作品タイトル不明
5-32 (仮) 王都一武術大会個人戦 - シロの主 -
初めて出会ったとき、主は牛串サンドを美味しそうに頬張っていた。
主の座るベンチの一点だけ、陽光がさしたように温かくて、眩しかった。
主の手から差し出された牛串サンドは、今まで食べた何よりも美味しかった。
主を悪人から守った後、また広場で牛串サンドを食べさせてもらった。
ヤーシスに頼んで、別の日に同じサンドを食べさせてもらったけど、やはり主と食べるのとでは美味しさが全然違う気がした。
主に頭を撫でられた。
触れられた部分が凄く気持ちよかった。
耳の付け根も、頭も顎の下も、全部気持ちよかった。
一番は尻尾の付け根。
腰が抜けるかと思うほど、至極の気持ちよさだったから沢山して欲しかったけど主は何故か止めてしまった。
主と一緒に眠った。
初めは横で、その後は主の上に乗って横になった。
熟睡……出来たのは初めてかもしれない。
とても安心して、眠る事ができた。
主と、ウェンディと約束をした。
三人で、幸せになろうと。
あの時は幸せがよくわからなかったけど……今は、主といる事がシロの幸せ。
その頃から、ううん。多分出会った時から、シロは主が大好きだった。
主の手が好き。
温かくて、シロの頬を撫でるとそこからぽわぽわしてくる。
触れると温かくて、シロに温もりをくれる。
主の腕が好き。
いつだってシロを抱きしめてくれる。
ぎゅってされると少し苦しくて、でも温かくて、何よりも気持ちがいい。
主の目が好き。
いつも優しくて、見つめていると安心できる。
シロのわがままにも微笑みかけてくれる優しい瞳。
主の口が好き。
シロと呼んでくれるだけで、シロは幸せな気分になれる。
主が言葉を放つだけで、多くの人が笑顔に変わる。
主が、好き。
シロに愛を教えてくれた主が好き。
温かい食事を、優しい温もりを、幸せを教えてくれた主が大好き。
だから、そんな大好きな主を、シロが守り通す。
そうしないと、間違いなくこの男の刃が主に届くと告げているから。
あの時、主に剣を向けたときからずっと警報が鳴り響いていた。
この男ならば、主を殺める事も厭わないだろうと思った。
だからシロは死合を受けた。
そんな事、許さない。
命を捨ててでも止めてみせる。
シロは、もういっぱい愛を貰った。
笑顔を沢山与えてもらった。
満足なんてしていないけど、まだまだずっと愛され続けたいけど、それでもシロは幸せだったって胸を張って言える。
こんなシロを愛してくれたと、しっかり感じ取れたから。
だから、シロはたとえ、命を失ってでも主を守る。
……主との約束は守りたい。
シロだって、出来れば生きて主の下に帰りたい。
でも、シロが大好きな主を愚弄されて、殺すと宣言されてまで、黙っていられるほどシロは大人じゃない!
それに、逃げた先で主が危険になるのなら、そんな道は進めない!
ならば、シロがこの男を、殺す以外に道は無い!
『 被装纏衣(ひそうてんい) ・ 参纏白獅子(さんてんしらじし) 』
使えるかどうかはわからなかった。
消耗が激しい上に、 黒鼬(クロイタチ) も 灰虎(ハイドラ) もどちらもかなり使用していたから、あとどれだけもつかもわからない。
でも、せめてこの男を止めるまではもって欲しい!
実戦で使った事は殆どない。
だって、今までは使う必要もなかったから。
でも、 黒鼬(クロイタチ) よりも速く動けて、 灰虎(ハイドラ) よりもずっと強い。
クロに習った、黒猫族の秘奥義。
白くなった影が、キラキラと輝きながらシロに纏わりついてくる。
全ての感覚が、研ぎ澄まされていくのがわかる。
肌に当たる風も、騎士団長の鼓動も、少しの動きさえ全て鋭敏に感じ取れる。
観客が、唾をごくりと飲み込み、今まで以上の戦闘を期待して魅入っている事すらも手に取るようにわかるのだ。
だが、やはりというからにはこの技も、この男は知っているのだろう。
生半可な覚悟では敵わないのだと、決心をする。
この技をもってしても、敵わない、強敵だと再認識をした上で、文字通り捨て身の覚悟でシロはアーノルドを討つ。
もともと、この技は消耗が激しく、長くは保たない。
でも、一振りに全力を出せればそれでいい!
一振りに、残る全部をのせてそれで駄目なら、もう何をしたって届かない。
だから、これがシロかあの男かどちらかの、最期になる。
もう、誰にも止められない。
止まるつもりも、毛頭ない!
「くはははは! いいぞ! やはり使えたか! そうだ! それでよい!」
嬉しそうに笑う騎士団長。
死ぬか殺すかのギリギリの戦いを楽しむように笑っていた。
こんな男を、放置する事はできない。
主に、近づけさせてはならない!
「来い!」
「……行く!」
目を見開いて、アーノルドの微細な動きすら見逃さない。
そこから繰り出されるであろう。
ナイフを構え、白い衣をナイフにも纏わせる。
これで模擬戦用の武器であろうと、鎧の上から切り伏せられる。
何を持ってしても、押し通す力を込めてシロはアーノルドと衝突する。
感覚が鋭くなっている今、アーノルドの動きが手に取るようにわかる。
どの角度で、どんな速度でシロまで大剣が届くのか、どうすれば、シロの攻撃が当たるのかも。
だが、普通にやっても当てられない。
なら、一瞬でいい、ほんの少しの戸惑いが生まれれば、それで勝てるはず。
アーノルドと視線を合わせる。
シロの視線に気がつくと、ニヤリと笑った。
しかも、戦いに満足したような顔で。
アーノルドの大剣は、シロの左肩から心臓まで届くような速度を持って放たれている。
本気も本気、それはわかった。
でも、 白獅子(しらじし) を知っているなら、シロのナイフがその大剣ごと切り捨てる事ができるとわかっているはず。
なのに、軌道を修正するような事もせず、ただ満足そうな目で、シロを見ているだけであった。
今のまま行けば、迫る大剣を握る腕も、その上にある首も、シロは跳ね飛ばす事が出来てしまう。
そして、アーノルドは、目を瞑った。
『――すまぬ。サラ』
とても小さな動きで、声は出ていない。
白獅子(しらじし) を使っていなければ、とてもわからないような声。
でも、口の動きがそう呟いていた。
死ぬ……つもりだ。
この人は、初めからここで死ぬつもりだったのだ。
理由は分からない。
ただ死にたいなら、すぐに死んでるはず。
でも、アーノルドも全力で剣を振るっている以上、戦いの中で死ぬ必要があったのだ。
サラ……が、誰なのかはわからない。
ただ分かる事は……主は、どうなっても大丈夫だ。という安心感であった。
『殺すな!』
主の、声が聞こえた気がした。
何時の日か、主を守らんとして主を襲う悪人を殺そうとした時の事だ。
なんて甘い人なんだろうと思った。
この世界で、殺されそうになったのならば相手を殺すのは普通の事だ。
それに、悪の芽は摘み取らねばまた花を咲かせ悪事を働く。
その場を逃がしても、改心などせず自身を襲う可能性を残すだけなのだ。
それでも、すぐにこの人らしいと思えた。
誰よりも温かいこの人らしいと。
だから、シロが守ると決めた。
この優しくて甘い、人一倍傷つく事も、傷つける事も恐れているこの人をシロが守り続ける。
主を襲う悪は躊躇なく、優しすぎる主の代わりにシロが排除すると胸に誓った。
でも、今回は悪じゃなかった。
主を襲う気もなかったんだ。
そっか……良かった。
そんな一瞬ともいえる思考の末、無理をして発動していた 白獅子(しらじし) は安堵と共に解除されていた。
とたんに、アーノルドの顔が驚愕に変わる。
死ねるはずの剣が、今まさに、終わりを迎えてしまったのだ。
振り下ろした大剣は、シロのただのナイフを弾き、まっすぐにシロの元へと降りてくる。
ああ、シロは、死ぬ……。
すぐにそう感じる事ができた。
さっきまで、この男を殺す事ばかり考えていたのに、今は、そうでもなくなってしまっていた。
「――ごめんね。主」
約束、守りきれなくてごめんね。
最後まで、わがままで、自分勝手でごめんね。
硬い金属の感触がゆっくりとシロに食い込んでいくのが感じられた。
冷たいけど熱い。このまま切断されてしまうのだろうかと思えた。
だが、シロの身体は後方へと飛ばされ、大きな血の道を作りながら転がっていった。
空が見えた。
息はまだある。
でも、もう、身体は動かない。
痛みは……麻痺してしまってもはやわからない。
「……どうして最後、気を抜いた」
アーノルドが問いかけてくるが、それに答えるような力は無い。
そっちこそ、死ぬ気だったの? と問いただしてやりたかった。
「答えられぬか……その傷では、最早助かるまい……」
助からない。
そんな事はシロが一番わかっている。
「言い残す事はあるか?」
その言葉に薄れ行く意識をかき集めて、なけなしの気力を振り絞って声をひねり出そうと必死になる。
「……主に、手、出さないで?」
「――ああ。約束しよう。すまなかった。……さぞ苦しかろう、今楽にしてやる」
今のアーノルドは、自身を殺せる者がいなくなった喪失感ではなく、戦った者に対しての敬意をたたえる騎士としての誇りに満ちた表情をしていた。
やっぱり、この人は狂人ではなかった。
でも、戦闘を楽しんでたくせに、最後の最期で何故手を抜いたのかはわからない。
やっぱり死のうとしてた?
さっぱり……わからない。
もう声も出せないや。
主のように優しく微笑む事しかできそうにない。
最期くらい、主みたいな笑顔で死のう。
いい人生だったって、本当に思えたから。
最後の最期で、主だけは、万が一もなく、ちゃんと、守れたから……。
目に映るのは上段に構えるアーノルドの大剣。
そっと目を閉じるが、口元は微笑んだまま。
そして――大剣が振り下ろされた。
「――生きてりゃ、やれる事はいくらでもあるんだって言ったよな」
聞き慣れた大好きな声と見慣れた服装の男性の声に薄らと目を開ける。
当然現れた人影に突き出された右手の手前でアーノルドの剣が止まった。
ああ、来てくれた。
来て、くれたんだ。
「あ……」
「しゃべるな! 今治してやるから……」
「ん……」
主は話しながら、急いで小さな小瓶の蓋を口で開けると、中に入った液体をシロの身体に、振り掛け始める。
すると、淡い光に包まれて傷口が修復していった。
助からないと思った傷が、見る見る塞がって治っていく。
霊薬……かな?
「約束、守ってくれたんだな」
シロの手に、主の温かい手が重ねられた。
そこから、熱が篭ったように温かい気持ちが広がってくる。
約束……。
守らなかった……。
逃げろって、言われてたのに、無理に向かってしまった。
主を裏切ってしまった事実に涙が滲む。
「ううん……シロ、守らなかった。また勝手に……」
「守ったよ。シロは、生きてた。だから助けられた」
それは、主が間に合っただけ。
シロは、もう守れないと思ってた。
だから、主が守らせてくれた。
「うん……シロ、まだ生きてる」
「ああ。ああ……っ」
主の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
大好きな人の、初めて見る。涙でぐしゃぐしゃな顔。
手を伸ばして、主の頬を伝う涙を拭うと、その手に主が手を添える。
そして、ぬくもりを確かめるように優しく握ってくれる。
「ごめん。ごめんな。遅くなって本当にごめん……」
「んーん。主、来てくれた」
「不甲斐ない、主でごめん。痛かったよな……」
「主……謝ってばかり。シロが、シロが勝手した、から……」
シロも涙がぽろぽろと流れ落ちる。
主に、危なかったら逃げてもいいって言われてたのに。
守らなかったシロが悪いのに。
生きていればやりようはあるって言ってたのに、突っ走ったのはシロだから、悪いのはシロだから……泣かないで……。
「うっ……ううう……」
生きていて、良かった。
主を、今以上に悲しませなくてすんだ。
「あー……どうしましょう……声かけづらい……。えっと、勝者ー……アーノルドー……。よし、仕事終わり! 担架早くしろ! さっさと持ってこい!」
副隊長の怒号が聞こえる。
慌てて、兵士の姿をした男達が、担架を持ってやってきた。
「ん……いらない」
「無理すんな……」
「主、だっこ……」
まだ、主のぬくもりから離れたくない。
もっと、生きている喜びを感じたかった。
「……わかった」
主は、シロの膝と脇に手を入れると、すっと抱き上げる。
「お姫様だっこ……」
「痛いか?」
「んーん。これでいい。これがいい」
腕を回し、ぎゅっと主を抱きしめる。
主の温もり、主の匂い。
全部包まれているような、優しい感覚。
「待て……。今のは……」
「説明は後だ。ほら、あんたの帰りをお待ちのご婦人がいらしたぞ」
主が示した先にいたのは一人の若い女性。
ふらふらな足取りでこちらに歩いてくる女性は、真っ直ぐにアーノルドを見つめていた。
その姿にアーノルドは目を見開き、持っていた剣を投げ捨てて駆け出して抱きしめる。
「サラッ!」
「あなた……」
ぎゅうっと抱きしめあう二人。
アーノルドは力いっぱい抱きしめているようだが、あの女の人は大丈夫なのだろうか。
「詳細は全部話す。だから、ちょっくら付き合えよ」
シロを抱きかかえて歩き出す主。
その顔は、あまり納得がいっていないといった様子だった。
「ん? どうした?」
シロと目が合うと、すぐにいつもの優しい瞳に変わったけど……。