軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

85話 「観測者」

夜の 帳(とばり) が下りていく。

天に浮かぶは白銀の月。

赤く染まった空は溶けるようにしてその色を 暗紫(あんし) に変化させていく。

珍しい光景では決してない。しかし、怪しくも美しい。

その様を、男――ベルフェゴールはつまらなさそうに眺めながら、隣で不機嫌そうに頬を膨らませている吸血鬼を伴って整備された石造の街道をひた歩いていた。

不意に、その歩みがぴたりと止まる。

ベルフェゴールはおもむろに振り返るようにして、視線だけを背後へと向けた。

「……勘付かれたか? …………まさかな」

ありえない、とでも言いたげに鼻を鳴らすと、ベルフェゴールは口許に薄く笑みをたたえた。

暗がりで爛々と輝く赤い瞳。その視線の先には、針の孔ほど小さな三つの人影がある。

小さくなっていくそれらの背中を少しの間眺めた後、ベルフェゴールは隣でむくれている少女――カミラへと視線を移した。

「「…………」」

白い肌に映える闇よりも深い漆黒のドレス。そして同じ色をした縦巻きのツインテール。

時折吹く生ぬるい風がスカートと、髪をふわりと揺らす。

一目見て美しいと思えるその整った容姿は、この場の周囲にある壮観な街並みに良く馴染んでいた。

しかし当の本人は、その神秘的ですらある美しさとは裏腹にあからさまな不機嫌を隠そうとはしていなかった。幼くも美しい顔、その表情にはありありと『私は不機嫌です』と浮かび出ている。

頬をぷくりと膨らませ、腕を組んだまま瞳を閉じているカミラの様子をベルフェゴールは可笑しそうに目を細めて見ると、話題を切り出すようにして軽い口調で問いかけた。

「で? 感想は?」

「…………ふん」

カミラは不機嫌そうに鼻を鳴らして瞳を開くと、険のある視線をベルフェゴールへと向けた。

「……アレが、そうだと?」

「らしいぜ」

「……正気か貴様」

その皮肉めいたカミラの言葉を受けて、ベルフェゴールはやれやれとかぶりを振った。

「なんだよ? 不満か?」

「当たり前であろう! 黙って付いてきてみれば、まさかあんなこ生意気なやつだとは……! それにまだ子供ではないか! あれに 与(くみ) すると本気で言っておるのか!?」

カミラは小さな肩を震わせながら、鋭い犬歯を隠そうともせず大きく口をあけてがなりたてる。

ベルフェゴールは愉快そうに笑った。

「なんだよ。拗ねてんのか?」

「す、拗ねとらんわ!」

「ちなみに大人っぽい女が好みだというあいつの名は、ユノ・アスタリオというらしい」

「きいとらん! どうでもいいし! ……ん? ノアではないのか?」

「姿を変えるらしいぜ。ガキの時はユノと名乗っているらしい。ちなみに変化した姿は大人っぽいそうだ」

カミラは呆れたように目を細めると、たまらずため息をついた。

「意味が分からん。なぜ名と姿を偽る必要がある?」

「さぁ?」

ベルフェゴールは肩をすくめると、振り返るようにして視線を背後へと送った。

「聞いてくればいいじゃねぇか。それでも気に入らないって言うんならいっそのこと――」

尻すぼみに低くなっていく声色。

ベルフェゴールは口許に悪戯な笑みを浮かべて目を細めると、険のある視線をカミラへと向けた。

「――挨拶代わりに殴ってくればどうだ?」

「……っ」

カミラは小さく肩を震わせると逃げるようにして目を泳がせた。

その様子を見てベルフェゴールの顔に愉快そうな笑みが浮かぶ。

「なんだ。理解してるじゃねぇか。見てくれはあんなだが、少なくともお前に攻撃をためらわせるだけの実力はあるってことだ。吸血鬼の真祖たるお前に危機感を覚えさせるほどの……な。まぁ、得策じゃないのは確かだ」

カミラは剣呑な表情を浮かべると、呟くようにしてぼそりと言った。

「……なぜあんなものが人間の真似事などしておる。いや、待て。そもそも奴は本当に神なのか?」

カミラの小さな声で紡がれたその問いを聞いて、ベルフェゴールは鼻を鳴らした。

「さぁな。"神"なんて曖昧な存在の線引きに意味はない。人外の力があれば神なのか? 広く名が知れていれば神になり得るのか? その理屈で言えば、お前も神だぞカミラ・ルージュ。童話にも謳われ、人外の力を持つお前もな。そうだろ? "人間の子を食らう吸血鬼の女王様"よ」

カミラはしゅんと肩を落とした。

「食べたことないのに……」

ベルフェゴールは愉快そうに口許に笑みをにじませた。

「まぁ、なんにせよ。少なくともこの時点で不合格ってことは無くなったわけだ。ただ、自分で悪手だと言っておいてなんだが、今すぐ確認がてら仕掛けてみるってのも実は悪い手ではないように思う……が」

ベルフェゴールは目を細めると、鋭い視線をカミラへと向けた。

「気づいているか? カミラ」

カミラは不愉快そうに鼻を鳴らした。

「しつけのなっていない駄犬はこれだから困る。隠そうとしていてもその獣じみた匂いは消せはしまい」

「まぁ、タイミングとしては丁度いい。どのみちお前を紹介しなきゃいけないしな」

ベルフェゴールは肩をすくめると、再び振り返るようにして視線を背後の暗闇へと送った。

「で? お前の感想を聞かせろよ 神獣(フェンリル) 。……いや、今はポチ、と名乗っているんだったかな」

クスクスとカミラが笑い声をこぼす。

瞬間、人の身では立っていられない程の強い風がベルフェゴールとカミラを襲った。

しかし、その程度で気後れする二人ではない。

それどころか、まるで心地よさげにカミラは自らの髪をさらりと撫でてみせた。

「おやおや、ご立腹のようだぞ? ダメではないかベルフェゴール。たとえ犬のような名であっても敬わなければ。であろう? ポ チ」

風がぴたりと止む。

代わりに暗がりに燦然と輝く黄金の瞳が浮かび上がった。

四肢を地面につけて、今にも飛び掛かりそうな姿勢で鋭く尖った牙を口許にのぞかせた神獣は、低くうなり声をあげてベルフェゴールを鋭く睨んだ。

その神獣の姿を見てカミラはおおげさに驚いてみせると再びクスクスと笑い声をあげる。

「なんだその姿は? 大きさからして、それでは本当に犬ではないか」

そのカミラの言葉を無視して、神獣は変わらずベルフェゴールを睨みつける。そして牙をのぞかせた口をおもむろに開いた。

「……答えよ 悪(・) 魔(・) 。これはなんの冗談だ?」

神獣の言う、悪魔。

それが貴族然とした男の正体だった。

"大悪魔"ベルフェゴール

現生に存在する中で最も、悪名高く、そして力ある悪魔の名として世界に広く知れ渡っている。

「……冗談? なんのことだ」

ベルフェゴールはわざとらしく肩をすくめてみせる。

神獣は苛立たし気により一層低くうなり声をあげた。

「使えるやつがいる、貴様は確かにそう言ったはずじゃ。それで? まさかそこの 魔(・) 物(・) ふ(・) ぜ(・) い(・) のことではなかろうな」

「魔物ふぜい……? まさか我のことではないだろうな? ポチ」

ユノが邪神ノアとして顕現してすぐに、一番初めに真意を確かめようと神獣に接触したのがベルフェゴールだった。

いや、正しくは邪神ノア本人に接触を図ろうとしたのだが、それを阻むようにして神獣が現れた、というのが真実だ。

「知り合いなんだろ? 吸血鬼の真祖だぜ? 戦力としては十分だろ」

カミラは誇らしげにうんうん、と頷いている。

神獣はわざとらしく鼻を鳴らした。

「配下に見捨てられ、引きこもっていたやつに期待などできるわけないじゃろう」

「見捨てられたわけじゃないから! 友達もいたから!」

必死に叫ぶカミラを無視して、神獣は続けざまに口を開いた。

「それに、勘違いするでないぞ。そもそもわしはまだお前を完全に認めたわけではない」

ガルル、と神獣がうなり声をあげる。

ベルフェゴールは赤い瞳を細めると、口許に軽薄な笑みを浮かべた。

「言葉を返すようだが、それはこっちの台詞だな。見極めているのはお前じゃない。この俺だ。俺に対して吠える度胸は認めるが……まさか」

ベルフェゴールの冷たい視線が、神獣を貫いた。

「俺に勝てる、などというバカげた幻想を抱くお前ではないだろう?」

向けられただけで身のすくむ鋭い視線を受けてなお、神獣は真正面からそれを受け止めた。

それだけではない。

月の光を受けて白銀に輝く真っ黒な体毛をぶわりと逆立てて、全身に莫大な魔力をまとわせると、ベルフェゴールに負けない程の鋭さをその黄金の瞳に宿した。

「試してみるか……? 悪魔ふぜいが……っ!」

「……っ」

カミラは意外そうに目を見開いた。と、同時にひそかに胸の内で感嘆してみせる。

この大悪魔を前にして強がりでもあそこまで吠えることのできる存在がどれだけいるだろうかと。そう考えて。

そして驚いたように目を見開いたのはベルフェゴールも同じだった。

(ちょっとした牽制のつもりだったんだがな)

「まぁ、待てよ神獣」

ベルフェゴールは手のひらをポチへと向けた。

「やけに今日は短気じゃねぇか」

言って、ちらりとカミラへと視線を流すと、得心したように瞳を閉じたあと続けざまに口を開く。

「認める、認めないの話は分かるさ。悪魔と吸血鬼だ。お前の心情は理解できなくもない。だが聞くが、選り好みしている余裕がお前に……いや、お前たちにあるのか? ……いや、答えをきくまでもない。ありはしない。皆無だ」

神獣は即答した。

「ああ。そうじゃな。だからこそじゃ」

「……ほう?」

興味深そうにベルフェゴールは目を細めた。

カミラは月が綺麗だなーと、夜空を見上げていた。

「いかにノアに力があっても数の差は歴然。貴様らが加わったところでどうこうなる戦力差ではない。だからこそ理解できぬ。そんなわしらの 側(がわ) につくことに何の得がある」

この時、ようやくベルフェゴールは理解した。

いや、思えば確かにその通りだと、得心がいく。

だが――。

「なんだ、分かってなかったのかよ。理由はちゃんとあるぜ?」

ベルフェゴールは口許を歪めて醜悪な笑みをその顔に浮かべた。

「そっちの方が面白いからだよ」