軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

大夜会を二人で②

何を言っているのだろう。

苦しげに顔を逸らし、横顔を見せるギディオンを宥める。

「どうしたの? この顔で、って――いつもと変わらない、かっこいいギディオンよ?」

するとギディオンは急に私の額にキスを浴びせた。まるで食べられてしまいそうなその勢いにたじろいで数歩、後ずさってしまう。

キスの嵐が終わると、彼は私を強く抱き寄せた。あまりに力が込められていて、背骨が折れてしまいそうなほど、強く胸の中に抱き込められる。

「ギディオン、痛い」

「我慢して」

(ええっ!? が、がまん?)

身じろいでみても、全く力を緩めてくれない。

あなたは、誰なの?

本当にあのランカスター家のギディオンなの?

戸惑う私に、ギディオンは懇願するように囁いた。

「今夜だけでいいから。一度でいいから。……リーセルも私に腕を回して」

私の中の死んだリーセルが、絶叫する。

強引にそれをねじ伏せ、頭の隅に追いやり、震える両手をギディオンの背に回す。

抱きつくと心臓がさらに早鐘を打ち、頭の中が焼け切れそうになる。同時に、信じられないくらい心の中が満たされていく。

彼の気持ちに応えては駄目なんだ、嫌だ、いけないんだという思いが、勢いよく押し流されていってしまう。

(ああどうしよう……! 私…)

抱き合うと、途方もない幸福感に満たされた。

まるで、あの夜のようだった。飛んでいけそうなほどの、高揚感。

目を閉じて抱き合うと胸の高鳴りと、それに相反する不思議な安心感に包まれる。

一度目の私たちの関係に目を瞑ってしまうと、後に残ったのは彼を肯定する感情だけだった。

ずっと、前回のリーセルが私の気持ちに蓋をしていたのだ。

――本当は、ちっとも嫌じゃない。私はこのギディオンが好きだ。

ずっと気づかないフリをしていたけど。

自分の気持ちに混乱してしまう。

一体、いつからだろう? 彼がクリスタルに制服のスカートを買ってあげたことに、気づいた時から?

それとも、魔術学院の三年生の時に、実技試験で私の傷を気遣ってくれた時から?

――違う。

私は彼がギディオンだからこそ、ずっと彼を気にして、見ていた。彼ばかり見ていたのは、私も同じだった。

彼の優しさが、いつの間にか私の怒りで凍てついた心を、溶かしてしまっていた。

つい尋ねてしまう。

「ギディオンは、いつから私が好きなの?」

「君とバラルの森の中で会った時から、好きだよ」

「そんなに昔から? ちょっと嘘くさいわよ」

くすりと思わず笑ってしまうと、彼は抱き寄せる腕を緩め、私を見つめた。

「本当だよ。いかにも面倒そうに、川まで走ってきてくれた君が、可愛かった」

「それって、可愛いの?」

「もちろん。不満そうにしながら、一緒に馬を探して歩き回ってくれたのも、凄く可愛かった」

「うぅん……独特の感性ね」

「信じられない? こうして、いつまでもリーセルを見ていられるのに」

そんなことを真正面から言われて、恥ずかしくなってしまう。

「あの時、小川で本当に溺れていたの?」

「そうだよ。どうして?」

「あの泥だまりを、『沼』だなんて言ったのはあなたくらいなのよ?」

「それは妙だね」

「妙なのは、魔術持ちのあなたが、私に助けを求めたことよ。本当にあの時困っていたの?」

「嘘をついていいなら、答えるけど」

「なんなの、それ!」

苦笑しながら視線をギディオンから離すと、庭園を挟んで夜会の大広間が目に映る。

「……向こうでは踊らないの?」

「ここに、二人でいよう」

「もしかして、私を連れて行ったら、面倒なことになる? 私なんて、公爵様はよく思わないでしょうし」

思い切って聞いてみると、ギディオンは私の顎先にそっと指先で触れた。

「違うよ。正直言うと、着飾ったリーセルを他の男に見せたくない。私は、君に関しては絶望的なまでにくだらない、嫉妬深い男になってしまうんだ」

「また、そんなこと言って…」

赤くなっているだろう自分の顔を隠そうと、両手で頬を覆うと、ギディオンが手首を掴んで私の手を引く。

「隠さないで。リーセルが見たい」

そのまま彼は膝を折り、芝の上に腰を下ろした。そうして掴んだままの手を引き寄せ、私を隣に座らせる。

「ここで今夜は過ごすつもり?」

冗談半分で問いかけると、ギディオンは臆面もなく頷いた。

夜露を含んだ芝の上に座り込んで、せっかくのドレスがもったいないけれど、それでもこうして過ごすのもいいかもしれない。

そんな風に思ってしまう自分に、心の中でどうしようもなく溜め息をつく。

こうして私とギディオンは夜空の下で、学院時代の懐かしい話を続けた。

私たちはついに大広間には行かず、ずっと二人で庭園で過ごしてしまった。

大夜会に姿を現さなかったギディオンは、後日父親である公爵からこっぴどく叱られたのだという。

大夜会が終わると、私は気持ちを持て余して、シンシアの寮を訪ねた。

ギディオンに惹かれている気持ちを、どうしても止められない。そして彼を知れば知るほど、ある疑問がどんどん膨らんでいく。私はこれを、一人で抱え切れなかった。

夜遅くにも拘らず、嫌な顔一つせず私を部屋に入れてくれたシンシアは、寝る直前だったのかもう寝間着姿だった。

「急にごめんね。どうしても、相談したいことがあって」

部屋にはベッドとデスクセット、それに本棚が置かれていて、内装は私の寮の部屋とほとんど変わらない。本棚が書籍でいっぱいなのが、いかにもシンシアらしい。

お茶でもどうかと淹れてくれようとするシンシアを慌てて止めて、夜も遅いのでとりあえずすぐに本題に入らせてもらう。

二人で備え付けの簡素なシングルベッドに腰を下ろすと、古いマットレスのコイルが軋む音がした。少し黄ばんだ白い壁に、寄りかかる。

何から話していいか難しく、私が口を開くのを待って黙っているシンシアの前で、無駄に何度も「ええっと、あの」と繰り返してしまう。

落ち着こうとゆっくりと深呼吸をしてから、切り出す。

「私、王太子がまるで別人だと言ったよね?」

「ええ、前回とは違う人格なんでしょ」

「実は、奇妙だなと思うことがあって。もう一人、明らかに前とすっかり変わっちゃった人がいるの」

シンシアは長い茶色の髪を軽く後ろで束ねながら、何度も頷いて続きを促した。

「それは誰?」

「ギディオンよ。あなたもよく知っている」

「ギディオンって、あのギディオン・ランカスター? えっ、どういうこと? 彼ってどんな人だったの」

かつてのギディオンが私とは敵対する立ち位置にいたこと、そして彼の冷徹な性格について話すと、シンシアは信じられなさそうに聞いていたが、やがて腕を組んで考え込むように難しい顔をし始めた。

「なんだかそれって、まるで二人の以前の性格がそっくりそのまま入れ替わったみたいに聞こえるわね」

そうなのだ。

私はここのところずっと考えていたことを、シンシアに伝えることにした。

「覚えてる? 一年生の頃、学院で先生たちによく注意されたよね。魔力の『上限点』を超えると魂が抜けるぞ、って」

私はあれは、ただの脅しだと思っていた。スイカの種を飲むとお腹からスイカの木が生えてくるぞ、と親が子どもに言うような。

けれど、どこかに真実があったんじゃないだろうか。

「過ぎた魔術を使うと、本当に魂が抜けちゃうのかもしれない。もしかしたら、時戻しの魔術を使って――、二人は上限点を越えて、王太子の魂が『発議者』と入れ替わったんじゃないかな?」

今の王太子の性格は、かつてのギディオンの評判と一致する。

「そんなことって、……やっぱり、あり得ないかな?」

私がそこまで話すと、シンシアはゆっくりと顔を上げて、姿勢を崩してベッドの上にあぐらをかいた。

そうして考えをまとめながら話すように、落ち着いた口調で切り出した。

「あながち、あり得なくもないかもしれないわ。昔は魔術の研究がまだ未熟で、水風火の三つの根源の操り方の基礎も確立されていなかったのよ。だから、何百年も前の戦争では、魔術師たちが兵器のように使われて、バタバタと倒れたらしいわ」

たしかに、学院の歴史の授業ではそのように習った。学び舎を懐かしく思い出しながら、うんうんと頷く。

「歴史書や戦記によるとね、昏睡状態から目覚めた従軍魔術師の中には、記憶喪失になったり、人格が変わってしまった人たちがいたらしいの」

「それって、もしかして…」

「己の持つ魔術の『上限点』を超えると、体から魂魄が遊離して、間違えて別の体に入ってしまうことが、もしかしたらあるのかもしれないわね」

私たちは見つめ合った。お互い、推理しているだけで、何の確信もない。

だがひょっとしたら、入れ替わりが起きた可能性はゼロではないのかもしれない。

そこまで考えると、例のことが気になった。

「古魔術書の破られたページには、入れ替わりのことが書いてあったのかも」

「そうね。そうかもしれない。――もし、貴女の推理が当たっているとしたら、それってつまりは、王太子とあのギディオンの中身が入れ替わっているということよね?」

「そういうことになるんだよね」

シンシアは私を見つめて、激しく瞬きをした。

「つまり、あの私たちのクラスメイトが、本当は王太子様だったってこと? 信じられない……! マックなんて、今までどれだけ失礼を働いたかしら」

首を左右に振った後で、シンシアは何かに気がついたみたいにハッと息を呑んで目を見開いた。拍手するように手をパンと一度軽く叩く。

「でも、つじつまが合うわ! だからギディオンは貴女をあんなに好きだったのね!」

「もしそれが真実なら、三賢者の時乞いの『発議者』はかつてのギディオンだったのよね。だとすれば、彼は何がしたかったのかな?」

これには誰も答えを持ち合わせてはいなかった。

シンシアも首を捻って、黙り込んでしまった。

シンシアは手を伸ばして私の膝にのせた。

「今の横柄な王太子には、くれぐれも気をつけてね。何を考えているのか、わからないわ」

「うん。ありがとう」

何かが解決したわけじゃない。

でもこうして話を聞いてくれて、一緒に考えてくれる友達がいて、本当によかった。

そう伝えると、シンシアは笑いながら私を肘で小突いた。

「友達じゃなくて、親友でしょ」と。