軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

舞踏会場の大火災①

その一報が入った時、私は王太子と一緒にいて、彼の執務室の結界を張り直していた。

新しい術に挑戦しようと、魔術本を片手にもう片方の手を上にかざし、詠唱を始めていた。

廊下でバタバタと数人の足音がして、にわかに騒がしくなる。

術に集中できず、何事かと廊下に出ると、女官たちが仕事を放り出してバルコニーに集まっていた。

何やらバルコニーの手すりに乗り出して、叫びながら遠くの空を指さしている。

どうしたのか不思議に思って後に続くと、日が暮れた紺色の空の下で、局地的に大きなオレンジ色の炎が上がっていた。白く濃い、雲のような煙を撒き散らしながら、どこかで火事――それも間違いなく、大きな火事が起きている。

「火事よ! 大変だわ、あの辺りは中心街のはずよ!」

女官たちが騒ぎ、やがて王太子の執務室にも、侍従たちがそれを知らせるために、走ってくる。

侍従は王太子を見つけるなり、上ずる声で報告した。

「王都の舞踏会場が、燃えています! 建物の消火はもはや困難なほど、火が広がっているそうです」

その一報を聞いた時、立ちくらみがした。こんな火事は知らない。

(だって、あの歌劇場での大火は、防いだはずだったのに! なのにどうして今度は舞踏会場が燃えるの!?)

これは、私が防いだと思った火事だった。

それなのに、まるで火事は起こらないといけないかのように、起きたというのか。

まるで神様がこれは必要な犠牲なのだとでも言うかのように。

王都の舞踏会場は歴史ある建物で、クリーム色の石造りの大きな建物だった。

王都の人々の社交の場で、貴族だけでなく着飾った庶民たちも遊びに行って踊るものだった。

時間はちょうど夕方で、舞踏会場の繁忙時間だったはずだ。建物の中には、たくさんの人々がいたに違いない。

火があまりに激しいため、国王は情報収集に腐心し、消火作業の邪魔にならないよう、現場に行こうとはしなかった。それは現場のためを思った、賢明な判断だった。

だが、そんな王宮から飛び出したのは、聖女だった。

「すぐに怪我人を助けます!」

もちろん、単独で現場に行かせるわけにはいかない。

急いで救援隊が組織されたが、彼女はそれすら待ちきれず、侍女を連れて現場へ向かおうとした。

慌てて衛兵が護衛のために彼女を追ったが、王太子は私にも聖女を助けに行くよう、命じた。衛兵が火から彼女を守れるとは思えないからだ。

聖女の乗った馬を、私も馬で追う。

白馬に乗って、夜の街を駆ける聖女。純白のドレスの長い裾がたなびき、巨匠が描いた絵画のように、絵になる一コマだった。

厩舎の中にいたのはほとんどが栗毛だったろうに、この非常時に白馬をわざわざ選んだのが小憎らしい。自己演出の一つなのだろう。

王宮を出て王都の中心街に近づくにつれ、煙が辺りに充満し始めた。有害な毒を含むであろうその煙から聖女や衛兵を守るため、馬上で術を編み出し、風の盾で煙を防ぐ。

聖女は急いでいた。何かにせきたてられるように馬を疾走させ、そして危ないと気がついた時は、すでに遅かった。見通しの悪い夜道の、急なカーブを曲がった頃。

聖女の馬が道の向こうから走ってきた荷馬車にぶつかりそうになり、激しくいなないた。手綱に掴まった彼女は落馬を免れたが、荷馬車の方は避けきれずに横転してしまった。

衛兵たちも急いで馬から降り、駆け寄って聖女に怪我はないかを確認している。

私は馬から降りて、横転した荷馬車のそばに行った。

(大変!! なんてこと)

荷馬車を操縦していた初老の男は、道の上に放り出され、横転した車体と地面に挟まってしまっていた。額からも血を出し、苦しげに呻いている。

体の上に載る荷馬車を、なんとか持ち上げて助け出そうとするが、重すぎてびくともしない。

「こっちに手を…」

手を貸して、と聖女と衛兵達に言おうと顔を上げ、見たものが信じられなかった。

聖女はドレスを整えて馬に座り直すと、髪の毛を手櫛でとき、整えている。

(今、それ必要!?)

挙句に荷馬車を見ることなく、今しも駆けだそうとしている。

「聖女様から離れるな!」

衛兵も慌てて騎乗し、鞭を持ち直して出発直前といった様子だ。

「お待ち下さい、ここに怪我人がいます!」

注意を引こうと訴えるが、聖女は私と男を一瞥しただけで、動こうとしない。

ちらりとこちらを見たその蜂蜜色の目には、なんの感情も浮かんでいなかった。まるでその辺に転がる石でも見るような目だった。ゾッとした。

「わたくしを大舞台が待っているわ。早く行かないと」

聖女はそう言うと、前を向いた。

「どうか、お待ちを」

慌てて駆け寄り、駆け出そうとする聖女を止めようと、その手綱を抑える。馬が驚き、高く足踏みをし、聖女が顔を顰めた。

「コラ、近衛魔術師! 危ない真似をするな!」

衛兵が私を咎める声がした後、聖女は手にしていた鞭で私の肩を叩いた。

「邪魔をしないで!」

ビリッと肩に鋭い痛みが走るが、それに構う暇はない。

私の手が手綱から離れた隙に、聖女の馬が走り出す。それに慌てて衛兵が続く。

「待って!」

(どうして? ほんの少し、手を差し伸べてあげれば聖女なら助けられるのに!)

荷馬車に戻り、屈んで荷台の縁に肩を入れ、なんとか車体を浮かせようと力を入れる。だが荷台に家具が積んであり、あまりの重さに僅かも動かない。早くしないと、圧死してしまう!

「重いっ…! お願い、上がって!」

歯を食いしばって渾身の力を入れるも、やはりまるで動かない。

こうなっては魔術を使うしかない。目を瞑って意識を風に集中させる。

頬に感じる風をたぐり寄せ、爆風に変えて荷馬車にぶつけるしかない。

気が急いているせいで、声が震える。

「風の波よ、荷馬車を飛ばして!」

土埃を巻き上げる突風が吹きつけ、目を手で庇う。

次の瞬間、肩の上にのしかかっていた重さが消え、目を開けると荷馬車は完全に逆さまになって、少し離れたところに落ちている。木屑が舞い、積まれていた家具は壊れただろうが、それどころじゃない。

「大丈夫!?」

車体の下からあらわになった男性のそばに膝を突き、肩を揺する。

足が明後日の方向に曲がり、見たことがないほど大量の血が出て地面に染み込み始めている。

どうしていいかわからず、肩に乗せた手が震えだす。

微かに震えている男性の唇が、動く。

「た、すけ、」

「待って、今、医者を…」

そう言いかけるが、医者がどこにいるのか。病院はもう、閉まっている時間だ。

そうこうしている間にも、朦朧としているその瞳が光を失い、閉じていく。

「おじいさん、だめ。しっかりして」

声を掛けるも、唇はもう、全く動いていなかった。

「ああ、そんな。どうしよう」

男性の肩から手を離すと、両手は血まみれになっていた。

過呼吸になりそうなほど、息が上がる。

(死んじゃった……! 何もできなかった!)

「ごめんなさい。ーーごめんなさい」

手を合わせて男性に詫びる。

救えなかったショックで震えながら顔を上げると、聖女たちの馬はかなり遠くまで行ってしまい、後ろ姿も見えない。ただ衛兵が持つ松明の明かりが、微かに揺らいで道の先に見える。

その先にあるのは、大火だ。

聖女は引き連れる衛兵たちの安全など、全く考えていないのだろう。

断腸の思いで男性に背を向け、乗ってきた馬の背に上がる。

全速力で馬を走らせながら、頭の中で何度も叫んだ。

(アイリス、貴女にとって、彼は助ける価値がなかったの? 自分自身にとって意味のない人助けは、しないということ?)

許せない。

自分の地位や立場を存分に利用するのに、弱い者に一切の慈悲も抱かず、平然と蹴落とす聖女を。皆同じ生きている人間で、同じように痛みを感じるということが、どうして分からないのだろう。

乾き切った手の血が、訴える。荷馬車に家具を積んで、どこかに急いでいた彼にも、大切な人がいたはずだ。

あの荷馬車を横転させたのは、聖女なのに。せめてほんの僅かでも、罪悪感を持って欲しかった。

聖女の治癒術は、アイリスにとって見せ物なのか。

彼女が言った、「大舞台」という言葉が、許せない。荷馬車を引いていたお爺さんにとっては、あれはただ一つしかない舞台だったのに。誰も彼の舞台を軽んじることなど、できないはずだ。

怒りで震える手で手綱を握り、歯を食いしばった。