軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

幕間 「その神は高笑う」

バーン家次男、マロ・バーンは苛立っていた。

「ふざけるな……いつまで待たせるつもりだ……っ!」

眉間にシワを寄せ、そう囁くように小声でブツブツと呟きながら、何度も膝を揺らしては、鼻息を荒げる。

「この俺を誰だと思ってやがる……マロ・バーン様だぞ……」

ギリリという歯ぎしりの音が、石造りの壁に囲まれた静かな空間に木霊した。

薄気味悪い部屋だった。

暗く、陰湿で、生臭い。

まだ日が昇っている時間帯だというのに、深夜を連想させる暗闇がそこにはあった。

そんな室内で 六(・) 時(・) 間(・) 。

マロは一人、部屋の中心に置かれた椅子に腰かけながら、待ちぼうけを食わされていた。

暗闇に灯る明かりは、部屋の四隅に打ち付けられた蝋燭の炎のみ。

それがゆらゆらと揺れる様を眺めながら、マロは膝の上にある両手を強く握り、叫び出したい衝動を必死に堪えていた。

「くそ……くそ……っ!」

マロ・バーンは短気である。加えて言えばプライドが高く、 堪(こら) え性が無い。

例え相手が自分よりも位の高い貴族であっても、六時間も待たされては躊躇なく相手を罵った事だろう。

だが、今日ばかりはその衝動に身を任せる訳にはいかなかった。

それもそのはずである。

マロが待っているのは、この世界では英雄神とも呼ばれる至高の存在。

そんな神との契約を目前にして、ただ帰るという選択肢はマロには無かった。

「…………」

背中を伝う汗がマロをますます不快にさせる。

湿度が高い。

――雨か?

一気に高まったジメジメ感を肌で感じたマロは、苛立たし気にそう思った。

ピシャアアアアアアアアア。

雷の音が空間を震わせる。

思わずビクリと肩を震わせたマロは、「チッ」と一つ舌打ちをすると、再び揺れる蝋燭の炎を見ようと視線を送った。

「…………ん?」

しかし、先ほどまで灯っていた炎の揺らめきはそこには無く、あるのはただ宙へと昇る白煙のみ。

「おいおい……」

四隅にある蝋燭の炎。マロの視点から見て右前方。なんとなく今まで眺めていたそれが知らぬ間に消えていた。

ただ、蝋燭の炎が消えた。それだけの話である。しかし、今まであったものが無くなったという言い知れぬ不安をマロは感じていた。はっきりと言葉にしてしまえば、少しだけ怖かったのだ。

マロは額から噴き出した汗をゴシゴシと拭いながら、安心感を得ようと目の端に映る左前方の蝋燭へと視線を移す。

だが――。

「……は?」

――また、消えた。

今度こそマロはその瞬間を見逃さなかった。

立ち昇る白い煙を視界に入れながら、マロは背筋が寒くなるのを自覚していた。

(知っている怪談に似たような話が……)

「……バカバカしい」

そう思わず呟くが、どうしても考えてしまう。

風も無いこの部屋で、何故突然、消えたのか。

無論、湿度が関係している可能性は十分にあった。

しかし、自分が見ようとした瞬間に消えてしまっては、不気味さを覚えてしまうのは当然と言えよう。

「…………」

マロは、状況を理解していた。

暗い、暗いこの部屋で、残る明かりはあと二つ。

背後を振り返るだけでいい。そうするだけでマロの抱える不安は解消されるはずだった。

「…………チッ」

しかし、マロは後ろを見る事ができなかった。

(また消えたらどうすんだよ)

マロは自分でもバカらしい考えと分かっていても、 頑(かたく) なに背後を振り返ろうとはしなかった。

「……」

影が 四(・) つ(・) 、蝋燭の明かりに照らされてマロの前方でゆらりと蠢く。

それだけが唯一、まだ蝋燭の火が灯っているという現実をマロへと教えてくれていた。

ゆらゆらと蠢く自らの影を眺めながら、マロは決意する。

「あと、一時間だけだ」

そう、自分に言い聞かせるようにマロは呟く。

しかし、マロはこの時、自覚していた。

きっと自分は、あと一時間経っても、再び同じ言葉を口にするだろうと。

――そんな事をマロが考えていた時だった。

「……んぐっ」

突然、鼻を突く様な悪臭を感じたマロは 嘔吐(えず) きながら口元を手のひらで覆う。

「なんなんだよ……まじで!」

血と、臓物が腐ったようなその匂いにマロは堪らず語気を荒げると、原因を探ろうと背後を振り返った。

瞬間――二つの蝋燭が音を立てて同時に消える。

暗闇がマロを襲った。

次から次へと起こる不可解な現象にマロは冷静さを失ってしまう。

「なんなんだよ! なにがしたいんだよ!」

マロは呼吸を荒くしながら暗闇に向かって叫んだ。

部屋を飛び出そうと手探りで周囲を彷徨うが、一向に扉の位置が掴めない。

全身から冷たい汗を流しながら、マロはようやく打開策を見つけ出す。

「光よ来たれ――サン・ライト!」

手のひらの上に眩い光が現れる。

その光を視界に入れたマロは荒い呼吸を繰り返しながらも、ようやく冷静さを取り戻す。

「……」

マロは選択を迫られていた。

本音を言えば今すぐにでもこの部屋から出て行ってしまいたい。しかし――。

既にマロは長時間の間、自らの意思でこの場に留まっている。その現実がプライドの高いマロの選択を決定づけた。

マロは再び室内の中心に置かれた椅子の元へと行くと、不快そうに鼻息を鳴らしながらドシリと腰を下ろす。

バーン家次男、マロ・バーンは案外、神経の図太い男であった。

「…………」

ポチャリ……ポチャリ。

雫の弾ける音が空間に響いてくる。

自分の呼吸の音と共に聞こえるその音の出所を探ろうと、マロがなんとなく天井を見上げた――。

――その時だった。

視線が、重なる。

目と、鼻の先にあったのは自らを覗き込む、闇より黒い二つの瞳。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

マロはそう叫び声をあげながら椅子ごと後ろへ倒れこむと、その体勢のまま必死に後ずさる。

天井に張り付くようにしてマロを眺めるその影は、黒い大きな烏の形をしていた。

しかし、マロが何よりも驚いていたのはその異形の姿ではない。

クチバシのような口元に咥えられているそれが、マロには人間の腕の様に見えたのだ。

マロは理解する。この空間に響いていた、弾ける水の音は、それから滴り落ちていたのだと。

『マタセタナ』

酷くしわがれた男の声が空間に響く。

それが聞こえたと同時に、部屋の四隅にあった蝋燭に再び炎が灯った。

バサリと黒い翼をはためかせながら、その異形が床へと降りてくる。

その最中、ゆっくりとその姿が変化していく様を、マロは肩を震わせながら眺めていた。

「座りたまえ」

気付けば、マロの目の前に立っていたその男は、利発さを感じさせる落ち着いた声色で、そうマロへと語りかける。

「どうした? 私を待っていたのだろう?」

男の黒い瞳がマロへと向けられる。

状況をまだ理解できていないマロではあったが、分かっていた事が一つだけあった。

――歯向かってはいけない。

そう自分に訴える本能に従うまま、マロは震える足取りでその場へと立ち上がると、再び椅子に腰かけた。

「すまなかったな。急用が入ってしまってね。まったく困ったものだよ」

そう言ってやれやれと首を横に振る男を眺めながら、マロは必死に頭を回していた。

(さっきのあれは……)

今、マロの目の前には黒い髪を後ろへと流した、大人の色気を醸しだす男がいる。

爪先の尖った黒い靴を履き、身に纏うのは高い格式を感じさせる黒で統一された貴族服。

右手の人差し指には美しい赤い宝石のついた指輪をはめており、それが蝋燭の炎を映して怪しく輝いていた。

どこからどう見ても――人間だ。それもかなり位の高い。と、そうマロは目の前の男を評価した。

しかし、頭の中では、人の腕の様なものを咥えていた異形の姿が浮かびあがる。

(見間違い……? いや、でも)

「……安心するといい。それは君の見間違いさ。暗いからね……この、部屋は」

そう言って男は口の端を吊り上げると、瞳を怪しく輝かせながらマロへと視線を送る。

「……あ、いや……そうですね」

マロは焦りながらそう口ごもり、必死に自分に言い聞かせた。

(そうだ。気のせいだ。焦っていたんだ)

マロの頭の中に浮かんでいた記憶が白く、白く、染まっていく。

その様子を満足気に眺めていた男が、こう切り出すように口を開いた。

「さてと、では、早速用件を済ませてしまおうか」

「用件……?」

「おや? 君は私と契約がしたいのでは無かったのかね?」

「……っ!」

マロが気づいたのはこの時だった。

目の前に現れたこの男こそ、待ち焦がれていた存在だという事を――。

「も、申し訳ございません!」

マロはすぐさま、椅子から立ち上がると、その場で片膝をつき、深く頭を垂れる。

「いやいや、謝らなければいけないのは私の方さ。遅れてすまなかったね。それと、とても、楽しませてもらったよ」

その物言いに違和感を覚えながらも、マロは必死に言葉を紡ぐ。

「い、いえ、その……申し訳ございません……ほんと」

「過ぎた事はお互い忘れよう。それが一番だ。――では契約の儀を」

男――神はそう言うとマロに右腕を差し出す。

自らに差し出された、その美しい白い腕にマロは思わず唾をゴクリと飲み込んだ。

「で、では……」

マロが差し出されたその手を取ろうと、腕を伸ばす。

――だが、その瞬間、神は突然右腕を引っ込めた。

「……え?」

マロは驚いていた。一体、どうしたのだろうと、そう思いながら目の前の神へと視線を送る。

「いや、すまない、その前に一つ聞きたいことがあってね」

そう言って神は顎に手を添えると、マロへとこう問いかけた。

「実は、野良神を集めていてね。ほら、彼らは人に嫌われているだろう? そんな同胞を放ってはおけなくて 保(・) 護(・) して回っているんだ。どうだろう? 何か心当たりはないかな?」

「野良神……ですか?」

突然問いかけられたその質問に、マロは不思議に思いながらも、知っている事を口にする。

「俺の……私の通っている学園に元野良神がいます」

「……元、という事は、既に誰かと契約を?」

「ええ。馬鹿が一人いまして」

「…………そうか。それで、その神の名は?」

尻すぼみに低くなっていくその声に焦りを覚えながらも、マロははっきりと、こう答えた。

「アテナです。女神アテ――」

――瞬間、恐ろしい形相をしたその神を中心に激しい風が吹き荒れた。

「えっ? ちょ!」

マロは体を吹き飛ばされそうになりながらも、突然一変した神の様子に動揺を隠せないでいた。

そんなマロを無視して、その男神は高笑う。

「ふははははっ! 偶然か? いいや違うな。やはり私の仮説は正しかった……! アスタロト様が動いたきっかけもそれかっ!」

狂気と、歓喜が入り混じったその異様な姿を眺めながら、マロは震えた声でこう呟く。

「……マルファス……様?」

【マルファス】――それが英雄神の一柱にして、狂気に高笑う神の名だった。