軽量なろうリーダー

とりかえっこしましょう

作者: 早島りんご

本文

「僕、ウィロー・カートレットは、公爵令嬢リコリス・グレイとの婚約破棄と彼女の国外追放を宣言する!」

王立学園の卒業パーティのさなか、この国の第一王子は高らかに言い放った。

会場にいた卒業生やその親族達は、王子の宣言を聞いてハッと息を飲む。

皆の憐れむような視線が、リコリスへと一斉に注がれた。

「ウィロー様、今なんとおっしゃいましたか?」

リコリスは震える声でウィローに問いかけた。

「だから、婚約破棄し貴様を国外追放すると言ったのだ! 貴様は私の愛する女性を随分と虐げたそうじゃないか。そんな意地の悪い非道な女と結婚などできぬ」

ウィローは人を見下すような微笑みを浮かべると、そばにいた別の女性をぐっと抱き寄せた。

彼の腕に抱かれてうっとりしているのは、スコット男爵令嬢だ。

リコリスにスコット男爵令嬢を虐げた記憶は全くない。

おそらくは、ウィローか男爵令嬢の捏造だろう。

「僕はグレイ公爵令嬢との婚約を破棄し、ここにいるスコット男爵令嬢と新たに婚約するのだ」

ウィローの発言で会場内にどよめきが走る。

しかし、それを見ているはずの王や王妃は何も言わない。

もう彼らにはこの展開が織り込み済みということだろう。

「ウィロー様、お考えを改めてください。いま近隣の国々は、次々と魔族の襲撃にあっております。王族が皆殺しにされた例もございます。いま国の守りを固めるべき時期に、そちらにいる男爵令嬢と婚約を結ぶべきではありません。国防を最前線で担っているのは我がグレイ家ではございませんか! グレイ家の父も兄たちも、宰相や騎士団の面々として、国防のため、日々命を捧げる想いでこの国に尽くしております。ウィロー様もそれはご存じでしょう!?」

公爵家の協力なしに、この国の防衛は成り立たない。

リコリスは必死に訴えたが、ウィローはそれを理解していなかった。

「フン、お前ら公爵家の手助けなどなくとも、魔族くらい退けられるわ! それに、魔族が国境を越えてきたなどという報告は一度もないではないか。元々魔族など僕から見れば取るに足らないのだ」

「ウィロー様ぁ、頼もしいですわぁ」

ウィローとスコット男爵令嬢は人目もはばからずに身を寄せ合っている。

リコリスは自身の婚約者が馬鹿だとは知っていたし、スコット男爵令嬢と浮気していることにも気づいていた。

しかし、国防と浮気相手をはかりにかけて、まさか浮気相手を選ぶほどの馬鹿だとは思わなかった。

リコリスはドレスの布をぎゅっと握り、悔しさとやるせなさの中、10年前に想いを馳せた。

ある晴れた日、8歳のリコリスは公爵邸の大きな庭で花を摘んでいた。

「たくさん摘めたら花冠を作ろうっと」

この頃、すでにリコリスとウィローの婚約は決まっていた。

幼いリコリスに押し寄せるすさまじいお妃教育の日々。

勉強、マナー、ダンス、相次ぐお茶会……そのわずかな隙間にできる遊びといえば花を摘むことくらいだった。

ガシャン

花を摘むのに夢中になっていたリコリスの耳に、金属がぶつかり合うような音が聞こえてきた。

顔を上げると、そこに立っていたはずの護衛騎士も側仕えも皆地面に伏している。

「みんな、どうしたの?」

誰も何も答えない。

辺りを窺うと、護衛騎士の少し向こうに知らない少女が立っていた。

透き通るような白い肌に、桃色の髪の毛。そして、白目が見えないほどに異様に大きな瞳。

リコリスは一目見て、それが人外であると理解した。

「あなた、だあれ」

人外の少女はニッコリ笑うと、おずおずと近づいてくる。

「わたし、イオナ。ねぇ、一緒に遊んでいい?」

外部からの侵入を許さないはずの公爵家にいともたやすく侵入し、自身の護衛騎士たちを一瞬にして地面に沈めてしまった少女。

普通なら、恐怖で動けなくなるか泣いてしまうだろう。

しかし、8歳のリコリスは違った。

「いいよ。私はリコリスっていうの。一緒にあそぼう。いま、花冠を作ってるんだけど、一緒にどうかな」

「わぁ! 人間界のお花を触るの、はじめて!」

イオナは顔をほころばせると、とたとたと走ってリコリスの側に移動し、芝生の上に腰を下ろした。

「あの、さっきはごめんね。あなたのお世話係の人たちを気絶させちゃって。ちょっと泡吹いてるけど、死んではいないはずだから! でも、リコリスはびっくりしたよね?」

イオナの異様に大きな黒い瞳が、リコリスを心配そうに見つめる。

「うーん、びっくりはしたけど、全然いいよ! だって、護衛騎士も側仕えも、みーんな意地悪なんだもん! 死んだって構わないよ」

「ええっ! そうなの?」

イオナが目をまん丸にして驚いたのが面白くて、リコリスは機嫌よく話し始めた。

「うん、みんな本当に意地悪なの! 私ね、大人になったらこの国の王子様と結婚するんだ。でも、そのせいで、いまお勉強がとっても大変なの! お勉強だとかマナーだとか、知らないおばさんたちとお茶会とか、そんなのが毎日で全然楽しくない。それなのに、側仕えたちは「将来のためですから」とか言って、私にすごく厳しくするようになっちゃったの。わたし、毎日全然楽しくない」

リコリスは唇を尖らせる。

「そうだったんだぁ。お花を摘むのは好きじゃないの?」

「お花を摘むのも好きだけど、本当はお兄様たちみたいに敵と戦ったりしてみたいの。お屋敷の中でおしとやかに過ごすなんて全然楽しくないのよ。イオナは普段何して遊んでいるの? あなた……魔族よね?」

「うん、わたしのお父様は魔族で一番偉いんだぁ。魔王っていうの。だから、わたしは魔王の娘として魔族にふさわしい強さを手に入れるために、毎日戦闘訓練をさせられているの。時々、魔族の仲間がさらってきた人間を殺す練習もさせられてるのよ」

「へぇ、殺したりもするんだ」

リコリスは同胞が殺されているという話を聞いても顔色ひとつ変えない。

「ごめんね、あなたの仲間を殺して」

「いいの、いいの。私、誰のことも好きじゃないから。誰が死んでも構わない」

「そうなのね。でもわたし、人を殺しても楽しくないし、戦闘訓練も嫌い。あなたみたいに、お屋敷の中でおしとやかに暮らしたいな。だって、何人か人間を殺すうちに気づいたんだけど、人間ってバカで浅はかで、本当にかわいいじゃない! わたし、人間だぁいすき! ペットにしたいくらい。人間と一緒に暮らせたらいいのにな」

イオナが無邪気に笑うと、リコリスは花冠を地面に置いて、イオナの方へそっと顔を近づけた。

「ねぇ、イオナ。私たち、今の自分の生活よりもお互いの生活の方が向いていると思わない? 私は戦ったりする方がいいし、あなたはおしとやかに過ごす方がいい。ねぇ、生活をとりかえっこしましょうよ」

そうイオナに提案するリコリスの目は、8歳とは思えないほどに冷ややかだ。

人間を殺す生活と自身の安定した生活を交換しようというのだ。

「とりかえっこ!? お父様にバレないかしら」

「バレたら、その時は一緒に怒られたらいいじゃない。ねぇイオナ、あなたの魔術で私とあなたの見た目を変えることってできないかしら?」

リコリスの瞳が怪しく輝く。

「できるわよ。でも、わたし、王子様の婚約者だなんて務まるかしら?」

「大丈夫よ! 王子も、護衛騎士も側仕えも、パパもママもみーんな馬鹿だから気づかないわよ! それに、私の友人を自称する令嬢たちも、いつも私に媚を売ってきて気持ち悪いのよ。あんな人たちを大事にする必要はないし、誰にも気を遣わなくていいの。イオナは、公爵令嬢ごっこを楽しんでくれたら、それでいいの」

リコリスの提案は、イオナにとってこれ以上ないほどに魅力的だった。

本当は、人間の子供と少し遊べたらそれでよかったのだ。

けれど、まさか生活を取り換えるという提案があるとは思わなかった。イオナの頬が期待で紅潮する。

「いいわよ、楽しそうね! いつまでとりかえっこする?」

「あの馬鹿王子が、イオナに気づいちゃったらゲームオーバーってことにしようか」

リコリスとイオナは額を突き合わせてクスクス笑った。

「わかった。王子様が気づくまで、ね」

とりかえっこしてからの日々は、リコリスに扮したイオナにとって人生で一番楽しい日々だった。

リコリスが言っていたように、誰もかれも全員バカとしか思えなかったが、それがまた愛おしい。

人間には「バカな子ほどかわいい」という言葉があるが、まさにそれだ。

醜い嫉妬、人を蹴落とそうとする企み、悪口、嘲笑、人間のそれらの行動全てがイオナにとって新鮮だった。

合理的で感情の起伏が少ない魔族とは対照的な人間が、可愛くて仕方ない。

数日もしないうちに魔王にはとりかえっこが即バレてしまったが、魔王は娘の好きにさせた。

また、リコリスはその小さな体に信じられないほどの残虐性を秘めていたため、人間だとバレたあとも魔族の連中がいたく気に入った。

彼女もまた、魔族の一員として人生で一番楽しい日々を過ごした。

二人がとりかえっこをして10年が経った。

イオナは公爵令嬢のフリをしてお妃教育をこなし、王立学院に通い、友人もつくり、もちろん馬鹿王子の相手もし、今日まで誰にも偽物だと悟られることなく暮らして来た。

定期的に連絡を取っているリコリスも人間界に戻りたいなどとは言わないし、これから先も末永く人間界で暮らしていくつもりだった。

——馬鹿王子が婚約破棄を言い出すまでは。

「ウィロー様、本当に婚約を破棄するおつもりですか」

リコリス——の皮をかぶったイオナが再度問う。

こういうの、人間の言葉で何て言うんだったかしら。そうだ、『飼い犬に手を噛まれる』って言うんだ。

イオナは馬鹿王子の顔を眺めながら思った。

馬鹿王子たちがここまで平和に暮らせたのは、全てイオナのおかげだった。

魔族が国境を越えてこないのは、イオナが止めていたから。

イオナの公爵令嬢ごっこのため、娘を可愛がる魔王が魔族が侵攻しないように仕向けていたのだ。

しかし、それも今日で終わりだ。

この国の様子は魔族の幹部がずっと監視している。このパーティの有様もどこかで見ているだろう。

イオナが国外追放を言い渡され、公爵令嬢ごっこが終わった今、魔族がこの国を侵攻しない理由がない。

「何度言ったら分かるのだ! 貴様との婚約は破棄すると言ってるだろう!」

ウィローの苛立った声が響いて数秒の沈黙ののち、会場内を切り裂くような悲鳴が上がった。

ウィローの隣には突如現れた全身黒ずくめのリコリス——実に10年ぶりに皆の前に姿を現した本物のリコリス——が立ち、その手にはウィローの新しい婚約相手であるスコット男爵令嬢の首がぶら下がっている。

あまりにも一瞬の出来事だった。

リコリスはパーティ会場に現れた瞬間に、ウィローと共にイオナを断罪しようとしたいけすかないスコット男爵令嬢の首を刈り取ってしまった。

周囲の人が状況を把握し、悲鳴を上げるまでに数秒かかった。

悲鳴が波を打つように会場じゅうに広がる中で、首のない男爵令嬢の体は床に崩れ落ち、血だまりが広がる。

男爵令嬢の遺体の側で血しぶきを浴びた馬鹿王子は、何が起こったのかまだ分からないようで、口をポカンと開けて黒服のリコリスを見て呆けている。

彼の目の前には、ドレスを着ているいつものリコリスと、黒服のリコリスの二人がいる。

顔は同じだが、片方は豪奢なドレスを着ており、片方は動きやすそうな黒服で手には男爵令嬢の首を持っている。

「リコリスが……ふたり?」

ウィローが掠れた声で呟くと同時に、護衛騎士の一人が黒服のリコリスへと切りかかる。

「ウィロー様、おさがり下さい! 貴様、リコリス様の皮をかぶった魔族か!?」

護衛騎士の一人が黒服のリコリスの前に勇ましく躍り出たが、それも一瞬だった。

次の瞬間、護衛騎士は灰になっていた。

そこにいる誰もが、何が起きたか理解していなかった——イオナを除いて。

「リコリス、早かったわね」

「うん、ずっと見てたもん。それにしても、イオナ、国外追放されちゃったね? アハハ、そんなゲームオーバーの仕方あるぅ?」

リコリスは愉快そうに声をあげながら、男爵令嬢の首をポイと放り投げた。

「ねぇイオナ、この国めちゃくちゃにしていいんだよね? 私ずぅっと待ってたんだよ! 国境の警備はしょぼいのに、イオナと魔王様が攻めちゃだめっていうから超ガマンしてたの!」

「いいわよ、リコリスの好きにして。わたし、いまとっても悲しいんだ。こういうの、飼い犬に手を噛まれたって言うんだよね? せっかく10年間も人間を可愛がってきてあげたのに、国外追放なんてあんまりだと思う」

深い溜息をつきながら、イオナはリコリスの見た目から自分本来の見た目へと戻っていく。

肌はより白くなり、髪は金色から桃色へと染まり、瞳の大きさは人間の数倍へと戻った。

「ま、魔族だぁぁ!」

「リコリス様が、魔族!?」

「じゃぁスコット男爵令嬢を殺したアレは誰だ?」

会場内は恐怖一色に染まる。

しかしこの短時間で、彼らが真実に辿り着くことはなかった。

自分たちが公爵令嬢だと信じて疑わなかった少女が、まさか10年も前から魔族だったとは、誰も思わなかった。

浅はかな人間たちは、この会場が急に魔族に襲われた、スコット男爵令嬢と護衛騎士の一人が死んだ、くらいの認識しかなかった。

イオナが可愛がっていた人間たちは、彼女が思うよりもずっと頭が悪かったのだ。

「イオナ、ペットの躾はちゃんとしないとダメだよ? この国の人間、すんごいバカばっかりじゃん!」

「わたしの育て方が悪かったのかなぁ」

「絶対そうだよ。あのね、ペットは愛でるだけじゃだめなの。ちゃんと躾をしないと。魔王様もいつも言ってるでしょ? ちゃんと立場を分からせてやれって」

呆れたように言うリコリスの横の空間には大きな黒い穴が開き、そこから魔物が次々と這い出しては周囲の人間を食べていく。

「リコリス、またペットを増やしたの? わたしに躾がどうこう言ってる割に、あなたのペットの食事の仕方が汚いんだけど! 辺りの床が血まみれじゃない!」

リコリスのペットは辺りの人間の脚をかじっては捨て、また別の人間を踏みつぶしては内臓が飛び出たまま放置し、また別の人間を頭から丸呑みにしている。

人間界の感覚で言うと、食べ散らかしもいいところだ。

「えへへ、ちょっと汚いかな? でも、私のペットちゃんたちは立場は弁えてるよ! そこは心配しないで」

リコリスは弾けるような笑顔で言った。

彼女はこの獰猛なペットたちを愛していた。それはイオナが馬鹿な人間を愛するのと同じ感情だ。

リコリスはただ、その愛情を同胞である人間に向けられなかっただけだ。

華やかなパーティ会場に血の匂いが漂う。

ウィローは失禁しながらイオナを見た。

「りこりす、た、たす、たすけ、助けて」

ウィローの口がワナワナと震える。

この馬鹿王子は、まだ私がリコリスだと思っているのだろうか?

それとも、恐怖でおかしくなってしまったのだろうか。

「ウィロー様、私を愛していましたか?」

イオナが尋ねた。

何を言っているのだろうと自分でも思う。けれど、どうしても聞いておきたかった。

自分が公爵令嬢として生きた10年間で、自分はわずかでも人間から愛されたのだろうか?

自分は人間を愛していたが、人間たちは自分のことをどう思っていたのだろうか?

ウィローは震えながら、声を振り絞って言う。

彼はもう自身に助かる見込みが薄いことに気づいていた。ならば、せめて言葉で一矢報いてやろうと思ったのだ。

「おおおお前なんか、愛する訳ないだろう! いつも気持ち悪かった! 完璧で、隙がなくて、いつも不気味に微笑んでいるお前をおかしいと思っていた! な、何か、へ、変だと思っていたんだ! 魔族だったなんて! 僕の前から消え失せろ! おい護衛兵士はどこにい——」

イオナが絶望的な気持ちで溜息を吐くのと、リコリスのペットがウィローを丸呑みするのが同時だった。

「あ、イオナごめん! まだ話の途中だったね?」

「いいのよ。彼が公爵令嬢としての私をどう思っていたのか分かったし、もう用はないから」

「えー、でもこの馬鹿王子の評価が全てっていう訳じゃないでしょう? 公爵令嬢ごっこの点数がどうだったか、生き残ってる人間を尋問して聞いてみたら?」

「もういいわ。もう——」

そういえば、記憶に残る友人や使用人たちの顔はいつもどこか引き攣っていた。

家族でさえ自分を腫れもののように扱っていなかったか。

自分では上手くやっているつもりだったし、自分が高貴な身分だったから周囲が遠慮しているだけだと思っていたけれど、そうではなかったのかもしれない。

「だってさぁイオナ、普通の公爵令嬢は、ミスをした使用人たちを拷問にかけたり、そいつらの遺体でスープを作ったり、敵対した令嬢を跡形もなく消し去ったりしないからね! ちょっとそこの感覚が人間と違ったんじゃないかなぁって前から思ってたよ」

「あら、そうなの!? 言ってくれれば良かったのに」

「ごめんごめん、面白かったからついそのままにしてたの。だって、周囲の人の恐怖の顔が面白くって! スコット男爵令嬢の側近も拷問したりしてたじゃん。普通は他人の側近を拷問しないよ。そりゃ国外追放されるって! あっはっはっは」

リコリスは腹をかかえて笑った。

「人間の感覚って難しいわね」

イオナは頬に手を当て、ふぅと溜息を吐く。

「次はもっと勉強してから、とりかえっこしたらいいじゃん。だめになっちゃったら国ごと滅ぼしちゃえばいいだけだし」

「次……?」

リコリスの思わぬ提案に、イオナは目を丸くした。

そうだ、失敗したのならまたやり直せばいいんだ!

「そっか、次は誰と生活をとりかえっこしようかな」

イオナの大きい瞳がニンマリと細められる。

遠い北の国で生活に不満を抱えた令嬢のもとに、ふたりの女の魔族が訪れたのは、それから少し経ってからのことだった。