軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

敗北の味②

私は林に転がる枝や落ち葉を踏みしめ、ゆっくりとギディオンの前まで歩いた。

五メートルほどの距離を空けて立ち止まり、ローブの裾を振って絡まった雑草を払う。

向かい合うとギディオンは爽やかな笑みを披露した。

「リーセル。やっぱり君か」

「今年は覚悟して。この日のために、いろんな術を会得したんだから」

「――頰が、少し切れているよ」

私の顔の傷に気がついたのか、ギディオンが表情を曇らせる。

「こんなの。舐めときゃ治るわ」

「強がってないで、すぐに止血をすべきだよ。待っているから、ほら早く」

「実技試験に怪我はつきものでしょ」

「だめだ。顔に傷が残ったら、どうする」

何なのだろう、この余裕は。

優しさなのか、それとも私なんて相手になるとも思っていないのか。

ヒーローすぎて腹が立つ。

結局は彼を憎みきれない自分に、もっと腹が立つ。

悔しく思いつつ、私は剣をギディオンに向け、叫んだ。

「出でよ、火の…」

だが詠唱は続けられなかった。

剣に素早く炎の鎖が巻きつき、動かせなくされたのだ。

顔を上げると、ギディオンが私に向かって左手を伸ばしている。

詠唱もせずに、その指一本で私の剣を封じたのだ。

このあまりの力の差が悔しくて、頭に血が昇る。

ギディオンは必死に剣を動かそうと両手を振る私の方に、首を左右に振りながら歩いてきた。

彼は小さな溜め息をついた。

「リーセル。大人しくしてて」

ギディオンの出した赤い鎖は、剣の柄にまで及び、私の両手に巻きついて拘束する。

燃えるような輝く鎖は、硬いだけで熱さは全くない。

だがこれで私は剣ごと両手を封じられ、万事休すだ。

(負けちゃう。今年も、負けちゃうよ……!)

悔しさに耳まで真っ赤になっているだろう私の顔に、ギディオンが手を伸ばす。

「触らないでよ」

私の言葉を無視し、ギディオンは私の顔の前で右手をさっと振った。直後に水が飛沫となって私の頬にかかった。

「洗い流したよ。傷に菌が入ったらまずいからね」

「そんなのどうでもいいから、先に試合の決着つけて!」

そのまま彼はポケットからハンカチを取り出し、私の頬にそっと押し当て、水を拭いてくれた。

「リーセル、試合なんかより傷の方がよほど問題だよ」

そんなことを言うなんて。

そもそも私はあんたが腰巾着をやることになる聖女のせいで、死んだんですけど!

何が悔しいって、魔術の力量の差ではない。

もはや、人格や人としての器の大きさまで、何もかもギディオンには勝てない。

「ありがとう」

悔しいながら、ちゃんと手当てのお礼を言っておく。

するとギディオンは滲むように笑った。

かつて王宮の片隅で見かけた彼は、こんな笑い方はしなかった。口元を歪めるように口角を上げ、瞳は笑っておらず周囲を冷たく見下す酷薄そうなものだった。でも今私の前で微笑む彼は、同じ瞳とは思えないほど温かで優しい色を帯び、優しげな雰囲気に満ちている。

彼はこんなに良い人ではなかったはずなのに。

これでは、ギディオンを憎む理由がなくなってしまう。

あらゆる敗北を実感させられながら、目の前のギディオンを見上げる。

「……あなたって、本当に悔しいくらいの紳士ね」

「これくらい当たり前だよ。それに、リーセルにはバラル州の沼で助けられたからね。命の恩人だ」

いやいや、正直あの時私が助けなくても、命に別状はなかったと思う。

「命の恩人に対してだけでなく、あなたは皆に優しいわ」

ギディオンは学友を平等に扱う。

それどころか、経済的に恵まれない学友には、手を貸していた。

魔術学院で使う上等紙のノートも、高いローブも、魔術書も。お金が足りなくて買えない友人がいれば、贈ってあげていた。

ある時、ギディオンが制服のスカートを買っているところを見てしまった。

もしや彼には人に言えない趣味があるのかと疑った。たとえば女装とか。

だがその翌朝、ある女生徒の部屋の前にそれと同じスカートが届けられていた。送り主が書かれていなくても、私にはそれがギディオンだと分かった。

凄く悔しかった。

私は、学友のスカートが成長で短くなりすぎていて、彼女がなかなか買えなくて困っていることに、気付いてやれなかったのだ。

手当てを終え、剣を構え直したギディオンに私は尋ねた。

「ねぇギディオン。クリスタルに制服をあげたのは、あなたでしょう?」

ギディオンは目を丸くした。

「どうしたの、急に」

「今まで黙っていたけど、私見たのよ。あなたがスカートを買っているところ」

ギディオンはふっ、と笑ってかぶりを振った。

「優しさじゃないよ。私はただ、クリスタルのスカートが短くなり過ぎて、膝が見えてしまうのが嫌だっただけだよ」

「本当は凄くいい人なのに、悪い人ぶるのね」

「そんなことない」

「スカートだけじゃないでしょ。参考書も、ペンもいろんな子にあげてるでしょ」

そう言うとギディオンはただ、肩を竦めた。

「それくらい当然だよ。みんな、ここで学ぶ権利がある」

ああ、もう。本当にずるい。

私の敵になるはずのこの人は、なぜ今こんなに紳士なんだ。

できればクソ嫌な男子生徒でいて欲しかった。

なのに、胸糞悪いほど良い人なのだ。

「リーセルも王宮魔術師になる為に、頑張っているんだろう?」

「私は…」

たしかに、上を狙う生徒は王宮勤めを狙う。

王宮お抱えの魔術師になれば、破格の給料を貰えるから。

もっとも、私は王宮にだけは入らないと決めている。王宮は人間関係が複雑で面倒だし――なにより、王宮に行けば王太子のユリシーズに会ってしまうからだ。

私はいまだに、ユリシーズの名を思い出すだけで、胸に鋭い痛みを感じるのだ。

ふと見下ろすと、剣に巻きつく火の鎖がかなり緩んでいた。

ギディオンの気が微かに緩んでいた。

このチャンスを逃すわけにはいかない。

私は剣を素早く振って、鎖を払った。

はっと目を見開いたギディオンの頭上狙って、そのまま剣を振り下ろす。

「出でよ、火竜!」

「出でよ、水竜!」

私が剣から出した火の竜は、ギディオンの水の竜に向かっていった。彼はいつの間に、火の剣を水の剣に変えたのだろう。それに全く気づかなかった、実力の差が恨めしい。

竜たちは互いに大きな口を開け、水しぶきや火の粉を撒き散らしつつ、私とギディオンの上を舞う。

慌てて作り出したからか、ギディオンの水竜はやや小さい。

(今年こそ、勝てるかもしれない……!)

にわかに拳を握りしめる。

「隙あり!」

突然目の前に水の壁が出現した。

現れるや否や、それはあっという間に崩れ、私はびしょ濡れになった。

顔にかかる水を手の甲で拭いながら目を開けると、すぐ正面にギディオンがいた。

もう何の反撃の隙もなかった。私が口を開くより先に、ギディオンの手から氷の剣が伸び、私のローブを木の幹に縫い止めたのだ。

剣は左の袖先を刺しており、体は刺されていないものの、凄まじい冷気を腕に感じる。

「降参かな? リーセル」

私の首筋には、水竜が来ていた。大きな口を開け、歯を見せつけて今しも噛みつこうとしている。

ギディオンの命令一つで、私の喉元に食らいつくだろう。

水の壁に気を取られた一瞬に、私の火竜は蹴散らされていたらしい。

唖然としていると、水竜が大きく口を開いた。

噛まれる! と思った次の瞬間。水竜は猛烈な量の水を私に向かって吐き、私は滝のように水を浴びた。

「ぎゃーーーーっ! 冷たっっ!!」

あまりの勢いに、あらゆる思考が吹き飛んだ。

バサリ、と足元に何かが落ちる音がした。

(しまった――!!)

ギディオンは不敵な笑みを見せていた。

「勝負がついたね」

私は困惑のあまり、自分の剣を落としてしまっていた。

目の前にいた水竜が消え、袖を刺す剣も消える。

私はずぶ濡れのまま、頭を抱えて泣きそうになった。

負けた。

また今年も、一位を取れなかった。

「こんな、こんな情けない負け方って……」

今年も首席の座を守ったことを先生に報告すべく、軽やかにその場を去るギディオンの背中を、私は半泣きで見送るしかなかった。

寒さと悔しさで、震えながら。