軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

107話 「代償」

風に騒めく夜の木々。

その枝枝の隙間から刺す光は、美しくも冷たい色を帯びていた。

終幕のスポットライトに照らされて蠢くその人影は、風が吹くたびに絶えず形を変化させていく。

再生し、そして砂のように崩れていく己の指先。

その繰り返しの様をなんの感慨も無く視界に入れながら、英雄神マルファスは己の決定的な敗北を理解した。

「――――」

一度粉々に散った自らの総身。その欠片を重ねて創りあげた偽りの器。それが今の己のすべて。

苦労して輪郭だけはどうにか形にすることができているが、しかし、それでは無意味なことをマルファス自身が知っている。

足(・) り(・) な(・) い(・) の(・) だ(・) 。

己を形作る魔力の総量が、圧倒的に足りていない。

いかに超再生を可能にする神であっても、ここまでの損傷を受けてしまっては完全に消滅するのは時間の問題だった。

しかし、この状況はマルファスにとってはある意味、勝利ともいえる。

己を消し飛ばした存在の認識の外。

完全に消滅するまでに残った僅かな時間。

「フフッ……」

マルファスは月にかざした手のひらを胸元に落とすと、勝利を確信して不敵に笑う。

マルファスの言う勝利。

それはなにもノアとの戦闘でのことではない。

生き延びる。その一点のみでの勝利だ。

再生に足る魔力が足りないと言うならば、補えばいいだけの話なのだ。

そして何よりも、マルファスは知っている。

自らを救う、救世主の存在があることを。

「……」

マルファスが期待に小さく息を吐き出したその時、周囲を囲む森の木々が強くざわめいた。

マルファスは仰向けのまま、暗闇の向こうへと視線をやって呟く。

「……アスタ、ロト、さま」

そのマルファスの祈りが聞こえていたかは定かではない。

しかし、マルファスの求めに応えるようにして、その女神は闇夜から浮かび上がるようにしてマルファスの元へと現れて見せたのだった。

「やぁ、マルファス。いい夜だね」

マルファスの足元に立ち、後ろ手を組んだまま夜空を見上げる桃色の女神。

風が吹くたびに微かに揺れるツインテール。身を覆う漆黒のドレス。その隙間から覗く月にも劣らぬ白い肌。そして夜空を覗く血のように赤い瞳は、怪しくも美しい輝きを暗闇に灯している。

その瞳が、マルファスを向いた。

ニヤリ。整った顔に笑みが咲く。

「あはは。随分とやられたじゃないかぁ。……痛いの? これ」

無邪気に明るい声色でいって、マルファスはその場にしゃがみこむと砂のように崩れては再生を繰り返すマルファスの足をツンツンと指先でつついた。

己の危機的状況をまるで顧みないその様子に、マルファスはたまらず苦笑して首を小さく振る。

「いいえ。何も感じませんよ。当然、痛みも」

そう穏やかな声色で言ったマルファスの顔を見つめながら、アスタロトはニッコリと微笑んだ。

「そっか。良かった」

――――衝撃。

「……ふふ」

マルファスは驚いたように小さく目を見開いたあと、たまらず笑い声をこぼす。

勘違いしていたのだ。

アスタロトという存在を。

他者の痛みなど理解できないとばかり、思っていたから。

一度変わってしまった認識は、マルファスに甘い罪悪感を抱かせた。

だから静かに口にする。

言葉にしなくて伝わらないと思った故に。

「……アスタロト様。わたしは――」

「じゃあ、なにも怖くないね?」

マルファスの小さな声に被せるようにしてアスタロトは鈴の音のような声でそう言うと、可憐に微笑んで首を小さくかしげてみせる。

「……ええ、まぁ」

その可愛らしい笑みを見て、マルファスが抱いたのは小さな違和感。

しかし、その理由を深く追求するよりも先に、マルファスは時間を経るごとに迫る自らの終わりを止めようと努めて冷静に口を開いた。

「……アスタロト様……恥ずかしながら再生に必要な魔力が足りません。力を……魔力を分け与えてはいただけませんか? どうやら、あまり時間が残っていないようで」

見せつけるようにして砂のように崩れ落ちる自らの右腕を宙へと浮かばせて、マルファスはじっとアスタロトの赤い瞳を見つめる。

「……ん?」

返ってきたのは間の抜けた声と、きょとんと首をかしげて目を見開くアスタロトの顔。

思考の一切が止まったマルファスにたたみかけるようにして「ああ……なるほど」と口にしてアスタロトはその場へと立ち上がると、あっけらかんと言い放つ。

「もしかして……勘違いしちゃったかな? 僕がここに来たのは君を助けるためなんかじゃないよ?」

言って後ろ手を組んだまま、アスタロトはマルファスの顔の横まで足を進めると囁くように口にした。

「僕はね、マルファス。君を看取りに来たんだ」

「………………――――」

「だってそうだろう? 僕は君に感謝してるんだ。そんな君を、孤独なまま死なせるわけないじゃないかぁ」

あははー、と笑うアスタロト。

それとは対照的に、マルファスの表情は硬く強張っていった。

「……なにを」

――言っている?

マルファスの頭の中を埋め尽くしていったのは刻一刻と迫りくる死の恐怖ではない。

ただただ、理解できないでいるのだ。

死にかけている同族を前に、手を差し伸べることはなく。

あまつさえ、看取るとアスタロトは口にした。

看取るとは、つまり己が死ぬ瞬間を見届けるという意味だ。

マルファスは疑問をそのまま口にする。

「……なぜ?」

「ん?」

「……なぜ、ですか」

口からこぼれおちていく疑問。

マルファスは次第に湧きあがる焦りのまま、保っていた冷静をかなぐり捨てた。

「私を救えるのはあなたしかいない……! 今ならば間に合うのです! それなのに……何故ッ!」

「……んー?」

アスタロトは人差し指を縦にぴんと立てて、円を描くように動かしながら、さも当たり前のように口にした。

「それが僕の望んだ結末だから……かな?」

「――ッ」

あまりの衝撃にマルファスは歯を噛みしめた。

補足するようにしてアスタロトは言葉を続ける。

「だってね? 英雄神マルファスはね、ノアという神に殺されなきゃいけないんだ」

「………………なぜ?」

「それが合図になるのさ。君の死を経て、ようやく幕があがるんだよ?」

分からない。

「僕たちはみーんな傲慢だからさ。そうでもしなきゃ気づかないんだ。気づかせてやらなきゃいけない。この世界にも敵はいるよってね。そうでもしなきゃ、与えられた安寧を貪るだけの毎日の繰り返しだ………………そんなの、つまらないだろう? 少なくとも僕は全然楽しくない」

アスタロトはゾッとするような美しい笑みを携えて、崩れてゆくマルファスの身に覆いかぶさるようにしてその顔をマルファスの耳元に寄せる。

そして、ささやいた。

「だから、ね? ありがとう。マルファス」

「――ッ!!!」

マルファスは怒りの表情を浮かべると、アスタロトの白く細い首に手をかけて締め上げる。

しかし、それでもアスタロトの表情は変わらない。

それどころか、慈愛の笑みを浮かべてて囁くのだ。

「そんなに怖がらなくていいよ? マルファス」

「――ッ!」

「君にどんなことをされたって僕はそれを笑って受け止めてみせる。ふふッ……だってそうだろ? マルファス」

アスタロトは笑いを堪えるようにして小さな肩を震わせた。

それでも言葉を重ねるごと、混じる嘲笑。

しかし、それは次の瞬間に決壊を迎えた。

「あははははははッ……だって! 君を殺すのは……ノアじゃなきゃだめなんだ……! 僕じゃないッ!」

闇夜に響き渡る死刑宣告。

狂気の発現。

アスタロトの顔に恍惚とした笑みが灯る。

そうしてマルファスが言葉を失ったと同時に、その時はおとずれた。

「……時間だね」

マルファスは、アスタロトの声を聞きながら崩れて消えていく自らの両手をじっと眺めて、それからゆっくりと口の端を吊り上げた。

救いのない自嘲の笑みでもあった。が、もう一つ。

これから先、蒙昧どもに訪れるであろう地獄を喜んだのだ。

マルファスには自信がある。

己の他に、この世界の真理に近づいた神はいないことを。

「…………私の命運が尽きるその時に幕があがるというのならば……それはお前たちにとっての悲劇のはじまりに過ぎない」

「かもね」

「貴様たちは私に比べれば確かに強者だが……。圧倒的に足りていないものがある」

「それはなぁに?」

「……臆病さだ」

「……」

「……降りかかる火の粉は払うべきだ。それを育み、地獄を仕立てようとするとは……」

「でもそれを僕は望んでいるんだ」

「後悔するぞ」

低い声色で放たれたその言葉を耳にした瞬間、アスタロトは可笑しそうにケタケタと笑い声をあげた。

「だから、助けるべきだって? 残念だけどマルファス。僕がここで君を助けたところで、 死(・) と(・) い(・) う(・) 結(・) 末(・) は変わらない」

「……………………なに?」

マルファスの中に新たな疑問が生まれる。

それを導くようにしてアスタロトは静かに告げた。

「どのみち君は殺されるんだ。相手が変わるだけ。ノアからレヴィに、ね」

マルファスは唇を震えさせながら瞳を閉じると、やはり分からないと言った風に眉をひそめた。

「何を……言っている? なぜ私がレヴィアタン様に消されなければならない」

ふふ、と小さく笑ってアスタロトは告げた。

「覚えているかいマルファス。レヴィのお気に入りの人間を」

「……」

言われてすぐにマルファスは理解することができた。

アスタロトの言うその人間が、はじめ女神アテナに接触を図った際に現れた少女であることを。

「あの子さ、実は女神アテナの護衛役だったんだよね。だから、さ。分かるだろう? 女神アテナを攫うってことは――」

「――まさか……貴様! 違うッ! 私ではないッ! アスタロト貴様が」

死を受け入れてなお、しみ込んだ恐怖は消えないものだ。

焦った様子で語気を荒げるマルファスの口を、アスタロトの白い手がやさしく塞いだ。

「忘れたのかいマルファス。そういう契約だったはずだ。女神アテナを攫ったのは僕だけど僕じゃない……君だ。そしてその過程全ては君だけが背負うべき問題のはず……そうだろう?」

「――ッ」

甘い吐息がマルファスの鼻腔をくすぐった。

「もちろん手加減はしたよ? けど、たぶんダメだろうね。君も分かるだろ? そ(・) う(・) い(・) う(・) 問(・) 題(・) じ(・) ゃ(・) な(・) い(・) ん(・) だ(・) 。今頃レヴィは血眼で探し回っているはずだよ? お気に入りの人間を傷つけた不届者を」

クスクスと笑い声をあげながらアスタロトは続けた。

「そんな怒り心頭のレヴィに僕が教えてあげるんだ。犯人はマルファスだよって」

「――――」

「けれど安心していい。彼女の怒りは君を殺せない。……だって、そうだろう?」

アスタロトの顔に凶悪な笑みが咲いた。

「その時にはもう……君はどこにもいないんだから」

「……」

マルファスの胸を満たしたのは諦念だった。

もはやこれまでだと、静かに悟る。

「……はじめから、そう仕組んだのか? 私に望みなどないと……死の間際に絶望を与えてやろうと」

「全部じゃないよ? それに別に君にイジワルしたかったわけでもない。なりゆき? 要は……命の使い方さ。どーせ死ぬなら役にたつべきだろう? それにすべてがうまくいったわけじゃない。楽しみにしていた内の一つは邪魔がはいっちゃったからね」

言って苛立たし気に、小さくため息をつくアスタロト。

それがなにを指しているのかを追求する気力はマルファスには残されてはいなかった。

マルファスの体が砂のように崩れて消えていく。

………………。

「君は賢かったね。マルファス」

「………………」

「たしかに君は僕らの中じゃ非力だったけど。それでも君は、同族の誰よりも早く動き出して、そして恐らく誰よりも早くこの世界の真相に近づいた。だから――」

「…………」

「――君は誰よりも早く、消えるんだ」

「……」

風が吹く度消えていくマルファスの体。

生気のない白い頬に手を添えてアスタロトは言う。

「子守唄でもお歌おうか? 僕、人間たちによく褒められるんだ」

女神たらん美しい笑みをその顔に浮かべながら。

「お上手ですねって」