところに連れてきて貰って、とても幸せです」

「経典の中の楽園だからね、信仰や願いの募る祝祭の夜にしか、開かない扉なんだよ」

「まぁ、そんな特別な場所なんですね。二人揃って初めてなんて、何だか嬉しいですね」

「………うん」

恥じらう魔物の可愛さに、つい手をぎゅっと握ってやってしまい、ディノは嬉しそうに頬を染めた。

あまりに毎回照れるので、なぜこの行為が特別枠なのか、ネアは少し不安になる。

もしかしたら妖精の羽のようなお作法があるかも知れないので、どこかで早めに確認しておこう。

「ところでディノ、あの奥に居るのはジゼルさんですね」

「……そうだね」

踊っていた時から気になったのが、最奥でパートナーに餌を与えている雪竜の王の姿だ。

その周囲が少しざわついているのを見てもわかるように、彼のパートナーは少し様子がおかしい。

「あれはもしや、エーダリア様が言っていた子狐………」

「正確に言えば、一応精霊だよ」

「しかし、もふもふのふわふわです。わ、尻尾がぶりぶりで愛くるしいですね。見てください、ジゼルさんに近づいた竜の方に、あの小さい体で威嚇してますよ」

あまりにもふわふわなので、つい可愛さに負けて声をかけてしまったのだろう。

微笑みに緩んだ顔で近付いたご婦人に、子狐は大切な飼い主を取られると思ったのか、けばけばに逆立って威嚇している。

そんな子狐を撫でているジゼルは、既に子煩悩な父親のようだ。

「半日で随分とメロメロになりましたね。あの組み合わせでここの扉が開いたのは謎ですが、……まぁ、幸せそうで何よりです」

「………伴侶?」

ディノですら、困惑の眼差しで固まっている。

また新しい危険な世界を知ってしまっても困るので、ネアは慌ててディノを引き寄せた。

「あまりじっと見てはいけませんよ」

「………ネア、嫉妬?」

「………あのどちらにも嫉妬の要素がありませんが、……そうですね、こちらを見ていて下さい」

「ネア、可愛い」

「……っ、」

新しい扉を開かせない為に、大人の嘘をついてしまった所為で、ネアははしゃいだ魔物に口付けられた。

周囲の目があるのと、不意打ちだったので頬に熱が上ったが、なぜか魔物がじっとこちらを見ているので、微笑みを返した。

「ネア、怒らなくなったね」

「親愛のご挨拶で荒ぶっていては、大人気ないですからね」

「…………挨拶?」

一瞬虚ろな目をしたディノに、胸に手を当てて深呼吸していたネアは気付かなかった。

わかってはいても照れる時もあるものだ。

「じゃあ、誰とでもするのかい?」

「いえ、さすがに親密過ぎるので、ディノ限定ですよ。ディノでなければ、拳で制裁を加えます」

ご主人様とは言え、どこのお家の犬とも密なご挨拶をするわけではない。

と言うか、やはりプライベートなところなので、生理的に嫌な相手も多かろう。

「じゃあ、誰ともしないでね」

「頬や額はご挨拶で磨耗されますよ。こちらの風習ですからね」

「………酷い」

「ふふ、我儘の助ですねぇ。ほら、拗ねないで、もう一度踊って下さい。大事な魔物と踊ると、何だか幸せな気持ちになります」

「……ネア、狡い」

そう言いながらも、ディノは続けて二曲踊ってくれた。

何だか楽しそうだったので、ネアはこっそり微笑みを深める。

一時間程お茶をしたウィリアムの言葉を思い出して、何でも手に入れられる筈のディノにも、初めてがあることにほっこりした。

(何でも手に入れられる、本当にその通りだ)

この大事な魔物に、何でもしてあげたい。

こんな風に楽しそうに微笑んで、少しでも長く、少しでも多く幸せでいて欲しい。

結局ネアとて、ディノにはとても甘いのだ。

(でも今日は、イブメリアだから)

飾り木の下で、大切な者達の幸せと、日常の穏やかさの不変を、ただ願う日。

眼下の大聖堂の尖塔で燃える送り火の美しい火に、子供のように簡単な願い事をかける。

(どうか、もう一度手に入れた愛する者達が、ずっとずっと失われませんように)

何とも身勝手な自分の為だけの願い事に、ネアは満足げに微笑んだ。